第十話:キウ
「なんだって?!」
リルの話を聞いて、お父さんは叫びました。顔を真っ赤にしてリルの肩をつかみ、ゆさゆさと揺さぶります。
「新しいキウを見つけていないのに帰ってきたのか? お前は!」
止めに入ろうとしたお母さんを押しのけて、お父さんはリルをなじりました。
「新しいキウがなければ、雨氷の国は滅んでしまうんだぞ!」
「でも新しいキウはこの国で……」
「うるさい! 子供が口答えをするな! そんなもの、本当かどうかも分からないだろうが!」
ぱりん、と甲高い音をたてて、水さしの破片が床に散らばりました。
リルは何も言うことができません。黙ってお父さんを見つめます。お腹の底のほうからじわじわと、熱いものがにじり上がってきます。
「なんてことだ。これではキウも、キウ守の役も……」
こんなお父さんは見たことがない。リルは思いました。
お父さんは、もっと冷静で、賢くて、頼りになる、立派なキウ守の役だと、リルは思っていました。ですが、これではまるで人魚の話を聞かない漁師たちのようです。
「父さん」
お父さんは、リルの呼びかけを一蹴しました。
「……お前は、新しいキウが見つかるまで帰ってくるな。出ていけ。……出ていけ!」
例の熱い何かが胸までせせり上がってきて、リルはぐっと息を飲みこみました。カタカタと、指の先が震えます。
お母さんが何かを言って、間に割って入りました。お母さんの背中ごしに、お父さんの顔がのぞきます。お父さんと視線があうと、リルの喉が鳴りました。
そして胸の熱がとうとう喉元まで届いたとき、リルはその熱を吐き出すように口を開きました。
「父さん。谷の、キウのところへ行ってもいいですか? この国で、新しいキウを探してみたいんだ」
なんとか丁寧な言葉を絞り出すことには成功しました。ただ身体が、しん、と冷えてゆきます。
「……勝手にしろ」
お父さんは吐き捨てました。そうしてそのまま踵を返し、それ以上リルを見ようとしませんでした。
リルは呆然と、キウへと向かう森を歩きました。
新しいキウが同じ国で生まれるという話は、確かに本当のことがどうかわかりません。しかし、あれほどはなから信じてもらえず、あれほど頭ごなしに怒鳴られるとは思っていませんでした。
どうしてお父さんは変わってしまったのでしょう。それともリルが知らなかっただけで、もとから「あんな人」だったのでしょうか。
リルには分かりませんでした。
どうして、どうして、どうして、どうして。
いくら問いかけたところで、答えは返ってきません。
「お父さん……」
ズゥが心配そうに首を傾け、リルの顔に頭をこすりつけてきます。
「ズゥ……」
何度も何度も、ズゥはリルの頬に頭をぶつけます。
あまりにしつこく頭突いてくるので、リルが「やめて」と頼んでも、ズゥは止める気配を見せません。リルがズゥの頭に手を置くと、その手が水に濡れました。
そうしてリルは、ようやく自分が泣いていたことに、気がついたのでした。
※
「キウが……」
リルは崖の淵に立ち、キウの氷をまじまじと見つめました。以前に見たときよりも、明らかに縮んでいます。
ズゥが空から降りてきて、リルの肩に身をよせました。
「ズゥ。少し気になっていたことがあるんだけど……」
リルはズゥに話しかけます。
「なんだか、辺りが暖かいと思わない?」
それは雨氷の国に戻ってきてから、ずっと不思議に思っていたことでした。この国はもっと寒かったはずだ。そう思ったのです。
はじめは思い過ごしかと思いました。リルの身体が他の国の気候に慣れて、寒さに鈍くなったのかとも。しかしキウの氷の大きさを見るに、勘違いではなさそうです。
