第二話:時間の支配者
世界が停止した。
そう錯覚するほどの異様な静寂が、店内を包み込む。
正一は本能的に理解していた。
相手の気配が、今までの奴らとはまるで違う。
美秀も動きを止めた。
その表情には、わずかに緊張の色が見える。
(こいつは、敵のリーダーか……?)
長身で端正な顔立ち。
黒いロングコートを羽織り、淡々とした目つきでこちらを見つめている。
表情に感情の起伏はない。
それが余計に、不気味だった。
その男はゆっくりと手を挙げる。
「はじめまして、私はクロノス」
そう言うと、クロノスは指を鳴らした。
その瞬間、割れたグラスが砕ける前の形に戻る。
床に転がっていた椅子が、爆発する前の位置に戻る。
倒れていた敵が、ダメージを負う前の状態に巻き戻る。
それはまるで、世界が逆再生したかのような現象だった。
「......ッ!?」
正一は即座に理解した。
この男、時間を巻き戻している……!?
「ゴールドメイデン......。
やはり、覚醒していたか......」
美秀の瞳が、虚ろに揺れる。
クロノスは微かに笑う。
正一の脳内で、何かが引っかかった。
(ゴールドメイデン……?
たしかさっきも......)
「……」
クロノスは美秀に対して、静かに言葉を続ける。
「お前はエントロピープロジェクトの大事な構成パーツだ。
逃げることは許されない」
美秀の体が、小さく震えた。
正一は、その様子を見て眉をひそめる。
(早乙女美秀、怖がってるのか……)
これまでと違い、彼女の表情には明らかな動揺があった。
「……お前、何を」
そして、クロノスが一歩踏み出した瞬間、空間が揺らいだ。
「……っ!?」
正一は、強烈な違和感に襲われた。
何かがズレた。
時間の流れが乱れたような、不安定な感覚。
クロノスも一瞬、目を細める。
(今のは……?)
だが、クロノスはすぐに表情を戻し、再び美秀を見据えた。
「お前の力はもう目覚めている。
自覚はしていないようだがな」
「……?」
美秀はクロノスの言葉の意味が分からず、混乱していた。
そして、クロノスが再び手をかざす。
「……私の能力ならゴールドメイデンに対しても問題ないがな。
では、回収するとしよう」
その言葉と共に指を鳴らす。
すると空間が捻じれ、美秀の周囲の時間が巻き戻され始める。
しかし、美秀本人の位置は変わらない。
「……なに?」
クロノスの目がわずかに揺れる。
「……あれ?」
美秀自身も、何が起こったのか理解できずにいた。
「何とも......ない......?」
彼女の意識は確かにさっきと同じ場所に戻されたと認識していた。
クロノスの能力が発動したなら、本来なら彼女の位置は強制的に巻き戻されていたはずだ。
しかし、なぜか巻き戻されなかった。
「……そんなはずはない」
クロノスが眉をひそめ、もう一度指を鳴らす。
時間は巻き戻らず、やはり美秀の体は微動だにしない。
「……?」
美秀が戸惑いながらクロノスを見つめる。
クロノスの目が、僅かに険しくなる。
(こいつ…...何をした……?)
クロノスは一旦距離を取り、美秀の様子を観察する。
(いや、まさか......)
「因果律の......操作......」
クロノスから無意識にその言葉が漏れた。
(因果律の操作......?)
正一はその言葉に何か引っかかりを覚えた。
そして次の瞬間、美秀が正一の手を無意識に掴んだ。
「……っ、今よ、逃げるわよ!」
「お、おい!?
何がどうなって...」
「わかんない!
でも、今なら逃げられる気がするの!」
美秀は何も理解できていなかった。
ただ、クロノスの能力が効いていない気がした。
だから、今なら動けるはずだと、直感的に感じただけだった。
クロノスたちは美秀を止めようとする。
「......たぶん、もう追えないはず」
美秀がそう呟いた。
無意識の言葉だった。
直後、クロノスたちの体がふっと止まる。
「......ぐ......っ......!?」
クロノスの動きが、まるで見えない鎖に縛られたように止まる。
一瞬の静止。
美秀と正一はその隙を突いて、裏口へと駆け出した。
クロノスはすぐに動きを取り戻し、美秀に向かって手をかざそうとするが。
(……ダメだ……!?)
彼は直感的に悟った。
美秀の能力によるものか、無意識にクロノスが追わない未来を決定されていた。
クロノスは小さく息を吐く。
(ふむ、その未来を……決定させられていたか......。
なるほど、想像以上の能力だ)
そして、美秀と正一は、そのまま夜の闇へと消えていった。
「チッ......こりゃますます厄介な仕事だな」