過去5 15歳のラウラ3
―― 一時間後
フィデリオ・バルウィンの書斎の扉を、一人の男が激しく叩いた。
短い金色の巻き毛を揺らし、木綿の作業服を着たその男の手には、三本のガラス瓶が握られている。
「フィデリオ様、リーアムです!」
リーアムが名前を名乗ったと同時に扉が開いた。
執事のセルジュが眉をぎゅっと顰め、首を横に振っている。
「リーアム、扉は何度もたたくものではありません」
「すみません、でもどうしてもこれを!」
リーアムは少し興奮したような様子で、手に持っている小瓶を差し出した。
セルジュは小瓶を受け取り、リーアムを中に招き入れる。
さっきまで足を踏み入れるのでさえ大変だったフィデリオの書斎は、セルジュの手によって少し片づけられていた。
机で作業をしていたフィデリオは立ち上がり、リーアムに向かって優しい声で問いかけた。
「どうしたんだいリーアム、そんな血相変えて。何かあったのかい?」
「はい、ありましたよフィデリオ様!」
「ん、あったのか?」
「はい! いまセルジュさんに渡したポーションを見てください!」
リーアムの言葉に、セルジュは持っていた三つの小瓶をフィデリオの机の上に置いた。
薄青、ピンク、そして透明。
すべての瓶にキラキラと輝く透き通った液体が入っている。
「これは、なんて美しいんだ。品質が良いのが一目でわかる、素晴らしい」
「そうなんです! 効き目も凄くて……」
「これを誰か飲んだのかい?」
「はい、エルノが飲みました。もうすぐ来るはずです」
まだ興奮が収まらないリーアムが、フィデリオに身を乗り出した瞬間、扉をノックする音が聞こえた。
セルジュがいつも通りに扉を開けると、エルノが部屋に飛び込んできた。
リーアムと同じ金色の巻き毛。だが、エルノのほうが少し背が小さい。
二人は兄弟のように見えた。
「こら、エルノ!」
「すみませんセルジュさん、失礼いたします。フィデリオ様ーーっ!」
まっすぐにフィデリオへと向かうエルノの後ろには、ラウラが不安そうに立っていた。
執事のセルジュに促されたラウラは、深刻な表情で唇をぎゅっと結んだまま部屋へと入る。
その様子に気が付いたフィデリオは、優しい笑顔を見せた。
「ラウラ、お疲れ様」
「……はい」
ラウラは返事をするだけで、それ以上は何も喋らない。
さっとフィデリオから視線を逸らし、リーアムとエルノを見ながら目を伏せた。
私、なにか間違えてしまったのかしら……。
一時間ほど前。
調合施設で薬師たち数人に出迎えられ、すぐに温室へ向かった。
そこで薬草を選び、調合をはじめると、いつの間にか施設中の薬師が周りに集まっていた。
回復薬、毒消しを作り終えた後、なぜか全員から笑顔が消えていた……。
そんな状況なのに、どうしても作りたいものがあると言ってしまった。
さっき、フィデリオ様の洋服や肌についてしまったルチニ。
あれは、なかなか汚れが落ちない。
でも、ポーションを作った残りの材料で簡単に汚れ落としが作れる。
これは王宮にいるときに自分で考え、何にでも使えると凄く褒められたものだった。
それをどうしても作りたかった……。
周りの空気に言わなければよかったと後悔していると、リーアムさんが許可をくれたので急いで作業に取りかかった。
作業の途中、正面で見ていたエルノさんが最初に作った回復薬を手に取った。
「ねえ、僕これ一本飲んでいい?」
「はい」
周りに居た人達が、一斉に息を呑むのが分かった。
エルノさんは回復薬を一気に飲み干し、なぜか両手を真上にあげた。
それと同時に周囲がどよめき、エルノさんは「すごっ!」と呟いた。
私が汚れ落としを作り終えると、リーアムさんが待ちかねたように素早く瓶に移し替えた。
そして、机の上にあった回復薬と毒消しを持って、施設を飛び出していった。
「さあ、君も行くよ!」
呆然としている私の腕をエルノさんが掴み、リーアムさんの後を追ってこの部屋へ戻ってきた。
一体何が起こってるんだろう……。
この国は都会だから、私の作った薬に何かおかしなところがあったのかもしれない。
それでも基本の作り方をしたのだから、間違ってはいないはず。
もしかして汚れ落としがいけなかったの? ああ、どうしよう。
「フィデリオ様、凄すぎますよ!」
「フィデリオ様、僕を見てください!」
「リーアム、エルノ。落ち着きなさい」
「ラウラ、顏をあげて?」
フィデリオがラウラに声をかける中、リーアムたちの興奮が収まらない。
執事のセルジュが、二人の間に入って話を止めた。
ラウラが顔をあげると、フィデリオは椅子から立ちあがり、手を差し出した
「ラウラ、こちらに来てくれるかい? 二人の話を一緒に聞こう。彼らは薬師の中でも一流なんだよ」
「……あの」
「どうしてそんな顔をしているんだい? 大丈夫だよ、さあ」
「はい」
ためらいながら、ラウラはリーアムたちの横を通りフィデリオの机の横に移動した。
そんなラウラを見て、フィデリオは穏やかな笑顔で頷いている。
ああーものすごく不安なのに、この顔と声で言われたら脚が勝手に動いてしまった。
はぁー何を言われるんだろう……。
足の裏がぞわぞわして落ち着かない。
