人殺しが得意な魔道師
「ここに残った見張りの兵士を二人ばかり倒して潜り込みましょうか、ヴァイロン様」
陽気に言うラドビアスにヴァイロンがうなずいた。 やっと自分の運命のために自らが動ける喜びを感じている。 それが殺戮というものだとしても何もできないのをただ鬱々(うつうつ)としているのはまっぴらだ。
「その前にイーヴァルアイ様、着替えをご用意しますから少しお待ちを」
ラドビアスがそっと出て行く。
「着替えって?」
「わたしはドリゲルトの軍に虜になりに行く」
「な、何を言っている?」
イーヴァルアイは詰め寄るヴァイロンをまあまあといなしながら押しとどめる。
「ドリゲルトは侵略した国々の高貴な女たちを集めて国に連れて帰るつもりだ。兵士たちへの褒賞の品にでもするんじゃないか。まあ、それに紛れようかと。その方が目立たないだろ」
――それはそうかもしれない。
それが顔にも出ていたのか。
「まあ、貴妃たちの中ではさすがに目立ってしまうかもしれないけどね、兵士の格好よりはましだろう」
イーヴァルアイはヴァイロンの表情を勝手に解釈する。
――目立つのは男が女装しているからで……じゃないだろう、まったく。
「おまえの妃も捕まっているかもな、どうする? 会ったら何か言っておく事があるなら聞いておくが」
弾かれたようにぎくりとヴァイロンはイーヴァルアイを見た。 結婚をして一年にも満たない月日を暮らした妃、アステベート。 もう二度と会うことはないと思っていた。
城を出るときの彼女の言葉がよみがえる。
「モンド国の妃として死ぬなんて考えられませんわ。サイトスへ返してくださいませ。供を連れて今日のうちに城から出ます」
彼女は中央の大国、サイトス国の姫のままだった。 父王の命で嫌々北の小国モンド国へ輿入れして来たものの気持ちはずっと変わらなかった。 若いヴァイロンが矜持の高い妃を扱いあぐねているうちにどんどん二人の気持ちは離れていったのだ。
「余計なことはするな。わたしが魔道師を殺るまで大人しくしていろ」
ヴァイロンのきつい調子の返事にはいはいとイーヴァルアイは楽しそうに返した。 人の弱いところをつくのが余ほどおもしろいらしい。 いやな奴だ。
そこへ女物の衣装を抱えたラドビアスが現れた。 それがこの城の衣裳部屋からの物なのか、死んだ女から脱がせたものなのかヴァイロンは考えたくなかった。
「これを。大きめなのを選びましたが」
早速、ラドビアスがイーヴァルアイの着ている物を脱がせ始めて、ヴァイロンは慌てて顔を背けた。 分厚いローブがどさりと床に落とされる音。 下に着ている薄い絹のシャツのリボンを引き抜くしゅるっという音。 そんなものに我知らず顔が赤くなってヴァイロンは頭を戻すことができないでいた。
「まあまあだな、しかし動きにくいな。何してる、ヴァイロン?」
体に合っているのを確かめてイーヴァルアイが部屋の隅で壁に向いてかたまっているヴァイロンへ声をかける。
「髪を結いますので少しじっとしていてくださいまし」
器用にリボンだけで髪を高く結い上げるとラドビアスは出来栄えを見るためにニ、三歩後ろに下がってうなづく。
「よろしいようです」
それを聞いてイーヴァルアイは歩き出した。
「じゃあ、あとでな」
その声に振り返るヴァイロンは息をのんでイーヴァルアイを見つめた。
「気を……つけろよ」
「――ああ、おまえも」
「目立たないようにお願いしますよ」
ラドビアスがちょっとお待ちをと、薄い透ける布を頭からふわりと被せるとイーヴァルアイは手を振って出て行ってしまった。
「では、わたし達も行くか」
「はい」
ドリゲルトは城壁に沿って何十人かの見張りだけを置いているらしい。 二人一組の歩兵が北門側に五組ほど置かれている。 南側は城の正門なのだからこの倍はいるだろう。 やはりこちらで正解か。 ヴァイロンは一人うなずくと身を潜める。 そして城壁に造られている矢台のかげから兵士の見回りの人数、間隔、時間を見定めると、抜け出して東から来るラドビアスと合流する。
