第七話:霧立ち込める王国
「この国の《キウ守の役》は、国王だよ」
たまたま入った食事処の店主は、あっさりと言いました。
「この国では代々、王がキウを管理してらっしゃるのさ。そいつがどういったモノなのか、俺みたいな身分じゃ知る由もないがなぁ」
店主はあごの下に生やしたヒゲをつまみます。ちょろりと伸びた山羊ヒゲが、ぴよんと跳ねました。
「ただ……いつ、どこに、どのくらい雨を降らせるか。決めることができるのは王だけ、って話だ」
「王、様」
リルは唸りました。王様ということは、この国で一番偉い人のはずです。そんな人が自分のような旅人と会ってくれるでしょうか。
「まあ、今の王はなぁ」
「?」
何かを含んだ店主の言葉に、リルは首をかしげます。
彼はゆっくりと腰を曲げ、周囲には聞こえないくらい小さく、けれどもとても長いため息をつきました。声をひそめて続けます。
「言っちゃあ何だが……今の王は、ちょいと厳しいお方だからな」
「厳しい?」
おもわず問い返したリルの声にハッとして、店主は決まりが悪そうに頭をかきました。
「いんや、なんでもないよ。あんたは旅の人だしな。……ただ、もし王との謁見を望むなら気をつけるんだぞ」
何をどう気をつけるのか、リルにはよくわかりませんでした。しかし店主の目は大真面目です。本気で心配してくれているらしいとリルはうなずき、王がいるという城を訪ねることにしました。
城は、国のまんなかにある森の中に建っているということです。
森へ入ったリルは、おもわず身を震わせました。その森は真っ白な霧に覆われていて、樹々はうす暗く、どうにも厳粛な雰囲気をかもし出しています。
草木の間から霧が湧いて出て、みるみるリルの視界を遮ります。道らしきものはありましたがその役割を果たさず、何度も行ったり来たりを繰り返さなければなりませんでした。
しかし森の空気は、どこか雨氷の国を思い起こさせるものでもありました。リルは口をすぼめます。すぅぅ、と大きく息を吸いこむと、ひんやりとした霧の湿気が胸に広がりました。ズゥも気分が良いのでしょう。わしゃわしゃと翼を揺らし、冷たい水滴を浴びています。
「あれがお城かな?」
リルは樹々の向こうに目を向けました。霧に透けて大きな影が、うっすらと蒼く浮かび上がって見えました。森の中にはそぐわない、きちんとした、まっすぐな影です。道も影に向かって伸びているようですし、おそらく間違いないでしょう。ズゥの湿った羽根を撫で、リルは足を進めました。しかし――
「待て!」
突然、茂みの中から飛び出してきた男たちに、リルは取り囲まれてしまいまったのです。剣や槍や弓、男たちは武器を手に、切先を向けてきます。
この旅でさまざまな危険には会いましたが、直接武器を向けられたのは初めてです。ズゥが翼を広げて威嚇の声をあげましたが、男たちが怯むようすはありません。どうすればいいのでしょう。リルの歯が、カチカチと音をたてました。
リルが言葉を失くしていると、一人の男が「おや?」と眉を寄せました。背の高い、熊のようにがっちりした男の人です。じろじろとリルを眺めては目を細め、「なぜ子どもが……」と小さく言葉を漏らしました。
剣を下ろしてはくれませんでしたが、このまま切りつけられることはなさそうです。
「君は、この国の人間か?」
ゆるゆると、リルは首を横にふりました。
男はうなずき、剣を納めます。
「なんのために、ここへ来た?」
どう答えたものかと迷いましたが、誤魔化しても良いことはなさそうです。リルは、素直に答えることにしました。
「この国の、キウについて知りたくて。街で聞いたんです。この国の《キウ守の役》は王様だって。だから……」
「キウについてだと?」
男の目に、ふたたび警戒の色が灯ります。リルは慌てて事情を説明しました。
「つまり、君は雨氷の国の《キウ守の役》の子で、故郷のキウの寿命を知って、その危機を回避すべく旅しているということか」
リルが「そうだ」とうなずくと、男の人は「ほう」と息をつきました。
「子どもながらたいしたものだ。しかしだな……今は、やめておいたほうがいい」
「……どういうことですか?」
見ると、男は食事処の店主と同じ表情をしています。
「私はこの国の将軍で、これから王を討ちに行くのだ。危ないから街に戻りなさい」
「将軍? 王を、討つ?」
聞きなれない言葉です。リルは首をかしげました。ふむ、と将軍は指を口元にあてます。
「将軍というのは、この国の軍を率いる役のことだ」
そう言って、将軍は周囲の人々を指しました。彼らは自分の部下たちだといいます。確かに皆、剣や弓を握っていて、何よりとても強そうです。
「王を討つというのは……そうだな。少し話を聞いてくれるか。他国のキウ守の役に連なる者になら、事情を話しておくのも悪くないだろう。……まず、この国のキウだが、王が頭上に掲げる王冠。その王冠を飾る宝石のことなのだ」
「王冠の宝石……」
