プロローグ 大剣聖土下座する
「ごめんなさい!」
私は両膝を突き、しっかり手を付いて頭を下げ、額を床に擦り付けた。
土下座だ。DOGEZA。遥か東方の騎士たちが、最高の謝罪の意を表明する時に行う姿勢らしい。いつの頃からかこの大陸でも冒険者を中心に使われるようになった。
貴族の謝罪は跪いて行われるんだけど、あれも膝を汚すことに意味があるらしいし、土下座はその倍も膝を汚し額まで汚すのだ。土下座の意味が分からなくても謝罪の意は伝わるだろう。
私の珍妙な姿勢にお父様お母様、お兄様も何も言わなかった。一応謝罪の意は伝わったとみえる。
「悪いことをしたという自覚はあるようだな。アリフィーレ」
お父様が腕組みをしながら仰った。それはもう。
「十二歳の時に飛び出したまま、五年間も音信不通。それで悪いと思っていないようなら、このまま庭に埋めてやりますわ」
お母様ご冗談を。でも、お母様ならやると言ったらやるだろう。
「顕彰式で見た時には何かの間違いかと思ったぞ。五年前に行方不明になった妹が、どうしてドラゴンを退治した冒険者の一人として顕彰されているのかとな」
お兄様が呆れ声で仰った。
……失敗だった。先月、イタクの町の近郊にイエロードラゴンが現れた。ドラゴンは魔力も強いし攻撃力も防御力も強靭だ。町の兵士では手に負えず、冒険者ギルドに討伐の依頼が掛かったのだ。
冒険者の中でもドラゴンを討伐出来るような者は限られる。それで私は特にギルドから頼まれて、同じく集められたメンバーと共に討伐に向かったのだった。
激闘だったけど討伐は成功して、町の人は喜んで私たちもドラゴンの死体から得た素材を高値で売り払って万々歳! だったのだけど、町の人がこれを王都に報告したら、国王陛下が喜んで私たちを顕彰して下さる、という話になったのだ。
いや、私だって王都に、しかも王宮に行ったら親族に出会う可能性があるかもとは思ったわよ? でも、仲間が喜んで行こうというのに私だけ行かないとは言えないじゃない?
五年で人相風体は変わっているし、まぁ、大丈夫よね!
……と甘い考えで王宮に上がった私は、顕彰式に出席していたお兄様に見事見つかって、実家に強制連行されたという話なのだった。
「アリフィーレ。貴女はロレイラン侯爵家の娘だという自覚はあるのですか?」
ないです。
「もちろんですわお母様。このアリフィーレ。この五年の間もその誇りを胸に生きて参りました。一度たりとも忘れた事はございません」
「ならばなぜ帰って来なかったのですか」
お貴族様暮らしよりも冒険者生活の方が性に合っていたからですわお母様。このような事がなければ帰って来る気はありませんでした。
「見聞を広めてロレイラン侯爵家の娘として相応しい見識を身に付けるためですわ。もうすぐ帰る予定でおりました」
私の言葉にお母様はフン、と鼻で笑ってみせた。貴女の本音などお見通しよ、という意味なのだろう。でも、貴族社会では建前が大事なのだ。
「まぁ、いい。無事に帰ってきたのだから、これ以上は言わぬ。立ちなさいアリフィーレ」
昔から私に甘いお父様が優しく仰ってくれたので私は立ち上がってソファーに座った。ちなみに私の服装は革の鎧の下にチェニック、ズボン、ブーツ。化粧もせず、蒼い髪は首の後ろで麻縄で縛っているだけだ。貴族邸の応接間では無茶苦茶浮いているけど、誰も何も言わなかった。
「心配したのだぞ? アリフィーレ。一体どこでどうしていたのだ? その格好を見れば冒険者でもやっていたのだろうと想像は付くが」
お父様は本当に心配して下さっていたようなので申し訳ない気分になる。お母様とお兄様は分からないが。
「伝手を辿ってつつがなく過ごしておりましたからご心配なく。剣術も学びましたから。なかなか強くなったんですのよ」
「伝手ね。引退した家臣の誰かを頼ったのであろう。誰とは言わんが……」
お兄様は鋭い。確かに最初に私は幼少時に仲が良かった老庭師の家に転がり込んだのだ。おてんばの私を知っていた彼は困りながらも面倒を見てくれて、そこから私は剣術を学びつつ冒険者としての生活を始めたのだった。
