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半径2M以内で  作者: ミナ
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小物入れの中の鍵

臆病だったと思う。

信じるに足る人だと、頭ではわかっていたのに、怖くて逃げてしまった。

古い傷が痛んで、さらに新しい傷ができた。


定時で上がって寄り道もせずに家に帰る毎日。

お風呂に入って、食事もせずに、テレビをただ流してぼーっと過ごす。

何か考え出すと際限なく落ち込みそうで、あえて何も考えないように、頭の中を真っ白にする。

けれどそれも、ベッドルームへ行くまでの無駄な抵抗だ。


ベッドサイドのライトの仄かな明かりに照らされて、それはきらきらと輝いている。

蓋つきの小さな四角い小物入れ。中身が何なのかは、知らない。

小さいくせに確かな存在感を持って、私の愚かな決定を責め続けているように見える。

多分それは、自分が馬鹿なことをしたと、していると、本当はわかっているからだ。


―俺のこと、思い出したら。

 そしたらその時に、開けてみてよ。


この箱は、そんな言葉と一緒に渡された。

諦めを含んだ、静かな声だった。

私は何も答えられずに、箱だけを受け取った。


3か月前のあの日。

聡史(さとし)は終始息苦しそうに話をしていた。

3年間関西の支社に出向の内示が出て、受け入れざるを得ないのだと。

仕事なのだからどうしようもない、ということは私にもわかっていた。

けれど、それと恋愛関係を続けることは私にとっては別の問題だ。

遠距離恋愛は、過去に一度失敗している。

それも、相手の浮気を目撃するという最悪の形で。

それ以来、遠恋は死んでもしない、というスタイルを貫いていた。

この話は聡史も知っている話だ。

だから、聡史は話している間中、あんなに苦しそうだったのだ。

私が、“別れる”と言うだろうことが、わかりきっていたから。


聡史の予想の範囲を超えることなく、私は別れると言った。

そう言うと思った、と静かに言われた。

そのとき、これで終わるのだと思うと、かつて無いほどの寂しさと喪失感に襲われた。

それでも撤回しなかった。できなかった。

怖くて、怖くて、たまらなかったから。


そして最後の別れ際、聡史はこの箱を手渡してきた。

“思い出したら”?

それどころか、今の私は、会いたくて会いたくて毎日辛くてしょうがない。

実のところ、忘れたことすら無いのだから。

限界はとっくに超えている。

ずっと、蓋を開けたくなくて、同じくらいずっと、開けたくてしかたなかったのだ。


今日こそ開ける。

毎日そう思ってきたが、それも今日で終わりにしようと思う。

本当に、本当に、今日こそ開けるのだ。

ぎゅっと目をつぶり、覚悟を決めて指をかける。

そっと蓋を開けると、中身は銀色に光るものと、一枚のカードだった。

鍵だ。

一体どこの、と思い慌ててカードを捲る。


“美穂が、俺を信じてくれる気持ちになったら、

 この鍵を使ってほしいと思う。

 俺が本社に戻る前までには、使ってくれてるといいと思うけど”


