プロローグ
薬草の香りが立ち込めるバルウィン家の調合施設。
蒸留器の音色が響く中、薬師たちは慣れた手つきで作業の準備を始めている。
今日、当主であるフィデリオが、一週間の遠征から戻ってくる。
そのためか、薬師たちの間にはいつもより明るい空気が漂っていた。
「皆さん、おはようございます」
「おはよう聖女ちゃん、もう来てたんだ」
「聖女ちゃんおはよう」
「おはよう! よく育ってるねえ、さすが聖女ちゃん!」
温室から出てきたばかりの少女に、薬師たちが次々に声をかけている。
「おはようございます皆さん。もう! 『聖女』って言いすぎです! たまには名前で呼んでください」
籠いっぱいの薬草を抱えた少女は、葉の間から顔を覗かせると、少しだけ眉を下げた。
青紫色の瞳が、温室に差し込む日差しにきらめいている。
「いいじゃん、もう慣れたでしょ。それにうちには『学者』もいるし」
「オリヴァーさんは薬師長ですからね!」
「そんなこと言わないでくれよ聖女ちゃん。俺は気に入ってるんだよねえ、この呼び名」
「私は恥ずかしいんですっ!」
いつも優しい薬師たちに、ラウラも本気で強く言っているわけではない。
『聖女ちゃん』というのは、この施設で働くことになった15歳の時についたあだ名だ。
ラウラはもうすぐ18歳になる。
もちろん聖女ではない。
「特にエルノさん! この前みたいに街中では呼ばないでくださいよー」
「わかってるって。じゃあ聖女ちゃん、その薬草をこっちにもらおうか」
「もうっ! はい、お願いします」
にこにこしながら腕を伸ばすエルノに、ラウラは薬草の入った籠を渡そうと背伸びをした。
その瞬間、鼻先を甘い香りが撫でるように通り過ぎた。
同時に、目の前にあったはずのエルノの腕が、だらりと垂れさがる。
「え?」
驚いたラウラは、周りを見回した。
目の前のエルノだけでなく、薬師たち全員の視線が温室の入り口に集中していることに気づく。
無意識のうちに、ラウラも皆と同じように入り口へと身体を向けた。
「皆さんこんにちは。わたくし、フィデリオ様に頼まれてここに参りました」
入り口には見たことがない女性が立っていた。
彼女から発せられる声に、薬師たちが一斉に息を呑むのがわかる。
膝の裏までありそうなほどの長い髪が、銀の糸のように揺れている。
長い睫毛に囲まれた瞳は、朝焼けを思わせる淡いピンク色。
高揚した頬を持つ肌は、同じ人間とは思えない程真っ白に輝いていた。
温室にいる全員の注目を浴びたその女性は、また口を開いた。
「フィデリオ様から……『屋敷にいる偽物の聖女を追い出してほしい』と頼まれたんです」
美しい女性はそう言うと、悲しそうな表情でをラウラを指さした。
「さあ皆さん、彼女をここから追い出してちょうだい!」
「「「にせものーーーおいだせーーー‼」」」
「えーーーーーっっ!?」