「鍵」との契約
「アルベルト」
駆け寄ろうとしたヴァイロンは柵の間から伸ばされたイーヴァルアイの腕に捕らえられて後ろから羽交い絞めにされる。
「おまえの従者は死にやしないよ。それよりヴァイロン、まずは取引だ」
「取引?」
驚いて後ろを見ようと顔を向けるヴァイロンにイーヴァルアイは唇をにやりと引き上げてみせた。
「陛下、ここを出ましょう」
ルーファスが叫んだ。
「うるさいな、おまえの従者はどいつもこいつも。黙らしてやる」
印を結ぼうとヴァイロンから手を離したイーヴァルアイの腕をヴァイロンが逆に掴む。
「止めろっ、わたしの従者にこれ以上手を出すんじゃない」
「ちっ、面倒くさい。だったらおまえが黙らせろ、ヴァイロン」
苦々しくヴァイロンを見ながらイーヴァルアイは反対の手で自分の手を掴んでいるヴァイロンの手を払った。
「カルラ様、短気をおこされませんように」
「うるさいっ、ラドビアス、サイロスを呼べ」
ここへ案内して来た背の高い男がはあと溜息をついて部屋を出て行った。
「ルーファス、ここを出てお前と怪我をおったアルベルトと三人で何ができるというのか。わたしはこの者の取引の内容を聞きたい。おまえも堪えてくれ、頼む」
「……仰せのままに、陛下」
一兵士にすぎない自分に王が頭を下げるなど。 もったいなく思う気持ちと他に何も残されていないのだ。 そんな追い詰められたヴァイロンの気持ちを思って、ルーファスはがくりと膝を折った。
「さあ、もうこちらに話を戻してもいいのだろうね? いつまでも主従のお涙頂だい話に付き合う気はわたしには無いからな。おまえ、神か何かに助けを請うつもりでここに来たのなら見等違いもいいところだ。お察しの通り、わたしはどちらかというと妖よりだ。垂れ流しの慈悲なんてものには何の興味も無い」
イーヴァルアイはふんと鼻をならして腕を組んでヴァイロンをじろりと見る。
「では、先にわたしの要求をきいてもらうがいいか?」
「どうぞ、王さま」
ヴァイロンは、ばかにしたようなイーヴァルアイの言葉に憮然としながら指を折る。
「一つはわたしの国からルクサン皇国の軍を一掃すること。二つ目はこの先わたしの国が他国から侵略されない手立てをすること。おまえの力がいかほどなのか知らないが。それができるのか、イーヴァルアイ」
「できるか、だと? 聞き捨てならないな、できるに決まっているだろう」
むっとした顔を隠そうともせず、イーヴァルアイは地団駄をふんだ。
――力のある魔道師だと思っていたがどうなのだろう。 こんな子どもっぽい仕草を見せるこの魔道師は見た限りではわたしよりも歳が下のようだ。 ヴァイロンは心配げにイーヴァルアイの顔を見る。
ぷうと膨らませていた顔を元に戻すと、イーヴァルアイは考えるように顎に手をあてた。
「さて、どうしたものか。陸続きの国境に結界を張るのは少々やっかいなんだ。短時間でやるとどうしても穴が出来易いし」
困ったと言いながらイーヴァルアイはにやりと笑ってヴァイロンを見た。
「こうしちゃあどうかな? この島ごと海岸線に沿って結界を張ってしまうってのは。そうすれば小さい争いも無くなる。なにせ、お隣もお向かいもおまえの国なのだから」
「何を言って……」
「この島国を初めて統一した王になれと言っているのさ。ヴァイロン・クロード・ヴァン・レイモンドール、レイモンドール国の創成の王帝におなり。国土を統一して争いのない国を作りたくないか? 国民は潤い、国土は大いに栄えるだろうよ」
畳み掛けるようにイーヴァルアイの甘言が続いてヴァイロンは飲み込まれるように立ち尽くした。
――このわたしがこの島を統一する王に? そんな事がもしできたとしてその代償とは一体なんだ?
