風が運ぶもの
その後、新しい国の王ヴァイロンは荒れた国内を立て直すため何十年も忙しい日々を過ごす。 その側には背の高い頬のこけた男が宰相として付き従っていた。
ゆっくりとだが国土は豊かになって、それこそ寝る間も無く働いていたヴァイロンもやっと一息つく事ができるようになった。 丸裸だった国土の緑も日を追って濃くなり、サイトスの城下に広がる市街地の賑わいもまた、今日は昨日の倍といった具合でこの国は良い方へと転がっている。 そう、誰もがやっと確信し始めたこの頃。
しかし、懸念が無いわけではない。 その一つは、王には跡継ぎとなる子どもが今だにいないことだ。 それというのも彼の后妃は子どもを生める体ではなかったからだ。 しかも妾妃を持つことを彼女が嫌がるからでそれをヴァイロンも無理強いしないためであった。
ある日の午前中、ラドビアスの元に二人の魔道師が姿を現した。 まだ十歳くらいのこどもだった。 首からは竜印を模った銀製の呪を封じたペンダントを下げている。 このペンダントのおかげで竜道を通れたものであるらしい。
「ラドビアス様、主がお呼びでございますよ」
「早く呼んで来いって仰って、かんかんですよ」
先に声をあげた茶色の髪の利発そうな子どもがきっ、と横の灰色の髪の子どもを睨みつける。
「ルーク、主のことをそんなふうに言うのは止めるんだ」
「はーい、でもラドビアス様、とっととおいでになったほうがいいですよ」
何か主の機嫌を損なうことがあったろうかとラドビアスは執務室の椅子から立ち上がった。 そこへヴァイロンが入って来る。
「陛下、主が呼んでおりますので少しの間、廟へ戻ってきてもよろしいですか」
「ああ、その者たちは?」
「お初にお目にかかります。ゴートの廟で主にお仕えすることになりました、ガリオールと申します」
「ルークと申します、陛下。主の身の周りのお世話をしております」
幼いながらに慇懃な挨拶をして、ぺこりと頭を下げる子どもが微笑ましく思えてヴァイロンは二人を手招いた。
「お前たち、甘い物は好きか」
きょとんとする二人の子どもの手のひらに焼き菓子をのっけてやると目をまるくした。
「わっわたしは、主のお使いで来たのでこんな……」
今まで口にしたことがない菓子を目の前にして断らなくてはと口をぱくぱくしているガリオール。 その横で軽快なバリバリという音を立ててルークが菓子を飲み込んで手をぺろりと舐めた。
「これで証拠は残りません、陛下のご厚意ですからね。無下にはできませんから仕方なく頂いたのですよ、陛下」
「ルーク、何を言って……」
絶句するガリオールにヴァイロンは優しく言った。
「そうだ、わたしが無理強いするのだからそれを残さずに食べるのだぞ」
ガリオールが食べ終わるのを待ってラドビアスは竜門を開けた。
「では陛下行ってまいります」
子どもたちがラドビアスと消えてヴァイロンはもう何年も会っていない魔道師の姿を思った。 隣のあいた机をぼんやりと眺めていたヴァイロンは官吏の声にはっとする。
「陛下、朝議が始まります。おいで下さい」
あの混乱の時代は過ぎ、国境に張り巡らされた結界によって大陸からの侵略の心配もなくなり、あれほど荒廃していた国土も緩やかに復興してきているのを感じている。 それとともにヴァイロンは以前国として分かれていた地所を州として新しく任じた州候からの陳情、州同士の揉め事やら国府内の人事上の駆け引き等、文書に追われる身になった。
そしてそれを疎ましく思っている自分も見つける。
しかし国が大きくなるということはそういうことなのかもしれない。 誰かがそういう雑事を引き受けなくてはならないのだろう。 そう、思えるほどくらいには自分も歳を取ったということか。
溜息をつくヴァイロンはだが外見は『鍵』と契約したころと同じ二十一歳のままだった。
――あいつは変わったろうか。
あの喧嘩別れのような時からイーヴァルアイとは会っていなかった。 去年、三年がかりで建て直されたサイトスの主城のお祝いに他の廟からは魔道師がお祝いに訪れたが彼は来なかった。 それならば自分から会いに行けば良さそうなものだがヴァイロンは何だかわだかまって素直になれない。 そんな事をしているうちに長い長い時が過ぎて行ったのだ。
その朝、后妃の居室でアステベートは先程から急に風が強く吹き込んでくるようになり、頭から被ったレースの布が顔にあたるのをいまいましく払いのけた。 噛み付くように侍女に窓を閉めるよう言いつける。