「雨氷の国が暖かくなったから、氷が溶けてしまったのかも……」
じつのところ、氷に閉ざされた雨氷の国では、暖かい気候は歓迎されます。春や夏が長ければ、畑の作物はよく育ちますし、馬や牛や羊や山羊は、より長く青草を食べることができます。暖かければ、暮らしは豊かになるのです。
「でも、キウの氷が……」
その先を言葉にするのは恐ろしくて、リルは口をつぐみました。
キウの氷まで溶けてしまったら、雨が降らなくなる。雨が降らなければ、畑の作物や青草も育たない。青草が育たなければ、馬や牛や羊や山羊は……。そして食べ物が育たなければ、雨氷の国の人々は……。
そこまで考えて、リルは頭をぶんぶんと振りました。
最悪の事態は考えなければいけませんが、最悪の事態の妄想にとりつかれてはいけないということを、今のリルは知っています。
しかし、とリルは途方にくれました。もし、キウの氷の問題が暖かい気候のせいならば、リルではどうすることもできません。リルには「気候を変える」なんて魔法のようなことはできないのです。
ふと、過去にも同じようなことがなかったのか、と疑問に思いました。同じように気候が暖かくなったことや、そのためにキウの氷が小さくなってしまったことがあったとすれば、その対策や解決方法も伝わっているかもしれません。
きっかけが見えた、と思った瞬間、お父さんの真っ赤な顔が頭に浮かんで、リルの気持ちはしぼんでしまいました。今、リルがそれを尋ねに行っても、お父さんは答えてくれないでしょう。
「どうしたら……」
考えあぐねていると、ズゥがリルの髪をくわえて引っ張りました。顔を上げると、ズゥの瞳がまっすぐキウの氷をとらえています。「あそこに行こう」とでも言うように。
リルはうなずきました。ここで考えていても、埒があきません。キウの氷が小さくなっているのは確かですが、それが気候のせいかどうかなんて、リルには知りえないのです。本当に「ただの寿命」が原因かもしれません。お父さんに色々聞きたいことはありますが、それも望み薄。
「とにかく、キウの近くまで行ってみよう」
ズゥに目配せをして足を踏み出した、そのときです。
ぐらり、と地面が揺れて、リルの瞳は空をとらえました。キラキラと太陽を受ける氷の欠片と、バサバサ翼を広げるズゥの姿が、すぅぅぅ、と遠のいていきます。
自分は崖から落ちているのだ。そう気づいたとき、恐怖よりも、どこか安らかな気持ちが胸中に芽生えたことを、リルは不思議に思いました。
そっと目を開くと、氷の額に縁どられた蒼い空が見えました。
「……」
ずっと離れた高いところを、何羽かの鳥が風に乗って弧を描いています。
「……ズゥのお仲間かな」
リルは氷の床に寝っころがったまま、ぼんやりと思いました。身体中がじわじわと、みしみしと、ぐずぐずチクチク痛みを訴えています。
氷が崩れて、崖の上から落っこちた。
そう思い至ったとき、リルは自分の胸のあたりで、パキン、という、何かが壊れたような、小さな音を聞きました。
「あああああああぁぁぁぁぁぁぁ」
心が溢れてしまう。リルはそう思いました。
泣き声とも、悲鳴ともつかない叫びが、喉からこぼれ落ちてきます。どうしようもない衝動が身体を駆けめぐり、リルは頭を抱え、胸を掻きむしりました。
「…………なんで!」
やるせなさ、責任感、不安、不満……色んな感情がごちゃまぜになって、ものすごい勢いで襲いかかってきます。為す術もなく押し流され、感情の波にのみ込まれ、リルはもみくちゃになって身もだえました。
どうして、なんで、何故、どうして、なんで、どうして。
