計算違い
「ラドビアスに頼みたいことがあるんだが二人きりになれない。おまえならラドビアスを呼べるだろう?」
「頼みとは何だ。わたしに言え」
「わたしの妻を――アステベートを助けたい」
「……やはり私に言っても仕方なかったな。もう行く」
イーヴァルアイは眉を顰めてヴァイロンの掴んだ手を振り払おうとするがヴァイロンに逆にもう一方の手も掴まれる。
「おまえ、アステベートが捕まっていたことをなぜわたしに言わなかったんだっ」
非難したくなんてないのに口から出てくるのはいつもそんな言葉だった――なぜなんだと。
「あの女のことなどわたしは知らないっ、おまえも好きにしたらいい」
ヴァイロンの腹を膝蹴りして逃れるとイーヴァルアイは冷たく言った。
「ラドビアスは呼んでやる、あとは知らん」
「――イーヴァルアイ」
「黙れ、ヴァイロン」
イーヴァルアイは印を組んでラドビアス、と呟いた。 そこへ開く竜門。
「お呼びですか」
ガウシスを纏ったラドビアスが姿を現す。
「ヴァイロンがおまえに頼みたいことがあるそうだ」
腹を押さえてしゃがみ込むヴァイロンに、冷たい一瞥をくれてイーヴァルアイは広間に歩いて行った。
「大丈夫ですか、ヴァイロン様」
「ああ、たいしたことじゃない」
「で、主と何をめぐっての齟齬がおありになったのです?」
うん……と気詰まりな表情でヴァイロンは暫く黙っていたが初めからラドビアスに頼むつもりであったのだ。
「虜囚の中にわたしの后妃がいるのだ。今晩のうちに逃がしたいんだが」
「――そういう事でしたか」
ラドビアスはイーヴァルアイの消えた方に顔を向けて溜息をついた。
――これで助けても助けなくてもヴァイロン様と主の間には確執が生まれるのだろう。
「連れ出す算段は出来ておりますか」
「ドリゲルトの寝所に召し出されることにしたが」
「それはそれでよろしいでしょう。こちらからも今晩お召しがあることを正式に小宮の番兵長に命を出しておきます」
これを、とラドビアスは羊皮紙を懐から取り出した。
『我、望む所現し、ここに記せ』
羊皮紙に手をかざすと手の周りに黒い粒子が集まり羽虫のように蠢いていたが、次第に紙に絡め取られたように定着する。 それはサイトスの城下町、それを囲む広大な森の地図だった。
「この道を半刻も行きますと猟師小屋があります。今は使われておりませんから暫くそこにお隠れください。明日の昼にはすべて終わっておりましょう。わたしがお迎えにまいります」
「何で使われていないとわかる?」
地図を受け取りながら首を傾げてラドビアスを見ると、ラドビアスは言いにくそうに答えた。
「主が結界を張るところを見つかる恐れのあるものをそのままにしておくとは考えられないからです」
つまりは結界を張る、城下町沿いの森の中は今は無人だということか。 猟に出ていた者も山の幸を採りに来ていた者も――誰もいない。
民にとって支配者が誰であろうと関係ない。 それこそこの島は何十年も小さい争いを繰り返してきたのだ。 畑は痩せ家畜は子どもを産まない。 そして死んだ人間を補うために女を略奪していかれた国はますます疲弊していく。 軍を養う民が豊かでない国の将来は暗い。
それでもしたたかな民は戦の間、森に潜み、戦が終われば猟をし、食べ物を求めて森の中へ入る。
――その者たちを殺したのか、イーヴァルアイ。
「竜門が使えればよろしいのですが后様はお通り願えませんので」
「――そうだったな」
「少々お待ちを」
竜門を開けて姿を消すとすぐにラドビアスは戻って来た。 その手には頭からすっぽり覆うマントと食料の入っている袋、水の入っている皮の水筒があった。
「これを。すぐにお迎えに行けると思いますが念のためでございます。道は先程お持ちになった地図が教えます。では失礼いたします」
暗い表情のヴァイロンを残し、開けっ放しにしていた竜門にラドビアスはするりと姿を消した。
夜を迎え、ヴァイロンは風防の付いた蝋燭台を片手に小宮を訪れる。 ラドビアスのおかげでまたもや一人で訪れたヴァイロンを疑う事無く番兵は迎えいれる。
「アステベート、わたしだ」
「ヴァイロン」
頭からマントをかけてやるとその間合いから抱きついて見上げるアステベートにヴァイロンは口付けた。 守ってやらなくては、これを乗り越えたら二人は夫婦として上手くいくのではないか。 ヴァイロンはアステベートの腕を取って部屋を出る。
途中から地図に導かれて兵士にも会わず、もう少しで森にでようかというところに低木の茂みががさがさと音を立てた。
「どこへ行く気だ、ゴーラの小僧」
「イール将軍」
あっという間にイールの手勢に囲まれてしまう。
「その女に恋着して逃がそうというのかな? このことは陛下の御前で釈明してもらおう」
くそっ、一人なら何とかこの場を切り抜けることが出来るかもしれないがアステベートを連れて二人ではまず無理だ。
「ヴァイロン」
アステベートは口を塞がれ後ろ手に縛られるとかつがれて運ばれて行く。 ヴァイロンも後ろ手に縛られて剣を背中に突きつけられている。
「おまえの様子がおかしいので見張りを付けていて正解だったな。おまえのような若造はまだまだわしの下で小さくなっておればよいのだ」
イールは満足そうに笑った。