メッセージの下には、住所の走り書き。

「…っ」

急に嗚咽がせりあがってきた。

聡史は、一体どんな気持ちでこんなメッセージを書いたのだろう。

一体どんな気持ちで、この箱を渡してくれたのだろう。

信じてほしい、と言葉で言わせなかったのは、私だ。

私は自分のことばかりを考えて、聡史の気持ちを無視し続けた。


会いに行こう。

まずは謝って、それから、会いたかったと素直に言ってみよう。

もしかしたら本当は、ずっとそうしたかったのかもしれない。

多分、そうなのだ。

だからこそ、それからの行動は早かった。

翌日の空いている飛行機のチケットをすぐに手配し、出かけることにする。

けれど土曜日のせいかほぼ満席で、取れたのは夕方遅くの便だった。


ほとんど荷物も持たず、まさに飛び乗った、という出で立ち。

慣れない土地でタクシーを使い、ようやく聡史の家にたどり着いたときには、午後8時を回っていた。

休日だから、もしかして家にいるかもしれないし、逆にいないかもしれない。

どきどきしながらアパートの階段を上がる。

扉の前で様子を窺うが、電気は付いていないようだった。

バッグの中から、小物入れを取りだす。

“使ってほしい”ということは、留守の時でも上がってもかまわないのだと思う。

けれどそれもどうかと思い、鍵を握りしめたままドアの前に座って待つことにした。


10分ほどそうしていると、下で車の音がして、その後階段を上ってくる足音が聞こえ始めた。

他の部屋の人が帰ってきたのかもしれない、と思ってびくりとする。

どうしよう、と焦りつつ動けないでいると、階段を上りきった人が目の前で立ち止った。

「お客さん?」

この場にいるのは、自分と今上ってきた人だけだ。

話しかけられているのか、と思って顔を上げると、綺麗なひとがこちらを見つめている。

「この部屋に、来たの?」

「え…?」

この部屋、と言って指差したのは、私が背にしているドアだ。

ぶわっと、嫌な汗が出た気がした。

ちらりと目に入った、そのひとが手にしているキーホルダが、見たことのあるものだった。

昔聡史が集めていた食玩のダブったものたちが連なっているもの。

「もしかして、美穂、さん?」

その言葉に、私は弾かれたように立ち上がった。

「失礼しますっ」

「えっ? ちょっと…!」

後ろで何か言われた気がしたけれど、立ち止まらず振り返らずに階段を駆け下りる。

ちょうどあと数段、というところで、階段を上ろうとする人影とぶつかる。

はっと顔を上げると、聡史だった。

驚いたような顔の聡史が目に入ったが、今はそれどころじゃない。

「さよなら!」

小さく強く、それだけ叫んで、走り出した。


土地勘のない私は、闇雲に走った。

走ったことと、たった今のできごとのショックで、鼓動はひどく乱れている。

ちょうど大通りに出て、目に入ったコンビニに入った。

昼からろくに食事を取っていないのに走ったせいか、視界がぐらぐらしている。

何か食べるものを買おうと思ったが、それでも食欲はない。

飲み物だけ買おうと冷蔵庫の前に行くと、ガラスにひどい顔が映った。

居たたまれない気持ちになり、結局何も買わずに店を出てしまっていた。


こんな惨めなことが、あるんだ…。

宛てもなく歩きながら、ただそんなことを考えていた。

携帯が鳴った。

さっきから、何度も鳴っている。

見なくても、聡史からだろうと想像がつくから、見もしない。

それでもすれ違う人から迷惑そうな視線が向けられ、音は切ろうと電話を取りだした。

そのとき。

後ろから思い切り肩を掴まれた。

「美穂!!」

「痛…っ」

「あ、ごめん」

謝ってはいるが、力は緩まない。

聡史は、ずっと走っていたのか肩で息をし、前髪が汗ばんだ額に張り付いていた。

こんな風に追いかけてくるなら、どうして浮気なんかするんだろう。

あぁ、私が別れると言ったから、もう浮気じゃないんだっけ。

そう思ったら、今までどうにか我慢していた涙が、ぼろりと零れた。

「美穂…」

困ったように名前を呼んだ聡史の顔が、ゆがんで映る。

「あの、さ。今美穂が多分思ってること、絶対誤解だから」

「何それ、わけわかんない。言い訳なんてしなくていいよ。別れるって言ったの、私だし」

「美穂。なんでここ来てくれたの。俺を信じる気になったからじゃないの」

たった今、信じられなくさせたのは誰だ、と噛みつきそうになった時、聡史の携帯が鳴った。

ディスプレイを見た聡史は、私を掴む力を緩めないまま電話に出た。

「あぁ。今、捕まえたから。免許証出しとけよ」

もしかして、さっきの綺麗なひとだろうか。

前半は私のことを言っているのだろうと思ったが、後半の意味がわからない。

しかも、浮気相手に私のことをわざわざ報告するのがまたよくわからない。

どうせ掴まえられて逃げられないのだから、おとなしくしていよう、と顔を俯けた。

電話を切った聡史が、私の顔を上げさせて、頬に残った涙の跡を掌で拭う。

久しぶりの感触と温度に、逆立った気持ちが少しだけ落ち着き、頑なだった心が少しだけ和らいだ。

「美穂。俺は、誤解だって言った。美穂はどうしたい?

