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祈雨  作者: 千賀 万彩記
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第六話:砂漠の山

 そこは砂の山でした。

 リルは「おかしいなぁ」とズゥの胸の毛を撫でました。このあたりに、《キウ守の役》が暮らす街がある、と聞いてきたのです。しかし、周囲を見渡しても砂の海原が広がるだけで、街など影も形もありません。



「そこは砂漠の真ん中なのに、森があって、立派な街があるんだよ」


 そう興奮気味に教えてくれたのは、偶然行き会ったキャラバンの青年でした。織物や銀細工などを扱う商人で、一人で旅するリルのことを、何かと気にかけてくれたのです。

 その街は流れの商人の間では有名らしく、自分たちのような砂漠を行き来する者にとっては、まさしく『オアシス』なのだと、青年は言いました。


「普通のオアシスの町ってのはさ。泉があって、その周りに程々の植物が生えていて、程々の人間が暮らしている。どこも、そんな感じなんだ。受け入れられる人数に限りがあるから、どうしても規模は小さくなる。でも、その街は違うんだよ。砂漠の暑さも、乾きも物ともしない。まるで海辺の交易都市のような規模と人の多さなんだ。《キウ守の役》が暮らしていて、《キウ》の恩恵を受けているって噂も、うなずけるだろ?」


 興味をしめしたリルに、青年は快く街の場所を教えてくれたのですが……。




「森どころか、樹の一本すら見えないよ。ズゥ。ちょっと上から見てみてくれない?」


 ズゥは「了解!」とでも言うように翼を広げると、空へ舞い上がりました。こういう時、ズゥは何か発見すると、それをめざして飛びます。そしてリルに、ついて来るよう促すのです。しかしズゥは、あっという間に戻ってきてしまいました。


「何もない?」


 問いかけると、ズゥは翼を揺らしてリルの肩に乗りました。何もなかったようです。


「どういうことだろう? 場所が違うのかな? あの人が嘘をついていたようには思えないけど……」


 しかし実際の問題として、この周辺に森や街は見あたらないのです。リルは途方に暮れました。ラクダを借りてきましたが、あまり多くの水や食べ物は持ってきていません。このまま進むか戻るか、早めに判断しなければ、砂漠に殺されてしまいます。

 ふとズゥが翼を揺らし、リルの髪をかじりました。顔を上げてズゥの視線を追います。すると驚いたことに、遠くのほうに人影が見えたのです。しかも、こちらへ向かってきているように見えました。


「なんだろう?」


 リルは疑問に思いましたが、このままじっとしていても仕方がありません。思い切って、その人影と会ってみることにしました。




「珍しいね。こんなところに人が、しかも子供がいるなんて。」


 やって来たのは日除けの布を頭から被り、全身を覆った人でした。声から女の人だろうと分かりましたが、それにしてはとても背が高いと、リルは驚きます。

 相手を仰ぎ見ながら、リルは答えました。


「リルです。この子はズゥ」

「おや。良い翼をしているじゃない!」


 女の人はズゥを見て感嘆の声をあげると、手を伸ばしてきました。


「あっ」


 リルはあわてます。ズゥのくちばしや爪は、こう見えてとても鋭いのです。相手に怪我をさせてしまうかもしれません。しかしリルの心配に反して、ズゥは大人しく女の人に撫でられています。珍しいこと、とリルは眉を上げました。「いつもなら、初対面の相手は威嚇するのに」と、少しだけ悔しく思ったくらいです。しかもどうやらご満悦の様子で、されるがままに身をまかせています。

 すると女の人が言いました。


「なるほどね。《キウ》を探して、ここまでやって来たのかい」

「えっ?」


 その言葉に、リルは跳びあがりました。どうして何も話していないのに、ここへ来た理由を知っているのでしょう。混乱し、目を白黒させます。

 そんなリルを見て、女の人は声をあげて笑いました。


「そんなに驚くことはないでしょうに。この子に聞いただけよ」

「この子って……ズゥに?」


 ズゥは不服そうに、リルの髪をかじります。


「ええ。そうよ?」


 女の人は何でもないことのように言うと、首をかしげました。それからようやく思いなおしたらしく「ああ、そういうことね」と、日除けの布を脱いでみせたのです。

 リルは、ひぇっ、と声をあげてしまいました。


「え、えっ……?」

「やっぱり。ハーピアを見るのは初めて?」


 女の人の下半身は、鳥の姿だったのです。上半身は人間の女の人の姿なのですが、腰元からはスカートのように、小麦色の翼が広がっています。脚からつま先にかけてなど、ズゥとそっくりです。ぶしつけとは思いましたが、リルは目が離せませんでした。


「と、……鳥の人?」

「あら。それも素敵な呼び方だね。でもハーピアでいいよ」


 鳥の人、もといハーピアは、その大きな翼をゆさゆさと揺らしました。


「私たちは、半分ヒトで半分トリなんだよ。鳥と話すことも難しくないさ」

「へえぇ」


 ズゥと話ができるなんて、どんなに素敵なことだろう。リルは、心底うらやましいと思いました。口を尖らせたリルを見て、ハーピアは呆れて笑います。


「ま、そう拗ねなさんな。言葉は通じなくても、その子のことは何となくわかるだろ? それでいいじゃないか。……ただ残念だけど、ここにあった《キウ》のことは、あきらめたほうがいい」