心の奥の奥底に、封じ込めていた感情が、堰を切ったように溢れ出してくるようでした。
大粒の涙が次から次へとあふれ出し、冷たい空気と混じって頬がピリピリとしびれます。
どうすることもできません。
こんこんと腹の底から湧き上がってくるどす黒いものを、リルは言葉にならない叫びに変えて吐きだし続けました。喉が悲鳴をあげ、鈍く痛む身体にぐわんぐわんと響きましたが、気にしません。
なんだか、全てを放り出してしまいたい。全部が全部、全部どうでもいい。
そんな、最悪な気分です。
「パーピーも、もしかすると、こんな気分だったのかも」
ふと、リルは思いました。
それぞれの国の、それぞれのキウ。それぞれのキウ守の役。
とどこおりなく雨を降らせる仕組みを持ちながら、ほんのわずかな不和によって、いとも簡単に崩れてしまうもの。それでいて不義理や理不尽など意に介さない、全てを受け入れる寛容さを併せ持つもの。
どこか歪で、どこか危うい、だから美しく、愛おしいもの。
大切な者を奪われたキウの少女は、国を恨んだ。……だから、涙を流し続けて国を雨に沈めようとした。
人魚は、陸の人間に信じてもらえなかった。……それでもキウ守の役として、アメフラシを守ろうとした。
気のいい漁師たちは、国をあげてキウと共存していた。……だから、キウも祝福を返した。
石切り職人は、好奇心でキウを害してしまった。……けれども懺悔のために石を彫り、新たなキウをつくり出した。
ハーピーはキウ守の役ながら、オアシスでは疎外されていた。……だから、キウの危険を感じつつも放置して、見殺しにした。
霧の国の民は、思い込みから暴君、キウ守の役を誅した。……だから、キウそのものを見失ってしまった。
山の中で青い光を狩っていたキウ守の役たちは、他者を拒んでいた。……だから、キウの真実を伝えつむぐことができた。
キウと、キウ守の役。それぞれの喜びと悲しみと、その理不尽なままならなさ。
「どうして、ぼくが、頑張らなきゃいけないんだろう?」
癇癪のすえに、ぽろりと口からこぼれ出てきた本音は、リルの心をえぐり、そしてなぐさめてくれたのでした。
涙も喉も枯れはてて、氷の上に手足を投げ出し寝ころんで、ぼーっと空を眺めます。青かった空が、薄い紅色に染まってゆきます。
ふと、リルが顔を傾けると、目の前にズゥの姿がありました。
「ズゥ……」
こんなときでも側にいてくれたのだと、気づいていなかった己を恥じ、リルはズゥの胸に顔をよせました。そして大きな翼を抱え込むように腕をまわして、ぎゅぅっと抱きしめます。柔らかい羽毛が頬をくすぐり、リルの瞳からは、枯れたはずの涙があふれました。
「そうだね。ズゥ。……もうちょっとだけ、頑張ってみようか」
ズゥの胸に顔を埋めながら、リルはそっとつぶやきました。
思うところも、納得できないことも、忌々しく感じることも、もちろんあります。
でも、それらを全部ひっくるめて、「キウを何とかしたい」と思うのも、確かにリルの本心なのです。
お父さんに言われたから、ではありません。リル自身が心の底から、「そうしたい」と望んだから、だから、やってみようと思いました。
見習いとはいえ、リルだって『雨氷の国のキウ守の役』なのです。
リルは、立ちあがりました。
身体はじわじわと痛みましたが、動けなくなるほどの怪我は無さそうです。
「どうして……」
頭上を見上げ、リルは首をかしげました。氷の崖は、高くそびえたっています。そして、地面は硬い氷。……亀の石像の欠片が頭をよぎり、おもわずリルは肩を抱きます。
バサバサと翼を揺らし、ズゥがリルの肩に飛び上がりました。そして、ある方向へとくちばしを向けて、クェ、と小さく喉を震わせました。
