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63.夜明け前の露天風呂

 今朝の目覚めは異常に早かった。

 まだ太陽が星空を消し去る前、僕は暗闇の部屋で瞼を上へあげる。

 当たり前だが、何も見えない。


 時刻は午前四時過ぎ。

 僕は背中にくっついてるリアを無理矢理引き剥がし、ゆっくりと地に足を付けて目を細めながら、カーテンを静かに開ける。


「……真っ暗だな……」


 自分にしか聞こえない声でそう呟き、暗闇に目が慣れるまで星空を見上げる。

 この朝方の時間帯には流石にライトアップはされてなく、街も停電したのかと思うぐらい灯りがない。

 ただ星だけが光輝いていた。


「ん~サラってばぁ~」


 背中からハッキリとしたそんな声が聞こえたと思えばリアの寝言。

 サラを世話する日常を夢見ているに違いない。

 そんな星光で輝くリアの寝顔は楽しそうで嬉しそうだった。

 リアは意外にサラを溺愛しているからな。

 夢でも一緒に過ごしているということは、本当に心の底から戻ってきてほしいと思っているのだろう。


「それならきっと……仲直りできるさ」


 僕は夢の中にいるリアにそう聞こえるわけがない言葉をかける。

 そして乱れている毛布を優しく静かにリアの体にかけ直す。

 すると、すぐに寝返りを打ったので起こしてしまったのかと少し焦ったが、小さな寝息を立てスヤスヤと眠っていた。

 僕はそれを見てホッとし、上がった肩をゆっくり下ろして頬を緩める。


「相変わらず寝顔だけは可愛いな」


 僕は一言そう呟き、暗闇に慣れてきた目で物音を立てないように部屋を歩き、今日着る海パンを手に持ち、音が出ないように慎重に扉を開けて部屋の外へ出た。


 こんな朝早くからどこへ行くかと言うと、地下に存在するお風呂場である。

 つまり、僕は今から俗に言う朝風呂と言うやつをしに行くのだ。

 別に今日する必要性は全く言ってないのだが、運が良かったのか、それとも悪かったと言うべきか、こんな朝早くに目が覚めてしまったので入ってみることに決めた。


 僕は真っ暗な廊下と階段を歩きながら二階から一階へ。

 壁に付けられた小さな灯りに照らされながら一階から地下へ。

 ココが言っていた通りお風呂場は二十四時間やっているようで、急にこの世が昼へ変わったと思うぐらい脱衣所の眩い光が僕に降り注ぐ。

 暗闇に慣れた目だったせいか、いつも以上に明るさを感じてしまい思わず目を細める僕。

 だが、暗闇の時とは違いすぐに目は慣れ、手に持っていた着替えを置いて、パパっと服を脱いでミニタオルを持ち、お風呂場の扉を開く。


 特に汚れてはいないのでシャワーで体を軽く流し、すぐにまだ真っ暗な露天風呂へ。

 風の音、水滴が落ちる音。

 肌に当たる冷えた風、いつも以上にフワフワと漂う湯気。

 まず聴覚と視覚でその空間、雰囲気を楽しみ、右足からゆっくりと湯船に入り、次に左足を入れて肩まで浸かる。


「ふぅ~」


 自然と力が抜け、そんな声がもれる。

 何時に入ってもお風呂とは幸せであり、体の至るところにある疲れを癒してくれる。

 加えてリラックス効果があり、体だけではなく心まで癒してくれる。

 ただお湯に浸かっているだけだというのに不思議ものだ。


 ところで、お風呂と温泉の違いとは何だろうか?

 個人的にはこのような宿では『温泉』と言い、自分の家や友達の家、とにかく家では『お風呂』と言うのではないかと思っている。

 だが、ココはこの宿のこの場所をお風呂と言ってる。

 まぁ言い方が違うだけで、あまり大差はないのでどうでもいいのだが。

 最近、よく『お風呂?』に入るからそんな疑問が湧いた。

 

 いやしかし、お風呂とは良いものである。

 僕がお風呂に初めて入ったのはBNWに来てから。

 今更だが、この世界では本当に色々な初めてを体験している。

 どれほど知識があっても何かを体験するということは全くの別物。

 この世界に来て、そう何度感じさせられたことか。

 これからも僕は新しい体験をたくさんしていくに違いない。

 そう思うと、本当に今後が楽しみで仕方ないな。


「あまり見ない顔じゃの」


 湯気で何も見えないが、僕の逆サイドから若くない声が聞こえる。

 お爺さんとかそこらへんを想像させる声音。


 それよりもこんな時間だというのに、この場に先客がいたとは驚きだ。

 いや、本当は客がいたということに驚いたと言うべきか。

 これでココが言っていたことが本当になる。

 正直、今すぐにでもココに対して疑い過ぎていたことを心から謝りたいが、謝れば疑っていたことがバレるので心の中で謝っておく。


 ―ー本当にごめんなさい!