「え? どういうことですか?」


 リルは眉をひそめました。


「ここにあった《キウ》は、もう無くなってしまったんだよ」

「そんな……」


 ハーピアも眉をよせ、砂の山を見つめています。その表情は、どこか淋しそうだとリルは思いました。


「そうだね。ちょっと場所を移そう。ずっとここにいたら干からびちまう。ついておいで。……そして、話を聞いてくれるかい」




 案内されたのは、小さな岩場の影でした。砂しか無いように思えた砂漠でしたが、よくよく目を凝らしてみると、所々に黒い点々が散っていることにリルは気がつきました。岩場は薄暗く広くはありませんが、ひんやりとした空気がただよっています。陽の光を避けるだけで、ずいぶん涼しくなるものだとリルは感心しました。確かにこの場所なら落ち着いて話ができるでしょう。

 ハーピアは散らばる石の一つに腰かけると、リルにも座るよう促しました。そして話を切り出します。


「さて、あんたは誰から話を聞いて、ここまで来たんだい?」

「キャラバンで知り合った商人です。砂漠の真ん中なのに、大きな街があると聞きました。それから森も」

「ああ。なるほどね」


 ハーピアは合点がいったと、うなずきました。そして、ちょっと寂しそうに砂漠を見つめます。


「彼らには、迷惑をかけてしまうね」

「そう、なんですか?」


 リルは首をかしげました。


「ああ。キャラバンの連中は、ここにあった街を頼りにしていただろうから。突然なくなってしまったら、さぞ困るだろう?」

「……突然?」


 リルは再び首をかしげます。


「ああ。そうさ。なんたって一月前までは、ここはオアシスの街だったんだからね」

「一月前?」


 周囲を見渡し、リルは眉をひそめました。ハーピアの言葉を信じるとしても、ほんの一月で街が砂漠になるでしょうか。


「ま、信じられないのも無理はない。……でも、本当にそうなんだよ。今、あたし達が座っている瓦礫、これが街の残骸。何もかも砂に埋まってしまった」

「そんな。どうして……」


 おもわず腰を浮かせて、リルは足元の瓦礫を見つめました。


「これが、キウを失うということだよ」


 その言葉の意味に、リルは息をのみました。


「ズゥから聞いたけど……あなたはキウ守の役の子なんでしょう? 国のキウの寿命が近いとかで、新しいキウを探す旅をしているって。キウを失った国の末路を見たことは?」


 リルが首を横に振ると、ハーピアは苦々しく、そして自嘲気味に肩を落としました。


「だったら覚えておきなさい。キウを失うと、国はこんなふうに廃れてしまう。キウによるのかもしれないけれどね。ここでは雨が降らなくなって泉が枯れて、街は砂の底に沈んでしまった。あっという間のことだったよ」

「……」


 リルは言葉を続けられなくなってしまいました。キウがなくなると『本当に』国が滅んでしまうのだと、実物を目の当たりにしたのです。雨氷の国のキウはどうなっているのだろう、と不安にかられます。

 するとズゥがリルの肩に乗り、髪の毛をかじりました。そうです。下を向いている場合ではありません。リルは震える腕を押さえ込み、なんとか口を開きました。


「あの、この国のキウは、どういうものだったんですか? それに、その、どうして……」


 言いよどんだリルの言葉に、ハーピアは目を細めました。


「なるほどね。キウ守の役の子というだけのことはある。たいした責任感と根性だわ」

「……」


 ちょっと眉をひそめたリルの頭を撫でまわして、ハーピアは笑います。そしてしばらく砂の山を見つめると、ことの次第を語りだしました。



「キャラバンの商人の話どおり、ここには大きな森と街があった。清水の湧く泉があって、森と緑が広がって、石造りの街が立ち並ぶ。砂漠の乾きなんて物ともしなかった。……キウの力で、雨を呼ぶことができたからね」

「この国のキウは?」

「ああ、森に棲んでいた鳥のタマゴ……厳密には、特別なタマゴから生まれた鳥、かね。その鳴き声が、雨を呼ぶんだよ」

「へぇ」


 リルはちょっと驚きました。キウの形が様々であることは、これまでの旅で知りました。しかしそのどれもが『宝珠』と呼ばれて遜色ない、鉱石や骨、石像といった『硬いもの』だったのです。生き物の鳴き声が雨を呼ぶ、というのは少し意外でした。しかし『特別な』というタマゴのほうに意味がありそうです。


「メスの鳴き声は晴れを呼び、オスの鳴き声は雨を呼ぶ、と言われている。ただ不思議なことに、メスしかいなくてね。ここが渇いた砂漠なのは、この鳥の影響だと言う人もいたくらいだ」

「え?」


 メスしかいないのに、どうやって雛が生まれてくるのでしょう。リルは首をかしげました。途中で性別が変わったり分裂して増える生き物もいるらしい、と耳にしたことはありますが、鳥では聞いたことがありません。おもわずズゥの顔を見つめます。