「ズゥ?」
リルはふと、違和感を覚えました。
何かを見つけたズゥが、リルにそれを伝えることはよくあります。キウを探す旅でも何度、ズゥの瞳に助けられたかわかりません。
しかしリルは、ズゥがなにか、迷っているように思えたのです。
「ズゥ?」
リルが相棒の名前を呼ぶと、ズゥはこちらに顔を向けました。
ズゥの視線がかち合います。金色の瞳が、じぃぃ、とリルを見つめてきます。そして金の瞳の奥に秘密の光を見たとき、唐突にリルは思いました。
「ああ、そうだったんだ」
言葉にできない、不思議な感覚でした。
どうしてかはわかりません。ただ何となく、意味もなく、リルはそう思ったのです。
ズゥの視線を追って、リルは歩きました。
きっと、ズゥがしめす先には、リルが「探しているもの」があるのだと思いました。
原因とか理由とか、そんなものは知りません。
ただ、そう思ったので歩きました。
そして、しばらく氷の谷底を歩いたのち、リルは氷の壁に走る小さな亀裂を、見つけたのでした。
「ここって……」
リルは、ぼんやりと氷の亀裂を眺めました。
小さな亀裂、と言ってもその大きさは、リルの背丈の三倍はあります。それに割れ目は氷の表面だけにとどまらず、奥のほうへと続いているようでした。洞になっているのかもしれません。
なによりリルは、この場所を知っているような気がしたのです。
「ねぇ、ズゥ。この……」
リルの言葉を遮るように、ズゥが髪の毛をぐいっと引っぱりました。
「……この中?」
しかたなく、リルは訊ねます。
ズゥは「そうだよ」とでも言うように、キェッ、と短く鳴きました。
「わかった」
うなずいて、リルはそうっと氷の亀裂に足を踏み入れました。
洞のなかは意外と広く、風がないぶん暖かく感じます。外の光が透けているのか、うすぼんやりと氷が光って見えました。
突然、ズゥがぶるりと翼を震わせました。肩ごしに、彼の緊張が伝わってきます。リルは身を固くして、あたりを注意深く観察しました。
すると洞の奥のほうから、なにやら不思議な気配がすることに気がつきます。
家の中でふと気配を感じて見回すと、窓から野良猫がのぞき込んでいた。そんな気配でした。不思議と恐ろしくものではなく、かといって穏やかというわけでもありません。望みのものかもしれません。危険なものかもしれません。
期待と不安を胸に、リルはそろそろと足を進めます。
小さな亀裂をくぐり抜けると、目の前が青白く開けました。
「わぁぁ……」
リルの口から、感嘆の音がこぼれます。
それほどまでに、それは美しかったのです。
氷の洞の最奥の部屋には、美しい大鳥が、まさしく『鎮座』していました。
はじめは氷の像かと思いました。リルが近づいても全く身動きしませんでしたし、それにその身は光を受けてぼんやり青く光っていて、周囲の氷の色と同化していたのです。
しかし、そのまんまるな瞳がキョロリとこちらを向いたとき、リルはそうではないことを悟りました。銀の鳥は、生きています。
先端だけが、く、と曲げられた鋭いくちばし。流れる蜜のような、琥珀の玉のような金の瞳。首から腹にかけて、ゆらゆらと濃淡を変えていく青い羽毛。なにより絹のように流れる、あの銀の翼といったら! 今はたたまれていましたが、はばたく姿はさぞ立派なことだろうと、リルは見惚れてしまいました。
それに――
「ズゥの、お仲間?」
おもわず心中に浮かんだ言葉が、口をついて出てしまいました。
大きさや色味は違いますが、とてもよく似ていると思ったのです。
ズゥは何を考えているのか、じっとして動きませんでした。
『あなたは、誰?』
