第八話:山の中の青い花
あたりが暗くなってきました。
リルは道を急ぎます。急ぎましたが、陽は沈むのを待ってはくれません。
「どうしよう」
リルはつぶやいて、あたりを見まわしました。黒々とした木々が、もっさもっさと生い茂っています。次の街までもう少しだと聞き、無理をしたのがよくありませんでした。こんな山道だとは、まさか思わなかったのです。
これまでの旅でも、野宿は少なくありませんでした。しかし得体のしれない山の中で、というのは遠慮したいものです。もう少し、もう少しと粘りましたが、峠に立っても街の灯りはいっこうに見えません。リルは、休めそうな場所を探すことにしました。
山道を逸れて茂みを進み、垂れ下がった枝の間をくぐります。雨が降る様子はありませんでしたが、夜露をしのげるところが良いでしょう。木の虚か、ほら穴か、そう思って歩いていると、前方に青い光がチラつきました。どうやらランタンの灯りのようです。青い灯はゆらゆらと揺れながら、リルのほうへと向かってきます。ズゥがわさわさと翼を揺らし、体を強ばらせました。
やって来たのは一人の男の人と一人の女の人、それから一匹の小さな犬でした。リルとズゥの姿に二人と一匹は驚いて、女の人が、あらぁ、と声をあげました。そして心配そうに眉をよせ、「どうしてこんな所にいるの?」と訊ねてきます。
追いはぎの類ではないらしい。リルは胸を撫でおろしました。
「街に向かう途中で日が暮れてしまって……野宿できそうな場所を探していたんです」
そう答えると、なるほど彼らはうなずきました。それからちょっと困ったように眉をよせます。
「森の中は危ないわ。獣が出るの。蛇や猪なんかの」
「猪……」
困りました。リルはズゥを見つめました。蛇ならズゥの好物ですが、猪は……。ズゥは翼を揺らし続けています。小さな犬が気になっているようです。猟犬でしょうか。警戒の色を隠さない瞳で、じぃとこちらを見つめてきます。良い犬だ。リルは思いました。
「ねぇ、さすがにかわいそうだわ。一晩、うちに泊めてあげましょうよ」
「そうだな。ここで放り出すのは寝覚めが悪い」
「でしょ? ねぇ、あなた。よかったら今晩はうちに泊まりなさいな。こらミチュ! そんなに睨まないの!」
女の人が、小さな犬を抱き上げます。ミチュと呼ばれた小さな犬は、不服そうに鼻を鳴らし、それでもズゥから視線を外しませんでした。
「いいんですか?」
リルは驚きました。とてもありがたいことですが、しかし親切すぎるとも思ったのです。二人は顔を見合わせ、やはりちょっと困ったように笑いました。
「そう警戒しないで? この山はちょっと特殊でね。危険な獣が出るのも事実だけど。気を悪くしないでほしいんだけど、あまり、人に踏み入ってもらいたくない場所なのよ」
そういうことなら理解できます。リルは素直にうなずきました。
「なぜ? とは聞かないのね」
「……聞いてもいいんですか?」
「いいえ? 聞かれても、答えられないわ」
「そうですか」
女の人は可笑しそうに声をあげました。湿った山間に、笑い声が響きます。
「ごめんなさい。ずいぶんと大人びているのねぇ、と思って」
リルは、ちょっとだけ眉をひそめました。なんだか馬鹿にされているように思ったのです。
こっちよ、と促され、暗い山の中を進みます。
足元をとられないよう慎重に、二人と一匹の後をついていくと、突然ズゥが声を立てました。何かを見つけたようです。じぃっと、ある一点を見つめています。
「ズゥ?」
リルは、ズゥが飛び出さないよう額をちょいと押さえました。ズゥの視線の先を追うと、小さな青い灯りが見えました。チラチラと青い灯りが揺れています。
よくよく見ると、それは小さな青い花でした。その小さな青い花が、ほんのりとした光を放っているのです。
「あら。その子、目がいいのねぇ。……ごめんなさい。ちょっと待っていてね」
男の人と小さな犬が、青い灯りへと足を向けました。そして花のそばにしゃがみ込むと、持っていたランタンを近づけます。
「あっ……」
おもわず、リルは声をあげました。
薄ぼんやりとした青い花の灯りが、すぅっとランタンに吸い込まれたのです。残された青い花は、光を失くしてうなだれました。
女の人が、そっと口元に人差し指を立てました。
「このことは、誰にも言っちゃだめよ」
おそらく、コレが山に人を入れたくない事情なのでしょう。リルはうなずきました。と同時にある疑問が浮かんできます。
「……キウ?」
リルの口からこぼれた言葉に、二人と一匹は驚きの声をあげました。
「まあ! どうしてそう思ったの?」
女の人が首をかしげます。
「君はいったい……」
男の人が目を細めました。
「わふん」
小さな犬が吠えました。
