プロローグ
都市は、雨に濡れていた。
ネオンの光が濡れたアスファルトに滲み、夜の街を仄かに照らす。
ビルの合間を縫うように、小型ドローンの巡回灯がゆっくりと動いていく。
技術は進んだが、それでもこの街の闇は消えなかった。
ユニシティ。
夜の帳が降りるたびに、表と裏の境界が曖昧になる街。
表では警察が、裏では奴らが支配する街。
そして、そのどちらにも属さない、もう一つの存在がいた。
スペシャルディテクティブ(通称:SD)。
国家にも企業にも属さず、どんな仕事でも請け負う特別な探偵。
依頼の内容も、誰が相手でも関係ない。
決めるのは、ただひとつ。
報酬に見合うかどうか、それだけだ。
「ったく……やれやれだな」
濡れた路地を歩く男がひとり。
鴉取 正一。
SDのひとり。
コードネーム、レイヴン。
彼は、今夜の依頼を思い返し、思わず小さくため息をつく。
「護衛か……。
どう考えても、俺向きじゃあない......」
今夜の依頼はとある人物の護衛。
それだけだった。
細かい情報は一切なし。
クライアントも名を伏せたまま、仲介人を通して依頼を寄越してきた。
ただ、不思議と匂いだけは残っている。
女の声。
冷静で、どこか切羽詰まったような、それでいて決意の滲む声。
(……妙な依頼だ)
正一は薄笑いを浮かべる。
依頼内容は、少女を守れ。
場所も、時間も、すべて指定されている。
こういう段取りの良すぎる依頼は大抵、裏がある。
いつだって、普通の護衛で終わった試しがない。
目の前には、指定された店。
看板には、古びた文字で、CODE-9(コードナイン)
一歩、扉を開けると薄暗い照明。
カウンターの奥では、無愛想なマスターがグラスを磨いている。
そして、店の奥。
フードを目深に被った一人の女性がいた。
正一は軽く息を吐いて、その席へ向かう。
「早乙女 美秀さん、でいいんだな?」
女性は、ゆっくりと顔を上げた。
白く整った肌に、冷めた目をした少女。
「……あなたが、SDの人?」
「ああ、依頼主からあんたの護衛を任されてる」
正一はそう言って、対面に座る。
「あなたも災難ね。
厄介な事件に巻き込まれるなんて」
美秀は、かすかに笑った。
その笑みには、何の温度もなかった。
「問題ねえ。
俺にとっちゃ事件に巻き込まれるなんて日常茶飯事さ。
どんな依頼でも受けたからには、最後までやり遂げる。
それが俺なりのルールだ」
美秀は、ほんの少しだけ微笑んだ。
だが、その目は笑っていない。
その瞬間。
何の前触れもなく、店の窓が吹き飛んだ。
「ッ!」
その衝撃と共に、重い空気が流れ込む。
立っていたのは、黒いコートを羽織った男。
「ターゲット確認」
男の声は機械のように冷たかった。
その大きな手をゆっくりと前へかざす。
そして、空間が歪む。
まるで、重力そのものが狂ったように。
「やはりな......」
正一は即座に美秀の腕を掴み、カウンターの陰へ飛び込む。
「本当に、ただの護衛じゃないみたいだな......」
押し寄せるのは、明らかに人間の域を超えた力。
正一は苦笑した。
そして、ゆっくりと銃に手を伸ばす。
「どうやら、今夜は長くなりそうだな」
そして、戦いの幕は、音もなく上がった。