「どういう仕組みか分からないけれど、そういう生き物なんだろうさ。でもオスが全くいないわけじゃない。鳥は十年に一度、しかも種全体で一つだけ、翠色のタマゴを生む。それがオスのタマゴで、キウになるタマゴだ。ハーピアはそのタマゴを回収して、孵化させて、育てる。そういう役目を持っていた」

「ハーピアが、この国の《キウ守の役》ということ?」

「どうだろうね。そう言っても差し支えはないだろうけど。キウが育ったら街の大きな庭園に放していたから。育てはしたが管理していたのは、街の連中だよ」


 キウのことを思い出しているのでしょうか。ハーピアは一度言葉を切って、空を見上げました。そして肩を落とします。


「羽が茶色いメスとは違って、キウの羽根は鮮やかな緑色をしているんだ。羽ばたくと木の葉が舞うようで、とても美しかった。……ただ」

「ただ?」


 ハーピアは口ごもり、ゆさゆさと羽を揺すりました。まるでいたずらを隠そうとしている時のズゥのようです。


「半年ほど前のことだ。キウの、翠色のタマゴが生まれたんだよ。いつものように、ハーピアはタマゴを回収して、孵化させた。でもね……」

「……」

「そのタマゴから生まれた雛は、茶色い羽をしていたんだ」

「えっ?」


 リルは息をのみました。


「まさしく『えっ?』だったさ。確かに翠色のタマゴだったのに、生まれてきたのはメスだったんだから」

「それは……」


 さぞかし混乱したことでしょう。リルは心から同情しました。


「ハーピアは驚いたし、街の人間も慌てたさ。もしかすると、このキウは雨を呼ばないかもしれない。その不安は、ぬぐいきれなかった」


 ハーピアの顔がゆがみます。しかしその心が不安なのか、怒りなのか、恐怖なのか、驚きなのか、リルにはどうにもわかりませんでした。

 おそるおそる、リルは訊ねます。


「でも、翠色のタマゴから生まれたのは、確かなんですよね?」

「ああ。だから、ハーピアも、街の人間も、『そこ』に賭けたんだ。羽の色は茶色いが、翠色のタマゴから生まれたのだから《キウ》であるはずだ、ってね」

「……その鳥は、雨を呼ばなかった?」


 リルがそう問うと、突然ハーピアは両手で顔を覆いました。そして、苦々しく言葉を吐きだします。


「森に棲むその鳥は、街の人間の良い食糧でもあってね」


 それは予想外の言葉でした。リルの胸中に、もぞもぞとした嫌な予感が広がります。


「……まさか」

「ああ。その『まさか』さ。茶色の羽根をしていた《キウ》は、メスと間違われて狩られてしまったんだ」

「…………」


 リルは、何も言えなくなってしまいました。


「……まったく。たまったもんじゃない」


 ハーピアは吐き捨てます。


「その後は、まさに『転がる石のごとく』だよ。あれよあれよという間に、森や街は砂におおわれて、街に暮らしていた人間は去っていった。残ったのは、この砂漠の山だけさ」

「……」

「さ、あんたも早めに発ったほうがいい。日陰とはいえ、人の身に砂漠の乾きは良くない。それに、リルにはまだ……やることがあるだろう?」


 言葉の続かないリルに、ハーピアはそう促しました。リルは素直にうなずきます。

 そしてリルは黙ったまま、じぃっとハーピアの瞳を見つめました。紅い宝石がキラリと光り、リルを見返してきます。それでもやはり、ハーピアの心の底は見えませんでした。


「気をつけて行くんだよ。……リルの国の新しいキウが、無事見つかりますように!」

「ありがとう。ハーピアも、お元気で」


  ※


 ハーピアに送り出され、とぼとぼとリルは砂の上を歩きました。キウを失った国に訪れる未来を目の当たりにして驚き、怖くなったこともあります。

 しかしリルの胸には、別の疑問がくすぶっていたのです。

 肩に止まっていたズゥが、リルの髪の毛をかじりました。リルはズゥの瞳を、じぃっと見つめます。琥珀色の瞳はまん丸に見開かれていて、その顔に表情は現れません。しかしズゥがリルを気遣って元気づけようとしていることが、リルにはよく解りました。

 ズゥの胸の柔らかい毛をわしゃわしゃと撫でつけて、リルはおそるおそる口を開きました。


「ねぇ、ズゥ。ハーピアってさ…………」


 何か言いかけて、しかし口をつぐみます。

 不思議そうに首をまわしているズゥの、今度は頭の上を撫で、リルは来た道を振り返りました。遠くのほうに、砂の山が霞んで見えます。


『ハーピアは、キウと言葉を交わせたはずなのに……』


 今となってはハーピアの本音は分かりませんし、分かったところでどうすることもできません。

 雲が千切れるように、砂の山は流されてゆきます。


「……なんでもない。行こう」


 リルは疑問を振り払うように首をふり、再び足を進めました。

 しかし言いようのない黒い澱みはリルの胸にたまり、しばらく消えてくれませんでした。


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