 そんなことは後回しで良くて、今は返事をしないとな。


「二日前にGレイヤーに来たばかりの新人ですよ」

「そうかい。だから、見ない顔じゃったのか」

「そういうことです」


 僕とお爺さんの声、それと体から落ちる水滴音がこの静寂の中でとても綺麗に響く。

 動けば湯船は波打ち、その波は露天風呂の岩に当たり小さな音を立てる。


 そんな自然と神秘を感じさせる雰囲気の中、僕は口を開く。


「でも、お爺さんこそ見ない顔ですけどね」


 もちろん、顔など湯気で一切見えない。

 ただ僕は先ほどお爺さんが口にした言葉を真似てみただけだ。

 すると、お爺さんの方から「ゴホン」とわざとらしい咳払いが一つ。

 続けてお爺さんが僕に言葉を返す。


「お爺さんとは失礼じゃの。ワシの名はデネブじゃ」

「気に障るような呼び方をしてすみません。デネブさんと言うのですね」

「お前さんの名は?」

「僕はゼロと言います」

「変わった名前じゃの」

「デネブさんには言われたくないですけどね」


 何も見えない湯気越しで淡々と会話を続ける僕とデネブ。

 軽く話してみて思ったことはそこそこ面白いお爺さんと言うこと。

 今まで多くの人間と会話してきたが、全く雰囲気というか覇気が違う。

 オーラがとても不思議で思考が読みにくい。

 ただ者ではなさそうだ。


「それよりもゼロ。お前さんは実力協力制度についてどう思っておるのじゃ?」

「いきなり難しい質問ですね」


 僕は面白い質問に思わず苦笑交じりでそう答える。

 でも、デネブの方は至って真面目だ。


「そうかもしれないの。でも、そう深く考えなくてよい。今頭に浮かんだことをそのまま答えておくれ」

「んー、そうですね。僕が思う実力協力制度とは簡単に言うならただの『ゲーム』。具体的に言うならただの『殺し合い』ですかね」


 僕は少し考えている感じを見せながら、一部を強調して二種類の答えを述べた。

 すると、デネブは静かに鼻から笑い出し、徐々に声を出して笑い始める。

 そんなに面白い回答だっただろうか?

 正直に答えただけなんだがな。


「ワシの答えとは全く違って笑ってしもうたわ!」

「別に構いませんよ。それでデネブさんはどう思っているんですか?」

「ワシは……」


 デネブはその言葉の後、少し間を置いてから「ふぅ~」と一度大きく息を吐いて言葉の続きを話す。


「ワシは『人間を狂わすルール』じゃと思っておるよ」

「まぁ基礎は地球のルールですからね」

「いいや、基礎だけじゃなく、全て一緒じゃ」

「僕はそうは思いませんよ。地球というよりかはファンタジーの世界に近いと思っています」

「それは夢を見すぎじゃな、ゼロ。ファンタジーの世界はもっと自由なものじゃよ」

「そう、ですかね」

「そうじゃ。BNWとはファンタジーの世界ではなく、スキルという自分の力と仲間と共に、ルールに縛られた中でカーストトップを目指すだけの世界」


 そう言うと、大きな水の音と激しい波を立て、ゆっくりと立ち上がるデネブ。

 そして「はぁ……」と謎のため息をついて、最後の言葉を紡ぐ。


「それは自分の知識と行動力、そして金で雇った仲間と共に、ルールで縛られた中で富裕層を目指す地球と同じ世界。つまり、BNWとは地球の過去を辿る世界じゃ」

「わざわざAIが人類に地球の過去を繰り返させているとでも?」

「それは違うの。人類が地球の過去を繰り返すことを望んだのじゃよ。だから、実力協力制度という自由を奪うようなものが出来たのじゃ」

「でも、一部の人類の反発によって実力協力制度が出来たと聞きましたが」

「何じゃそれは? ゼロは実力協力制度の前の世界を知らないのか?」

「し、知らないです」


 僕の言葉に「はぁ……」と呆れたようなため息をつき、口を開く。


「実力協力制度が出来る前にもカーストは存在しての。なぜなら、存在価値スコアに差がある人間に同じ扱いとは平等ではないからじゃ」


 まさか実力協力制度前にもカーストが存在していたとはな。

 確かに存在価値スコアが満点に近い人間と僕のように0の人間が同じ扱いを受けるのは平等ではない。

 存在価値スコアが高い人間にはそれなりの優遇措置は必要だろう。

 まぁ話を聞く限り、それが何かは知らないが存在していたようだがな。


「実力協力制度が出来た理由を先に言うと、存在価値スコア上位者の『反発』ではなく『要望』じゃ。権力を持っていたこと、AIという存在に近かったこと。そんな自分たちの地位を使い、実力協力制度という『上下関係をしっかりさせるもの』を作るようにAIに頼んだのじゃよ」

