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第四話  大剣聖、婚約する

 帰りの馬車で、王太子殿下はご機嫌だったわよ。


 よく分からないんだけど、ニコニコして楽しそうで、行きの馬車ではルミネースとばかり話していたものが、帰りはしきりに私と話したがるようになった。


 内容も魔物の話だけとは限らなくて、私の子供の頃の話とか冒険者時代の苦労話とか、日々の生活とか、そういう話も喜んで聞いてくださったわね。


「アリフィーレはあれ程強いのだから、西天士の位も簡単に奪えたのであろうな」


 王太子殿下のお言葉に、私もルミネースも思わず真顔になってしまう。


「……とんでもありません。先代の西天士、レオリードはあのグリーンドラゴンの二十倍は強かったですよ」


「百倍じゃない?」


 私とルミネースの言葉に王太子殿下は顔を引き攣らせてしまったけど、事実である。


 とにかく西天士の位を賭けた戦いは激闘だったのだ。私がグリーンドラゴンの首を一撃で刎ねたあれくらいは、レオリードは片手で跳ね除けたからね。


 そして返す刀であの一撃の三倍くらいの威力の斬撃を五発も放ってくる。さすがの私もそれは受けられなくて、横に転がって避けねばならなかった。でも私だって逃げるばかりではない。足を踏み締めて一気に剣を構えて突撃する。


 石畳を弾き飛ばしながらの全力突撃。魔力と勢いが乗ったこの突きなら、アイアンゴーレムの腹に風穴を開けて見せるわよ。


 しかしレオリードはその渾身の一撃を剣の腹で受け止めてみせた。魔力同士がせめぎ合って爆発的な暴風と雷光が荒れ狂う。野次馬が何人か吹っ飛んだわね。ルミネースともう一人の魔術師が防御の結界を張ってもこれだ。何もしなかったら街が粉みじんになってしまうだろう。


 何しろ「最低」ドラゴンを単独で討伐出来るのが大剣聖挑戦の条件なのだ。ドラゴンを一太刀で斬り伏せられる程度ではまだ足りない。本気を出せばドラゴンが軍団で来ても粉砕出来るくらいでないと大剣聖の名には相応しくないのである。


 私はその事を戦いながらまざまざと思い知ったわよね。ちょっと今まで戦ったどんな魔物より、剣士よりも、いや、比較の対象にならないくらい、有り得ないほどレオリードは強かった。


 私だって負けていなかったけどね。しかし、戦況はちょっとだけ私に不利だった。魔力は互角だったのだけど、剣術が少しだけ(少しだけよ!)レオリードの方が上だったのだ。その辺は年の功というやつよね。


 レオリードの剣は恐ろしい速度と正確さで私の急所を狙ってきた。しかも緩急やフェイントを入れてくるから油断できない。こちらが慣れたと思えば戦法を変えてきたりもする。


 私は防戦一方になり、これではいけないと攻撃に移ろうとするのだけど、レオリードの剣が早くてなかなか隙を見出せない。


 ……ここで私は腹を決めて、持久戦を選択した。焦っても仕方ない。守って守って凌いで凌いで、レオリードの一瞬の隙を突こう。体力、魔力には自信があったからね。


 結果的に、それが功を奏したのだ。


 ……勝敗を分けたもの。それは持久力だった。言ってしまえば若さよね。私は十六歳。レオリードは三十七歳だった。体力と魔力の持久力比べとなるとやはり若い方が有利になる。


 私の鉄壁の防御にレオリードの表情に初めて僅かな焦りの色が浮かぶ。彼は遮二無二斬り掛かってきたけど、私は集中力を切らさずその攻撃を受けきった。まぁ、そもそも彼の攻撃を受け切る事自体がそうそうは出来ないわよ。私たちが移動しながら攻防するせいで、結界で吸収しきれなかった魔力が広場の周辺の建物を派手にぶっ壊していたからね。


 そして、レオリードの魔力の衰えを感じ取った私は反撃に移る。魔力を込めてレオリードの剣に自分の剣を撃ちつけて跳ね飛ばす。今度はレオリードが防戦一方となった。


 休ませない。私はここぞと全力で攻撃を加えた。魔力を惜しみなく放出する。パワーよパワー! 私はレオリードが防御してもお構いなしにその上から斬撃を叩き付けた。


 そして遂にレオリードの防御に綻びが生まれる。一瞬の隙!