突然、氷の洞に声が響きました。壁にあたって、ぼわん、とくぐもり、音があたりにこだまします。
しかしリルは「この美しい鳥の声だ」と、なんの根拠もなく思いました。
驚きましたが、狼狽えはしませんでした。これまで色んな世界を見てきたのです。人の言葉を使う鳥がいても、おかしくなんかありません。
それに、おそらくこの銀の鳥は……。リルには予感するものがあったのです。
「リルです。雨氷の国の、キウ守の役の子です。こっちは、ズゥ」
足を引いておじぎをして、リルは言いました。
『ようこそ、リル。それから……』
大きな銀の鳥は、翼を揺らしました。どこかたどたどしい、ささやき声でしたが、ぼわわわん、と声は大きく響きます。
『おかえりなさい。……ズゥ』
「……」
『ありがとう。よくここまで、リルを、連れて来てくれて』
「連れて……来た? ズゥが?」
『ええ。ズゥが、あなたを、ここへと、導いた』
ぷつり、ぷつりと言葉を切りながら、銀の鳥は言いました。
ズゥを見ると、所在なげに足踏みし、わしゃわしゃと翼を震わせています。そして小さな声で、クェ、と鳴きました。
リルは、ちょっとだけ驚いて、同時に「やっぱり」と思いました。この銀の鳥は、ズゥのことを知っているのです。そして、おそらくズゥも……。
「なぜ、ですか?」
リルの問いには応えずに、銀の鳥は、ズゥを呼びました。
『ズゥ。こちらへ、来てくれる?』
不安そうに首をくるくるまわし、ズゥはリルの肩から離れてゆきました。つい、と飛んで、銀の鳥のそばの氷に留まります。
ふとリルを、今まで感じたことのない、言いようのない淋しさが襲いました。ズゥがこのままいなくなってしまう。そんな気がしたのです。
「ズゥ……?」
ズゥは銀の鳥のくちばしに自分の額を当てて、それからゆっくりと離れました。
銀の鳥がうなずきます。
『そう。リルと、ズゥは、雨氷の国の、新しいキウを探して、世界を、旅したの』
リルは、はっと息をのみました。今の頭突きで、ズゥは、リルのことを伝えたのでしょうか。
『そして、次代のキウが、生まれるのは、同じ国の中でだけだと知って、帰ってきた』
不思議な力を持つ銀の鳥。きっと彼女が……とリルは期待を膨らませます。
「あの、あなたが、その次代の、雨氷の国のキウ、ですか?」
いてもたってもいられなくなって、リルは銀の鳥に訊ねました。
しかし、銀の鳥は口を閉ざしてしまいました。その瞳はこちらを向いていましたが、心はここにあらず。話しかけても反応がありません。
すると、キュイ、と小さく鳴いて、ズゥがリルの肩へと戻ってきました。こつり、と頭をリルの頬にぶつけてきます。銀の鳥とは違い、リルにはズゥの言葉を解することはできません。それでもズゥが自分の肩にいることが嬉しくて、リルは彼の首の後ろを撫でつけました。
銀の鳥は、動きません。なにごとか、思案しているようです。
リルがしびれを切らしてふたたび口を開きかけたとき、ようやく銀の鳥はくちばしを鳴らしました。
『なんと、言ったものかしら。……たしかに、私は、キウに連なるものだけど、次代のキウ、というわけでは、ないの』
リルには意味がわかりません。しかし、銀の鳥も何かに迷っているようだと思いました。
『……これを』
銀の鳥が起き上がり、リルは目を見張りました。
青い羽毛に包まれた腹の下から、丸いものが現れたのです。銀から青へと鮮やかに色を変える、ちょっと先のすぼんだ丸いもの。
「たまご……?」
あぜんとして、つぶやきました。
『ええ、これは、キウのたまご。そう遠くない日に、寿命を迎える、雨氷の国のキウの、次代を担う、キウのたまご』
次代のキウのたまご!
