回想ぴょん
俺は・・・山の中の幾つものアップダウンを経て、日の陰る前に山中の平地にある一軒家に帰ってきた。築三十年は軽く過ぎているだろう平屋建て、所謂古民家だ。ただし内部は全室フローリングにユニットバスと、しっかりリフォームされている。広い敷地には納屋、畑、井戸、ビニールハウス、薪置場、それに陶芸窯がある。
「異常無し」
バイクを停めて軽く見渡す。
元の住人はそこそこ知られた陶芸家、里中鋼太郎さんである。広島市内の社会人将棋クラブでよく指す間柄だった。歳はあちらが十ほど上、互いに初段で実力伯仲、良い好敵手だった。彼はひとり世捨て人のような生活をしており他に仲の良い相手はいないようだったが、不思議と気が合った。指しながらオチの無い世間話をしたり、高めの晩メシを賭けたりした。この家についてもその折の会話で聞いた。
バイクを降りて敷地入口の木柵を確認する。誰か触ったらわかるように目印を付けていたが、ズレてはいない。木柵を開け内部へ入る。バイクを押して納屋にしまう。
それから敷地を取り囲むように設置した木柵に異常が無いか見廻りをする。木柵には有刺鉄線が絡ませてある。木柵の外側数メートル先まで雑草雑木を綺麗に刈って見晴らしを確保してある。敷地内は砂利と土を程良く混ぜて湿らせ、侵入者の足跡が残るようにしている。今日は鳥や狸の足跡があった。
「全周異常無し」
里中鋼太郎さんは多分もう帰ってこない。昨冬、ここに逃げてきた時は生活の痕跡が残っていた。洗濯物が干したままで、作り置きのおでん鍋があった。残っていた車の轍が新しかったことから考えて、どこかへ避難したのだろう。その避難先がここよりも安全で快適だったかどうか、正直疑問ではある。
それほどこの古民家は素晴らしい。
リフォームだけではない。プロパンガスの大きな缶が2つも残っているし、なんと家庭用ソーラーパネル蓄電システムがあるのだ。家電一式は全て稼働する。今の御時世では超絶優良物件だ。
日没までニ時間ほどだが、周囲の起伏と雑木林のため山は街より暗くなるのが早い。日没までに家事を全て終わらせるべきであり、今が一番忙しい。音量控え目でラジオを鳴らし、今日の戦利品を収納し、血に汚れた鉄棒と剣鉈を念入りに洗い、ポンプで沢の水を引き込み、タンク下の風呂釜に薪を入れて火を熾し、小さな畑に水をやり、洗濯物を取り込み、電力残量を確認し、クッキングヒーターで湯を沸かしてカップラーメンを作り、茶を淹れる。
影が傾き太陽が色付き、木陰に夜の虫が飛び交い始める。
カップラーメンを食べるのは一か月ぶりだ。安定の元祖オリジナルスープは至高である。今日は他にもビタミンゼリーやソーセージを出す。充分な収穫を記念しての贅沢だ。カップラーメンは汁まで飲み干す。ひらすらに美味くて懐かしい。塩分補給もできて素晴らしい。
それにしてもカップラーメンを食べると昔を思い出す。
この騒動が始まってまだ一年も経っていないが、ホワイト寄りのブラックな会社の社員だった頃を。
昨冬つまりは眩濤七年十一月、俺は一応全国に支店を持つ会社の広島支店で働いていた。リスク高騰、人手不足、物価上昇、顧客要望の高度化、そんな社会風潮をもろに受け、社員は皆が疲弊していた。そんな中で結婚したり子供を作るのは余程積極的に動かないと不可能で、当然自分も独身だった。
趣味は登山、バイク、温泉巡り、将棋クラブ。荷物が多いので、広島市北部の少し郊外に、古くとも広めのマンション上層階を借りて一人暮らしをしていた。
武漢ウイルスがインフルエンザのような扱いに落ち着き、緩やかに日常が戻りつつあった。そこにまた、新たな病気が海外の主要都市に流行り始めたと報じられた。事が起きるまで何もできない日本政府は出入国を禁止できず、当然国内に流入した。国民は慣れた様子でマスク装着と在宅勤務を始めた。海外では暴動まで起こっていたが、国内でそれほど事態が悪化すると予想したのは本当に少数派だったろう。
しかし暴動は起こった。
厳密には暴動というより感染爆発だったが、感染者とは何なのか皆が理解した時はもう手遅れだった。
その運命の日、昼間は穏やかな陽射しだったが、風が冷たくなり天候悪化の兆しを見せ始めた午後六時、広島駅から南の繁華街八丁堀にかけて最初の感染者が大量に発生し、パニックが起こったと、地元テレビ局が報じたのが始まりだった。警察機動隊が封鎖を試みたがまるで人手が足りなかった。日没後のことである。感染者たちは元気いっぱいに屈強な機動隊へ襲い掛かり、そして蹂躙した。
午後九時、電車、バス、全ての公共交通機関が運行停止し、外出禁止令が発令された。しかし自動車で避難しようと多くの市民が路上に溢れ、人口密集地では凄まじい渋滞が発生した。歩道走行、信号無視、逆走、と秩序は崩壊し、交通事故が多発する。
午後十時、市内中心を南北に貫く太田川の橋梁全てにバリケードが大急ぎで築かれた。東西の往来が完全に遮断され、感染者を東岸に押し留めることに成功した。が、取り残された暫定健常者が太田川を乗り越えようと騒ぎ、そこへ感染者が殺到、さらには火災発生、と川の東岸は大混乱に陥った。そこを工事用の照明が昼間のように次々照らし、感染者は勢いを弱める。
