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祈雨  作者: 千賀 万彩記
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第五話:雲を吐く亀

 リルは《キウ守の役》を探して、街を歩いていました。そこら中から、かーん、かーん、と甲高い音が響いてきます。

 この国は多くの鉱石や石材が採れることで有名で、その加工の技術にも優れていると聞きました。街の通りには「石材加工」「鉱石研磨」「石像彫刻」などなど、石に関する店が所せましと並んでいます。


「ズゥ。ちょっと休憩しようか」


 リルは、息をつきました。朝からずっと、街中を歩きまわっていたのです。そろそろ足がパンパンです。リルは手ごろが空き地を見つけると、腰をおろしました。


「ねぇ、ズゥ。どういうことだろう?」


 話しかけられたズゥは、首をくるりと回しました。リルも、うーん、と考え込みます。

 この国の《キウ》について、リルは街の人に訊ねました。すると驚くほどあっさりと、話を聞くことができたのです。


「この国のキウは、七色の甲羅を持つ亀だよ。なんでも山のほうにいて、雲を吐いて雨を降らせる、って話だ。ただ、お目にかかれることは滅多にないがなぁ」


 皆が口をそろえて、そう言いました。しかし「《キウ守の役》は?」とたずねると、誰もが「知らない」と言うのです。《キウ》については広く知られているのに、《キウ守の役》については誰も知らない。リルは途方に暮れてしまいました。


 それでも、と聞いてまわった結果が、今の足の痛みでした。

 《キウ守の役》がいないのに、《キウ》が勝手に雨を降らせているということでしょうか。そこは街の人たちも不思議に思っているようでしたが、それを知らなくても虹色の甲羅の亀は雲を吐いて、街に雨は降るのです。

「詳しくは知らないけれど、どこかに《キウ守の役》は居て、キウの亀を飼っているのだろう」街の人たちは、そう考えているようでした。


「どうしたものかなぁ」


 リルは考えました。キウ守の役に会えなければ、キウの詳しい話を聞くことはできません。しかしこの様子では、虹色の甲羅の亀を探したほうが早いかもしれないと、悩みます。


 その時リルの耳に、街行く人の会話が入ってきました。


「そういえば、石切りの下のせがれ、まだ帰って来ないんだって?」

「ああ。そうみたいだな。採石場の作業洞から出てこようとしないらしい。なんでも気が触れたように石を彫っているんだと。《キウ》に取りつかれたんじゃないかって、女将さん、ずいぶん心配していたよ」

「《キウ》に取りつかれたぁ? なんじゃそりゃ」

「いや、採石場にこもる前、やたらと《キウ》や《キウ守の役》のことを知りたがったんだと。人に聞いてまわったり、本で調べたり。そうこうしているうちに、石を彫り出したらしい」

「なるほどねぇ」

「あのっ!」


 リルは立ちあがりました。ただの噂話のようですが、他に手がかりがないのです。この機を逃すわけにはいきません。藁にもすがる思いで、男たちに声をかけました。




 彼らが教えてくれたのは、街から半日ほど離れた山の中でした。その山は岩石で出来ていて、石切り、と呼ばれる職人たちが山から石材を切り出しているそうです。件の相手はその石切りの家の次男坊とのことでした。

 リルは石の山を進みます。山肌はごつごつとした岩におおわれていて、岩の隙間から申しわけ程度の植物が伸びています。色は違いましたが、《雨氷の国》の景色と少しだけ似ているなぁと、リルは懐かしく思いました。


「ズゥ。この辺りかな?」


 リルは周囲を見まわしました。少し開けた平地には、大小さまざまの石材や石像、つるはしや滑車などの道具が並んでいます。奥の岩壁にはいくつも穴が開いていて、かーん、かーん、と石を打つ音が響いていました。あの中に、キウ守の役を探していたという次男坊がいるのでしょうか。おそるおそる、リルは洞穴へと足を踏み入れました。


「ちょっと。ズゥ、暴れないでよ」


 響いてくる音が不快なのでしょうか。ズゥはどうにも落ちつかない様子で翼をゆすっています。リルはズゥの胸の毛を撫でながら、そろそろと足を進めました。

 洞穴の空気は乾いていましたが薄暗く、通路の隅にはやはり石材や石像が転がっています。なかには作りかけとおぼしき物もあり、なかなか不気味な光景です。


 しばらく行くと、小さな、部屋のような場所に出ました。そこでは一人の男が作業椅子に腰かけ、一心不乱に石を削っていました。


「あの、すみません」


 リルは声をかけましたが、男には聞こえていないようです。ピクリとも反応をしめさず、石を打ち続けています。


「あの! すみません! 石切り屋の! 次男さんですか!」


 石打ちの音に負けないように声をはりあげ、リルは叫びました。男は視線だけを動かして、ちらりとリルの方を見ました。しかし、槌をふる手は止めません。「誰だ?」と男の目が語っています。