リルは、「なるほど」とつぶきました。それならキウ守の役が王様だというのも納得です。そう漏らしたリルを見て、将軍は眉間のシワを深めました。
「たしかに王が《キウ守の役》だ。キウを代々受けつぎ、管理してきた。王が雨を降らせる場所や時期を判断する。種まきの終わった畑にこまめに雨を降らせるとか、夏前に水源のある山に多く雨を降らせるとか。しかし……」
将軍は憎々しげに眉を怒らせ、重苦しい息を吐き捨てました。呻くように言葉を続けます。
「しかし王は、キウの力を私情に使った。命令に逆らった臣下の領地に、大雨を降らせて田畑を沈めたんだ。臣下たちは諫めたが、彼らの領地が水に沈んだだけだった。私の領地も……」
「それは……」
リルは言葉を詰まらせました。私情を晴らすためにキウを使うなど、キウ守の役の風上にもおけません。それとも『王』というのは、そういうものなのでしょうか。リルにはわかりませんでした。
将軍はうな垂れ、そして大きく鼻を鳴らしました。
「これ以上の横暴を許すことはできない。だから、我々は王を討ちに行くのだ」
じわじわと、ようやく言葉の意味を理解して、リルは肝を潰します。
王がキウを使って、酷いことをしていることはわかりました。しかしキウ守の役でもあるのです。その王を殺してしまったら……
「それは、その、大丈夫、なんですか?」
「ああ。キウ守の役がいなくなったらどうするのか、というのだろう? 大丈夫だ。前例がある。百年ほど前、病床の王に代わり臣下がキウを扱っていたことがある。血縁は関係ないのだ。たとえ王がいなくても、雨が枯れることはない」
「……」
リルの胸の奥を、何かがチクリと刺しました。
三日後、街はお祭り騒ぎでした。
将軍が王を討ったのです。切り落とされた王の首は、国中をめぐって晒されるのだと聞きました。人々は喜びの声をあげ、口々に将軍をたたえています。実のところ、多くの人が王を疎ましく思っていたのでしょう。
リルは、祝いのふるまいだという果物のパイを一口かじり、ズゥの胸毛をかき撫でました。ズゥは恨めしそうにして、リルの手元を見つめます。
「ズゥ。もう一度、お城を訪ねてみようか」
今ならキウについて話を聞けるかもしれません。将軍は忙しいかもしれませんが、他の人でもいいのです。ただ、キウを見せてもらうだけでも。
居てもたっても居られなくなって、リルは立ち上がりました。
不思議なことに、森は様変わりしていました。あいかわらず薄暗く、ひんやりと湿っています。しかし、あれだけ色濃く漂っていた霧が、見る影もないのです。まだ森に入ったところだというのに、城の姿がくっきりと見えるほどです。
これでは迷いようがありません。リルは驚くほどあっさりと、城へとたどり着きました。門番を訪ねると、将軍のもとへと案内されます。
将軍は小さな部屋の薄暗い窓際に、ひとり立っていました。
「あの、こんにちは」
「…………ああ」
リルは驚きました。将軍の様子がおかしいのです。あいかわらず背が高く、熊のようにがっちりとしています。しかしその印象は、まるで水に浸かった毛長の犬です。目の下には黒々とした隈が刻まれ、髪は乱れ、疲れ切っている様子です。数日前とは、まったくの大違いでした。
将軍は、ぎらりとリルにその目を向け、重く長いため息を漏らしました。そしてリルについて来るよう促すと、そのまま奥の部屋へと姿を消してしまいました。
将軍はどうしてしまったのでしょう。しかしついていく他ありません。リルは急いで将軍の背中を追いかけました。
薄暗い、じめじめとした階段を下っていきます。どこまで続いているのだろうと怖くなってきたころあい、将軍は小さな扉の前で足を止めました。のっそりと、大きな身体をくぐらせます。
それは小さな部屋でした。小さな部屋でしたが天井が高く、本や巻物や絵画などの諸々が、ぎっちりみっちり積み上げられていました。ツンとした、古いにおいが鼻をくすぐります。お父さんの部屋のにおいだ、とリルは思いました。
「これを、見てくれ」
将軍が、壁にかかった絵を指さしました。
ずいぶんと古そうな絵です。たくさんの、小さな黒い棒が描かれています。大きな丸のついた一本の棒を取り囲むようにして、小さな棒たちが並んでいます。そして大きな丸からは、煙のようなものが噴き出ていることが見てとれました。
リルはしばらく絵を眺め、どうやら黒い棒は人間を描いたものらしいと気がつきました。そして、大きな丸はおそらく……
「これは、この国のキウについて描かれたものだと言われている」
将軍の言葉に、リルは「やっぱり」とうなずきました。では、この丸がキウで、王冠についているという宝石なのでしょう。
「この絵を、どう思う?」
「どう……」
どういう意味でしょう。リルは首をかしげました。
「つまり、これは、『本当に』キウについて描かれたものだと思うか?」
「……」
しかし将軍はリルの返事を待たず、きびすを返して行ってしまいました。
