【1-1】トイレの扉を開けたら異世界だった件
「異世界でモテたい!」
そんな不純な動機と、鍛え上げられた筋肉だけを持って異世界に転移してしまった男の物語です。 難しいことは考えず、楽しんでいただければ幸いです!
「――でさ、そん時、機械科の田中がやらかしてよぉ!」
油と鉄の錆びた匂いが鼻孔をくすぐる、昼下がりの気怠い教室。 ここ、県立工業高校は、女子生徒の比率が絶望的なまでに低い「男の園」だ。むさ苦しい野郎どもの熱気が充満するこの空間において、一際高い温度を放っている一角があった。
その熱源の中心に鎮座するのは、磐座 護、17歳。 彼の周りには、常に豪快な笑い声と、友人たちの呆れを含んだツッコミ、そして不思議な求心力が渦巻いている。
身長197センチ、体重120キロ。 その肉体は、日々の常軌を逸したトレーニングによって彫り上げられた、まさに生ける要塞だ。 サイズが合っていない学ランのホックは常に悲鳴を上げて弾け飛び、分厚すぎる大胸筋と広背筋のせいで、前ボタンが留まる気配すらない。ワイシャツの袖から覗くのは丸太のような剛腕、大樹の幹のごとき首。短く刈り込んだ黒髪に、太く力強い眉。 一見すれば誰もが道を譲る厳つい外見だが、その瞳にはどこか少年のような純粋さが宿っている。そのアンバランスさこそが、彼を単なる「デカい奴」ではなく、「磐座護」たらしめている所以だった。
「お前、また筋トレの話かよ。そんなに筋肉増やして、本気でボディビル大会でも出るつもりか?」
友人の一人が、半ば呆れたように乾いた笑いを浮かべてツッコミを入れる。 護はニカッと太陽のような笑顔を返すと、自身の右腕を曲げて巨大な力こぶを作って見せた。その上腕二頭筋は、友人たちの顔のサイズほどもある。
「わかってねぇなぁ! 筋肉ってのは、男の甲冑であり、魂の象徴だ! そして何より、この完璧に鍛え上げたマッスルボディは、いずれ来るべきモテ期のための布石だからな! ボディビルじゃなくて、俺の筋肉は美少女を救うためにあるんだぜ!」
教室の窓ガラスを震わせるような大声で、護は力説する。
「そのセリフ、聞き飽きたっつーの。そもそも女子にモテたいなら、なんでよりによって、むさ苦しい男ばっかりの工業高校に来たんだよ。選択ミスだろ」
「うぐっ……そ、それはだな……今は力を蓄える時期なんだよ!」
痛いところを突かれ、護は一瞬言葉に詰まるが、すぐに気を取り直して拳を突き上げた。
「今は雌伏の時! 鉄と油にまみれて男を磨き、いつか美少女がひしめく場所で、この完成された筋肉を披露するのさ! その日のために、今日も鍛えるのみ!」
護が高らかに宣言すると、教室は再びドッと大きな笑いに包まれた。 誰も本気にはしていない。だが、誰もがこの底抜けに明るく、単純で、裏表のない男が好きだった。彼がいるだけで、実習レポートと課題に追われる退屈な工業高校の日常も、少しだけ色鮮やかになるのだから。
「……とはいえ、現実は女子と話す機会すらない灰色の高校生活。あーあ、どこかに可愛いヒロイン、落ちてねーかなー! ベタでもいいからそんな展開ねーかなー!」
窓の外に広がる抜けるような青空を見上げ、護はまだ見ぬ楽園を夢想するのだった。
「じゃあな、護! また明日!」
「おう! またな!」
放課後のチャイムと共に友人たちと別れ、護は下校の途につく。 向かう先はもちろん自宅である養護施設。今日から始まったスマホゲームの期間限定イベントが彼を待っているのだ。一刻も早く帰宅し、万全の態勢で挑まなければならない。
「(今日のトレーニングは実習棟で鉄骨運びを兼ねて済ませたし、プロテインも摂取した。あとはソシャゲのイベントを走るのみ! 待ってろ、SSR確定チケット!)」
そんなゲーマーとしての使命感に燃え、最寄り駅の改札へと早足で向かっていた、その時だった。
「よ、護。そんなに急いでどうしたんだ? プロテインの特売日か?」
改札の前で、見慣れた男が護に声をかけてきた。 堂島 和樹。護とは同じ児童養護施設出身、一番の親友だ。少し冷めたような目つきと、常に冷静沈着な態度は、熱血漢の護とは正反対だが、不思議と馬が合う。
「お、和樹! ちげぇよ! 今日はソシャゲのイベントだ。SSRの美少女キャラをゲットしなきゃならねぇんだよ」
「……お前な。筋肉だの美少女だの、相変わらず頭の中が忙しい奴だな。スマホゲームなら、歩きながらでもできるだろうに」
和樹は呆れたように溜息をつくが、その口元は僅かに緩んでいた。護は真剣な表情で首を横に振る。
「甘いな和樹! 今回のガチャは本気なんだよ! 部屋に祭壇を作って、マッスルポーズで運気を高めながら引く『護式・筋肉祈願』をしなきゃならねぇんだ! 外でやったら通報されるだろ!」
