戦士の休息
「今の状況をひっくり返すといっているんだ。この島の覇権をおまえが握るということがどういうことかわかっているのか。きれい事ですむわけが無いだろう。今お前の側にいるのはわたしだけなんだぞ。この二人だけで何とかしようといる今、おまえだけが清廉でいられるわけが無い」
「わ、わたしは……」
イーヴァルアイの二人だけという言葉にヴァイロンはごくりと唾を飲み込んで立ち上がった。
――小さいながらも一国の皇太子として生まれ、父親の後を継いで王になった自分。 しかしこれからやろうとしていることは、他人の国を蹂躙し奪い、殺す。 つまりはそういうことだ。
「すまない」
手を引いてイーヴァルアイを助け起こしてやると、掴まれていない方の手がヴァイロンの肩に置かれる。
「今だけだ、ヴァイロン。国を手に入れたらその後は輝く玉座で国民の幸せを願う賢王として暮らせる。他のことはわたしとわたしの眷属がいいようにするから。おまえの従者もわたしのも死んでしまったわけじゃない。まあ、魂を竜門に縛られているけどね」
イーヴァルアイはちらりと闇に目を向けた。
「そこはどこへ通じているんだ?」
「どこへでも」
そう言ってイーヴァルアイは片側だけ唇を引き上げた。
「では早速ドリゲルトの軍に向かうのか」
勢い込むヴァイロンを押しとどめるようにイーヴァルアイが置いたままの肩を軽くたたく。
「あれはちょっと放っておこう。それより海岸線に結界を張るほうを優先させる」
「どういうことだ?」
威勢を削がれて憮然としてヴァイロンはイーヴァルアイを見ると彼はまたもやにやりと笑う。
「他の小国と戦う気か、ヴァイロン。我らは二人でしかもやることは両手に余るほどある。ここはドリゲルトにもう一頑張りさせる。その間にドリゲルトを島に封じる手筈を整える。それまではおまえの手下としてドリゲルトにこの島中の国を滅ぼしてもらおうじゃないか」
あっさりとそんな凶悪なことを口にしてイーヴァルアイは笑い顔をヴァイロンに見せるのだ。
――やはりこいつは妖かもしれない。 しかし女じゃないと言われたときに腹が冷えたような気がしたのはどういうことだ。 それもこれもこいつが男のくせに今まで見た女性なんかよりはるかに美しいのが悪いのだ。
そこではっと自分がイーヴァルアイの腕を掴んだままなのに気付いてヴァイロンは焦ってやや乱暴に手を離した。
「まずはおまえには休息が必要だ。確かこっちに……」
ヴァイロンのそんな気持ちに頓着することなく、イーヴァルアイはせっかくヴァイロンが離した手を掴んで引っ張るように部屋を出る。 次に右に折れて柱の陰になっている小さい部屋の扉を押し開く。
その部屋は狭いながら寝台と机が置いてあったが長いこと使われていなかったのか冷たくやや埃っぽい。
「休むなんて後だ」
「だめだ、おまえは大事な体なんだから」
とんと胸を押されて寝台に倒されて抗議したヴァイロンだが呪をかけられたのか、あっという間に深い眠りに落ちていった。 深い息遣いに胸が上下しているのを満足そうに見て、イーヴァルアイは緊張を解き放って大きく息をした。 余裕があるふりをなんとかやりとげて心からの笑顔を浮かべる。
「うまくいきそうだよ、ラドビアス。いるのだろう?」
「はい、カルラ様」
「これからはイーヴァルアイだ、良い名だろう?」
イーヴァルアイの話す言葉はさっきまでの大陸の西側とこの島で一般的に使われているものではない。 大陸の東の大国、ハオタイのものだった。 イーヴァルアイの背後からラドビアスと呼ばれた背の高いローブ姿の男がそれに同じ言葉で応える。
「しかしヴァイロンがあんまりじっと見るから、わたしの真意に気づいたのかもって肝が冷えたよ」
――それはあなたに見とれていただけです。
胸の内だけでラドビアスは返事を返す。 自分の主人の見かけの美しさに自覚がないのにも困ったものだとラドビアスは溜息をつく。 他人が自分に注目するのは女に見えるからということばかりにむきになっているが、自分の美醜に関することにはまるで頓着しない。
そのお陰でこの島にたどり着くまでどんなにわたしが苦労したと思っているか。 いや、言ったとしてもおまえが勝手に騒いでるだけだとにべもないだろうが。
「あのままヴァイロンに殺されるかと思ったよ」
緊張がとけたのか、からからと声を出して笑うイーヴァルアイにラドビアスはむっつりと言う。
「先に説明しないからですよ。わたしなんか声が出ないくらい驚いて、あやうくヴァイロン様を殺すところでした。あの剣が少しでもあなたに触れていたらと思うとぞっとします」
「大げさだな、ラドビアス」
「何を仰います、わざと説明を後回しにしたのはわかっていますからね」
冷たくラドビアスに言われてイーヴァルアイはちえっと小さく言った。
「うるさいやつだな、何にせようまくヴァイロンに契約させたのだからいいじゃないか。久しぶりに会ったというのにまったく、口の減らないやつだ。ヴァイロンが落とした剣を拾って机の上に置いてくれ。わたしは触れられないからな」
イーヴァルアイは辟易したように横を向く。
ラドビアスが剣を机に置いてイーヴァルアイを見ると彼は、ヴァイロンの寝顔に見入っていた。
「きれいな髪だな、銀をとかしたような金色だ。瞳の色は深い水の底のような色だったな。この島国を統べる王にぴったりだとは思わないか。ヴァイロンはわたしを……恨むかな、それとも憎む? 真実を知ったら。ねえ、ラドビアス」
「どうでしょうか」
「おまえはいつもそうやって答えをはぐらかすんだな。まあ、いい。結界を張りに行って来る。今は贄には不自由しないからな。おまえはここでヴァイロンを見ていてくれ、何かあったら困る」
イーヴァルアイは広間に戻ると竜門に手をかけてラドビアスに一瞥だけくれるとするりとその姿は闇に消えた。