7時間前 2
「おかえりなさいませーーー」
「フィデリオさまー! せいじょさまがおまちですー」
「せいじょさま、フィデリオさまがかえってきましたよー」
客間の中には、忙しく動き回るエルノとオリヴァーの姿。
他の薬師と庭師のオロフは、なぜかカーテンをはずしている。
遠征から戻ったばかりの従者二人は、一人の人物の前でぼんやりと立ち尽くしていた。
『せいじょさま』とは誰だ?
そう思った瞬間、フィデリオは再び香りにむせてしまう。
それに反応するかのように、従者たちの間から一人の女が顔を覗かせた。
漆黒の長い髪、血のように濃い紅色の瞳。
目が合った瞬間、フィデリオの全身が一気に粟立ち、体がぶるっと震えた。
「おかえりなさいませ、フィデリオ様」
青白い肌になまめかしい唇がにやりと笑う。
フィデリオの反応を訝しむように、少し目を細めた。
「フィデリオ様が偽者の聖女がいるとおっしゃって、わたくしがここに来ましたのよ?」
「にせものーおいだしたー」
「にせものせいじょー」
「偽者? 何の話だ?」
不快感をあらわにするフィデリオの瞳を、ロクセラーナはじっと見つめた。
その後ろで、薬師たちが声をあげている。
「ほら、わたくしに頼まれたじゃないですか? お忘れになったの?」
「ロクセラーナさまこそせいじょー」
「せいじょちゃーんにせものー」
「まさか、ラウラのことか?」
「そうですわ!」
フィデリオがラウラの名を口にすると、ロクセラーナは満足そうに大きく頷き、長い髪を後ろにはらった。
同時に、甘く重たい香りが部屋中に満ちていく。
ロクセラーナは目を細め、艶のある唇ぺろりと舐めてフィデリオに近づいてきた。
蝋のように青白い肌に、血管が透けている。
その細い腕を伸ばし、うっとりとした表情でフィデリオの頬に触れた。
ロクセラーナの手が、フィデリオの頬をそうっと撫でる。
「フィデリオ様♡」
もう片方の腕が、しなやかにフィデリオの腰へ伸びてきた瞬間。
フィデリオは一瞬の躊躇いもなく腰から短剣を抜き、ロクセラーナの長い髪を掴んでバッサリと切り落とした。
「いやあああああああああああああああああ――――――――――――――――――!!」
耳をつんざくよな金切り声をあげ、ロクセラーナはその場に崩れ落ちた。
途端に辺りから重苦しい空気が消え、同じ部屋にいた薬師や従者たちが一斉に膝をつく。
「痛てて」
「うわっ」
「ああっ」
従者たちは頭を押さえながら立ち上がり、リーアムとオロフは足元をふらつかせながらフィデリオの元へ駆け寄った。
全員の様子が正常に戻ったことを確認し、フィデリオはほっと息をつく。
短剣を鞘におさめ、切り落とした魔女の黒髪を静かに見つめた。
「フィデリオ様……いつお戻りに?」
「あのぉ……その手に持っているのは?」
エルノは何かおぞましいものでも見るように、フィデリオの左手を指さした。
続けてリーアムが、首を傾げながらフィデリオの横を指す。
「ところで、そこの小さな女の子は誰です?」
「女の子?」
リーアムの声にフィデリオが視線を移した。
そこには、髪を切られたはずの魔女の姿はなく、大きな洋服に包まれた幼い女の子が座っていた。
涙目で唇を震わせ、3歳ほどの少女はフィデリオをじっと見つめている。
フィデリオは周りを見回し、女の子の視線にしゃがみこんだ。
すると少女は、恐怖にひきつった表情でフィデリオを睨みつけた。
「君はさっきの魔女か?」
「こんなことされたのはじめて! あんたなんか大っきらい‼」
そう言い捨て、小さくなった魔女は大きな声で泣き始めた。
慌てて駆け寄ろうとする従者たちをフィデリオは制止する。
自分が着ていた上着を脱ぐと、じたばた暴れながら泣き叫ぶロクセラーナを包んで持ち上げた。
「フィデリオ様、その子供は?」
「あの、もうちょっと優しくしてあげてもいいのでは……」
まるで荷物のように子供を持つフィデリオを、皆が不安げに見つめている。
「ん? 大丈夫だ、すぐに戻るから。君たちは絶対にこの部屋から出ないように!」
普段は見せない主の厳しい表情に、全員無言で頷くしかなかった。
フィデリオは大きく頷き返し、暴れる子供を抱いたまま部屋を出て行った。
残されたエルノたちは顔を見合わせ、あたりに散乱している家具を片づけ始めた。
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