不潔な男は嫌いだブヒ
俺は・・・夜明け前に目が覚めた。目を開けても視界は闇のまま。枕元に置いた腕時計のバックライトを手探りで点灯させると午前四時過ぎ。寝るのが早いから仕方無い。他の光は全く無い。昔は照明を消しても何らかの光があったから、真の闇には違和感があった。それも慣れた。
明るくなるまで動かず、周囲の気配を探る。今日も晴れたら昨日の店にまた調達に行こう。まだ大丈夫だと期待したいが、過去の成功へ安易に追従するのがどれ程危ういか知っている。感染者はいなくとも、DQNに出会すかもしれない。生きていくのは大変だ。
窓がほんの少し明るくなった頃、空に轟音が響いたので庭に出る。飛行機がまだ暗い北の空へ駆けていく。小さいから戦闘機だろう。この騒動が起こってからも何度か見た。自衛隊か米軍か知らないが、まだどこかに軍事力が生き残っている。
剣鉈と鉄筋を手に、家の周りを見て廻る。異常無し。この程度の明るさでは、感染者は屋外に出てくるから注意が要る。
森の中にも気を配る。特に動くものへ注意した。感染者はじっと隠れるなんて出来ないからだ。あいつらは、何も無ければダラダラあても無く徘徊し、獲物を見れば必ず襲う。
朝の小鳥が鳴いている。危険な生き物が近くにいないことを教えてくれる。
朝食はカロリーバー、ほうれん草か小松菜かよくわからない野菜サラダ、魚肉ソーセージ1本だ。湯を沸かして雑穀茶を淹れる。
「本当に、いつになったら終わるのやら」
この騒動の終息する日は必ず来る。自分ですら何とか感染者を倒せるのだ。最新兵器を備えた軍隊なら、さらに容易に対応できる筈だ。例えば感染者の籠もった建物を丸ごと焼き払えば簡単に無力化できるし、どこかの映画みたいに核ミサイルで街ごと焼き尽くす手段すらある。治療法やワクチンが開発される可能性もゼロではない。さらには僻地や離島の全てが感染者の上陸を許したとは思えない。幾らでも対処の可能性がある。だから必ずいつかは終息する。ただそれがいつになるのか、まったく予想できない。
多分、日本も世界も甚大な被害を受けた。滅んだ国があるかもしれない。
しかし人間は適応できる。自分は適応した。窃盗、不法侵入、暴行、殺人、と一通り経験済みだ。手を汚さなければ生き残れなかった。
昨日よりは雲が多く風も湿っているようだ。現状の天気予測は経験と勘に頼るしかない。調達に行くなら昨日より早目に引き上げた方が良いだろう。
実は五月になったら旅立ちを考えている。中国山地を越えて倉吉の実家に帰るのだ。近年の天候と日照時間を考えるに、梅雨前の五月が最適だと思う。今の場所より安全かどうかは知らないが、たったひとり、何の展望も無い日々を送るのはもう嫌だ。
というわけで今日もハンターカプを駆り、物資調達へ出発だ。昨日のコンビニを再訪するが、違和感を覚え、離れたところに愛車を停めた。エンジンは止めない。カプの音は小さいしこちらは風下だから大丈夫だろう。怒号と悲鳴、棚か何か倒れる音が聞こえる。コンビニの駐車場に軽トラと自転車が停めてある。残念ながら先客がいるようだ。
血塗れの男が転がり出た。ボサボサ髪と小太りな身体付きには憶えがある。昨日川沿いで会った不潔おじさんだ。
「もう諦める! だから赦してくれ!」
その後から割れたガラスをジャリッと踏んで、ジーパンを履いた優男が現れる。一見して危険な雰囲気の男だ。傷だらけに使い込まれた木刀を提げている。不格好に散髪されたギザギザ直毛頭がまるで歴戦のヤマアラシを思わせる。
「おめえは、聞き終わったCDをケースに戻してから次のCDを取り出すだろ?」
「ひいっ」不潔おじさんが殺気に当てられて身を竦める。
「そう、誰だってそうする、俺だってそうする。だから死ねぃ!」
「待ってくれ! 娘がいるんだ!」
「嘘をつくなハゲが!」
ボクッ! ギザギザ直毛男が不潔おじさんの腕を木刀で叩いた。
「ぐはあっ!」不潔おじさんが腕を押さえて蹲る。
「だからひっこんでろよ、おっさん。これからは相手を見て喧嘩を吹っ掛けるんだな」
「ぐぅっ、む、娘がいるのは本当なんだ」
「だから、おっさんみてえな、キモオタカスブタ野郎が結婚できるわけないだろうが。人を騙すのも大概にしろよ」
「マジなんだ信じてくれ! あと俺はハゲてない」
「じゃあ、豚の鳴き真似してみろ」
「わ、わかった! ブヒブヒフゴフゴピギーッ!」
「ぷっ」予想以上の熱演につい笑ってしまった。
「誰だ!」男たちがこちらを見る。
瞬間カプの陰に隠れるが見つかった。
「お前は昨日の! 助けてくれ!」不潔おじさんが叫ぶ。
「だが断る!」俺は素早くカプへ跨る。
「ふむ?」ギザギザ直毛男がこちらを値踏みする。眼光が恐ろしく鋭い。まだ逃げられる距離だがその手の木刀でも投げてきそうな気配がある。だけと少し話してみたい。笑わせられてしまったからだろうか。そう思わせるものがあった。多分同年代だ。
しばらく対峙して様子を窺う。
不潔おじさんがそろそろと後退していく。
「おい、おっさん、なかなか良い鳴き真似だったぞ」
「そうか」
「これでもやるから、さっさと行っちまえ」ギザギザ直毛男がウマウマ棒タコ焼き味を一本投げてやる。
「今度会ったら猫の真似をさせるからな、練習しておけよ?」
ウマウマ棒を拾おうとした不潔おじさんが困惑する。
「返事ィ!」ギザギザ直毛男が叱咤する。
「ぶひひいいいいい!」
ギザギザ直毛はこちらを見たままだ。本当に隙が無い。警戒というものがわかっている。不用意に動くのは危ない。視線を切った瞬間、何をされるかわかったもんじゃない。
「そこはニャアアアンだろうが! 殺すぞ貴様ァ!」
怖いけど猫好きとは仲良く出来そうな気がした。
「ニャアアアン!」不潔おじさんが腕を抱え、ウマウマ棒は小脇に挟み、自転車を片手運転でヨタヨタ逃げ去った。
「ところで良いバイクだな」ギザギザ直毛男が面白そうに言った。だらりと提げた傷だらけの木刀が、所々赤黒く染まっているのは血痕だと気付いた。
「このハンターカプはカスタム前提みたいなもんだからね。バインド線(柔らかい針金)と結束バンドさえあれば何でも取り付けできるんだ」
「ふうん」
俺は冷や汗が鳩尾に滑り落ちるのを感じた。