息子との再会
一方、体を呪で動かされながらレーニエは船倉へと歩みを進める。 それにともない生臭い匂いが鼻をつき、吐き気をもよおす。 内々に事をおこすつもりが王にばれてしまった。 結界を破って密輸という大罪だ。 州宰のリードルとドリゲルトという魔道師の口車にまんまとのせられたのだ。 早く、王に釈明せねばとレーニエはあせるが口がいうことをきかない。
「そこの戸を開けろ、レーニエ。早く入れ」
拒否する気持ちなど関係なく体は戸を開けて女たちが半死半生で呻いている船倉に足を踏み入れる。 その後からイーヴァルアイが入って戸をきっちり閉めると戸に血で範字を描いていく。
「さて、始めるか」
イーヴァルアイは印を組んでレーン文字の呪文を唱えていく。 女たちの体から絶え間なく血が流れる。 レーニエは押さえきれない吐き気を覚えてしゃがみ込むが、出てきたのは吐しゃ物ではなく、血液だった。 彼は、意識が無くなるまで吐き続けて意識を失うころには体中の血液が無くなっていた。
その中で尚も続く呪文。 少し前から聞こえる地鳴りのような音。 船を中心とした一帯の海底に変化がおきようとしていた。 海底の岩が隆起し、鋭い岩が次々と剣山のように海面に顔を出す。 海は咆哮のような海鳴りの音とともに船を飲み込む。 その後から沸き上がる白い霧。 次々と沸きあがり目の前にある自分の手さえ見えなくなろうかと言う頃。 それは収まり、海は何事も無かったかのように静まり返る。
他国の侵入も自国からも出ることのできない魔の海。 この先、ザーリア州近海以外にも拡大していくのだ。
モンド州ゴート山脈の廟に竜門が開き、中からローブ姿の男とそれを支える男がもつれるように出てきた。
「誰か、ラドビアスが怪我を負った」
駆け寄って来た魔道師にラドビアスを託したヴァイロンはその魔道師の姿にはっとする。 赤い巻き毛のその若い魔道師が怪訝な顔をしてヴァイロンを見返した。
「おまえ、名前は何という?」
「クロードといいます」
そこで魔道師は、ヴァイロンの腰の長剣に気づいて慌てて頭を下げた。
「王陛下であらせられましたか、失礼いたしました」
「ああ、早くラドビアスの手当てを」
元気で暮らしているのだなとリチャードと瓜二つの魔道師の後姿を見送りながらヴァイロンは胸が熱くなる。 そこへ灰色の長い前髪の魔道師が現れてヴァイロンに深く頭を垂れて挨拶をした。
「王陛下、ご無礼をいたしました。ここの者は陛下のご尊顔を存知あげない者ばかりで気付くのが遅れて申し訳ありません」
ヴァイロンに椅子を勧めて自分は向かいに立つ。
「いや、そんな事はいいが。おまえは?」
「はい、サイトスにラドビアス様が出向かれておられますので、その代わりに主のお世話をさせていただいております、ゴートの廟長のルークと申します」
それではこの者がガリオールとともにサイトスへ来た子どもだったか。 そして竜印を持つ三人の魔道師の一人。 灰色の長い前髪のせいで顔が半分くらい隠れているがとても穏やかに見える。 が、魔道師だけは装っている外見と中身は違うことが多い。 この髪と同じ灰色の目を細めて微笑んでいる魔道師も強力な術を使うのだ。
「さっき、わたしの息子がいたようだが」
「ああ、クロード様ですね。ええ、こちらで魔道の修業をしておられますから」
「会えるか?」
「もちろん。ですがクロード様は恐れながら陛下を思慕する情は無いと思われますが。それでもよろしいですか」
ルークは穏やかな口調ながらヴァイロンにとって残酷なことをずばりと言った。
「それでも――良い」
ヴァイロンの答えに、ではお待ちくださいとルークは部屋を出て行く。 その後すぐに部屋の前から声が聞こえた。
「王陛下、クロードでございます」
ヴァイロンの入れと言う声に入って来た魔道師は扉の近くで立ち止まる。
「もっと近くに来て顔を良く見せてくれないか」
「はい」
ぎこちなくヴァイロンの近くまで来たクロードを思わず、抱きしめた。
「会いたかった。この二十年、おまえの事を忘れたことなど無かった。手元から離したくなかった。許してほしい、クロード」
王に抱きしめられて固くなっていたクロードの体がふっと緩む。
「ではやはりわたしは恐れ多いことながら陛下の子どもなんですね、何か変な気持ちです」
「何が変なのだ?」
クロードはくすりと笑う。
「だって陛下はこんなにもお若い。わたしと少しも変わらないご様子なのにわたしの父親だというのですから」
サイトスにいるリチャードはそんな事も不思議とも思っていないだろうがクロードは違うのだ。 長い別離による思いの隔たりにヴァイロンは愕然とする。
「陛下、わたしはリチャード殿下をしっかりお助けできるように修業にはげみます」
にっこりと笑いながらも失礼します、とクロードはヴァイロンの手から逃れるように身を離すと深く礼をした。
「そうだな、期待している。もう下がってよい」
ヴァイロンの言葉に明らかにほっとした表情を浮かべたクロードはそそくさと部屋を出て行く。
――一度手を離してしまったものは元には戻らないものなのだろうか。 ヴァイロンは急に歳を取ったような気がして椅子に深く座り直した。
それから――血まみれのイーヴァルアイが帰って来て、ヴァイロンも視察旅行などと悠長なことをしている場合では無くなる。 急ぎ傷を塞いだラドビアスを連れ、サイトスへ戻りザーリア州の後始末をつけなくてはならない。
密貿易を企てた州候と州宰はザーリア州の沖で結界を破るのに失敗して船ごと沈没して亡くなった、ことになっている。 それに繋がる者の処罰と官の刷新、そしてルシーダの母親、親戚に至るまでの官位と爵位の剥奪。 ザーリア州は王の直轄地扱いとなり、サイトスから官が長として遣わされることになった。
そしてルシーダを慰めるために一時もヴァイロンはサイトスから離れることが出来ずに瞬く間に冬が過ぎ、春を迎えた。
春と言っては申し訳がないくらいの冷たい風が吹く朝。
王の側付きとしてサイトスに留まっているラドビアスは朝日が昇ってもう、随分になるのに起き出さないヴァイロンに悪い予感を感じて王の寝室に急いだ。 扉の外の守衛に声をかける。




