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【第三部完結】灰に至るまで  作者: からん
第一部 ハルトマン領陥落
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第12話 影

 剣を腰に戻して、薄汚いなりの男はさっそく歩き出す。


 表面上では余裕を演じているものの、ベーゼにとっても一歩間違えば死に至る戦闘だった。


『気』で切断力を高めた斬撃。


 反応速度を超えた居合斬り。


 頭のネジが少し緩んでいるが、ファルミという青年はまさにハルトマン領二番手として相応しい技量を持っていた。


 幸い、ベーゼの予想通り、その目は出会った時から既に死者の目で、さっきの戦闘でも生への執着を微塵も感じ取れなかった。


 青年が本気で戦いを望むなら、なかなか骨の折れる仕事となるだろう。

 

 やはり運が味方をしている。


 自分の僥倖を祝いつつ、ベーゼはさらに足取りを速めた。


 向かう先は三階。


 領主ズィーゲル・フォン・ハルトマンの書斎である。


 ベーゼが午後ドアを叩いた時の感触では、部屋には少なくとも五つ以上の封印が同時に施されている。


 まさに堅牢だ。


 さすが『封印』の祝福を持つハルトマン家の長だと、若干冷や汗もかいた。

 

 でも、いまのベーゼにとって術式など問題にならない。


 月明かりに照らされる廊下を足音もなく進み、ベーゼは各種のシンボルを刻まれた扉に辿り着く。

 

 手を包帯に巻かれた剣に置き、次の瞬間、その姿は書斎の内部にいた。


 チッ……

 

 うずたかく積まれた書類の山。雑然と並べられた羊皮紙のスクロール。あちこちに転ぶ魔石。大広間匹敵するほどの広さを持っているにもかかわらず、書斎の内部はところどころに積まれた本が山脈を作り、散乱する紙束が海をなしていた。


 ――所有者がいかなる知識に傾倒しているか具現化したような風景だった。


 なのに、本の古びた香りに、かすかに血の錆びた臭いがする。


 ベーゼはこれでもいろんな事態を経験した身だが、まさかここも流血沙汰になっているとは思いも寄らなかった。


 右手で短剣を抜き払い、ベーゼは神経を研ぎ澄ませて奥へ進む。


 ……


 そして、調子の抜けたため息をこぼした。


「ったく、なんでこういうことになるかな」


 机に突っ伏している男。


 燃えるような真っ赤な髪をしており、身に纏った服は平民と一線を画する精巧に織り込まれたものだ。


 貴族階級らしい装飾を施されたものの、派手ではなく威厳を醸し出すような雰囲気。間違いなく、領主ズィーゲル・フォン・ハルトマン伯爵ご本人だと、ベーゼは判断した。


「ふむ」 


 剣を持ったまま、ベーゼは一定の距離を取り遺体を観察する。


 暗闇のせいで視認するのは難しいが、机を中心に書斎の内部は満遍なく術式が刻まれている。ハルトマン卿のような賢者ともなればなおのこと警戒が必要になる。


「心臓がなくなってるな」


 ベーゼは魔法の類には疎い。


 それでも魔導の中枢は心臓であることを知っている。


 術式の失敗による反動か。それとも、何者かによって殺されたのか。どちらにしろ現在屋敷にいる者に知られてはいけない事態だ。


 領主の胸元の空洞から滴り落ちる液体は、まだか乾ききっていない。


 午後書斎を訪ねた時まだ生きていたところを考慮して、やはり最終防衛術式が発動する瞬間何か異変が起きたと考えるのが一番妥当だろう。


 初めて、ベーゼはこの屋敷に不気味さを覚えた。


 ベーゼの見立てでは、ここ数日起きた殺人は見習い神官と警備隊長の宗教ごっこによるものだが、現状からしてどうもまだ何か裏がありそうな感じだ。


 見えないところに、何かが形をなそうとしている。


 !


 ドアが閉じた音。


 咄嗟の反応でベーゼは陰に姿を隠すが、すぐそれが誤った判断だと悟った。


 くっそ、さっきまで書斎の中にいたのか!