「どおぉぉおおお! りゃぁぁあああ!」


 私はそこへ雄叫びと共に剣を突き入れた。防御し損ねたレオリードはこれをまともにくらい、吹っ飛んだ。彼は物凄い勢いで建物に突き刺さり、粉砕し、ガラガラと崩壊した壁の煉瓦の中に埋まってしまった。しばらく待つが……。反応は無い。


「いやったぁあああ!」


 私は剣を突き上げて雄叫びを上げたわよ! その頃には立会人以外の野次馬は逃げてしまって誰もおらず、周辺は廃墟に近い状態になってしまっていたんだけどね……。


 ……勝利のシーンを反芻してニマニマしている私に、王太子殿下は流石に引き気味なご様子で仰った。


「殺してしまったのか?」


「大丈夫です。瀕死でしたけど、救命出来ましたわ殿下」


 ルミネースが溜息混じりに言った。この後、私も魔力切れとダメージでひっくり返ってしまったし、町には大被害が出て巻き込まれた野次馬にも負傷者が多数出ているという惨状で、立ち合いをしたルミネース以下冒険者ギルドの面々は大変だったらしい。


 瓦礫から掘り出されたレオリードは治癒魔法で治しても一ヶ月くらい動けないくらいの重傷だった。彼はベッドの上で潔く負けを認めて、西天士を私に譲ったのだった。


「それほど強いのでは、どんな魔物も瞬殺出来るのではないか?」


 殿下のお言葉に私は首を横に振った。


「魔物はそんなに甘くありません。ドラゴンだって、千年生きたような古竜は物凄く強いですし、アンデットとかデーモンなんかとまとめて出て来られると私でも一人では手を焼きます」


 そもそも竜が一匹でダンジョンに寝ているなんていう今回の件がレアケースなのだ。もう一年討伐が遅ければあんなに簡単ではなかっただろう。


「ふむふむ。凄いな。アリフィーレは」


 殿下はご機嫌である。なんだろう。これまでは私との話は全て魔物絡みだったのに。私が大剣聖だと知っても何の興味もなさそうだったのに。


「そりゃ、アンタに興味が湧いたんでしょうよ」


 宿で同室したルミネースに疑問を打ち明けると、彼女は呆れたように言った。


「あんな乱暴な戦い方したから、アンタも魔物に分類されたんじゃない?」


 ……あり得る。確かに私について知りたがるあの感じは、魔物について知りたがる時と熱量が同じだもの。


「まぁ、もうどうやら婚約するしかなさそうなんだから、仲良くなれそうでいい事じゃないの」


 ……勝手に婚約するしかない事にしないで欲しい。私はまだ希望は捨ててない。


 のだけど、着々と外堀が埋まっているのは間違いなさそうだった。


 ドステンの町ではドラゴン討伐を祝う宴が開かれ、ドステンだけでなく近隣の町や村から何百人もの人々がやってきて、周辺の領主たちもやってきたんだけど、中央広場に設置された私の席は、王太子殿下と並んで高い台の上だったのだ。完全にお妃様席である。


 私はまだ婚約もしていないからと遠慮したのだけど、誰も彼もが「何をおっしゃますか」と取り合ってくれなかった。結局私は殿下の隣に着飾って座らされ「王太子妃殿下ばんざい!」と歓呼を浴びる事となってしまったのである。冒険者仲間のいい酒のつまみになってしまったわよ!


 そんなだから領主たちも私をお妃様扱いするし、噂は広まって帰りの道中でも「王太子妃殿下に」挨拶するために貴族たちが私たちを待ち受ける事態となっていた。


 困った事に、私がいくら否定してもみんな不思議そうな顔して聞いてくれないのだ。なぜだろう。理由は簡単である。王太子殿下が全然否定なさらないからだ。


 殿下が私の腰を抱いた状態で、二人仲良く現れれば、それは誰がどう見ても二人は恋人同士に見えるわよね。で、王太子殿下に女っ気がないのは有名な話だったらしいのだもの。


 それは「遂に王太子殿下に恋人が出来た=王太子妃確定」と誰でも思うわよ。「まだ婚約もしていない」と主張したって「でも、もう予定は決まってるんでしょう?」と思われるだけなのだ。


