過去7 バルウィン家2
まっすぐ続く長い廊下。
グレイスに連れられ、ラウラはバルウィン家本館の廊下を進んでいた。
調度品は少ない館内だったが、敷かれている絨毯の美しさにラウラは目を奪われた。
しっとりと深い赤色に織り込まれた、細やかな模様。
足を進めるたび、ラウラの口から自然とため息がこぼれていた。
「お屋敷の絨毯素敵でしょ、名産品なのよ」
「本当に素敵、こんなに美しいものをはじめて見たわ。私、この国に来たばかりなの」」
「まあ! バルウィン領はとてもいいところよ。なんたってフィデリオ様がいるんだもの。わたしは西にある山の麓から来たの。実家は羊牧場よ」
「羊!」
「ええ、この絨毯の元ね」
グレイスはそう言って振り返り、ふふっと笑った。
大きな瞳とひとなつっこい笑顔に、ラウラもつられて微笑む。
五年の間、王宮で勉強をしていたので、同世代の女の子と話をするのは久しぶりだ。
ここでの暮らしはきっと上手くいく、ラウラはそう感じていた。
「えーっと、あっちが厨房なんだけどーまずお部屋に荷物を置きましょ」
そういってグレイスは突き当りの扉を開いた。
少し狭くなった廊下と、壁にいくつかの扉が見える。
扉の一つ一つに、小さな彫刻が施されていた。
「この角がわたしの部屋よ。その隣がラウラのお部屋」
グレイスの部屋の扉に薔薇が一輪、ラウラの部屋の扉には二輪の薔薇が彫られていた。
番号がなくとも、このデザインで部屋を間違えることはない。
「薔薇可愛いでしょ、二階のお部屋の扉は葡萄なのよ」
グレイスは説明しながらポケットに手を入れ、菫色のリボンが結ばれた鍵を取り出すと、ラウラの部屋の鍵穴に差し込んだ。
カチャっと軽快な音を立てて扉が開く。
「さあ、あなたのお部屋よ」
「ありがとう」
開かれた部屋から、清潔感のある若草の香りが漂ってきた。
大きな窓には小花の刺繍が入ったカーテンがつけられ、床には、草花の模様が織り込まれた淡いブルーのラグが敷かれている。
小さな暖炉と作り付けの本棚。一人には十分すぎる大きさのクローゼット。
その横に姿見も置かれていた。
「えっ、こんな素敵なお部屋……私が使ってもいいの?」
持っていた小さな鞄を床に置き、ラウラはきょろきょろと部屋の中を見渡す。
住み込みで働くのはもちろん初めてだが、こんなに広い個室が与えられるとは思ってもみなかった。
ベッドもふかふかなのが一目でわかる。
「フィデリオ様が、働く人には十分な部屋が必要だとおっしゃってるの。使いにくいとこがあれば、改装もしてくれるわよ」
「そんな! だってこのお部屋完璧だわ」
「でしょ、わたしも実家の部屋よりここのほうが好き。あとで遊びに来てね」
「うん!」
部屋中を見回して目を輝かせているラウラに、グレイスは隣の部屋を指さして微笑んだ。
「じゃあラウラ、荷物を置いたらまず温室ね。皆があなたを待ってるの」
「私を?」
「そうよ。リーアムとエルノなんて、朝食の時すっごくうるさかったんだから」
「えーっと、金色の髪で巻き毛の?」
「そう、あの兄弟よ。さあ行きましょ」
ラウラに部屋の鍵を渡したグレイスは、急かすように廊下に出た。
そんなグレイスの後に続き、ラウラは部屋から飛び出ると、扉を閉めて鍵をかける。
カチャっと心地良い音が廊下に響いた。
部屋の前の廊下をまっすぐ進んでいくと、突き当りに大きな扉が見えた。
上半分にアーチ型のガラスがはめ込まれており、外からの日差しをやわらかく取り込んでいる。
「昨日は外から調合施設に行ったと思うんだけど、こっちの扉からすぐに行けるのよ。ラウラはここから通うようになるわね」
グレイスが説明をしながら扉を開ける。
扉の向こうには小さな門があり、すぐ向こうに調合施設と温室が見えた。
乾いた風に乗って、微かに薬草の香りが漂ってくる。
門をくぐって施設に向かっていると、誰かが立っているのが見えた。
グレイスとラウラに気づいたのか、両手を大きく振っている。
「リーアムだわ」
グレイスが呟くと、その声が聞こえたかのように、リーアムがぴょんぴょん跳ね始めた。
その後ろでは、同じ巻き毛のエルノが両手を振っている。
気付くと、施設で働く薬師たちが入り口に集まっていた。
「どうしよう、緊張してきたわ」
「もうーみんなせっかちで困るわね」
笑いながら眉を下げ、グレイスは少し足を早めた。
その横を歩くラウラの心には、不安が広がっていた。
この感じ、聖女候補に選ばれた時以来だわ。
どうしよう、また皆の期待を裏切ることになってしまったら……。
施設が近くなるにつれ、薬師たちの顔がはっきり見えてきた。
皆の表情から、ラウラを歓迎していることが伝わってくる。
その瞬間、ラウラの足が止まった。
「ラウラ?」
「どうしよう……」
「大丈夫よ、ここの人達は皆優しいわ」
俯くラウラに、グレイスは目を細めて笑い、手を差し出した。
差し出された手を見つめながら、ラウラは思いを巡らせる。
私は一人で生きていくためにこの国に来た。
あっという間に仕事が決まり、今も皆が自分を待ってくれている。
目の前にいるグレイスも、今日初めて会ったばかりなのにこんなに優しい。
そうだわ、悩んでること自体がおかしい。
だって、新しい人生のはじまりなんだもの! 行かなきゃ!
