第九話:故郷へ
船は、西の風を受けて走ります。
リルは甲板の隅で柵に捕まり、黒く揺れる波を見降ろしました。白い泡を散らしながら、波は船をよけていきます。
視線をあげると、翼を広げて風に乗るズゥの姿が見えました。リルが乗る船を追いかけるようにして、ゆうゆうと飛んでいます。速く、早く、と焦る気持ちを押さえきれず、リルはため息をついて再び波の花へと目を落としました。
『キウが千年の寿命を迎えるとき、新しいキウは必ず同じ国の中で生まれる。その言い伝えが、あんたの国では途切れてしまったんだろう』
お婆さん師匠の言葉が、頭のなかでこだまします。
はたして本当のことなのでしょうか。お父さんは、余所の国で新しいキウを探してくるよう言いました。しかし、彼女が嘘をつく理由も意味もありません。どちらの言葉も本当のことを言っているようで、それでいて食い違っていて、リルは素直に信じることも、ただ疑うことも、どうしてもできませんでした。
それに……とリルは眉をひそめます。
キウの代替わりは千年に一度。誰もが『前回の代替わり』に立ち会ってはいないのです。それこそ数千年の寿命を持つ生き物でもないかぎり。たとえ、キウ守の役であったとしても、です。キウが今までと同じ姿で生まれ変わるのか、まったく別の姿に変わるのか。そんなことすら知らなかったのだと、リルは身を震わせました。
「とにかく一度、雨氷の国へ帰ろう。そして、お父さんに相談しよう」
それが、リルの出した答えでした。
そして隣の国から雨氷の国へ船が出ていることを聞き、これ幸いと飛び乗ったのです。船賃が少々足りず、いくらか物を売らなければなりませんでしたが些細なことです。それよりも、早く、速く。言い表しようのない不安と苛立ちが溢れてきます。
キュイッ。
突然、リルの隣でズゥが声をあげました。いつのまにか甲板に降りてきたようです。ズゥは首をくるりと傾げ、まんまるな瞳をリルへと向けました。その表情に変化はありませんが、リルを心配しているのだと分かります。
「ズゥ……」
おもわずリルは、ズゥの胸毛に顔をうずめました。ふわふわの羽毛が頬をくすぐり、潮の香りと太陽の匂いに包まれます。それをめいっぱいに吸い込むと、ズゥは翼をわしゃわしゃと震わせて、リルの髪の毛をかじりました。
ふと、ズゥと出会った時の光景が、リルの脳裏に浮かびます。
よく晴れた冬の日でした。積もった雪が陽に照らされていたのでしょう。景色が白く、キラキラと光っていたことを覚えています。とても寒かったということ。ひとりぼっちで、とても心細かったということも。
どうしてそんな所にいたのか、なぜひとりぼっちだったのか、その手のことはよく覚えていません。おそらく雪を追って歩くうちに迷ってしまった、というところでしょう。
そうして淋しさに圧しつぶされそうになったとき、積もった雪の割れ目から、ぴょこん、と転がり出てきたのがズゥでした。今のような、立派な風切り羽はありません。黒っぽいモジャモジャから小枝が伸びているようで、リルは小さな雛だと分からなかったくらいです。
黒っぽいモジャモジャはもぞもぞと動きまわり、リルの姿を認めたとたん身体中で己の存在を主張しました。あらん限りの鳴き声をあげ、リルにすり寄ってきたのです。
気がつくと、リルはズゥを胸元に抱いていました。
それからずっと一緒にいます。これからも、ずっと一緒にいるのでしょう。
リルが淋しいとき、不安なとき、苛立っているとき、ズゥはこうしてそばにいてくれます。嬉しいとき、楽しいとき、笑っているときも、です。
「ズゥが一緒じゃなかったら……」
旅を続けることはできなかったろうな。
そう呟くと、もう少しだけ、とズゥの胸を吸いました。
ズゥの喉がクルルゥ、と音をたてました。顔を上げると、ズゥのくちばしが船の進む先に向いています。
緑色の波の間から、雨氷の国の港が揺れているのが見えました。