 冒険者に戻りたい私は困ったのだけど、困るのは私以外誰も困っていないことなのよ。確かに、家柄的にも問題なく、王太子殿下にその気があり、私に異存がない(だって王太子妃選びに参加してしまったし)のだもの。どこに問題があるというのか。


 それに加えて護衛の騎士たちなんかは「あれほどのお方が王太子妃になられれば、王国はあらゆる意味で安泰だな」なんて言ってたわね。私がいれば魔物だろうが他国の軍隊だろうが一撃だというわけだ。


 そして冒険者仲間は「まぁ、困った時は今回みたいに呼ぶからよ」なんて言うのだ。たとえ王太子妃になっても、ギルドが呼べば出ざるを得ないのだから、別に困らないという訳である。ちょっと待ちなさいよ! 私を便利屋みたいに使わないでよ!


 そんな訳で次第に私は逃げ場を失っていってしまったのである。


  ◇◇◇


 王都に帰ってきて王宮に入ると、四人のお妃様候補の皆様はもういなかった。荷物をまとめて実家にお帰りになってしまったのである。


 お妃様が事実上決定してしまったのに、これ以上王宮にいても仕方がない。そもそもアピール対象の王太子殿下がお出掛けでいなかったのだから皆様が居る意味が無い。


 それは分かるんだけど、分かるんだけど! 置いて行かれた感が半端じゃなかったわよ。


 王宮の私の部屋に入ると、ドーンと豪華絢爛な婚約式用の衣装が飾ってあったわよ。結婚式ではないので薄い青に水色のレースで飾られたドレスで、刺繍と真珠で実家の紋章が描かれていた。もちろん、宝飾品もパリュールで揃っていたわね。


 ……完全に婚約準備完了である。私としては、ドラゴン退治を名目に王宮から逃げてしまう予定だったのに、王太子殿下が付いてきたせいで完全に予定が狂ってしまったのだ。


 これでは次の脱出方法を考える暇もない。そもそも王宮を抜け出しても、冒険者ギルドは私を匿ってはくれないだろう。何しろ国王陛下にまで私が冒険者であることがバレてしまっているんだからね。


 ドラゴン退治が最後のチャンスだったのだ。あの時にそのまま理由をつけて国外に脱出出来れば良かったのだ。さすがの国王陛下も王太子殿下も外国を勝手に捜索するわけにはいかないからね。


 婚約してしまったらもうおしまいだ。私は王太子殿下の婚約者という公人になってしまうので、もしも国外に逃げても外交ルートで捜索依頼が出せてしまう。他国の冒険者ギルドに顔を出した段階で逮捕だろう。


 私は頭を抱えたんだけどルミネースは私のベッドに転がってテーブルに載っていたフルーツをつまみ食いしながら呑気に言った。


「いいじゃん。王太子妃。面白そうじゃない。殿下はいい男だしさ」


 ちなみに、ルミネースは帰りの道中も熱心に殿下にコナを掛けていたのだけど、全然反応が無いので遂に諦めたようだ。


「人ごとだと思って! 単なる貴族令嬢だって大変なのに、王太子妃なんてどれだけ大変か……」


 正直、私は成人前に逃げ出してしまったので、王族がどんなお仕事をしているのか全然知らないんだけど、それはどう考えたって普通の貴族よりも窮屈なのだろうという事は分かる。


 ただでさえ窮屈が嫌で実家を飛び出したのに、さらなる窮屈が私に我慢出来るとは思えない。


「でも、もうしょうがないじゃん。諦めな。応援はしてやるから」


 ルミネースは手をヒラヒラさせながら言う。こいつめ。人ごとだと思って!