「リルです! 雨氷の国の! 《キウ守の役》の子です! この国の《キウ》と! 《キウ守の役》を! 探しています!」


 そうリルが叫ぶと、男はようやく手を止めました。ぼわわん、とした響きを残して、あたりが静かになります。


「《キウ守の役》の子?」

「はい。この子はズゥ。《キウ》を探して、旅をしています」

「《キウ》を……」


 男はぼんやりと呟きました。その目は虚ろで、目の下は隈で真っ黒です。ずっと石を削っていると聞いていましたが、眠っていないのでしょうか。


「はい。この国のキウは、虹色の甲羅を持つ亀だと街の人から聞きました。ですが、キウ守の役については誰も知りません。ただ、あなたが《キウ》や《キウ守の役》のことを調べていたと耳にしたんです。何か知っているのなら、教えてもらえませんか?」

「そう、か。ただ、残念だが、俺には、答えられそうにない。……むしろ、俺が教えて欲しいくらいだ」

「えっ?」


 リルは首をかしげました。

 男は泣いているような、笑っているような、ちぐはぐに顔を歪ませました。そして大きなため息を一つつくと、あきらめたようにリルを見つめます。


「そうだな。あんたが他の国のとはいえ、《キウ守の役》の子だというのなら……懺悔させてくれないだろうか」


 リルには意味がわかりません。訝しげに訊ねました。


「……どういうことですか?」

「なに、あんたに許しを乞うているわけじゃない。……ただ、話を聞いてくれないか?」


 そう言って、男は話し始めました。




「俺の家、石切りってやつの仕事は、この山から石を切り出して、削ったり磨いたりして石材として使えるようにすることだ。けっこう手広くやっていてな。城壁に使われるような大きくて頑丈な石材から、民家の庭に積むような小さな飾り煉瓦まで作っている」

「へぇ」


 リルは驚きました。城壁というと、リルがこの国にやって来たときに見た街を囲う壁のことでしょう。リルの体の何倍もありそうな大きな石が、積み上げられていたのです。山からあんな大きさの石を取り出して、どうやって運ぶのでしょう。いや、そもそもどうやって、山から切り出すのでしょう。

 男は話を続けます。


「俺はでかい石を切るよりも、小さめの石を磨くほうが得意でな。街中の橋とか寺院とか墓石とか、そんなところで使われるような、見栄えも大事な石材だ。親父からも、そこは認めてもらえて、そういう仕事を任されることも増えていたんだ」


 誇らしそうな様子の男に、リルはうなずきました。お父さんの顔を思い出します。


「あの日も、俺はいつものように石を磨いていた。寺院の柱に使う飾り煉瓦を、頼まれたんだ。納期がギリギリで不安もあったが、作業は順調だった。だが……」

「どうしたんですか?」

「ずっと同じ姿勢で石を削っていると、体が強張ってくる。だからときおり立ちあがって、体を動かす必要があるんだ。だからあの時もそうやって、伸びをしたり、腕をまわしたり、していたんだが……」


 男の話は足踏みを繰り返し、なかなか先に進みません。リルはしんぼう強く続きを待ち、ズゥは飽きてきたのか、リルの髪をかじり出しました。


「すまないな。……いざ言葉にしようとすると、その、恐ろしくて。……あの日、外に出た俺は、ふと山の崖を見上げた。ここに来るとき見だろう? 石を切り出された痕の残る、穴だらけの、切り立った石の崖だよ」


 男の説明に、リルはうなずきました。


「あの崖の、ずいぶん高いところに、キラキラと光るものが見えたんだ。最初は何か、鉱石が陽の光を反射しているのかと思っていたんだが。よくよく目を凝らしてみると、崖の小さなの窪みに引っかかるようにして、虹色の甲羅の亀が、いたんだよ」

「虹色の甲羅の亀……《キウ》?」

「ああ。滅多に見ることのできない、この国のキウだ。他の亀もするように、日向ぼっこでもしているようだったな。虹色の、キラキラとした光を集めて、とても、とても美しかった」


 男はうっとりと、目を細めました。


「しばらく眺めていると、その虹色の亀は、なんというか、こう、もやもやとしたケムリを吐き出したんだよ。火を燃やしたときに出るようなやつじゃなくて、こう、もっと透明で、霧のような、雲のようなケムリだ」

「へぇ」

「そうしたら、雨が降り出したんだ。あのケムリが雨を降らせたんだ! だが……」


 目を輝かせて、虹色の甲羅の亀について語っていたかと思えば、男はうって変わって顔を曇らせました。


「《キウ》を、もっと近くで、見たくなってしまったんだ。俺は、石切りで使う足場に登って、キウに近づいた。こんなにも美しいものがあったのかと感動するほど、虹色の甲羅の亀は美しかった。……俺は、思わず《キウ》に、手を伸ばしてしまったんだよ」


