エピローグ:レイヴンファイル
夜の街。
変わらないネオンの光が、いつものように世界を染めていた。
正一は、ポケットに手を突っ込み、静かに空を見上げる。戦いは終わった。
エントロピーも、クロノスも、もういない。
ゴールドメイデンを巡る因果の鎖はすべて断ち切られた。
美秀を狙う者は、もうどこにもいない。
そんな世界のはずなのに。
「行くのか」
背後には、美秀がいた。
まっすぐな目で、正一を見上げていた。
「ええ。
ここにいても、私は……何も始まらない気がするから」
正一はわずかに口角を上げる。
「そうか。
……ま、もうお前を守る理由もないしな」
「うん」
美秀は微笑む。
「だから、見届けてほしいなって思ったの。
私の始まりを」
「勝手にしろ」
そんな軽口を叩きながらも、正一はその背中をしっかりと目に焼き付ける。
「……何かあったら、また依頼するんだな」
「うん」
美秀は小さく頷くと、歩き出した。
荷物も、護衛も、何も必要ない。
これからは、誰にも狙われない。
それでも、自分の未来を見つけるために旅に出る。
夜風が吹く。
美秀の背中は、小さく遠ざかっていく。
正一はポツリと呟いた。
「もう敵もいねぇのに……
それでも、進むのか」
そうだ。
だからこそ、あいつは強い。
未来は、誰にも脅かされない。
それでも、自分の足で歩き続ける。
その先に、何があるのか。
それは、誰にもわからない。
だがきっと、美秀はその先でも。
自分の未来を、選び続けるだろう。
ふと、正一の脳裏に沙羅の言葉が蘇る。
「この世界には、神具と呼ばれるものが存在している。
それは八百万の神々の力を借りることができる特別なアイテム。
ゴールドメイデンも、その一つよ。
本当の意味で目覚めたなら。
あの子の旅は、まだ始まったばかり」
「……ったく、やれやれだ」
正一は空を見上げ、苦笑した。
「今度は、何が待ってるんだ……ゴールドメイデン」
その名を、初めて。
誰でもなく、美秀自身の未来に向けて呟いた。
そして、俺の物語も、ここに一つの区切りを迎える。
しばらく夜の街を見送った後、正一はポケットから古びた端末を取り出した。
長い間使い込んだ記録装置。
あの日、美秀の護衛を引き受けた瞬間から、無意識に書き溜めていた。
この戦いのすべてを。
「ったく……誰に見せるわけでもねぇのによ」
苦笑しながら指を走らせる。
ファイルを一つ、締め括る。
《RAVEN FILE_01:GOLDMAIDEN CASE》
画面に浮かび上がった文字を、正一はしばらく眺めた。
全てが終わった証。だが、それは始まりの記録でもあった。
「ま、どこかでまた誰かが未来を賭けるなら。
その時は、俺の出番ってわけだ」
正一はゆっくりと端末を閉じ、夜空を仰ぐ。
「これが……レイヴンファイル、第一号だな」
誰に向けるでもなく、ぽつりと呟く。
美秀の旅路は、もう始まっている。
彼女が進む先が、どんな未来だとしても——。
これは、彼女と共に歩いた最初の物語。
そして、レイヴンの物語の、ほんの一章に過ぎない。