午後十一時、感染者に噛まれ、後方で治療を受けていた者達が発症し、周囲の健常者へ襲い掛かった。バリケードを守る警官と市民は、前後から挟撃を受けて壊滅した。
結果として広島市は、感染爆発を抑えることに失敗した。
そして、数日のズレはあったが、全国主要都市の多くで感染爆発が始まった。
俺は・・・それをカップラーメンをズルズル啜りながら、自宅のテレビとネットで見ていた。在宅勤務でパソコンを使い残業申告やメール応答していたが、それどころではなくなった。嘘のような海外の動画は真実だったのだ。ベランダに出ると市の中心が火事や照明に浮かび上がっているのが見えた。消防車かパトカーか知らないがそこら中でサイレンが鳴っている。広島支店内ネットワークのオンライン会議が立ち上がり皆でどうするか話し合う。
市内、太田川の東に住んでいる同僚の過半とは音信が途切れた。
全国的な過負荷によるものだろう、ネット回線が途切れやすくなり、何度も繋ぎなおす。繋ぎなおすたびに参加人数が減っていった。電話も当たり前のように繋がらない。
実家の両親や兄のスマホに向けてメールを打っておく。
「皆無事? 俺は無事だけど食料買い込んで部屋に引きこもって様子見る。状況改善したらなるべく帰るから」と。
送信ボタンを押すと通常よりもかなり長く通信していたが、何とか配信済みと表示された。
単身赴任の上司が、東京の家族の元へ車で帰る、と意志を表明し仲間を募った。高速道路は不測の事態に対応できないからと、山間部一般道ルートを行くという。新幹線も飛行機も使えない。広島市南端の宇品港から船に乗り込む案も出た。宇品港は、瀬戸内各所を結ぶフェリーや、外国からの大型客船も寄港する大きな港だ。しかし太田川の東にあり人口密集地にも近い為、宇品港の情報は危ういものが多くNGとなった。
だから上司は山間部一般道を選んだのだろう。暖冬だったが山間部ではスタッドレスタイヤやチェーンが必要になる。上司の車は全て備えたアウトドア仕様のランクルで雪道に強かった。
「こんな大混乱の夜中に行くより、朝になってからの方が良くないですか?」
「わかる、確かに一理あるんだがなあ。逆に、兵は拙速を尊ぶ、とも言うだろ。考え方次第だな。僕は先を急ぐよ。お前はどうする」
「俺は・・・引きこもって朝を待ちますよ。丁度昨日、在宅勤務に備えて今週分の食糧とか買い込んで来たので」
「そうか」
「はい、引きこもるか、倉吉に帰るか、様子を見るか、小学校とか避難所ぽいところを探すか・・・呉の自衛隊や岩国の米軍基地を頼るか、近くのスーパーやコンビニを漁りに行くか、ガソリン探しに行くか、先ずは情報収集ですかね。あと武器や防具を探したり作ったり」
「なるほど参考になる。変わらないなあ、いつでもどこでも、お前は本当に落ち着いた奴だよ」
「ネットが繋がる限り情報は送ります。本当に気をつけて、神田さん」
「お前こそ。死ぬなよタカユキ、じゃあまたな」
「はい、落ち着いたら今度こそ焼き肉行きましょう」
「ああ、期待せずにお誘い待ってるよ。お前の『行けたら行きます』ほど、アテにならんものは無かったからな」
上司との会話はそれが最後だ。その夜は何度もメールで情報交換をしていたが、翌朝、日の出前に途切れた。
他の同僚たちもそれぞれの選択をしていた。車やバイクで逃げる者、とりあえず引きこもる者、食糧を探しに出歩く者。何が正しくて安全なのか、誰もわからなかった。仲間同士で合流しようという声も上がったが、自分はとにかく朝を待つことにした。
低気圧が西方から流れ込んでいたから、やがて氷雨が降り始めた。朝になっても真っ黒な空の下、血まみれの感染者が眼下の路上を走るのを見て、すぐに室内ヘ引き下がる。マンションの自分が住んでいる七階の廊下は静かだったが、階下、多分一階は侵入されたらしい。絶叫が聞こえた。
怒号、悲鳴、奇声、警報、その日は終日騒がしかった。
家族へ送ったメールはいつの間にか全員既読が付いていたが、今も返信は無い。相手のスマホのバッテリー切れもしくは電波状況の悪化と思いたい。
そうして日常が崩壊した。
時間を戻す。
食事も風呂も無防備になるから日没前に済ませ、日没と共に布団に入る。電灯を点けて夜更かしすることは先ず無い。エネルギー節約もあるが、当然感染者どもを避けるためだ。騒動の以前ならこんな早い時間にはとても眠れなかったが、今は普通に眠れる。人間、環境変化に適応するものだ。常に心のどこかが警戒しており、異変があればすぐ眼が醒める。
奴らは基本夜行性だ。夜になると獲物を求めて当てもなく徘徊する。そして獲物を見つけるや恐ろしい勢いで襲う身体能力が有る。しかしバイクのタイヤ痕を辿ったり、過去の事例から予測したりする知性は無い。音と光を追うだけだ。習性として太陽光のような強い光は嫌がるが、小さな光に対してはその限りではない。そもそも光が無ければ獲物を視認できるものではない。
四月末、山の夜は日没直後が賑やかだ。布団に入ってもしばらくは鳥や蛙の声に耳を傾ける。毎日聞いていると、この家の近くにどのような生き物がいるのか、色々わかってくる。
夜とはいえ、感染者がこんな山中まで来るとは考えづらい。
それでも夜は何が起こるかわからなくて、本当に恐ろしいと思う。