開く竜門
「そうですね、湯も出ないような安宿では困りますよ」
「何言ってるのよ、うちはちゃんとした浴場もあるし、ここいらじゃ食事が一番って評判なのよ」
考えるように顎に手をやるラドビアスに勝気さを取り戻したエレーヌが挑戦的に言い放つ。
「一人、五百ダルでいいわよ」
「朝食つきでなら」
えっ、とラドビアスの言葉に一瞬エレーヌは考えたがどうしても泊まってもらいたい気持ちがあるため強くでることはできない。
「わかったわ、そのかわり前金でお願い」
ラドビアスに答えると店の中に取って返して大声で叫ぶ。
「父さん、お客様二名様入ったわよっ」
そして店から顔だけ出して二人を招いた。
「早く、お客さん。一番良い部屋に案内するからね」
ヴァイロンは娘にうなづいて宿に入った――しかしラドビアスのやつ、市井の宿賃の相場を何で知っているのだ。 しかも朝食をつけさせるなんて。 娘が困った顔をしていたということは普通別料金なのだろう。
「お金に困っているわけでもないのになぜあんな事を?」
「お金は無駄に使いたくはありませんので」
首を傾げるヴァイロンにきっぱりとラドビアスは答えてすまして歩いて行く。 通された部屋は城の中のように天蓋付きの寝台に水鳥の羽毛の布団とはいかないがなかなかに快適そうだ。 少し早めの昼食を下の食堂で頼むと娘の言うとおり、どれもなかなか香辛料が少しきついが美味しい物ばかりだった。
「魔道師の戒律で食べられない物とかあるのじゃないのか」
ヴァイロンは差し向かいに座るラドビアスに声をかける。
「ああ、動物の肉と確か魚もダメだったかと」
「――え?」
スプーンを取り落としそうになってヴァイロンはすまして羊肉を食べているラドビアスを見た。
「それで……いいのか」
羊肉を飲み込んでラドビアスはデカンタからワインをグラスについでごくりと飲んだ。
「はい、わたしも主も別に戒律なんぞに縛られておりません」
女犯するべからず。
賭博に興ずるべからず。
獣肉、魚肉を食するべからず。
深酒をするべからず。
「ほかにもまだまだあったかと思いますがあんなもの魔道を宗教のように権威付けしたいガリオールがせっせと作ったものですからね。あの子は何事も型苦しいことが好きで困ったものです」
鼻息一つで戒律を蹴散らしてラドビアスは焼きたてのパンに齧りついた。 そこへエレーヌが水差しを持ってテーブルにやって来た。
「お客さん、料理はどう?」
「とても美味しいよ、ここの料理人は腕が良いな」
どう、と聞く割には腰に手をやって顎を上げているその態度は美味いという言葉しか受け付けないように見えるが、実際美味しかったのでヴァイロンは笑いながら娘に答えた。
「お客さん、ちょっと待っててね。クランベリーの焼き菓子があるから持ってくるね」
またしても顔を真っ赤にしたエレーヌはだっと厨房のほうへ走って行く。 ヴァイロンは他人の女性からこんなに気安い口をきかれたこともなくどうしていいかわからず、無言で娘を見送った。
「食堂を走り回るのは止めてほしいですね、埃がたちますから」
ラドビアスが肉でべとついた口元を布で拭きながら言った直後に足音も高く娘が焼き菓子を運んで来た。
「ありがとう。こんなにサービスしてもらってお父さんに怒られないかな」
「お客さんに心配してもらわなくてもうちは結構繁盛してんだから」
「それなら遠慮なくいただくよ。それと少し聞きたいことがあるから良かったら座ってくれないか」
ヴァイロンの言葉にあ、とかいえ、とかもごもごと言いながらエレーヌはヴァイロンの斜め向かい、ラドビアスの横に腰を降ろす。
「この町はいい町だが女性の姿が少ないような気がする。何かわけでもあるのか」
ああ、そのことねとエレーヌは眉を顰めた。
「みんな怖がって女は外にでないようにしているのよ。お客さん、ここに来たばかりじゃ知らないと思うけど。このところ若い女ばかり急に姿を消しているから」
「消える?」
ヴァイロンの問いかけるような顔にエレーヌは思い出すように首を傾げる。
「たいていは女の子が一人のときにいなくなるんだけど。前に果物屋のモーリスが彼女のスーリーを家のすぐ前まで送って行って帰ろうとしたらスーリーの悲鳴が聞こえて。慌てて引き返したら彼女が道に現れた穴に引っ張り込まれるところを見たんですって」
そこで宿屋の亭主の声が彼女の話を止める。
「エレーヌ、早く手伝っとくれ」
「ごめんなさい、行くわね」
残念そうに立ち上がってエレーヌが去っていくのを待ちかねたようにヴァイロンがラドビアスを見る。
「竜門じゃないか」
「そのようですね」
誰が何のために――いや、誰がというのはかなりしぼられてはいるが。 魔道師以外は竜道を通れるわけはないのだ。
「おまえ、何か知っているのか」
――たくさんの女たちを攫って何をするつもりなのか。 ヴァイロンは過去の嫌な記憶を思い出して顔を曇らせる。
「さあ、主はこの事には関係しておられませんよ」
「では調べねばなるまいな」
「――仕方……ありませんね」
またもやいつもらしくなくはっきりしないラドビアスの返事にヴァイロンは何か知っていると確信したが口には出さなかった。
「どこから調べる? さっき宿屋の娘が言っていた果物屋の男に話を聞こうか。しかし、魔道師どもが良からぬ企みで動いているとしたら、おまえやガリオールのぬかりが大きいのではないか」
「お咎めは後でなんなりと受けます」
ヴァイロンの方を見ずに言うとラドビアスは宿を出て、通りを歩いていた男からモーリスという男の居場所を聞きだしていた。 その果物屋は大通りから一本筋を入った通りにある小さい店構えで目指す男もすぐに見つかった。 男は呼び込みをするでもなく、果物を盛った台の横に自分も商品でもあるかのように腰を下ろしている。 近づくとうたた寝をしているようだったが二人が店に入る物音に気がついたのかぼんやりと目を開けた。
「あ、いらっしゃい。何にしましょう?」
「悪いが客じゃない、おまえに話がある」
ヴァイロンを見て男は店の裏に逃げ込もうとしたがいつの間にか背後には上背のある男が立ち塞がって彼の退路を封じていた。