 地面に転ぶ書と道具を蹴飛ばし、ベーゼは迷わず廊下に躍り出る。


 しかし、夜の帳に覆われた空間にただしんとした静寂が流れる。


 チッ、気配を隠すのがうまいヤツめ。


 ベーゼはここで相手を見逃すつもりは毛頭なかった。


 左手を包帯の剣に当て、そのまま二階の廊下に転移する。


 屋上に逃げていれば三階の窓が少なくとも音がするはず、逃げるなら下のほうへ向かっていると踏んだ。


 誰もいない。


 周りの風景がはっきり変わったのに、同じく死んだような静けさだ。


 動揺が走るが、ベーゼはすぐ迷いを断ち切る。


 さらに下へ。


 ――みつけた。


 マントを覆った小さな影が足音もなく素早く廊下を駆け抜け、まさに食堂に入ろうとしているところだった。


「おっと」


 キンと金属が交わる音。


 直近距離に転移して短剣の一撃を見舞ってやるベーゼを、しかし影は力の衝撃を利用してすっと距離を取る。


 かなりの凄腕だ。


 ベーゼは内心で舌打ちする。


 顔が見えない。身長はベーゼの腰の辺りまでで、魔族のゴブリンを連想させる体型である。にもかかわらず、力量の差を無視して、いともたやすくベーゼの攻撃を受け流した。


「誰かは知らんが、逃さないぜ」


 剣を構えて、ベーゼは余裕の笑みを作った。


 最終防衛術式の影響で、誰も外には出られない。限定された空間で匿うにはまず追手を撒く必要があるが、転移できるベーゼからは決して逃げられない。


「っっつ!」


 踏み込んで、ベーゼは頭を狙って突き抜く。


 自ら取り掛かるのは反撃剣の領分ではない。しかし、そうせざるを得ない状況が発生した。


 ゆっくりと、まるで溶けるように影の姿がぼやけていく。


 影はまたしても受け流す。


 巧妙に避け、身を翻し回転を作りながら退いていく。その動きは終始防戦を徹しており、決して攻めはしない。守備軍に配備されたなんの変哲もない長剣を手に、見切ると同時に間合いを作って、ベーゼの攻撃を誘う。


 相手の攻撃を巧妙に利用する反撃剣の技を見抜いたような姿勢をとった。


「おいおい、冗談だろう」


 ベーゼの目が見開く。


 ――影はベーゼと同じく、反撃剣を使っているのだ。


 このような芸当ができる人物。


 ベーゼの知る限りたった一人存在する。


 それもつい先日ベーゼが負かして死に追いやったはずの相手だ。


「なるほど……不死者。身体を真っ二つにされても死なないわけか。それに、これなら辻褄も合う」


 武器頼りに辛うじて技を繰り出す自分と違い、本当に厄介な敵。


 そして勝負がつくまでに相手は逃げる。


 ベーゼはそう判断した。


 先日と違い、今度は影にとって逃げていい状況である。


「一応聞くが、取引するつもりはあるのか」


 それでも、万が一の可能性を考慮して、ベーゼはあえて相手の名を呼ばなかった。みれば、フードの隙間から覗く髪の色は乾きった灰色。ベーゼの知る反撃剣の使い手はこういう不死者の特徴はでていないはずだ。


「あんたはどうしてこんな体型になったかはおおよそ見当がつく。いま姿が薄れているわけもね」


 ベーゼもまだ確信に至っていない。ただ、確信したふりをして、状況を有利に運びたかった。そのうえで、条件を切り出す。


「ただ、こっちとしても揉め事は避けたい。ことが終わるまで待っててほしい。そうすれば教会にあんたの素性をばらさない。どうだ。お互いにとって悪い話はないはずだ」


「……」


 影は答えない。ただ静かに佇むのだった。


 恐らく何一つ情報を漏らさない魂胆だろうとベーゼは踏んだ。


 自分だったらそうしたし、影ならきっとそうするだろうと思った。


「とりあえず考えておいてくれ。あんたも師匠の顔に泥を塗るような真似は勘弁したいだろ?それに教会に追われる身になったら厄介だぜ」


「…………」


 沈黙。


 答えのないまま、ただフードを覆った小さな影が闇に溶けて、姿を消した。


「ったく」


 ベーゼは思いっきり頭を掻きむしった。


 事態がことごとく予想を超えて、綿密に立てた計画に綻びが生じたからだ。


 そして……


 さっきの会話を聞かれたことに。


 年齢は五十代半ば前後。


 隣の一室に、エプロンを纏った男が恐る恐ると顔を出す。


 起伏する胸をなんとか落ち着けようとして、震える手で口を押さえている。


「だ、旦那。いったいどういうことになっているんだ」


「ふむ~起きているヤツがいるとは。もしかしてハルトマン卿が死んだせいで術式の効果が弱まったのか。いや、最初の夜からすでに起きていた可能性もあるな」


 ベーゼは答える素振りを見せず、独り言をつぶやきながら近づいていく。


「なんのことはさっぱり分かりませんが、わ、わたしはただの料理を任されている者です。さっき突然目が覚めて……」


 ベーゼが近づいてくるにつれ、男は下がっていく。


 やがてその背中が壁についた頃、ベーゼもようやく足を止めた。


 目の前の部屋は食料庫。


 おそらく男は仕事に取り掛かる最中に昏睡状態に陥り、さっきのことを目撃したのだろう。


「まぁ……しようがない。さらに状況をかき乱すほかないようだ」


 ベーゼは仕方なさそうに肩をすくめる。

 

 その瞳は、どこか不安定に揺れていた。

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