「貴女、身体はまだ清いままなのでしょうね? まさか平民に紛れて穢れた生活を送っていたのではないでしょうね?」
お母様が私を睨んで仰った。私はブンブンと首を横に振った。
「まさか! 平民だって女性は結婚まで清い体を維持するのが基本です。もちろん私もです。ハイ」
……私の仲間である女魔法使いは、同い年ながらもう経験人数が三桁近いと聞いたけどそれは特殊な例だ。黙っておこう。
私の言葉になぜかお兄様が胸を撫で下ろした。
「それはよかった。それなら問題なく計画が進められるな」
私は目を瞬く。
「計画?」
お兄様はグレーの瞳を嫌な感じに細めて微笑んだ。
「お前を嫁入りさせる計画だ」
「嫁入り?」
私は仰天したのだけど、お兄様は更に目を細めてこう続けた。
「しかも王太子殿下のところにだ」
「王太子殿下!?」
私は唖然としてしまったのだけど、お兄様は頷き、お母様も微笑み、お父様も満足そうに頷いた。
「王太子殿下がいよいよ結婚相手をお選びになるそうだ。その候補に我が家としてはお前を推そうと思う」
お兄様が説明することには、我がシャスバール王国の王太子殿下であるロイルリーデ様が、十九歳になった今年に、ご自分のお妃をお決めになると宣言したのだそうだ。
私は首を傾げる。
「王族にしては、婚約者を決めるのがずいぶん遅いのではありませんか?」
「事情がおありになるのだ」
お兄様はそう言って説明しなかった。察しろ、という事だろう。
「とにかく、お前がこのタイミングで戻ったのは女神様の配剤というべきだ。我が家から王太子妃を出すチャンスを逃さずに済んだのだからな」
私より五歳上のこのお兄様はいつもこの調子だ。次期侯爵の自分に妹は従うべきだと当たり前に考えている。まぁ、貴族としては珍しい感覚ではないみたいなんだけどね。
だがしかし、そんな事を言われても困る。
「その、お兄様? ちょっと待って頂けませんか? 私にも仕事があるんです。来週には西のダンジョンに巣食うオーガの群れを討伐に行かなければなりません」
お兄様が怪訝な顔をする。
「なんだそれは? そんな事、他の者に任せればいいだろうに」
「無理です。オーガはオーガキングに率いられていますから、並の冒険者では歯が立ちません。私が行かないと」
お兄様がますます不審な表情になる。
「なんだそれは? お前が行かなければならないというのは?」
私は少し得意気な気分で言う。
「私は『大剣聖』ですから。私に倒せぬ魔物はいないのですよ。お兄様」
私の言葉に、応接間が静まり返る。……あれ? なんか様子が……?
「なんなのだそれは?」
お兄様が低い声で仰る。
「だから大剣聖です。最高の剣士の称号です。剣技と魔力が大陸一と認められて、しかも戦って勝ち取らねければ得られないのですよ。いやー、獲得するのは大変でした!」
四つしかない大剣聖の称号を得るために、常に多くの冒険者が鎬を削っているのだ。大剣聖になればどこの冒険者ギルドでもVIP扱いだし、どこの国でも国王に謁見して騎士団から跪いて敬意を捧げられるようになる。
そんな大剣聖に私は十七歳でなったのだ。凄いでしょ? 凄いわよね! 褒めて褒めて!
「馬鹿なのか! お前は!」
褒めるどころか怒鳴られた。お兄様は真っ赤な顔をして立ち上がって私を怒鳴りつける。
「これから王太子妃になろうという貴族令嬢が、大剣聖だと? 馬鹿にも限度があるわ! そんな事がバレたら即座にお妃失格になってしまう! 我が家の恥になる! そんな事を誰にも言うでないぞ! 金輪際お前が大剣聖だなどという与太話を口にするな!」
「そ、そんな殺生な。だって事実なのだから仕方がないではありませんか。お仕事はどうするのですか!」
「うるさい! これからお前を貴婦人に仕立て上げなければならないのに、そんな事をやらせている暇があるものか!」
「でも私が行かないとベズメントの街が壊滅してしまいますよう!」
言い争う私とお兄様の様子を、お父様は困惑しながら、お母様はため息を吐きながら眺めていらっしゃったわね。
こうして私は冒険者から貴族令嬢に戻って、王太子妃レースにチャレンジすることになったのだった。大剣聖である事を隠してね。