「それが実力協力制度というものが誕生した理由ですか……」

「ああ、そうじゃ」 


 デネブはそう言い終わると同時に水を切って動き始める。

 だが、僕にはまだデネブに聞きたいことが一つある。

 だから、僕は会話を無理矢理にでも続ける。


「そうだとしたら、人類は……存在価値スコア上位者は人類の全滅を望んだことになりますね」

「いや、それはないね。彼らにとって実力協力制度を作った理由はただの『好奇心』。そこまでは考えてないじゃろうな。だが、彼らが望んでいなくても必ずにそうなるとことは間違いない。今の体で過去を繰り返すことが出来ても、未来に子孫を残す手立ては存在しないのじゃから」

「ですね」

「しかし、そのためにワシがおる。人類全滅を防ぐためにワシがおるのじゃ」


 その言葉が告げる頃にはもう湯船を出て、デネブはシャワーで体を流そうとしていた。


「あ、あの……最後に一ついいですか?」

「何じゃ?」

「デネブさんは……何者ですか?」


 そんな僕の質問と同時にシャワーの音がこの場に響き渡る。

 数秒後、「キュ」という音でシャワーは止まり、一瞬だけ沈黙が訪れる。

 そして最後にこちらに顔を向けて、デネブはこう言った。


「いずれゼロと仲間になる者じゃよ」


 ただそんな曖昧な言葉を吐き、もう振り返ることなくお風呂場から出て行くデネブ。

 僕はそんな背中を見届け、露天風呂に肩まで浸かり直し、空を見上げる。


「面白い……お爺さんもいるもんだな」


 天に吐くようにそう呟く。

 デネブと会話をしているうちに、太陽は海面から頭を出し始めていた。

 そして太陽は海面に反射し、二つ目の太陽が存在を現す。

 一つは天に。もう一つは海面に。

 その光景は実に不思議であり美しい。

 今までの日の出とは全く異なり、現実の世界と鏡の世界の境界線に立っている気分だ。

 それにこの露天風呂に浸かりながらこの景色を見ているということが、また新鮮さを感じられてとても良い。

 ふと思ったのだが、日の出とは何種類の顔を持っているのだろうか。

 まるで、人の顔そのものである。

 実に面白い。

 次はどんな日の出と出会えるか楽しみだ。


        ⚀


 露天風呂でデネブと会話をしてから数時間後。


「ちょ、これ間に合うの!?」

「いや、知らん。てか、リアが寝坊した上に朝食をダラダラと食べていたからこうなったんだろ!」

「はぁーあ!? ゼロが先に起きているのに私を起こさないからでしょ!」

「それ逆ギレだからな。僕はリアが疲れてると思ってギリギリまで寝かしてあげたんだ」

「そんな優しさはいらない!」


 現在、僕とリアは街中を猛ダッシュ中。

 時刻は午前十一時過ぎ。

 予定出発時刻をとうの昔に過ぎている。

 理由はさっきの会話で言った通りリアの寝坊&ダラダラとした朝食が原因だ。

 マイペースなのは良いが、流石に今回ばかりは困ったものである。

 リア自身、朝食中は「走れば間に合うでしょ!」とほざいていたが、今になってかなりギリギリということに気付き、こんな感じで走っているというわけだ。


 それにしても、乳を横で揺らすな。

 もう凄くボヨンボヨンなって、いつポロリするかこちらは冷や冷やである。

 それにそのボヨンボヨンのせいで、無駄に男たちの視線がこちらに向いているし。

 どうにかならないのか、その弾む乳は。


「で、さっきから見て来てるけど何か文句でもあるの?」

「いや……ない。いや、あるな」


 普通に文句はある。

 でも、見ていた理由は文句を言うためではない。

 ただの乳吸引力だ。

 最近、慣れたはずだったのだが、弾むレベルを慣れるにはまだ時間がかかりそうである。

 そういうことで、今僕はとにかく前を向いて走ります。

 横を気にしていたら、リアみたいに人とぶつかりそうだからな。


「で、文句って何? こっちはしんどいの!」

「まぁもういい」

「あっそ」


 その会話を最後に僕たちは無言でサラのもとへ向かうのであった。

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