「……そうか。お前のその情熱、他に向けられればもっと大成すると思うんだがな」
「うるせぇ! 男のロマンだろ! お前こそ、たまには付き合えよな」
「はいはい、考えておくよ。……それより護、あまり夜更かししてゲームばっかりするなよ。明日も実習があるんだろ?」
「わーってるよ! 母ちゃんかお前は! それより、一緒に帰るか!」
「いや、俺はこの後バイトがある。先に帰っててくれ」
「そっか! OK! バイト頑張れよ!」
護は大きく手を振って別れた。 そして改札を抜けようとした、その瞬間だった。 不意に、腹の底から突き上げてくる強烈な生理的な波が彼を襲った。
「……やべ、さっきのプロテイン一気飲み、ちょっと早すぎたか……! くそっ、このタイミングでかよ! イベントが、俺を呼んでるのに……!」
護は踵を返し、駅構内の公衆トイレへとその巨体を滑り込ませた。 いくつかの個室が並ぶ中、一番奥の扉を開けて中に入る。 数分後。 心身ともにスッキリとした表情で、護は再び個室の扉に手をかけた。
「ふぅ……危なかったぜ。さて、帰って戦場に復帰だ! 待ってろ、美少女キャラたち! 俺の筋肉が引き当ててやるからな!」
ガチャリ、と軽い音を立てて扉の鍵を開ける。 そして、ドアノブを回し、外へと踏み出そうとした――その瞬間だった。
「うおっ、まぶしっ! 誰だ、イタズラしてんのは! ってか、白っ! 白すぎるだろ! 目がぁぁぁぁ!」
目の前に広がるはずの、薄汚れたタイル張りの床と洗面台はなかった。 溢れ出したのは、視界を焼き尽くすほどの純白の光。 思考が停止するほどの強烈な光の奔流が、護の巨大な全身を包み込む。 彼の意識は、そこでぷつりと途絶えた。
最初に感じたのは、むせ返るような濃密な土と草の匂いだった。 次に、頬を撫でる生暖かい風。そして、やかましいほどの鳥のさえずり。 護はゆっくりと目を開けた。
「……は? なんだここ? 天国か? いや、草の匂いがリアルすぎるな……」
視界に飛び込んできたのは、見慣れた駅のトイレの風景ではなかった。 どこまでも続くかのような鬱蒼とした森。 天を突くほどに巨大な木々が空を覆い、地面には見たこともない色鮮やかな草花が咲き乱れている。木漏れ日がスポットライトのように降り注いでいた。
「は? え、どこだよここ!? 駅は!? トイレはどこ行ったんだ!? ってか、あの扉、どこだ? どこから出てきたんだ、俺!?」
背後を振り返ると、そこには信じられない光景が広がっていた。 大自然広がる森の真ん中に、あまりにも不自然に、先ほどまで自分が入っていたトイレの個室の扉だけがポツンと立っている。 そしてその扉は、まるで役目を終えたかのように、きらきらと光の粒子となって風に溶け、消えていった。
「……マジか……! おいおいおい、冗談だろ……! まさか……まさか本当に……!?」
さすがの護も、この超常現象には数分間、呆然と立ち尽くすしかなかった。 夢か? いや、頬をつねると思い切り痛い。ドッキリか? こんな手の込んだドッキリ、ハリウッド映画並みの予算がなきゃ無理だ。
「おーい! 誰かー! ドッキリなら看板出してくれー!」
数分間、森の中を走り回ったり叫んだりしてみたが、返ってくるのは木霊だけ。 やがて、疲れ果てて樹齢数百年はありそうな大木の根元に座り込んだ護は、大きく、深呼吸をした。
「……よし、落ち着け俺。こういう時はまず状況整理だ。……で、これはどう考えても、流行りの異世界転移ってやつだよな? ってことは……ってことはだ!」
護の瞳に、強烈な光が宿る。
「俺のハーレム生活が、ついに始まるってことじゃねぇのかーっ!!」
彼の思考回路は、絶望から希望への反転が異常に速い。 未知の世界への恐怖よりも、「異世界なら美少女にモテるに違いない」という壮大な勘違いが、彼の心を一瞬で支配したのだ。 途端に全ての不安は消し飛び、護の瞳は希望と野望にキラキラと輝き始める。
「待ってろよヒロインたち! この俺が、必ず見つけ出してやるからな! 世界中の美少女、俺が全員守ってやるぜ!」
テンションMAXで、護は森の中を突き進み始めた。 ヒロインを探す、記念すべき第一歩だ。
どれくらい歩いただろうか。 鬱蒼とした森を抜けると、かろうじて道と呼べるような獣道が目の前に現れた。 その道の先で、何やら争うような物音と、女性の甲高い悲鳴が聞こえる。
「――ッ! この声は!」
護の足が、本能的に加速した。
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