過去11 麦穂色の髪
――午後
小さな鞄の荷物は、あっという間に片づけ終わってしまった。
大きなクローゼットには僅かな洋服。
姿見を入り口の扉近くに移動させ、その横に靴を置く。
本棚には、師匠であるランプロスから譲り受けた革張りの分厚い本が一冊だけ収まっている。
ラウラはベッドに座り、その一冊が飾られた本棚を眺めた。
王宮で暮らした五年間。
ラウラの師匠であるランプロスは、父の代わりのような存在だった。
聡明で優しく、師の手から放たれる魔法は優雅で美しかった。
しかし、魔術財団の施設での生活は、あまり楽しいものではなかったのだ。
ラウラは、自分と同じようにランプロスに師事している魔術師見習いの少女二人と、一緒の部屋で暮らしていた。
18歳と16歳の少女は、10歳のラウラには大人びて見えていた。
彼女たちは、ラウラが聖女候補と紹介されたその日から、部屋で一切の会話をしなくなった。
「あの二人、結局最後まで無視って……」
無意識に独り言とため息が口から漏れる。
彼女達と二度と会うことはないだろう、本当に嫌な思い出しかない。
聖女どころか魔力が無いとわかったあの日なんて、二人は笑いを堪えることが出来ないという表情をしていた。
しかも、王宮を出る時にわざわざ見送りに出てきてた!
くぅ、思い出すだけで腹が立つー!
ラウラはベッドから立ち上がり、テーブルにあるハーブティーを一気に飲みほした。
冷めてはいるが、レモングラスの爽やかな香りと、微かな甘みが鼻先をくすぐる。
この茶葉の調合は本当に繊細だわ。
そういえばこれ、エルノさんのおすすめだってグレイスが言ってたっけ。
あーさっきのグレイス可愛かったなー、あんなに真っ赤になっちゃうなんて。
ラウラの頬が、自然と緩む。
財団にいたあの二人が、グレイスのように親しみやすければ、私は今でもあの場所に残っていたのかな。
薬草を育て、ポーションを作り、ランプロス様に師事し、いつか魔力が芽生える可能性を夢見て……。
ううん、違う。
ラウラは自分の胸に手を当て、大きく頭を振った。
15歳になって魔力がない者は、ずっとそのままだ。
あの瞬間、ランプロス様の悲しみに満ちた表情がそれを物語っていた。
優しく引き留めてくれたけど、聖女になれなかったわだかまりを抱えて、師匠と一緒にいることは苦しすぎる。
王宮に残って引け目を感じながら過ごすことは、私にとって絶対に幸せではなかった……。
ラウラは大きく息を吐き、グレイスが置いていってくれたティーポットからお茶を注いだ。
「うん、本当にいい香り」
この国に来てたった数日だけど、五年間の間に無くなっていた自分の感情を取り戻した気がする。
たくさんお喋りをして、笑って、美味しいものを食べた。
街の人も優しかったし、この屋敷も素敵な人たちばかり。
けれど、聖女候補だったことを話すのはまだ難しい。
数日前の胸の痛みが、未だに深く残っている。
ここで働くには、薬草の成長について話さなくてはいけないのに……。
だって、自分でも理由がわからない。
勝手に成長が早くなってしまう、としか言いようがない。
王宮の賢者たちでさえ、その理由を突き止められなかった。
このおかげで自分の能力に無駄な期待をしてしまったので、理由がわからなかったことに今でもモヤモヤしている。
「育つものは育つんだもん、仕方ないじゃない」
ラウラは二杯目のハーブティーをグイッと飲み干し、部屋を見回した。
暖炉の上で、小さな時計が静かに時を刻んでいる。
針はまだ12時には届いていなかった。
グレイスは昼食が1時からだと言っていた。
十分に時間はある!
倒れちゃったことを薬師さんたちにきちんと謝りたい。
こうなったら薬草の成長のことも、早く話してしまいたい!
勢いよく立ち上がったラウラは、姿見に映った自分の姿に足を止めた。
髪はぼさぼさ、口元にはパンプディングのシロップが光っている。
思わず吹き出し、慌てて口を拭ったあと、結んでいた髪をほどいた。
五年間伸ばしていた麦穂色の長い髪。
ラウラはブラシを通しながら、ふと思い立ってクローゼットへと向かう。
一番上の引き出しを開け、彫刻が施された銀製のハサミを取り出した。
もう一度鏡の前に戻ると、少し低い位置で髪を緩く三つ編みにする。
「このくらいかなー」
腰くらいまである長い三つ編みを手に持ち、ラウラは迷いなくハサミを入れた。
パチン! という軽い音とともに、麦穂色の髪はあっという間に肩までの長さになった。
「うわー軽い!」
鏡に映る自分の顔が、10歳の頃の自分と重なる。
長い髪と一緒に、心に溜まっていた澱のようなものが、どこかへ消えたように感じた。
軽くなった肩をさっと払い、ラウラは部屋を飛び出した。
本日の更新はここまでです(*˙˘˙*)
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