「東は兵士の宿舎がありました。西は送られてきた虜囚を捕らえている場所になって警備も厳重になっております」
ラドビアスの報告にヴァイロンは先程のイーヴァルアイとの会話を思い出して、西のほうに目を向けて急いで頭を振った。
サイトス国はこの島の中央に位置するのは勿論のこと。 規模も大きくドリゲルト率いるルクサン皇国と海峡を挟んで隣国という位置にある。 そのため、ドリゲルトはサイトスを落とした後そこを拠点にして軍を二手に分け、小さい領主国の多い南に信のおける将軍を南下させた。
ドリゲルトは比較的大きい国のある北に軍を率いて行ったのだ。 各国で目ぼしい貴妃、宝玉類などの財宝を略奪しながらサイトスへ送りこんで軍がサイトスに戻り次第、海峡を渡るつもりなのだろう。
退屈している自国の将軍達の愛国心を燃えさせて財宝、土地を褒賞として与えて忠誠心を呼び起こす。 国内で燻っていた不満も解消し、ルクサン皇国軍は戦いの最中ながら喜びの興奮に沸き立っているのだろう。
「退屈だなあ、後陣勤めもよう。見回ったところで何もないとわかっている場所の警備なんて」
甲冑姿の男二人組のうち若い一人がぶつぶつと隣の中年の男に愚痴っていた。
「小隊長に振り分けられちまったんだから仕方ない。しかしいくらしょぼい国の軍隊との戦相手だって前線に行けば万が一にも命の保障はない。いくら頑張ったって褒美をもらうのはお偉いさんばかりだ。俺たちにはここで楽させてもらおうぜ」
まだ若い連れに言いきかすように男は言った。
「だったら西側が良かったぜ。運が良ければ女達のいる部屋の警備につける。前にちらっとだけ連行される女たちを見たがあれが俺たちの知っている女どもと同じ人間かと驚いたぜ」
遠い目をしながら若い男はそのときの光景を思いだしていた。 雪のように白い、本当にしみの一つない顔の美しい女たちだった。 一緒に連れて行かれる侍女たちでさえ自分の周りにいる女とは次元が違う、と思った。
生活が思い描けない女たち。 日々の暮らしのこまごまとした雑事から切り離された世界の女たち。
「言っても仕方ないことは言わずにおくんだな」
中年の兵士はやれやれと突き放すように言うと歩みを速める。 少しだらだらとし過ぎたようだ。
「おい、早くこい」
相棒の足音がしないのを訝しく思って男が振り向いたが自分の背後には誰もいない。
「おい、ど……」
男の声はそこで途切れ、背中を熱いものが突き刺さった。 痛みと恐怖で叫び声をあげようとしたがその口は背後に回った人物によって塞がれる。 と、同時に背中から引き抜かれた剣は今度は後ろから心臓を違わず貫いて男は白目を向いてその場に倒れた。
ヴァイロンは血を払うように大きく剣を振りさばいて指輪に戻すと手にはめる。
「ラドビアス、鎖帷子に穴を空けてしまった。目立つかな」
若いほうの兵士の首から短剣を引き抜いて、どさりとヴァイロンが殺した兵士の横に死体を投げたラドビアスが足でその男をひっくり返して鎖帷子を検分する。
「この鎖を切ってこちらに繋げれば大丈夫でしょう」
何でもないように言うとラドビアスは死体をかついだ。
「あの陰に死体を隠しましょう。申し訳ありませんがヴァイロン様はそちらの男を運んで下さい」
ヴァイロンに素早く若い兵士が着けていた鎖帷子を着せる。 ラドビアス自身は、短剣の先を使って器用にヴァイロンの開けた穴を目立たなくした中年の兵士の鎖帷子どころか身ぐるみ剥がして着込んだ。
「わたしはローブ姿でしたから全部借りますよ」
死体をそのまま脱いだローブで包んで陰に押し込むとヴァイロンに向く。
「お待たせいたしました」
「ああ」
ヴァイロンは、ラドビアスの手際の良さにわずかに身震いして応じた。 ヴァイロンの数少ない魔道師と対峙した経験の中でもラドビアスのような者はいなかった。 大体今やっている事は、剣術というより暗殺だ。 人殺しが得意な魔道師って……しかし。
ヴァイロンは自分の思いを振り切る。 今は考えても仕方ない。
「では行こう」
「はい」
二人は何事も無かったように決められた順路を巡回し、城へ向かう。




