秘密
「参りましょう」
そうだなと娘を気にしながらもヴァイロンは竜門をくぐった。
「おい、あの娘に何の呪をかけたのだ?」
「あれですか、あれは呪ではなく良縁を願うまじないですよ。わたしの郷里で若い娘が年頃になるとみんなで何かの折々にするのです。まあ、気休めですが」
悪戯っぽくラドビアスが笑いながらヴァイロンに答えた。
「だが、さっきの顔はかなりの悪人面だったぞ」
ヴァイロンの指摘にそうですかねえと、ラドビアスはくつくつと笑う。 先の使われた竜道を辿るとそこは岩肌がごつごつとした足場の悪い竜道だった。 整備されていない竜道は体にも良くないのかわずかに気分が悪くなって足元がふらつく。 真っ暗な中に指の先ほどの光が見えてきて、竜門から出るとそこは竜道にくらべれば明るいもののかなり薄暗いじめじめした所だった。 石積みの隙間から水が漏れているのか石畳の床も濡れて滑り易くなっている。
「ここは州城の地下のようだな」
「そのようですよ、そこを開けて上へ出ましょう」
大きな錠前の鍵穴に指をあててラドビアスは印を結ぶ。 ばちりとする音と閃光のあとに錠が外れてラドビアスの手に落ち、それをていねいに下に置いて戸を押し開いた。
「いいですよ」
「おまえが道を誤ったら恐ろしいことになるな」
ヴァイロンが小さく溜息をついた。
「そういえば、私利私欲に術を使うのも戒律で禁止されていますよ、ガリオールは頑張っておりますね」
けろっとラドビアスは言うと通路を見渡す。 続いて出たヴァイロンは水の匂いに惹かれて右側に折れる。
「上に行くには左だと思いますが」
「少し、調べたい」
ヴァイロンの後へラドビアスが一瞬躊躇した後に続く。 しばらく行くと水の流れる音が大きくなり、足を速めて角を曲がったヴァイロンの目の前に大きな空間が広がる。 ザーリア州城の地下に広がるのは大きな船着場と大きい水路、そこに付けられているのは大型の帆船だ。
「これは――随分と大掛かりなことをしたものだがどこに続いているものだろう」
ザーリア州は温暖な気候のおかげでいろいろな作物が採れるが貴重な香辛料が採れることで有名である。 長い冬をのりきるため肉を加工するのに香辛料はレイモンドールにおいてとても貴重であり、それを陸路で運んでいると思っていたが海を使っているのか。
――しかし、中型の船までならともかくレイモンドールは海岸線に沿って結界を張っているのだ。 大型船を通すほどの深さがあるはずもない。 では何のためだ。
「そろそろ上に参りませんと」
ラドビアスの声にわれに帰ってヴァイロンはうなづいた。 上に出ると警備の兵や官吏、城詰めの貴族たちが突然現れた王にまさに蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
「国王陛下、なにゆえの急なお越しでございますか」
州候のレーニエが後ろに州宰を控えさせて息を切らせながら挨拶をした。 何の用だといわんばかりの言い方だったが、よほどレーニエを驚かしたものらしい。
咎めるのも大人気ないとヴァイロンは心の内で思った。
「悪いな、国中を視察しようと思い立ったので一番はここにしようと思ってな。連絡が行き届かなかったようで驚かせてしまったようだ」
先に国王にあっさり謝られては何も言うことなど無くなってしまい、黙り込む州候の後ろから州宰が続ける。
「ようこそ、おいで下さいました。州宰のリードルと申します。サイトスにくらべてのんびりとした田舎ですが気候は穏やかでございましょう? ごゆっくりお寛ぎいただけますようすぐにお部屋の支度をしますので貴賓室でお待ちくださいませ」
ヴァイロンの数歩先を体を斜めにしながら歩く灰青色のフードを被った州宰の後ろで、こっそりとヴァイロンはラドビアスに話しかける。
「あの船と女たちは関係あるのだろうか」
「さあ、でも州候の驚き方はふつうではありませんでしたね」
ラドビアスはわずかにこわばった顔で答えた。 州宰は二人を貴賓室に案内すると再度州候とともに挨拶に伺う旨を伝えて下がって行く。
『聴視、防壁を築き我と王を守れ』
ラドビアスが印を組んで呼ばわると密かに声が是と答えた。
「間諜の使い魔を放っておきました」
「で、州候と州宰がかかわっていると見るが一体、何をするつもりかな」
「竜道を使って女たちを攫っているということは人身売買とか、女たちの体目当てではないでしょう。女たちは瀕死の状態だと思われますから」
「目的は――血だよな、おそらく。しかし、そんな大量の血を使って何をするつもりなのか。大体、血を使った術を行う者は限られているのではないか」
――イーヴァルアイか、イーヴァルアイに竜印を刻印された者。
「竜印はイーヴァルアイしか刻印できないのか」
わずかに目を伏せながらラドビアスは立ち上がった。 思わず、といった風情にヴァイロンの目がきつくなる。 先程から様子がおかしい。 ラドビアスが今までこんなに取り乱したのは数えるほどしかない。
「ラドビアス、話は終わってないぞ。座らないか」
「――ヴァイロン様、先ほどのご質問のことですが」
いつも顔色が悪いがほとんど血の気がない青い顔で、ラドビアスはぼそりと切り出した。
「主に直に竜印を頂いた者なら竜印を刻印することができます」
「今、竜印を刻印できるのはイーヴァルアイとおまえ、ガリオールとルークの四人だけだな」
「主は今はダルム海沖に出ておられて術式を行っていらっしゃいます。ルークが補佐しています」
「ガリオール、ではないんだろう? ラドビアス」
では答えは一つしかない。
「ラドビアス、なぜだ……」
ヴァイロンの問い詰める声を断ち切るように人が来ます、と声が聞こえた。
「州候レーニエが参りました、陛下」
「入りなさい」
ぎくりと体を振るわせたラドビアスは気にはなるが。 部屋に正装した州候と魔道師姿の州宰が揃って入って来たことで詮索もできない。
「先程はみっともない姿をお見せして大変失礼いたしました。妹は、ルシーダは健勝にしておりますか」
四年前に父親の崩御に伴い候位を継いだレーニエはルシーダより十二歳くらい上だったはずだ。 その歳の新年の挨拶にサイトスに来城して挨拶をしているがそのときより随分と肉がついて貫禄が増したようだ。
「ああ、元気だ。正式な訪問ではないので式典も晩餐会も遠慮させてもらいたい」
「そ、それは。まさか何もおもてなしをしないなどと……」
「お願いするよ、見かけはともかくわたしも随分と歳を取って堅苦しいことは疲れるようになってきていてね。ゆっくりさせてくれる気があるならそうしてくれ」
「そんなお歳とはお見受けできませんが。わかりました。ではご入用の物がありましたら何なりとお申し付けくださいますよう。失礼いたします、陛下」
レーニエは首を傾げながら部屋を出て行く。
「お疲れですか、ヴァイロン様?」
「そんなわけがないだろう。歳なんて思い出さなければ忘れてしまう。ところでおまえ、誰に竜印を刻印したのだ」
そう、言ってからはたとヴァイロンは気づいた。
――二十年前からここで何かが動いていたのか。 あの頃、婚儀のことで足繁くラドビアスはザーリア州に出かけていたのだった。
「ルシーダをだしにして何か企んでいたのか、おまえ」
「――ヴァイロン様」
顔を青から白くして耐えるようにじっと下を向くラドビアスはまるで拷問を受けているかのように小さくヴァイロンの名前を呟いた。