「それで、おまえの条件とは何だ」
「そうこなくては。おまえは話のわかる奴だな。まあ、ここで断ったところでこの島国の主がドリゲルトになるだけだからな」
右の眉をあげてイーヴァルアイは楽しそうに笑った。
「おまえが国主になったらこの国を魔道を奉じる国にする。まあ、これはおまえの益にもなることだからな。国境を魔術で封じるのだから魔道師の数は多く要る。そして……」
「そして、何だ」
「おまえたちレイモンドール国の王が裏切らないために国王に繋がる者を国王が即位するたびに一人、わたしに渡してもらう。おまえが子どもを二人儲けたらそのうちの一人をもらいうける」
「二人?」
「そうだ、生まれてくる子どもは双子のはずだ。何年先か、何人かの後かそれはわからないが。そのためにおまえは不老となる。わたしと取引をすればね」
暫くヴァイロンは逡巡するように押し黙った。
――魔道と手を結ぶことによって国を強固にできるなら、それはそれでこちらこそ魔道を利用してやろう。 それでこの何年も続いた戦乱の時代を終わらすことができるというのなら自分の子どもの一人くらいくれてやる。
「いいだろう」
ヴァイロンにとって子どもの一人を渡すということにためらいは無かった。 この戦乱の時代、子どもは王にとって大事な駒だ。 ヴァイロンの姉や弟たちも皆、他の国へ嫁入りしたり婿に行ったりして他の国と誼を結ぶ助けになっている。 庶子は臣下の家と婚姻させて国王に逆心の意を向けないようにする。 そういう時代だった。
そして、王になったばかりで后妃との間にまだ子どももないヴァイロンには、子どもへの愛情など今だわかっていなかった。
「その、壁ぎわの机の上に箱がある。サイロス、鍵をヴァイロンに渡せ」
サイロスと呼ばれたさきほど出て行った男と入れ違いに入ってきたローブ姿の男が机の上の箱を開けて中から美しい細工を施した鍵を取り上げてヴァイロンに差し出す。
鍵を受け取ってヴァイロンはじっくりとその鍵を眺めた。 燻し銀の本体に銀の竜が巻き付くように彫られている。 その竜の右目には紅玉、左目には青玉がはめ込まれていた。 鱗の一枚、一枚がクリスタルでできているように室内の暗い中でも僅かな光に反射して輝いている。
「持ったか?」
イーヴァルアイの問いに頷きだけ返す。
「それを持ったままわたしの言う通りに唱えるのだ、ヴァイロン」
「わかった」
「我、汝と契約するものなり、血の契約を約するものなり。変じよ」
イーヴァルアイが目でそくす。
「我、汝と契約するものなり、血の契約を約するものなり。変じよ」
ヴァイロンは手の平にのせていた鍵があまりに熱くなり、危うく落としそうになった。
「大事に扱え」
ヴァイロンが呪文を唱えるのを、息もせずに見つめていたイーヴァルアイが息を長く吐いて文句を言う。
イーヴァルアイの文句を受けて、持ち直そうとした鍵は陽炎のように周りの空気を振るえさせながら切り裂くような、まるで獣の咆哮のような音をたてる。 と、同時にその姿を変えていく。 唖然とするヴァイロンの手の中にあるのはすでに鍵ではなかった。 美しい竜が柄から鍔にかけて巻き付いている細工があり、剥き身の刀身には細かく何か古い言葉で呪文が彫り込まれている長剣。
「それでこの忌々しい柵を斬ってくれ、ヴァイロン」
イーヴァルアイに応じてヴァイロンは剣を握り直すと気合とともに横に柵をなぎ払うように剣を振るう。 硬い手ごたえを覚悟していたヴァイロンは、あまりの手ごたえのなさに剣を思い切り壁に打ち付けて火花を飛び散らせた。 痺れる手を庇いながら頭を上げると手ごたえを感じていなかったはずの紫の結晶で出来た柵は霧のように散じていた。
「『鍵』は今からおまえの意によって形を変えるだろう。おまえは『鍵』と契約を交わしたからな」
「『鍵』との契約?」
「そう、わたしとの取引とは『鍵』との契約を意味する」
「何か不都合なことを隠していないだろうな?」
ヴァイロンは疑わしそうな顔をイーヴァルアイに向けた。
イーヴァルアイはヴァイロンに向けてにやにやと笑いながら近づく。
「『鍵』は便利なものだよ、いつもは指輪にして右手にはめている事だ。これはわたしと取引したお祝いの品だと思ってくれていい」
そう言うとついっとヴァイロンからイーヴァルアイは離れて立つ。
「自由になったからにはやることが山ほどある。まずはここから竜門を開く」
ぶつぶつと呟くように言いながらイーヴァルアイは印を組む。
『閻王の書、閲覧、開示せよ』
その後に続く古代レーン文字。ヴァイロンの頭の中にその一文がつかの間浮かんで消えた。
「三人か。門を開くにはぎりぎりだが仕方ない」
イーヴァルアイが言いながら印を組み替える。
『アルベルト、ルーファス、サイロス、魂を持って竜門を開き門の番人とせしめよ』
「ぐわああ」
「へいかああ」
二人の従者の悲鳴と共にいきなり壁の一部が黒い渦になり、アルベルトとルーファスを引き込んで行く。 あっという間の出来事にヴァイロンは手も出せずにその様子を見ていた。
その黒い闇は生き物のようにばくりと二人を飲み込むと、中から黒い触手を伸ばして部屋の戸の側に控えていたローブ姿の男を掴む。 その驚いた顔が消えぬ間にひゅるりとひっぱりこんで飲み込んだ、ように見えた。 そして訪れた静寂。 あっという間にここまで苦楽をともにした従者をヴァイロンは失くしたと知る。
「おまえよくもわたしの大事な従者を」
ヴァイロンはイーヴァルアイの胸倉を掴むとそのまま引き倒し、馬乗りになると手にした長剣をその胸に突きつけた。
「おまえ、ほんとに甘ちゃんだな。ここに何しに来たんだ。幸せになりますようにってお祈りにでも来たのか、ヴァイロン?」
ほとんど抵抗もせずに床に引き倒されたイーヴァルアイが呆れたように冷たい目をヴァイロンに向けた。