「ならルミ! 私が王太子妃になったら、アンタは王宮付きの魔術師にしてあげるわ!」


「は? なんで? いやよそんなの!」


「こうなったらアンタも道連れにしてやる! 私だけが冒険者廃業なんて許せない!」


「ちょっと! やめてよね! ダメよ! 無理だからね!」


 ……後日、私が王太子殿下に願い出ると、ルミネースはあっさり王宮魔術師に採用されてしまった。


 元々上級冒険者として実力は折り紙付きだったルミネースである。魔術学校の出で王宮魔術師の間でも名前が知られていたので、彼らからの反対意見も特になかったのだそう。


 ルミネースはそれは嫌がったけど、私とて誰も知る人のいない王宮は心細く、彼女にいてもらえれば心強いので、結局は泣き落としで承諾させたのだった。


「まぁ、しばらくは付き合ってあげるわよ」


「ありがとう! ルミ!」


 ということで私は何とか王宮に心強い味方を得ることが出来たのだった。


 それにしても王太子殿下はどうしたのだろうか。ドラゴン討伐前、彼は私と会う時は必ず私を自室か研究室に招いたものだ。そして魔物の素材や研究書を見せながら楽しそうに魔物を話をしていた。私は基本的には聞いているだけ。頼まれて冒険者時代に知った魔物の知識をお話していたのだった。


 しかし、王宮に帰って来てからは、彼はひょいひょい私の部屋までやってくるようになった。私の私室付属の談話室で対面してお話をするのだ。そして、私に話をするようにせがむのだった。内容も、別に魔物がらみではない。私の好きな宝石とか、嫌いな食べ物だとか、服の好みなんかを喜んで聞いて下さったわね。


 私はちょっと不安になり殿下に聞いてみた。


「魔物の話はしないでよろしいのですか?」


 殿下はニッコリと水色の目を細めて麗しく微笑みながら仰った。


「うむ。魔物の研究より、今はアリフィーレの事を知らねばならぬからな。婚約して結婚する前に、君の事をよく知っておきたい」


 私は首を傾げる。


「私の事を知ってどうしようというのですか?」


 まぁ、変わった人生を送っている自覚はあるけども、殿下が私の事など知ってどうするのだろうか?


 王太子殿下は苦笑してこう仰った。


「愛する者の事をよく知りたいと思うのは当然ではないか」


 私は目をパチクリしてしまう。


「……愛すると仰いましたか?」


「ああ」


 殿下は平然と頷いたけど、私としては青天の霹靂である。


 なにしろこのお方は「お妃なんてくじ引きで選べば良い」と仰っていた方なのだ。女性に興味がないあまり、多くの候補の令嬢が愛想を尽かしても平然としていた方なのだ。結婚する気がなさ過ぎたせいで国王陛下が切れてしまい、お妃候補を王宮に集め、この中の誰かと絶対に結婚せよ! と命じた程のお方なのだ。


 私がほぼ妃に内定しても、するのは魔物の話ばかりで、愛の言葉一つ囁いた事もなく、贈り物も下さった事がないどころか、手にキスもくれたことがないような方なのである。


 その殿下の口から「愛」ときた。私の口が思わずポカンと開いてしまっても無理もないと思って頂きたい。私が茫然自失となっているのを見て、王太子殿下はちょっと困ったような顔をなさった。


「うむ。その、分かっていなかったのか?」


「……全然」


「そうか……。その私にはそういう経験がなくてな。愛情の示し方が良く分からないというか……」


 それはそうだろう。何しろ思春期だというのに魔物マニアの道を邁進して女性に何の興味も持って来なかったようだから。大方の貴族令息なら成人と同時に嫁探しをするから、その過程で女性へのアピールの方法を学ぶものなのである。恐らく贈り物の選び方とか女性を誘う方法とか、そういうやり方が全然分からないのだと思われる。


 まぁ、実は私も成人前に家出してしまっているので、貴族的な男女関係の築き方なんて全然知らないんだけどね。冒険者時代は大体「俺と付き合えよ! フィーレ!」といきなり胸を揉んでくる奴を「ふざけんな!」と蹴り飛ばすような感じだったし。上級冒険者になってからは恐れられてナンパに遭うこともなくなったしね。


 なので殿下の貴族的な愛情アピールに、私が気付かなかった可能性もなくはない。それにしてもせめて「愛してる」くらいは言ってくれないと分からないわよね。


 私が微妙な表情をしているのを見て、王太子殿下はちょっと落胆したように顔を俯かれた。


「これでもドラゴン討伐の帰りからはかなり頑張って君にアピールしたつもりなのだがな」


 ……確かに、思い出してみると殿下は頑張ってはいたと思うわね。魔物にしか興味がないと公言して、行きには私を放置してルミネースと魔物談義に花を咲かせていた殿下が、帰りには私にしきりと話し掛けてきていた。