 信じたいなら、このままついてきて。無理なら、鍵はもう返して」

「なにその究極の選択…。ひどいよ」

「じゃあ、ついてきて。お願い」

「それはずるい…」

「だから、誤解だって言ってるじゃん。ほんとに信じられないの?」

「わかってるよ…ついてく」

聡史は嘘をつかない人だ。

それに、実はそれ以上に信じたいと思っている自分がいた。


部屋に帰ると、あの綺麗なひとはビール片手にソファでくつろいでいた。

そして私の顔を見るなり、笑顔で近寄ってくる。

「さっきはびっくりさせてごめんねぇ。変な近づき方しちゃったからいけなかったのよね。

 私、浮気相手なんかじゃないからね。ほんとよ。ハイ、これが証拠」

差し出されたのは、免許証。

さっき聡史が電話で言っていたのはこれのことか。

「あ、苗字と本籍地が一緒…」

「そうなの。私、実の姉です」

「え、えぇっ!!?」

あまりのベタな展開に、声がひっくり返ってしまった。

そういえば、姉が2人いるとか聞いたことがあるような…。

「あの、それは大変、失礼しました…」

勘違いが恥ずかしいやら情けないやらで、小さくなって謝った。

「いいのよぉ。それより、何かあったらいつでも相談しに来てね。

 聡史の弱点とか、いろいろ教えてあげるからね」

そんなことを言いながら、お姉さんはプライベート用の名刺を渡してくれる。

そして、外でエンジン音が聞こえると、邪魔者は消えます、なんて言って早々に帰ってしまった。

小さな嵐のような人だ、と思った。


ほっと一息つくと、掌の力が抜けて、握りしめたままだったものが滑り落ちた。

床に硬い音が響き、鍵が転がる。

拾おうとしたら、同じく拾おうとしてくれた聡史と指先が触れあった。

どきりとして一瞬手を引くと、鍵は聡史に拾われ、私の手の中に落とされた。

「あ、りがと…」

言うのと同時に、腕を引っ張られ、聡史の腕の中に取り込まれる。

あったかい。

じわり、と温度が伝わって、心音が共鳴する。

心まであたたかくなった気がして、素直に言葉が出てきた。

「…ごめんね」

「何が」

「信じてあげられなくて。逃げちゃって」

「ん」

「あと、ありがと」

「何が」

「信じさせてくれて」

「うん」

「…会えて、嬉しい。ほんとは、ずっと会いたかったよ」

背中に腕をまわして、ぎゅっと抱きつく。

聡史の腕の力も増して、ぴたりと体が密着した。

「会いに来てくれて、ありがとうな」

耳に滑りこんだ聡史の声が、充足感とともに体中に伝わっていく。

肩越しに見えた、バッグの中の小物入れは、今度こそ美しく輝いて見えた。


遠恋のお話でした。

会えない分、不安とかいろいろ多そうですよね。

いくらメールや電話やウェブカメラがあっても、ぬくもりは感じられないし。

結局、お互いの気持ちと信頼が命綱、みたいな気がします。

そんな切なさが少しでも書ければなぁ…と思いましたが、中途半端だった気もします。

なんせオチがベタすぎましたので^^;


ちなみにお姉さんは、大学時代から関西住まい。

弟がかわいくてしかたなくて、しょっちゅうアパートに入り浸っていたりする人。

でももうすぐ結婚予定だったりして。

そんな裏設定も、まったく小説には反映されませんでした…(がくっ)。


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