晴天だとそれだけで嬉しいにょろ
「うーん良い天気だなあ、最高」
俺が・・・山奥の一軒家に籠もって半年が過ぎた。ひとり暮らしが長いと独り言が増えてくる。
今日は物資調達すべく山を下りる。二十日ぶりの冒険だ。
食糧、医療品、電池、ライター、本、工具、役に立ちそうなものなら何でも良いが、特に食糧が欲しい。木の実や野草はもう飽きた。とにかく肉が食べたい。
泥と石で凹凸の激しい山道に、ミリタリー迷彩塗装のハンターカプを走らせる。ハンターカプはカスタム前提のようなバイクであり、多種多様なカスタムパーツが市販されている。このバイクはオフロード仕様にしてある。防音重視マフラー、荒目ブロックパターンのタイヤ、ライトとハンドルにはガード付き、荷台周りは長物ホールド用塩ビ管三本それと大きめのボックス。塩ビ管は針金で縛り付けていて見た目が悪い。しかし頑強で小回りが利いて使い勝手が良い、素晴らしい一台だ。
そんな実用一点張りのバイクに、俺は紺の薄汚れた作業服上下にリュックサック、半ヘルとゴーグルとマスクという出で立ちで跨っている。荷台横の塩ビ管には鉄棒と二本の剣鉈を挿してある。鉄棒は多分建築用の鉄筋だ。
自分の身は、ガチに自分で守らなければならない。闘うのは今も怖いけどもう慣れた。
街を見下ろす高所に出た。騒動の初期はあちこち煙が上がったりパトカーが右往左往したり賑やかなものだったか、今は車一つ走っておらずとても静かだ。街の向こうには瀬戸内海が輝いている。ポカポカと春の陽射しが心地良く平和な風景だ。天候の崩れる予兆は無い。それが何より探索には大切だ。
意を決し山を下りていく。
大きな川の土手沿いの道を走る。見晴らしが良くてDQN共に見つかる危険があるが、至近で不意打ちを受けるよりはマシだ。
今や街はその機能を失った。電車は止まり、信号は消灯し、道路には車両、倒木、死体、よく分からないゴミが放置され、切れた電線が垂れ下がり、マンションは窓が割れている。
周囲を警戒しつつ、バイクを走らせる。風の音だけが聞こえる。まだ肌寒い。
マンションや事務所、窓の向こうには時折人影がある。殺意のこもった視線を感じるが今は大丈夫だ。感染者は光の下に出ることができないからである。日光を浴びるととんでもない苦痛を感じるらしい。まったく、斬っても殴っても元気いっぱい突撃してくるくせに意味がわからない。
だから街を探索するなら日中の晴れ間しかないわけだが、危険は感染者だけではない。警察、インフラ、産業基盤が機能しない今、他人から襲われたのは一度や二度ではない。基本、他人は敵だと思った方が良い。
街中のドンキーなど大型雑貨店は、この騒動の初期ならともかく、今はもう完全に探索の対象外だ。宝の山だと思うが、危な過ぎてとても一人では乗り込めない。だから郊外のコンビニを探すべく、太田川の土手沿いに北の内陸部へと進んだ。三十分ほど走り、田舎によくある国道沿いの、平屋建てのコンビニを見付けた。周囲の田畑は全て放棄され、雑草が繁茂している。バイクを停めてゴーグルを上げた。
土手から見下ろし様子を探る。建物の裏側には異常無い。隣の田んぼに軽トラが横転している。タイヤが数本溶け落ち、フレームが一部黒く煤けている。前面ガラスには血痕が派手に付着している。内部から人の足のようなものが見えるが、動いてはいない。
コンビニの駐車場、前面にバイクを回す。駐車場には錆びた自転車が転がっていた。
コンビニはガラスが派手に割られている。当然停電しているから内部はよく見えない。
いつでも逃げられる体勢で、小石をひとつ放り込んで見る。カツンカラカラと意外に大きく鳴った。
「ガアアア!」
途端、感染者が窓際に現れた。髪を振り乱した若い女だ。服が破れほぼ半裸。涎をボタボタ垂らし、赤く濁らせた目に知性の光は欠片も無い。日光を避けるため店外へ出ることはないが、それでもどうにか自分を捕まえられないか、こちらを睨み付け、店内を忙しなく右往左往する。何度見ても気持ち悪い。
「元気だなあ、何か良いことでもあったのかな」
総じて、感染者に待ち伏せするほどの知性は無く、速攻反応するのが習性だ。だから店内の感染者は奴だけと言える。
マイルールとして、相手が単独の場合のみ仕掛けることにしている。建物の陰でエンジンを止め、バイクを降りた。ゴーグルを装着する。
「落ちつくこと、躊躇わないこと、油断しないこと」
