過去3 15歳のラウラ1
翌日、宿を出たラウラは、隣の国に向かうという行商の馬車に乗せてもらい街を出た。
隣の国に着いてからも、いくつかの馬車を乗り継ぎ、初めて見る山岳を超えた。
そして、一週間後には自分の故郷から二つ離れたトーア国へと辿り着いていた。
街の中にある宿に泊まったが、お金が少しあるとはいえ、このまままだと一月と持たない。
ラウラは、トーア国を探索するとともに職探しを始めることにした。
ラウラが生まれ育ったミディタ国は自然が多く、雨が降るのは当たり前で気温はあまり上がらない。
夏が近づく季節でも、長袖に羽織ものが必要だった。
しかし、からりとしたこの国ではシャツ一枚でも快適で、とても過ごしやすい。
山を越え、国を二つも離れるとこんなに違うものかとラウラは感動していた。
市場には人が溢れ、明るく陽気な国民性がうかがえる。
街の建物も、見た事が無い造りのものが多く、とても洗練されて見えた。
特にこのバルウィン領は、国王が住む首都よりも栄えていて暮らしやすいと、食堂の女将が教えてくれた。
しかも、バルウィン家に行けば、職業の斡旋までしてくれるという情報まで得た。
こんなの、行くしかないじゃない!
ラウラは早速、持っている洋服の中から一番落ち着いたデザインのワンピースを選んで着替えた。
自分はまだ15歳になったばかりだ。
追い返されたり、甘くみられる可能性もある。
鏡の前で身だしなみを整え、髪を一つに結ぶと、すぐに宿屋を飛び出した。
バルウィン家は町外れの高台に建っていた。
大きく重厚な門は解放されており、自由に人が行き来している。
領主の屋敷に門番がいないなんて珍しい……勝手に中に入っていいのかな?
ラウラは辺りを見回しながら、恐る恐る門をくぐった。
――チリン
「そこのお嬢さん、ちょっと待ってくれないか」
「はいっ」
門に一歩踏み入った瞬間、鈴の音が聞こえるとともに守衛らしき男に声をかけられた。
臙脂色の制服に身を包んだ男は、とても背が高く、顔つきは若々しい。
「驚かせてしまったなら申し訳ない。この屋敷に初めて入る者には名前を聞かないといけないんだよ」
「はい、失礼いたしました!」
「ハハハ、そんなに緊張しなくてもいい。まだ若いみたいだけど職探しかい? 名前を言いながらそこの石板に手を置いてくれれば、君のことがこの門に登録される。一度で済むんだ、簡単だろ?」
登録……人物認証の魔法のようなものかな? 門にかけてあるなんて面白いわ。
ラウラは石板の上に右手を置き、名前を名乗った。
「ラウラ・ストラールです!」
――チリリン チリリン
「はい、登録完了だよラウラ。バルウィン家は朝から夕方まで常に門が解放されている。これは、当主であるフィデリオ様の好意だ。困ったことがあればいつでも来るといい。もし仕事を探しているなら、その大きな扉から奥に入ればいいよ」
「ありがとうございます!」
優しい笑顔で頷く男に、ラウラは深々と頭を下げて大きな扉へと向かった。
歩きながらラウラは考えていた。
この土地に来られたのは、幸運かもしれない……。
フィデリオ様というのは、間違いなくバルウィン公爵のことだわ。
庶民のことを考えてくれている、とても素敵な領主なのね。
街もそうだけど、さっきの門の人もとても感じがよかった。
それに、生活の中に魔法がとけこんでいる。
ということは、絶対に薬草に関わる仕事もあるはず!
ああ、農園や調合のお店を紹介してもらえればいいんだけど……。
ラウラは、アルダー素材の大きな扉の前に立ち、ゆっくりと鉄のハンドルを引いた。
中は待合室のような雰囲気で、突き当りの壁にはもう一つ扉が見えた。
きょろきょろと室内を見回していると『初めてここに来たのかい? それならあの奥の扉に行くといいよ』と、人のよさそうな男性に声をかけられた。
木綿の作業服に青々しい香り、間違いなく薬師だ。
やっぱりこの国に来たのは正解だわ! ここならきっと仕事も見つかる。
それに、二つも国が離れているんだもの、誰も私のことなんて知らないわ……。
そう確信したラウラは薬師風の男にぺこりと頭を下げ、扉へと向かった。
辺りには誰もおらず、しんとしている。
珍しい装飾が彫られている大きな扉の前で一旦立ち止まる。
僅かな緊張を感じながら、ラウラは扉をノックした。
「どうぞー入って」
部屋の中から、低音で響きの良い声が聞こえてきた。
「失礼いたします」
ラウラが扉を開けると、目の前にはその声の持ち主……ではなく、背丈を超えるほどに積まれた本があった。
本を崩さぬよう慎重に部屋へ入り、扉を静かに閉める。
辺りをきょろきょろと見回すが、あらゆるところに本や資料が積まれていて、どこから進んで良いかがわからない。
「あの……」
「ああ、すまない! 最近来客がないから本棚の整理をしていたんだ。右側の壁沿いならこっちに来られるはずだよ」
「はい」
ラウラは本の隙間から聞こえる低い声に言われるがまま、右の壁際を進んだ。
少し進むと、薄いカーテン越しに差し込む光の中に誰かの姿が見えた。
その人物は、真っ白なシャツを着て、リボンのようなもので焦げ茶色の髪を結んでいる。
シャツにタイもつけていないラフな格好で、とても背が高い。
離れていても美しいとわかる、繊細で女性的な顔立ち。
あっ、髪を結んでいるのはネクタイだわ。
この人が、声をかけてくれた人よね?
あの低い声と身長がなければ、絶対に女の人と間違ってた、それくらいの美貌だわ。
この屋敷の司書なのかしら?
ラウラがあれこれ考えていると、目の前の美しい男の人がにっこりと微笑んで口を開いた。
「やあ、君はラウラかい?」
「えっ、どうして私の名前を?」
「門の石板で名前を登録しただろう、あの内容はここでも見られるようになっているんだよ」
「そんな素晴らしい技術が!」
「ははは、ありがとう。ちょっとした研究の成果だね」
「凄いです! 見たことがない魔法です」
「それが難しい魔法じゃないんだよ……っと、ところでラウラ。君は仕事を探しているのかな?」
「……あっ! 失礼いたしました」
美しい顔に優しい雰囲気。
それなのに話しやすくて、つい挨拶を忘れていた。
落ち着きがない子だと思われてしまったかもしれない。
うーー恥ずかしい。
ラウラは深々と頭を下げ、一呼吸おいて顔をあげた。
目の前の美しい男性は、穏やかな微笑みでラウラを見つめていた。