リルは驚き、歓喜のあまりズゥを、ぎゅうっ、と抱きしめました。
とうとう、とうとう見つけたのです。これで、キウの寿命が尽きるとしても、雨氷の国は枯れずにすみます。
『ただ……』
銀の鳥が、言い淀みました。
ただ、なんでしょう。一転して、不安に駆られます。
銀の鳥はリルをじっとみつめ、重々しく口を開きました。
『ただ、リル。あなたは、選ばなくてはならない』
「選ぶ? 僕が……ですか? 何を?」
何を選べというのでしょう。リルは眉をひそめました。何かを選ぶことで、次代のキウが得られるというのなら、悪い話ではありません。ですが、銀の鳥が言い淀むということは、きっと理由があるのです。そう、思いました。
『次代のキウを、得るためには、今代のキウに、引導を、渡さなくてはならないの。他の誰でもない。……今代の、キウ守の役の、手によって』
「引導を、渡す……?」
物騒な言葉です。リルの喉が、きゅ、と絞められた音を鳴らします。
『今の、キウがあるかぎり、次代のキウは、決して、生まれてきません』
「え?」
『雨氷の国の、キウの寿命は近い。このまま、自然にまかせても、遠くないうちに、キウは溶けて、無くなるでしょう。ですが、それでは、次代のキウは、この地に、生まれてこない。代替わりが、なされない、からです』
じわじわと、その言葉の持つ意味が頭と心に広がって、リルは息をのみました。
『キウ守の役に、ある者が、次代のキウを迎えるために、古いキウを、終わらせる。キウの代替わりとは、本来そういうもの、なの』
「……本来?」
ふと引っかかりを覚えて、リルは疑問の視線を投げました。
『千年の寿命を、全うしたキウの、代替わりは、という意味よ』
銀の鳥は、翼を揺らして答えます。
「寿命を全うしないキウもある、ということですか?」
『……全うしたか、否か。それを、私が断ずることは、できません。ですが本来、千年の時を持つキウが、寿命を待たずに、代替わりすることは、ままあること。リル。あなたは、それを、見てきたのでは?』
「それは……」
確かにそうだ。リルは、思いました。
色々な国の、様々なキウを見てきました。滅んでいくキウも、生まれてくるキウも、ありました。しかしリルにはそれが、はたして千年目に起こったことなのかどうかは、知ることができないのです。
『千年の寿命が、尽きていても、いなくても、意図的でも、いなくても、それがたとえ偶然でも、キウ守の役が、終わらせたキウは、代替わりがなされるの。でも、そうでなければ、そこで、途切れてしまう』
銀の鳥は、淡々と続けます。
『途切れてしまっても、また、どこかで新しいキウは、生まれるわ。でも、それは、代替わりではないから。いつ、どこで、生まれてくるかは、誰にも、わからない』
リルは、恐怖に震えました。カタカタと、腕が勝手に震えてきます。
『そういうもの、なの。それが、キウ。……キウの、代替わり』
「それじゃあ、雨氷の国のキウは……」
『ええ。この国のキウは、珍しく、千年を全うしたキウ。……だから、キウ守の役が、あなたが、今のキウを、終わらせなければ、途切れてしまう』
でも、とリルは思います。
「でも、雨氷の国のキウ守の役は、ぼくの父さんです。それなのに、何故ぼくが?」
銀の鳥は、そうね、とうなずいて、ズゥへと視線を向けました。
「……ズゥ?」
リルは、首をかしげます。
『ズゥが、あなたをここへ、連れて来た。だから、決めるのは、あなた』
「……どういう、ことですか?」
『千年の時を、迎えようとするキウは、私のようなモノを、作り出すの。代替わりを、滞りなく行うための、道しるべ。そして、次代のキウ守の役の、たまごを生み出して、世に放つ。一つだけ、じゃない。いくつも、いくつも、世に放つ。そして、そのなかで、今代のキウ守の役と巡り会い、彼ら彼女らを、私の処に、連れてくることができた者が、次代の、キウ守の役になる。そして、今代のキウ守の役が、次代のキウ守の役に、その任を明け渡すことで、代替わりは完了するの』
「世に放つ……」
積もった雪の割れ目から、突然、ぴょいっ、と飛び出してきた黒い毛玉。
出会ったときのズゥの姿が、思い浮かびます。
ずっと雪の中だと思っていましたが、あれは氷の壁の亀裂で、おそらくは、この場所だったのです。だとしたら……。
「ズゥが、……次代のキウの、キウ守の役?」
ぽつり、と声がもれました。何とも言えない寂しさが、口の中に広がります。
ズゥは、そのことを知っていたのでしょうか。そのことを知っていて、リルを見つけ、一緒に育ち、旅をして、そしてリルをここまで連れて来たのでしょうか。
『ズゥは、ただ、本能にしたがっただけ。それでも、あなたと出会ったことで、この子は、次代のキウ守の役になった』
リルの心情を読んだのか、銀の鳥は言いました。
……なんの慰めにもなりませんが。
ちょっと恨みがましく、リルはズゥのことを見つめました。
ズゥはくるりと首をかしげ、わしゃわしゃと翼を揺らします。そして、体を小さく丸めて縮こまったかと思うと、リルの額めがけて思いっ切り伸びあがったのです。
ごつん!