「……ということは、ドラゴン退治以降に、その、私の事を好きになって下さったということですか?」


「ああ。君の、あの一撃に惹かれたのだ」


 ……つまり、ドラゴンの首をポーンと斬り飛ばした私の姿に惚れたという事らしい。どう考えてもそこは女に惚れる所じゃないと思うのだけど……。


「私は、強いモノに惹かれるのだ」


 王太子殿下が仰るには、彼が魔物に惹かれたのも、護衛の騎士を倒した魔物ブルーデーモンだったらしいの強さに鮮烈な印象を受けたからで、そこから魔物に憧れ、研究したくなったらしい。


 なので魔物より強い私に惹かれた、という話なのだけども。それは女性に対する情愛とはまた全然違うものなんじゃないかしらね。どうして「愛する」という言葉が出てきたのだろうか。今までだって魔物を愛してたわけではないだろうに。


「そこは説明が難しいな。君に興味を持ち、君の事を知りたいと思う内に、いつの間にか君を想う気持ちが湧いてきた、としか」


 そう言って微笑む王太子殿下のお顔は実に幸せそうで、お言葉に嘘はなさそうだった。


 殿下がこんな感じなので、私たちの周辺はもう完全にお祝いムードだった。


 王宮の侍女たちはもう完全に私をお妃様扱いし始めていて、私が王宮に帰ってくると同時に、引っ越しの準備を始めていた。


 私が王宮に与えられた部屋はお妃候補用にあつらえられた狭い(冒険者の時に借りていた部屋の五倍はあったけどね)部屋だったので、王太子妃としての広い居室に引っ越そうというのだ。


 いやいや、ちょっと待ってよ。まだ婚約でしょう? 嫁入りじゃない筈じゃない? 普通、結婚もしてないのに婚家に引っ越さないわよね?


 しかし、王太子妃になるには専用の教育を受けなければいけないし、一年後に行われる結婚式の準備も大変だから、婚約したと同時に王宮入りするのは例として珍しくないのだそう。


 お父様もお兄様もお母様も同意したということで、私は引き続き王宮に、しかも王太子妃殿下専用室に引っ越すことになってしまった。当たり前だけど、ここは王宮の中でも完全に王家のプライペートエリアであり、つまり国王陛下、王妃様、王太子殿下のお住まいのすぐ近くなのだ。


 警備も厳重、侍従や侍女の数も物凄く多い。……これではちょっと、こっそり逃げ出すのも簡単ではない感じだ。お父様お兄様お母様としてみれば、一度家に返してもしも逃げられたら大問題になってしまうから、結婚式まで警戒厳重な王宮に閉じ込めておこうと考えたのだろう。


 国王陛下も王妃様も息子の結婚が決まった事に大変お喜びで、まだ婚約もしていないというのに私を毎日朝食に招いて下さった。貴族にとって朝食は唯一社交に使われない食事であり、家族団欒の時間である。つまり私は王家の皆様から家族として扱われ始めたのだった。


 国王陛下と王妃様としてみれば、女性にまったく興味を示さなかった唯一の息子が、結婚する気になっただけでなく「アリフィーレを愛している」とまで言うようになったのだ。このチャンスを逃すわけにはいかない。そういう思いがあるのだろう。


 なので嫁いびりなどとんでもない。私はお二人から極めて丁重な扱いを受けた。国王陛下、王妃様といえば当たり前だけどこの国の頂点に立たれる方々で、大女神様にこの国を任された方々。国民の大いなる崇敬の対象である。そのお二人から下にも置かぬ扱いを受けるとなると、さすがの私も落ち着かなかったわよ。


 ただ、国王陛下はある時こうも仰った。


「四方大剣聖を王家に迎え入れる例は少なくないのだ」


 なんでも、強大な力と名声を有する大剣聖は、国家にとって野放しにしておくにはあまりにも危険な存在なのだという。そのため、どこの王国も大剣聖を自国に迎え入れようと必死になるものなのだ。