独り言を言いながら剣鉈を置き、鉄棒を両手で携え、大きく割れたガラスの前に立つ。
感染者が数m先の店内から唸りを上げる。腹が減って仕方ないらしい。それでも日光差す店外へは出てこない。窓際で唸るだけだ。そこには防御も回避も無い。
至近で見る感染者の顔は結構美人さん。食欲で醜く歪んでいるけれど。
息をついて、半身に鉄棒を構えた。腰を落とし、体をギリギリ捻って力を溜める。後方に引かれた鉄棒の先端が小さく震える。
「ふっ!」
鉄棒が三日月を描き、感染者の首筋に叩き込まれた。バゴキッと濁った音がして、感染者の頭が真横に傾き、そのまま俯せに倒れた。頭が日向に出たせいか震えだす。容赦無く剣鉈で頭を叩き割り黙らせた。
光と影の有効利用、それが自分なりに編み出した必殺技である。
しばらく辺りの様子を伺う。変化無し。
「いらっしゃいましたよ〜」
コンビニへいざ入店すると、埃や雨風に薄汚れてはいる。本当に珍しいことに略奪の痕跡は無かった。店員と思しき、血まみれ制服の白骨死体がカウンターの奥に寝ていた。その制服の中に大きなアオダイショウがニョロニョロ蠢いた。お気に入りの住処らしい。
「おやおやおやおや」
煙草にビタミンゼリーにソーセージ、ミネラルウォーターと何でもある。賞味期限など知ったことではない。
「マジ大当たりだよ、今夜はパーティだなわっしょい」
喜び勇んでリュックサックに詰め込む。バイクの隙間にまで色々押し込んだ。
「さ、暗くなる前に帰ろ」
多分電波更新されてない太陽電池の腕時計は午後三時前だが、余裕を持って家に帰るのは極めて大切だ。
全ては回収できないので明日も晴れたら来よう、と良い気分で土手の上を走っていたら、前方に人影が立ち塞がった。手を振っている。ボサボサ頭でガリガリに痩せた男がひとり。よく年齢がわからない。やたら眼がギラギラしているが感染者ではないようだ。
十m以上手前でバイクを停める。
男がこちらに来ようとするので
「止まれ!」と叫ぶ。
「おいおい別に何もしねえよ、ただ話をしたいだけなんだからよ。そう、情報交換て奴だ」
声はおじさんだな。
「悪いけど信用できないよ、話があるならそこで言え」
「用心深いねえ、兄さんはどこから来たんだい?」
後方を指差し「あっちからだよ、じゃあそういうことで」とやる気無く答え、後方へ方向転換しようとハンドルを捻る。
「おいおい、待ってくれよ、まだ話は終わってないだろ!」
言うや男が右手を振りかぶった。どこから出したか包丁を掴んでいる。
予想の範囲内ではある。アクセル開放、迷わず川原へ下りて走り抜ける。飛んできた包丁が後方の砂地へ刺さった。
「待ってくれよ! もう食いもんが無いんだ、たんまり拾って来たんだろ!」
「待つかよカスが! 死ね! 歯が汚ねえんだよ歯磨きしろ!」
あっという間に距離が開く。まったく、不器用で要領の悪いおじさんだ。よくあれで今まで生きてこられたな、とさえ思う。
昼下がりの風が川面から吹いてくる。
眩濤八年四月、今日は終日晴天の素晴らしい一日であった。
とりあえずそれはウイルスだというが、その起源には諸説あった。
温暖化で溶けた数万年前の氷河から蘇ったという説、水質汚染が行き着く果ての極相水域から新しく産まれたという説、隕石に含まれていた未知の物質だという説、中国が開発し暴走させてしまった生物兵器だという説。いずれにしろネット始め通信網、電力網が崩壊し、まともな情報は皆無に近い。
それにどうせ結果は変わらない。
そのウイルスは人間に壊滅的なダメージを与えた。記憶と理性が失われ、光を忌み嫌い、食欲ばかり激烈に暴走して同族相手に襲いかかり食い殺す。痛覚に食欲が勝るため身体能力が限界まで引き出され、餓狼のように獰猛になる。
感染経路は噛むことによる唾液感染。まっすぐ突撃して食らいつこうとする相手から無傷で逃げるのは、意外に難しい。不用意な健常者が噛まれてしまう場面は何度も見た。
噛まれた後の発症時間は部位によって大きく異なる。頭や首筋など中枢に近いところを噛まれると数時間、身体の先端なら数日か。
武漢ウイルスのように中国で新種の伝染病が流行り始めた、というニュースが最初だったと思う。行政府が機能不全に陥り暴動が発生したという。各国の対応は後手となり、その伝染病は数十日で世界の大都市へ伝播、蔓延した。
「会社じゃなくて社会が悪い」
ホワイト寄りのブラック企業で働いていた頃によく嘯いたフレーズだが、会社も社会も結局は潰れてしまった。