大きな音が、氷の洞にこだましました。
チカチカと目の前に光が舞って、リルは思わず額に手を当てます。
「痛っ! 何するんだよ! ズゥ!」
ズゥは容赦なく、頭突きを繰り返してきます。
ごつん! ごつん!
リルはズゥの体を翼ごと、押さえつけるように抱えました。
ごつん。ごつん。こつん。……こつん。
力尽きたように、ズゥは頭突きを止めました。そしてそのまま、リルの頬にぐりぐりと頭をこすりつけてきました。小さく喉を鳴らしています。
ズゥの言葉はわかりません。それでもリルには、ズゥが何を言おうとしているのか、はっきりわかったのです。
「ごめん。ズゥ。」
そう言って、ぎゅうっ、とズゥを抱きしめました。
「……ズゥが、次代のキウ守の役」
リルは、その言葉の意味を噛みしめます。
ズゥが次代のキウ守の役になるのなら、リルは「何に」なるのでしょう。
少なくとも、リルがキウ守の役になることは、もうないのです。それは、それはとても辛くて寂しいことでしたが、どうしようもありません。自分がキウ守の役にあることにこだわって、キウを失ってしまうのは嫌でした。
「だったら今度は、ぼくがズゥの仕事を手伝う番だ」
今度は、自分がズゥを助けるのはどうだろう。今まで、ズゥがリルを助けてくれたように、これからはリルがズゥを手伝うのです。
それはそれで悪くない。リルは思いました。しかし――
『残念ですが、それは、できません』
リルの展望を打ち壊すように、銀の鳥は言いました。
『代替わりがなされると、次代のキウにあわせて、キウ守の役の、姿かたちも変わってしまう。今までどおりの関係では、とても、いられないでしょう』
「ズゥと、一緒にいられなくなる……?」
がつん。
と、頭を殴られたような気がしました。
……一緒にいられなくなる? ズゥと一緒にいられなくなる? ズゥと一緒に……?
ぐるぐる、ぐるぐると、呪いの言葉が頭のなかを反芻します。
それは嫌だ。リルは、心からそう思いました。
ズゥと、一緒にいたい。離れたくない。
それは、「キウ守の役の子」そういった立場や責任感とは、別のところにある感情でした。上っ面の、いい子ちゃんの建前ではない本音、リルの、ひどく個人的で、ひどく我が儘な、「リルそのもの」の譲りたくないもの。
正直、雨氷の国のキウが無くなる恐怖より、ズゥと一緒にいられなくなる恐怖のほうが大きかったのです。リルは、そんな自分に愕然としました。「正しさ」を盾に、建前の感情を優先させていたことに気がついたのです。
「それは、絶対ですか?」
リルは、言葉を絞り出しました。
『どのような姿になるのか、それは、私にも分からないの。今と同じような鳥の姿なら、一緒にいることも、できるかもしれない。でも、人かもしれない、魚かもしれないし、人を食べる獣かもしれない、石や、虫や、草木かもしれない』
「…………」
『キウの形によっては、人から遠く、隔てられることもある』
リルは、黙りこんでしまいました。
それでも、と銀の鳥は言います。
『リル。あなたが、選ばなければならない』
「…………」
『雨氷の国の、最後の、キウ守の役として』
リルは、ズゥの胸の羽毛に顔をうずめ、すうぅ、と息を吸い込みました。懐かしい、澄んだ霧と氷の匂いに包まれます。
リルは、ズゥの金の瞳を、じぃぃぃぃ、と見つめました。
ズゥの瞳の奥には、チラチラと光る、綺麗な銀色のつぶが見えました。
そして、リルは選んだのです。
それは小さな声でしたが、キウの氷に跳ねて、美しく響いたのでした。




