002-空から落ちてきた少女
栗辺はスワンボート風の物体に近寄る。煙は出ていない。木の倒れ方から察してやはり頭上から落ちてきたのは間違い無いようだ。
しかしこのスワンボートが、先ほどまで頭上で高機動飛行を繰り広げていた訳か。
どういうスワンボートだ。
そう思いながら栗辺は懐中電灯をかざして近づく。そろそろスマホで動画撮影するか。
『うほ、●●県の山中にスワンボート墜落!?』
動画タイトル候補がいくつか頭の中に浮かぶ。
真ん中辺りが少し膨らんでいる。スワンボートなら人が乗る部分だ。大きな半透明の窓も着いていた。
誰か乗っているのか?
栗辺はスマホで動画を撮りながら近づいた。懐中電灯を持ち、レジ袋を抱えて、足下も不安定なので画面はぶれまくりだろうが、その辺はあとでうまく編集しよう。動画編集なんてやった事は無いが、何とかなるだろう。
やはりナレーションとかも入れた方がいいのかな。そう考えながら懐中電灯で周囲を照らす。
その時だ。思わずぎょっとなる。
人間の手のようなものが突き出していたのだ。
「うわ……!」
小さく悲鳴も上げてしまったが、懐中電灯で照らしてみるとそれが人間のものではないと分かる。
人間の手には似ている。関節があり、先は指のようになっている。しかしそれが着いている本体は人間とは似ても似つかない。
どちらかというファミレスで見るような配膳ロボットだ。配膳ロボットに、アニメや特撮に出てくるようなロボットキャラの腕を取り付けたようなものだ。
それが窓の向こうに見えたのだ。ロボットは転がっており動かない。いや、これが本当にロボットなのかどうかはまだ分からないが、腕が着いているという事は、こいつが操縦していたのだろうか。
そう考えながら栗辺は半透明の窓ごしに懐中電灯で中を照らしてみるが良く見通せない。そこで栗辺はおかしな事に気づいた。
窓の素材だ。ほとんど懐中電灯の光を反射しない。スマホで動画を撮影しており、映り込みや反射で見にくくなっていないかと気になったのだが、無視できるほどだ。
これは凄い。こんな素材があったら撮影には便利だな。ガラスではなさそうだ。アクリルの一種かな?
触ってみたが、まったく門外漢の栗辺にとっては、何の素材だかさっぱり分からない。
ちょっと力を入れると動くようだ。中に入れるのか?
栗辺は透明なフードを開けてみた。ロボットが前にある機械に光が明滅していた。
動いているのか?
懐中電灯で周囲を照らすと、やけにけばけばしい色彩が目に付く。場末のキャバレー? いや女性オタクが集うアニメショップ? どちらかというとハロウィンやクリスマスに合わせて、児童が銘々勝手に飾り付けた、保育園や幼稚園の施設を思い出す。
それくらいキッチュで安っぽい色合いだ。
やっぱり何かの悪戯か? 学生が自主制作のSF映画で作ったプロップを飛ばしていたのかも知れないな。
栗辺も徐々にそんな気持ちになっていた。それならそろそろ当事者の学生達が駆けつけて来るだろう。
それはそれで動画ネタにならない。潮時か。
スマホを閉まって退散しようかと思った時だ。なにか人の気配を感じた。幽霊や物の怪の類いは信じていない栗辺だが、さすがに人気の無い山の中だ。思わずぞっとした。
人の気配といっても色々とある。栗辺が感じたのはかすかな呼吸音だ。
耳を澄ます。虫の声に混じって、確かに自分以外の人が呼吸する音が聞こえてきた。それと同時に小さくうめき声も聞こえてきた。
「……う、あぁ」
子供の声か? 懐中電灯で周囲を照らし出す。
いた! 小柄な人間だ。今まで気がつかなかったのは、その人間も周囲と妙にキッチュで派手なメタリックカラーの服を着ていた為だ。奇抜すぎて人間の着る服とは思えなかったのだ。
「……う、うん」
子供というよりは少女か? 16、7歳の程度の少女のように見える。顔立ちは日本人だが、色はかなり白い。髪はピンクプラチナとでもいうのだろうが、ピンクが掛かったプラチナブロンドだ。これも服同様かなり奇抜な色だ。
ウィッグだろうか。日本人の顔立ちでこの髪色はかなりコスプレ臭が強く感じるはずだが、不思議と違和感は無い。
目蓋は閉じられていたが、少し動いている。唇もそうだ。
学生の自主制作映画という感じじゃ無いな。本格的な商業映画、特撮ヒーローものか何かの撮影で、プロップがキャストを乗せて墜落したのだろうか。
栗辺はそんな事を考えていた。
助け起こそうとして躊躇する。相手は少女だ。うかつに中年のおっさんが触れると事案になりかねない。本当に映画やテレビドラマの撮影だったら、彼女は女優ということになる。そうなると事案どころかスキャンダルだ。
しかしいつまでも放っておく訳にもいかない。そのうちスタッフが駆けつけるかも知れないが、未だにその気配すら無い。
どうする? どうする!? 俺!? 栗辺颯太郎?
その時だ。少女はつぶやいた。
「ク、クワット……」
ク……、なんて言った? クワット? quiet? 静かにしろという事か?
いや、そういう感じでは無いな。
少女は目蓋を開いた。冴えた蒼い瞳が覗く。カラコンか? それにしてもかなり色鮮やかだ。
「クワット……」
少女はそう繰り返す。
水だ。
栗辺は何故か直感的にそう思った。幸いまだ右手にレジ袋を提げている。そこにはまた蓋を開けていないミネラルウォーターのペットボトルが入っていた。
栗辺は少し生ぬるくなったペットボトルを少女の顔に近づけた。少女はそれを見つめるだけで手を出そうとはしない。栗辺はキャップを開けて、口元へペットボトルを持っていった。
ミネラルウォーターが唇の間に流れ込む。そこで初めて少女は、ペットボトルの中身が水だと悟ったようだ。栗辺からペットボトルをひったくるように受け取りラッパ飲みを始めた。
一見すると華奢で清楚に見えた少女の、思わぬ素振りに栗辺は圧倒されるだけだった。少女は500ミリリットルのミネラルウォーターを飲み干すと、空のペットボトルを栗辺へ放った。
そして手で濡れた口元をぬぐうと突然、乱暴な口調で言い放った。
「ガー! バッコッツツ!! タグキーメルウンドゥ メイ 」
な、なんだ。なんだ!? 何語だ? 英語ではないし、中国語やタガログ語でもない。しかし不思議な事になんとなくニュアンスが分かる。
少女は立ち上がると床に散らばった機材を避けながら倒れているロボットの方へ向かった。立ち上がると少女の格好がよく分かる。
一見するとAラインワンピース。ビニールか何か安っぽい素材で出来ているようだが、同時に不思議と妙な高級感もある。
スカートは膝丈。同時に膝までのブーツを履いていた。少女が立ち上がり始めて分かったが、服のあちらこちらにもLEDか何かの光が走っている。
昔、こういう特撮ヒーローがいたな。栗辺はそんな事を考えていた。
少女は倒れたロボットの側にかがみ込み、なにやら様子を見ているようだったが、やがて落胆したように立ち上がる。
「ディーマ タグベン サンドゥ ケイ」
少女は肩を落として戻ってきたが、途中、栗辺に目を留めた。
「ファイ。ベクートオンナーソスル。ハイレイドゥ カイ」
自分に話しかけているようだ。それだけは確実に分かった。
「え、俺?」
当惑しながら栗辺は自分を指さした。