 男の顔は、真っ青です。リルははっと息をのみ、嫌な予感に眉をひそめました。


「その、まさか……」


 男は泣いているような、笑っているような、ちぐはぐな表情で答えます。


「ああ。そのまさかだよ。……俺の手に驚いた虹色の亀は、真っ逆さまに崖を転がり落ちてしまったんだ。慌てて下に戻ったが、……そこに残っていたのは、バラバラになった亀の甲羅だけだった。あれ以来、一度も雨は降っていない」

「…………」


 リルは言葉が出てきませんでした。不注意とはいえ、これでは好奇心で《キウ》を殺してしまったようなものです。男が『懺悔』と言った理由もわかります。


「その《キウ》の、甲羅は?」

「……これだ」


 男は作業台の引き出しから、いくつかの石を取り出しました。亀の甲羅のような模様はありますが、どう見ても、ただの黒っぽい石ころです。とても虹色には見えません。眉を寄せたリルを見て、男は笑いました。


「だよなぁ。でも、確かに、これが《キウ》だったんだよ」

「……」


 死んでしまったことで、甲羅の色が変わったのでしょうか。リルは頭をひねりました。しかし考えたところで、目の前の石ころはどうすることもできません。この国の《キウ守の役》ならば、何か知っているかもしれませんが……。


「だから《キウ守の役》を探したんだ。キウを使役するというのなら、何か知っているかもしれない。いや、だからなんだという話なんだが、少なくとも、俺が、……俺が《キウ》を損ねてしまったということを、知らせないといけない……だろう?」


 男は顔を両手でおおい、叫びました。よほど切羽詰まっているようです。驚いたズゥが、ばさばさと翼を揺らします。


「でも分かるだろう? 結局《キウ守の役》は見つからなかった。あんたが居るってことは、この国の《キウ守の役》も、国の何処かには居るんだろうさ。だが、今、出てきてくれなければ、意味がない」

「……」

「どうしようもない。この国が滅んだら俺のせいだ。……だから懺悔の代わりに、亀の石像を彫っているのさ」



 俺にはこんなことしかできないからな、と男は絞り出すように、言葉を吐きました。どおりで道中見かけた石像が皆、亀の形をしていたわけです。街でも亀の意匠はよく目にしたのですが、それはこの国の《キウ》を象徴しているのだと聞きました。しかし街にあった亀の像と、ここにある亀の像。その意味と意図は全く別物のようです。

 男は大きく息を吐くと、再び槌を手にしました。


「話を聞いてくれてありがとう。雨氷の国の《キウ守の役》の子さん。達者でな」

「でも……」

「いいんだ。……頼む。もう、行ってくれ」


 かーん、かーん、と石を削る音が、再びあたりに響き始めました。ズゥが翼を震わせます。

 リルは男に声をかけましたが、返事は返ってきませんでした。



 洞窟の外へ出たリルは、眩しくて目を細めました。来たときには気がつきませんでしたが、よくよく見てみると、本当に沢山の亀の石像が並んでいます。これも全て、あの男の人が彫ったのでしょう。石を切るより磨くほうが得意だと言っていましたが、どれもこれも精巧で、今にも動き出しそうです。


「ねえ、ズゥ。何とかこの国の《キウ守の役》を見つけることはできないかなぁ」


 リルは呟きました。彼は自分のせいだと言っていましたが、《キウ》を前にしたとき手を伸ばしてしまう気持ちは、リルにもよく分かります。確かに不用意な好奇心によるものですが、本来キウを護るべき《キウ守の役》が側に居なかったのも事実です。そう思えば、不慮の事故とも言えるでしょう。何よりこんなにも呆気なく、キウが死んでしまうなんて! リルは何とかしたいと思ったのでした。


「どうしよう。一度、街に戻ろうかな」


 ズゥはくるりと首を曲げ、不思議そうな目をリルへと向けています。そして陽の光を集めるように翼を広げると、クェッ、と大きく喉を鳴らしました。何かを見つけた時の鳴き声です。


「ズゥ?どうしたん……」


 ズゥの示す先を追ったリルは、言葉を失いました。

 そこにはぐいっと首を伸ばしながら、霧のような、雲のような、もやもやとした煙を吐いている、小さな亀の石像がいたのです。


 煙はゆっくりと空へと昇っていきます。その光景は、雨氷の国のキウが雨を降らせる時とよく似ていると、リルは思いました。空を見上げると、小さな雨雲の種ができていました。

 もうしばらくすると、雨が降りだすでしょう。


「……なるほど」


 リルはなんだか嬉しくなって、足早に道を急いだのでした。


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