終電の十三号車
終電を知らせるアナウンス音が、閑散とした駅のホームに響き渡る。
そんな無人のホームに一人、スーツ姿の男が立っていた。
名を小幡研一と言い、ごく普通の会社員である。
残業をしていた研一は、終電の時間が迫っていることに気づいて慌てて帰路についたのだ。
この電車線はいわく付きである。
なんでも、人身事故で亡くなった女性がいて、以来その女性の霊が電車内を彷徨いているのだとか。
ここは随分と田舎なので、終電まで来ると人の気配はほとんどない。
女性が事故にあったのも、最終電車だったそうだ。
冷たくなった彼女を見つけたのは、早朝に見回っていた警備員だった。
これは監察医によって後で分かったことなのだが、事故当時の状態では、彼女はまだ助かる余地があったらしい。
つまり、その女性がもう少し早くに発見されていたら、最悪な事態にはならなかったというのだ。
それを死んだ彼女が知って、この駅に呪いを──などという、馬鹿らしくも変に筋の通った話である。
ニュースで公開されていた写真には、繊細な顔立ちの女性が優しげに微笑んでいた。
人は皆、口を揃えて言った。
「こんなに優しそうな子が、あんな目にあって……可哀想に」
噂が広まる頃には、誰も口に出さなくなったけれど。
そんな訳ありの電車線が、研一の通勤路線なのだ。
噂によれば、終電に来た電車が呪いの電車である場合、決まってそれは──
「あっ」
研一はやってきた電車を見て、小さく声を漏らした。
普段十二両編成の電車が、何故か十三両編成になっているのだ。
噂通りに。
けれど、この電車を逃すことは出来ない。
田舎のここにカプセルホテルなどなく、まさか会社に泊まる訳にもいかないので、これに乗る必要があるのだ。
ゴクリと喉を鳴らして、研一は車内に足を踏み入れた。
十三号車には流石に乗る勇気が出なかったので、一つ前の十二号車に乗り込む。
軽快な発車ベルが鳴り響き、プシューっと気の抜けるような音ともに、電車のドアが閉まった。
ゆっくりと、そして段々速く、電車は進行していく。
いつもと同じ動きをする電車にホッとした研一は、無人のそこを見渡し、座席に腰を下ろした。
「やっぱり、ただの噂じゃないか。十三号車まであるのだって、ただの偶然だろう」
馬鹿馬鹿しい。
軽く頭を振って、研一は深く背もたれに沈みこんだ。
それから暫くの間、電車は普段と変わらず走行していた。
仕事の疲れも相まって、研一はうつらうつらとし始める。
眠気に抗おうと欠伸を噛み殺した、そのとき。
突如として、異変が起こった。
車内の電気がチカチカと点滅したのだ。
そしてとうとう、その電気すらも消えてしまった。
視界が闇に染められる。
シンと静まり返った車内。
停電等のアナウンスも聞こえず、電車は淡々と進んでいる。
「なんだ?」
研一は驚いて立ち上がった。
何か変だ。何かおかしい。
頭の中がそんな思考で埋め尽くされる。
ふと無意識に、研一は十三号車を振り返った。
そうして自身の目に映ったモノの存在を、彼はどうしようもなく否定したくなった。
──それは女であった。
白いワンピースを着た女だ。
長い黒髪を青白い顔に垂らし、白い手足が服からにょっきりと生えている。
まるでモノクロ画像でも見ているかのようだった。
ただ一つ、目だけは違う。
真っ赤に充血した目。
それがこちらを真っ直ぐに見つめているのだ。
大きく見開かれたその目と合い、研一は「ひっ」と喉をひきつらせた。
腰が抜けそうになり、肌はゾワゾワと粟立った。
逃げなければ。
研一の脳が、全身が、そう叫ぶ。
十一号車、十号車、九号車……
荒々しい足音を響かせて、研一は次々に貫通扉を開け放った。
ときたま思い出したように振り返ると、しかし彼女は十三号車から動いていないようだった。
彼女との距離はドンドン離れていく。
それなのに、目はずっと合ったままなので、研一はどんなに彼女から離れたところで安心など出来なかった。
けれど、彼は分かっていた。
電車は一号車までしかないということを。
電車が次の駅に到着しない限り、どこにも逃げ場がないということを。
ついに研一は、一号車に辿り着いてしまった。
喉が擦り切れそうなほど、肩が外れそうなほど、研一は荒い呼吸を繰り返して、膝から勢いよく崩れ落ちた。
足は止まった。
けれど、目だけは忙しなく動く。
そうして怖いもの見たさとでも言おうか。
十三号車へと目を向けた彼は、「嗚呼」と声をあげた。
研一が逃げている間、まんじりともしなかった女が、扉という隔たりをものともせず、まるでベルトコンベアにでも運ばれているように、こちらへと向かってきているではないか。
速い。
音もなく、ひたすら速く、女は研一の方へと距離を詰める。
研一の額に大粒の汗が滴り落ちた。
──違う。
真っ白になった頭で、ふと研一は思った。
あの事故の女性ではない、と。
骨格も目鼻立ちも、何もかも。
あの写真に載っていた女性とは違った女が、まっすぐ研一を睨んでいる。
「誰……だ?」
掠れた声が出た。
全身が震え、呼吸は浅く、今にも昏倒しそうな彼だったが、なぜだか彼女の目から視線が離れない。
とうとう女は一号車の扉の前に来てしまった。
焦らすようにピタリととまり、彼女は研一をじっと見つめる。
どのくらい経っただろう。
それくらい、長い間見つめ合っていた。
彼女はニヤリと口角を上げ、研一に歪んだ笑みを見せた。
小さく動いたその口は、音を発することはない。
だが、研一は口の形だけで理解した。
『ツギハオマエダ』
──ブツリと意識が途絶えた。
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終電を知らせるアナウンス音が、閑散とした駅のホームに響き渡る。
そんな無人のホームに一人、スーツ姿の女が立っていた。
携帯を片手に、彼女は電車を待っていた。
この電車線はいわく付きらしい。
数年前に起きた人身事故。
そして数ヶ月前には、車内で意識不明の男が発見された。
男は直ぐに目を覚ましたが、それはもう、見るに堪えないほど精神が崩壊していたそうだ。
彼は壊れたカセットテープのように、十三号車が、十三号車が、と繰り返し、悲鳴をあげたかと思うと、今度はケタケタと笑い出す。
そうして、警察がものを聞き出す前に、男は息を引き取った。
故にこの事件は迷宮入りしてしまった。
因みに、男が発見された電車は、普通の十二両編成の電車だった。
「あっ」
音を立ててやって来た電車を見て、彼女は一つ、声を上げた。
電車はいつもより一車両多く、十三両編成だった。
僅かに【あの噂】が頭をよぎる。
しかし、これを逃す訳にもいかず。
女は恐る恐る電車に乗り込んだ。
彼女はまだ気づかない。
十三号車に佇む男の姿に。
まずは、この物語を最後までお読みくださった貴方様に感謝を。本当にありがとうございます。
どうだったでしょうか?
夏らしくなってきた今日この頃、少しでもヒンヤリと感じていただけたら嬉しいです。
追伸
感想欄にてご指摘をいただき、少々(というには少し多めに)改稿しました。
理由付けは 筆者の力不足で出来ませんでしたが、何とか少しは形になったと思います。
ご指摘くださり、本当にありがとうございました!