著者:万葉
日頃は、会社員をしている。スーツを着て、ネクタイを締めて、営業部の次期エースなんてもてはやされながら必死に働いて、最近ようやく仕事が楽しくなってきた頃だ。休日は、カフェ巡りをしている。女装をしながら。別に女の子になりたいわけじゃなくて、可愛いものが好きで、可愛い女の子が着ている服を見るのが好きだった。自分も着てみたくて、初めてネットで買ったのを着たのは大学生の時。思っていたよりも似合って、のめりこむようにメイクを学んだ。男としての骨格を隠せる服を選択するのもうまくなって、本当は男性であることを隠しながら運営しているインスタグラムのアカウントはフォロワーが一万人を超えた。
「美味しそう……」
今日入ったカフェは、春限定の可愛らしいアフタヌーンティー。一人からでも予約できて、可愛らしくインスタ映えしそうだ。周りは女の子二人組ばかりで、俺は傍から見たら友達のいない女の子だろう。実際は女装している三十近い男なわけだが。
「はぁ……」
女装仲間が欲しいとまではいかないけれど、二人でカフェに行ったりして写真を取り合える友人が欲しいと心の底から思いながら、三段もある豪華なティータイムを一人で楽しんだ。そのあと二軒ほど、予約していなかったカフェを楽しんで、最寄り駅に着いた。
ザァザァと雨が降っていて、鞄に入れていた折り畳み傘を取り出す。会社に行くときも使っている黒色の無地の傘。今日のロリータっぽい服には似合わなくて、今度傘を購入しようと決めた。梅雨の時期になったら活躍するだろうし。雨の中を一人で黙々とアパートまで歩く。朝起きてメイクをしたときから、カフェを出ても、ずっと一人。今日撮った写真をインスタグラムに上げれば、それにコメントしてくれる人はたくさんいるのに、それだけでは満たされない。女の子であることを前提として褒めてくれている言葉を、それ通りに受け取れない。かといって、男性であることを公表するほどの「なにか」も自分の中にない。それが自信なのか、きっかけなのかはわからないけれど。
もうそろそろでアパートに着く、靴に少し雨が浸みてきている気がする、と思った時視界の端で何かが動いた。カラスかなにかが、と思ったけれど、違う。弱っている猫だ。白色の猫が、小さくうずくまっていて、耳のあたりがピンクだか赤になってしまっている。怪我をしているようだ。急いで近寄って、傘を置いて両手で持ち上げる。軽い。弱っている。冷たい。俺は急いで走って、アパートに帰った。傘は道端に置きっぱなしにしたことはすっかり忘れて。
シャワーで汚しているところ以外を温めてあげて、温めたミルクをなめさせてあげて、十八時現在にやっている動物病院を探して、電話をかけて、駆け込んだ。
*
仔猫は元気になった。病院ではぐったりしているからはらはらしたけれど、大丈夫だった。急いでホームセンターに行って猫用のトイレと餌を買って、それから一か月。俺の生活は格段に充実している。前の息抜きは女装とカフェ巡りだったから、平日の癒しはなかった。今では家に帰るだけで、癒される。猫は偉大だ。あそこで会えたのは運命だったのかもしれない。
今日は久々の部署の飲みで、帰るのが遅くなった。終電で帰りたいと主張して、仔猫のために早足で家に帰る。ちなみに名前は「みるく」と名付けているが、猫が家に一匹しかいないから「仔猫~」と呼んでしまっている。
「ただいま~」
鍵を後ろ手でしめながら、部屋にに向かって呼び掛ける。いつもなら、トタトタと玄関まで迎えに来てくれるのに。もう寝たのだろうか。いや、でもそもそも猫って夜行性のはずでは、そう思いながら靴を脱いだ時。
「おかえり」
「……え、」
「あ、人間の時に会うの初めてだもんな。猫だよ。一か月一緒にいたじゃん」
視界に入ったのは、細身の銀髪の男だった。整った見た目をしていて、俺は思わず眉を顰める。猫?不法侵入者だろこんなの。急いで携帯を取り出す。
「ちょ、ほら、見てみ」
男は焦ったように耳を指さした。言われてみれば、耳にかさぶたがある。服だって、よくよく見てみると俺が部屋着として着ているジャージだ。
「……信じてくれた?」
「……信じるもなにも」
部屋に足を踏み入れれば、仔猫の姿はない。代わりにこの男がいるわけで。見れば見るほど、猫にも見えてきた。俺がまじまじと見つめるせいなのか、男は少し悲しそうな顔をしながら、考え込んだ。
「あ、俺、猫に戻れるから」
男がそう言った瞬間に、視界の中から男が消えて、足元から「にゃあ」と声がした。
「嘘だろ、」
こんなこと、ドラマとか小説でしかありえないだろ。っていうかこういう展開って可愛い女の子が猫だったみたいな落ちじゃないのか。なんで二十代であろう男なんだ。
「……わかった。信じるよ」
そう、おれが口からこぼせば猫は嬉しそうに「にゃあ」と鳴いた。