 ただ、大剣聖を騎士団に迎え入れたり国家の要職に就ける事は不文律として禁じられているのだという。大剣聖の位は国家が独占してはならない、という事なのだろう。


 ただ、例外というか抜け穴があって、大剣聖を王家の者と結婚させる事は許されているらしい。このため、昔から大剣聖に姫を嫁がせる王家は多かったのだとのこと。それは血縁関係があれば大剣聖だって王家のために働く気になるだろうからね。


 そんな大剣聖が、普通に王太子殿下のところに嫁に来たのだ。鴨がネギ背負ってノコノコと罠に入り込んできたようなものだ。これは逃すわけにはいかない、と国王陛下が考えるのは当たり前だと言える。


 当たり前だけど(大剣聖に女性がなること自体極めて稀だ)王太子殿下に大剣聖が嫁いだことなどないので、他国がなんと言ってくるかは分からないらしい。しかし王国としては千載一遇の好機ではあるし、どうしても私を王太子妃にしたいのだという事なのだった。


 つまり国王陛下の親としての事情に加え国益にも関わる大問題なのであり、国王陛下、王国としては私を逃すわけにはいかないのだという事なのであった。


 ……お話を聞いて私は納得せざるを得なかったわよ。私が最初から「自分は大剣聖である」と言っていたなら、私は王太子殿下のご意向も何もかも無視して王太子妃にさせられていただろう。というか、他国に行っても同じ運命になりかねないわねこれは。


 そんな訳で私は全く退路を失い、うかうかしている内に婚約式の日が来てしまったのだった。


 婚約式は王宮の神殿で慎ましく行われた。集まったのは王家と、三つの公爵家の皆様。それと私の実家であるロレイラン侯爵家だけである。婚約式は基本的に内々に済ますものだからね。これでも王族との顔合わせも兼ねているので、普通の貴族の婚約式よりも出席者は多いのだ。


 これが結婚式となるとこうはいかず、場所は王都大神殿となり、諸外国から来賓をお招きし、王国から全ての貴族を招き、出席者は一千人にもなるのだという。王都ではお祝いのお祭りが十日間行われ、祝いの宴は五日五晩続く。結婚式の日は王国が続く限り祝日になるのだという。どんだけだ。


 お妃候補として交流のあったイェリミーシャ様はアスハイヤン公爵家のご令嬢なので、婚約式に出席して下さっていた。晴れやかな表情をなさっていたから、ご自分も結婚話に何か進展があったのかもね。


「よかったですわね。お似合いですわ。これからもよろしくお願い致しますわね。アリフィーレ様」


 そう微笑まれるイェリミーシャ様の表情には全く屈託がない。王太子妃の地位、というより王太子殿下に全く未練がないのだろう。ご挨拶以外は殿下に目もくれないし。


 長年王太子妃候補筆頭だったイェリミーシャ様がこの有様では、他の公爵家の方が私の王族入りに異論がある訳がない。アスハイヤン公爵もログノーズ公爵もアクリオーズ公爵も私の手を取り「どうか王太子殿下をよろしくお願いしますぞ!」と激励して下さった。


 王太子殿下がご結婚なさらず、王家が絶えれば、傍系王族である公爵家から王が出る可能性があるんだから、王太子殿下が結婚できない事を願う方がいてもいいと思うんだけどね。


 ただ、後から聞いた話ではやはり誰もが認める安定した王権があってこその王国であるので、公爵家は別に王家に取って代わりたいなどとは思わないものなのだそうだ。それは他の貴族が従わなくて王国が崩壊したら王家を簒奪しても意味ないからね。


 そんな訳で青いドレスの私と、グリーンのスーツの王太子殿下は並んで祭壇の前で指輪を交換し、皆様からの大きな拍手を浴びてしまったのだった。これにて婚約は正式に成立した。


 私アリフィーレは大剣聖西天士にして、シャスバール王国王太子ロイルリーデ殿下の婚約者でもあるという、世にも珍しい存在となってしまったのである。

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夫婦喧嘩=王家の危機 (笑)
 剛剣で街を更地にしかねない天士と渡り合い、竜すら単独でなら瞬時に屠れる剣聖に、その剣聖たちの余波にビビリ散らしせず、軽口や悪態つける胆力と威力削げる術を行使できる敏腕魔術師。  一応、国家権力があ…
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