まずかったでしょうか。「キウ」という言葉を安易に出すべきではなかったかもしれません。キウには秘密がつきものですから。
あわててリルは言いました。
「すみません。その、故郷のキウの色と似ていると思って……」
「あら、そうなの。どちらの出身?」
「あ、雨氷の国です」
女の人は、あからさまにほっと息をつきました。
しかし男の人と小さな犬は、警戒をゆるめてくれません。
「へえ。ずいぶん遠くから来たんだな。一人か? 観光、には思えないが……」
「わふっ!」
リルは少しだけ迷いましたが、正直に打ち明けることにしました。自分が雨氷の国のキウ守の役の子どもであること。故郷のキウの寿命が近づいているらしいこと。そのため新しいキウを求めて旅をしていること……等々。二人と一匹に説明します。
「なるほど。それは一大事だな」
男の人は目尻をゆるめました。そしてリルの肩を、ぽん、と叩きます。
ふと、ひどい焦燥感がリルを襲いました。
国を出てから、もうずいぶんと時間が経ちます。キウの寿命は一年二年でどうなるものではない、とお父さんは言っていましたが、確かなことは誰にもわからないのです。急ぐに越したことはありません。
リルは懇願しました。
「あの、この国のキウのことを教えてくれませんか? あの花がキウなんでしょう?」
「あ、ああ。そうだな。あの青い花、厳密には……この灯りがキウだ」
男の人は、左手のランタンを示しました。先ほど青い花から吸い出した、青い光が揺れています。
「大きな灯篭があって、この灯りを入れると雨雲を呼ぶの」
女の人が、山の上のほうを指差しました。
「山をまわって青い花から灯りを採るのが、俺たちの役目だ」
なるほど、とリルはうなずきました。そして、ほのかな希望を抱きます。
「この花は、雨氷の国でも育つでしょうか?」
雨氷の国の気候に花が根付くかどうかはわかりません。しかし砂漠や温かい海と比べると、そこまで気温の差はないように思えました。
「それに、その、花の種をわけてもらうことはできませんか?」
魚やアメフラシと違い、種なら長く保つでしょう。持ち運ぶことも容易です。
男の人と女の人は顔を見合わせ、困ったように唸りました。当然です。無理を言っているのは、リルにもわかります。
「うーん。どうする?」
「そうねぇ。師匠に聞いてみないと……」
「お師匠さん?」
リルの問いかけに、二人は肩をすくめました。
「ああ。俺たちは、修行中の身なんだ」
「ええ。当代のキウ守の役のところで、キウ守の仕事を学んでいるの」
驚きました。てっきり二人はキウ守の役だと思ったのですが、そうではないようです。
しかし山でキウの花を探して歩くには、きっと人手がいるのでしょう。
「それに……この花は山に自生しているものだから、種を採ることができるか分からないわよ」
「そうだな。そもそも人の手で育てることができるのか……そういったことも、俺たちにはわからない」
「でも、師匠なら知っているかもしれないわ」
「だから、君を師匠に紹介する。それでもいいかい?」
願ってもないことです。リルは大きく首をたてに振りました。
「ふむ。キウの花の種をねぇ」
二人の師匠は、きれいな白髪のお婆さんでした。もう何十年もの間、この国のキウ守の役をつとめているそうです。
彼女はリルの話を聞くと、ううむ、と唸りました。
「あの、やっぱり難しいでしょうか?」
おそるおそる、リルは訊ねます。
「いいや。そういうことではないのだけれど……」
もごもごと口ごもり、師匠は言葉を濁しました。
「雨氷の国のリル、と言ったね。国のキウ守の役は、あんたの親父さんかい?」
どうしてそんなことを聞くのでしょう。不可思議に思いましたが、リルは「そうです」と答えました。
「その親父さんが、キウの寿命が近いから、よその国であたらしいキウを探すようにと、あんたに言ったんだね?」
しんぼう強く、リルはもう一度「そうです」と答えました。
すると師匠は、長々とした息を吐きました。
「そうかい。ではよくお聞き。あんたにキウの花の種を渡してあげることはできる。だが、それはやめておきなさい」
「そんな!」
リルは愕然としました。やはり人の手では育てられない、ということでしょうか。
そう問うと、師匠はふるふると首を横に振りました。
「この国のキウを雨氷の国に持って帰ったところで役には立たない、と言っているんだ」
「え……?」
どういうことでしょう。いやな予感が喉元をせり上がってきます。
「いいかい? キウはそれぞれ。そして、それぞれの国のものだ。他の国では雨を呼ぶことはできない。キウが千年の寿命を迎えるとき、新しいキウは必ず同じ国の中で生まれるのだから」
彼女の言葉は、重く、リルの胸を貫いたのでした。