「窓を閉めなさい。風は嫌いよ、嫌なものを運んでくるかもしれない」
そう言った目の前に黒いローブ姿が現れた。
「嫌なもの? それはお互い様だろう、后妃様」
「――おまえは」
目の前に立っているのは忘れもしないあの時の女だった。
「今日はおまえにちょっと忠告をしに来たんだが」
あのときの――そう思ったがそんなはずはないとアステベートは自分の記憶を否定する。 あれからもう、三十年近く経っているはずなのだ。 それに今自分の前にいるのは魔道師姿のおそらく男だろう。 女性は魔道師にはなれないのだから。
「おまえ、ヴァイロンが妾妃を持つことに反対しているんだって? おかげでヴァイロンは今まで一人の子どももいない。これは一国の后妃の態度にしては常軌を逸しているのではないか」
あくまでも笑いを浮かべたまま魔道師はぐいとアステベートに顔を近づけた。
「わたしはヴァイロンを愛しているのよ、他の女に心を移されるなんて我慢なら無いわ」
「おまえは、だろ。ヴァイロンがおまえに抱いている思いが愛情だと思っているのか、アステベート。そりゃ図々しいな」
そう言うとアステベートの頭からレースの布を奪い取ると印を組んで呪を唱える。 すると窓のガラスが全身を映す鏡になった。
「や、やめて、お願い」
顔を覆うように手を挙げるアステベートの両手を背後から掴んで拘束すると肩から顔を出して鏡を見る。
「ほら、ごらん、醜い顔だ。体も同じだろう。その体にヴァイロンは触れたことがあるのか。あいつが持っているのはおまえに対しての贖罪の気持ちと憐憫だ。とっくに気付いているはずだ。おまえはその醜い顔であいつを死ぬまで脅迫する気なのか。まあ、おまえに子どもが作れるのなら仕方ないと思っていたがいくらなんでも時間切れだ、アステベート」
「やめて…これを見せないで」
「いや、しっかり見るんだな。人には寿命があるんだよ、アステベート。王の子どもが出来ない場合、このレイモンドールは滅びることになる。それでいいのか、自分を哀れむ穴にいつまでも隠れていないで后妃の役目を果たせ。よく考えることだ、自分で穴から出てこれないのならわたしが手伝ってやる。死をもってね」
言うだけ言うと魔道師は術を解いて消えた。 長い時間だと思ったのに侍女の声に驚く。
「アステベート様、今窓を閉めますから」
ぎくりと窓を見ると強い風が吹き込んでいた。
「――また、名乗らなかった」
廟に帰ったものの肝心のイーヴァルアイがいないのにラドビアスは首を傾げるが、仕方なく廟内の主の机などをルークに手伝わせて片付けていると竜門が開いた。
「どちらに行っておいでだったのです?」
「どこでもいいだろ、おまえに言う必要など無い」
「お呼びくださったとばかり思っておりましたが違いましたか」
イーヴァルアイはラドビアスの強い抗議にぷいと視線を外すと椅子に乱暴に座る。
「ラドビアス、お茶入れてくれ」
「わたしが入れましょうか?」
茶器に手をだしたルークの手をラドビアスがそっと押さえた。
「いいえ、久しぶりですからわたしが用意します」
茶器にお茶を注ぎ入れながらラドビアスはイーヴァルアイの正面に立つ。
「わたしがサイトスにいたら何か不都合なことがあったのですね」
「さあな」
「やはりサイトスにいらっしゃっていたんですね。一体何でです?」
「うるさい、おまえらがあのババアを何とかしないのが悪い」
――アステベート様のところですか。 ラドビアスが小さくため息をつく。
「このまま、あのババアがヴァイロンより長生きでもしてみろ、取り返しがつかない。何でもいいからババアを黙らしてあの自虐男に若い女をあてがってやれ、ラドビアス」
「何がおかしい」
横を向いてくすりと笑うラドビアスを見咎めてイーヴァルアイが鋭く言う。
「いえ、ヴァイロン様がいつまでもアステベート様への罪に苦しんでおられるのがご心配なのかと思いまして」
「わたしは契約のことを言っているんだっ。おまえたちが何とかしないと本当にわたしがババアを殺しに行くからな。話はそれだけだ、サイトスへ帰れ」
話を蒸し返されるのを嫌うようにイーヴァルアイは話を切り上げようとする。 それに対してラドビアスはイーヴァルアイの真向かいに座った。
「もう少し、待ってみましょう、イーヴァルアイ様。この件は確かにわたしが責任を持って処理しますから。ところでアステベート様をどうやって脅かしたんです?」