ラウラは、思い切りよく顔をあげた。
施設の入り口で待っている薬師たち全員が、手を振っている。
「さ、行きましょ」
グレイスがラウラに声をかけると、ラウラは大きく頷き、二人で手を繋いだまま施設に早足で向かった。
入り口に到着すると、薬師たちは大きな拍手で二人を出迎えた。
「お待たせー、ラウラを連れてきたわよ」
「こんにちは皆さん。ラウラ・ストラールです、昨日はありがとうございました」
ぺこりと頭を下げるラウラの前に、巻き毛の青年がぴょんっと飛び出した。
「やあラウラ。僕、あれからずっと腕の調子がいいんだよ」
「ああ、昨日の……えーっと、エルノさん!」
「うん、エルノ。一緒に働けて嬉しいよ。ここにいる皆が君を歓迎してるんだ」
「ちょっとー、ラウラの挨拶の邪魔しないでよエルノ」
「ごめんごめん。じゃあ続きをどうぞ」
「ありがとうございます。えっと、そういうことで、私今日からここで働くことになりました。わからないことばかりでご迷惑をかけるかもしれませんが、皆さんどうぞよろしくお願いいたします」
一気に言い終えたラウラは、一歩後ろに下がり、薬師たちに向かって深く頭を下げた。
周りからは、先程よりさらに大きな拍手が沸き上がる。
ラウラが照れくさそうに顔をあげると、いつの間にか薬師たちが近くに集まってきていた。
一番正面には、金髪巻き毛の二人。
エルノとその弟リーアムが、にこにことラウラを見つめている。
二人が何かを言いかけた瞬間、すかさずグレイスが間に割り込んだ。
「はーい、薬師の皆さん! 皆さんがラウラに早く会いたいというからここに一番に来たんだけど、今からまだ館内の案内をしなくちゃいけないのよ」
「えーー」
「案内は午後からでもいいだろ」
「俺達だって案内するよ」
「もー、ラウラはここで働くんだから、後でもいいのはこっちでしょ! 本館の案内さえまだって言ってるでしょ! 皆さん仕事に戻ってくださーい」
グレイスが声のトーンをあげると、薬師たちは渋々といった様子で施設に戻り始めた。
エルノとリーアムはそれでもラウラの前を離れなかったが、グレイスに手で追い払われている。
「「あとでねーラウラ」」
「はいはい、後でねー」
ラウラの代わりにグレイスが答えた。
エルノたちは、ぶつぶつと何か言いながら温室へと向かって行く。
あまりに自然な流れに、ラウラは吹き出してしまった。
「やだ、恥ずかしい。あんな風に言っちゃったけど全員いい人なのよ! でも、ほら、朝は忙しいから」
「うんわかってる。笑っちゃってごめんなさいグレイス。なんだかとてもいい雰囲気だなあって思って。私が前に……」
そこまで言いかけたラウラは、ハッとしたように唇を押えた。
穏やかな空気に、つい最近までいたあの場所のことを話しそうになっていた。
自分が聖女候補だったなんてことは、絶対にばれたくない……。
口をぎゅっと結んだラウラを見て、グレイスはぽんぽんっと優しく肩を叩いた。
「いいのいいの、誰にだって色んなことはあるわよね。さあ、食堂に行きましょ! おやつがあるのよ」
グレイスは、キャンディーのようにまん丸で艶やかな瞳を、ぱちりと大きく瞬かせた。
綺麗に並んだ歯を見せ、ラウラに向かって手を差しだしている。
殆んど年齢は変わらないであろうグレイスの気づかいに、ラウラは驚き、たまらなく嬉しくなった。
「ありがとうグレイス、楽しみだわ」
「料理長のブレッドプディングは最高なのよ
「わあ! もう何年も食べてないわ」
「んもう、早く行きましょ」
グレイスがラウラと手を繋ぎ、調合施設を出ようとした瞬間、後ろからバタバタと足音が聞こえた。
そのせわしない雰囲気に、グレイスは大きなため息をつき、首を小さく横に振っている。
激しい足音の主は、ラウラとグレイスを追い抜いて目の前に立ちはだかった。
二人の目の前で息を切らしているその男は、この薬師のリーダーであるオリヴァーだった。
なぜか、両手には薬草の束を持っている。
「二人とも、ちょっと待ってくれ! 温室が大変なんだ!」
本日の更新はここまでです。
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