フィデリオは、一旦静かになった室内を見渡して口を開いた。
「さてリーアム。君はラウラに何も言わずにここに来ただろう、彼女はとても不安に思っているよ」
「えっ、いや、本当?」
リーアムは、慌てたようにラウラの顔を覗き込んだ。
ラウラは精一杯の笑顔を見せたが、頬がまったく上がらない。
その顔を見たフィデリオが、少しだけ笑いながら眉を下げた。
「ほら、あきらかに笑えてないじゃないか」
「本当だ、申し訳ないお嬢さん。だってこんな凄いの見せられたら、居てもたっても居られなくってさ。作ってる途中から、フィデリオ様に報告したくてたまらなかったんだ」
「!?」
「わかるよリーアム、これはなかなか見ることが無いね。回復薬? そう思えないくらいの最上級のものだ」
「そうなんですフィデリオ様! ほら、エルノを見てください」
「はい、僕をみてください!」
エルノは調合施設と同じように両腕を高々とあげた。
その姿に、セルジュまでがおおーと感嘆の声をあげている。
三人の会話を聞いて、悪い事ではないようだと気づいたラウラは、おそるおそる話に入った。
「あの、エルノさんに何があったのですか?」
「やあお嬢さん、僕は先週怪我をして、痛みはないのに腕があがらなくなっていたんだよ。普通の生活に支障はないけど、高い場所にある物が取れなくてね」
「まあ、大変だったんですね」
「そうなんだ。だから君が作っている回復薬を見た時、絶対に飲んでやるっ! て思ったんだ」
「え?」
「だって君のあれ、どう見たって回復薬というより最上級薬。いつも僕たちが作っている手順と材料で、違うものが出来あがるんだもん、驚いたよ。しかも飲んですぐに確信したね、治ったって!」
「よかったなエルノ」
「うん、リーアム」
ラウラの目の前で、なぜか二人がハイタッチをしている。
そんな二人を眺めていると、リーアムがラウラに向かって笑顔で両手をあげた。
横ではエルノも同じように手をあげている。
考える間もなく、ラウラも二人とハイタッチをしていた。
「やったー! ここで働くんだろ?」
「フィデリオ様、とても良い子が来てくれましたね」
「あの、私はこの国に来たばかりで……」
「リーアムもエルノも落ち着いて。ラウラは今日、職探しの為に適性検査をしていたんだ。この国に来たばかりというのは、僕も今初めて知ったよ……うーん」
フィデリオは顎に手を当て、困ったような仕草でラウラを見つめた。
ラウラは慌てて目を逸らす。
この美しい顔に見られると、全然落ち着かない。
それに、リーアムさんとエルノさんが私を誘ったこと、フィデリオ様は内心迷惑に思っているかもしれない。
ラウラは、そうっとフィデリオの表情を確かめた。
長い睫毛は伏せられ、整った形の薄い唇から微笑みが消えている。
やっぱり困ってる! どうしよう……。
ラウラがうろたえていると、それに気づいたフィデリオが目を細めて微笑んだ。
「ラウラ、うちの者が驚かせてしまったね」
「いえ……」
「君はこの国に来たばかりだそうだが、すぐにでも仕事を探したいのかな? それとも縁者が居て……」
「縁者はおりません。私一人でこの国に来ました!」
「ほうそれは。では、住むところなどは?」
「まだ何もきまっておりません」
「ちょうどいいじゃないですかフィデリオ様!」
「この屋敷にはたくさん部屋があるよ、お嬢さん」
「リーアムもエルノも待ってくれ。僕が今からラウラに訊ねようとしていたんだよ」
「だっていいじゃないですか」
「リーアム! エルノ!」
会話に入ってきたリーアムとエルノに、執事のセルジュが声をあげた。
二人とも叱られた犬のように小さくなり、上目遣いでラウラとフィデリオを交互に見ている。
この感じ……もしかして、私ここで働けるの?
さっき見たバルウィン家の調合施設。
温室も広くて、薬草の在庫も大量で、それなのに管理が完璧。
故郷より気候が良いせいか、花が咲く薬草は鉢植えにされ、温室以外の場所に飾られていてとても素敵だった。
王宮の設備はもちろん素晴らしかったけど、ここには最新の設備や什器が揃っていてすごく使いやすかった。
こんな最高の環境で働ける人達が、羨ましい! って思ってた!
「私ここで働きたいです!」
ラウラは一歩前に進み出て、大きな声を上げた。
リーアムとエルノはぴょんっと飛び跳ね、フィデリオは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに頬を緩ませた。
自分の無意識の行動にラウラは少し動揺していたが、今度は目を逸らさず、フィデリオの美しい薄青色の瞳をしっかりと見つめた。
「当家ではとても嬉しいことだよラウラ。でも、本当にかまわないのかい? 気を使ったりしていないかい?」
「はい、働かせてください!」
「よかった。こちらこそ願ってもないことだよ」
「よろしくお願いします!」
「「やった!!」」
リーアムとエルノが喜びの声をあげ、執事のセルジュも大きく頷いた。
『優しい領主様と聖女ちゃん ~突然現れた聖女に「偽物!」と、追い出されてしまいました~』
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