リルはあわてて後を追います。薄暗い、じめじめとした階段を必死の思いで登りきると、今度は大きな部屋に出ました。キラキラとした装飾に囲まれた、いやに巨大な空間です。巨大な空間の奥には、部屋の装飾に負けないくらいキラキラとした椅子が置かれていました。
そして、椅子の上には……
「キウ……?」
椅子の上に、青い光が見えました。王冠です。
リルの漏らした声に、将軍はうなずきます。うなずいて、そして、うなだれました。
「君の目に、『あれ』はキウに見えるか?」
「どういう、意味ですか?」
先ほどから将軍は、何を言いたいのでしょう。「この国のキウは、王冠の青玉」だとリルに教えてくれたのは将軍なのに。
「聞かせて欲しい。キウ守の役の子、その血に連なる君ならばわかるだろう? あれは、確かにキウなのか?」
ぎょろりと目を光らせて、将軍はリルに迫りました。ズゥが威嚇の声をあげます。リルはおもわず叫びました。
「わ、わかりません! キウは国によって、姿も形も違います。雨の呼び方だって……」
「そんな、そんなことはないだろう!」
「ありますよ! だから、キウ守の役がいるんです!」
将軍は、ぱたりと動きを止めました。呆然と顔を失くしています。
「あの、いったい何があったんですか?」
「…………」
ずいぶんと長い間、将軍はうつむき黙っていました。しかしようやく観念したようで、そろそろと口を開きました。
「実はだな……あの、王冠はキウではなかったようなのだ」
「え? でも……」
この国のキウが王冠だというのは、ほかでもない将軍が言っていたことです。将軍ならば、王が雨を呼ぶところだって見たことがあるはずです。
リルがそう言うと、将軍は顔を両手で覆いました。
「確かに見たさ。王は、王冠を掲げて雨を呼んでいた。……私の領地もそうやって沈められたんだからな。よく知っているさ」
髪をふり乱し、将軍は叫びます。
「だが! だが、私が同じように雨を呼んでも、雨は降らなかった! あれは、キウではなかったんだ!」
「そんな……」
「王は、私たちを騙していたんだ! 馬鹿にするにもほどがある! この期におよんで、キウを偽るなど!」
キウを悪用するために騙していたのなら、それは良くないことかもしれません。しかしキウ守の役として、キウを守るためだったとしたら……。
リルは、雨氷の国のキウの祠のことを思い出しました。そしてこの国のキウについて、キウ守の役である王様から直に話を聞いたわけではない、と気づいたのです。
「あの、それは、確か……なんですか?」
おそるおそる、リルは訊ねました。
「確か? 確かとはなんだ? 実際、雨は降らなかったのだぞ! 地下の古い部屋を見ただろう! あの部屋の資料は、全てキウに関するものだ! 私が調べなかったと思うのか!」
「でも、もしかしたら、何か特別な手順がいるのかも……」
はた、と何かに思い至ったように、将軍は動きを止めました。
「そうか、もしかしたら、王の血族でなければキウを扱えないのかもしれん……」
「え……でも」
血族かどうかは関係ない、と将軍は言っていたはずです。
しかし将軍は、ははっ、と嗤い、肩を落としました。
「そうだな。確かに。王に代わってキウを扱っていた臣下はいた。だがな、本当のところは違う! その臣下というのは王の甥にあたる男だったそうだ。王の一族の人間だったんだよ。キウを扱えて当然だな!」
「……」
「そうだ。キウ守の役の子だというのなら、何か、キウの秘密を知っているのだろう? 国によって違うといっても同じキウだ。たいして違いはないはずだ。頼む。教えてくれ!」
狂ったように将軍は叫び、リルへと太い腕を伸ばしてきました。ズゥが威嚇の悲鳴をあげながら、嘴を将軍へと向けます。
リルは後ずさり、将軍の腕を躱しました。
そして、静かに言い放ちます。これくらい、言っても良いと思いました。
「分かりません。それを知っているのは、この国のキウ守の役だけです」
将軍は唖然としばらくそのまま固まった後、くしゃりと膝から崩れ落ちました。そして、そのまま起き上がってはきませんでした。
リルが街へ戻ると、通りに人だかりが出来ていました。王の首がやって来たのだと、誰かが大声でまくしたてています。それは粗末な荷台に乗せられて、馬に引かれ、大通りをゆっくりと進んできました。集まった人々は、口々にうらみの言葉を叫びます。
人々の隙間から馬車の荷台をのぞき見たリルは、あっ、と声をあげてしまいました。しかし周囲の人々は気づきません。リルは、ズゥの胸毛をかき撫でました。くるりと頭を横に曲げ、ズゥがリルの襟をかじります。
ふと、どこからともなく霧が流れてきて、あたりを白く染めました。「ここは街の中なのに。どういうことかしら?」人々は首をかしげます。
「行こうか。ズゥ」
リルは人だかりから離れると、再び荷台を見つめました。
そしてこの国の《キウ》にむかって、ぺこりと頭をさげました。




