55.ナンパ
遡ること一日前。
これはゼロとリアが海鮮丼を食べ、水着選びをしている頃の話である。
あたし――サラは透き通ったエメラルドグリーンの海を見ながら、一人海から一番離れた砂浜で膝に顎を付けて三角座りをしていた。
海辺には水着や薄着の人たちが海の中でぴょんぴょんと飛び跳ねながら騒ぎ、砂浜ではビーチバレーや砂のお城、砂浜に埋まっている人などが見受けられる。
楽しそうな光景だが、あたし自身がそれを見て楽しくなることは一切なかった。
現在の時刻は午後四時過ぎ。
Gレイヤーに来てから……逃げ出してから約三時間ほど経っていた。
本当は逃げるつもりはなかったのだが、体が勝手に動いてしまい、いつの間にかこの体制でずっと海を眺めている。
リアにあんな酷いことを言っておきながら、よくも逃げれたものだ、と自分でも思う。
でも、あたしは怖かった。
あの後、どうして接すればいいのか分からなかったのだ。
いや、違う。
本当は違う。
あたしが自らの口から放った言葉に、あたし自身が現実を突きつけられたのだ。
何が「不足している心を得るために、変わろうとしているのは良いと思う。けど、グループメンバーと裏切り者を無理して同じ扱いにするのは違う。信じるべき者と信じても良い者の区別はしないといつまで経っても、正しい変わり方はできない」だよ。
よく上からそんな言葉を言えたものだと思う。
実際、『心が不足している』のも『変わらないといけない』のも本当はあたしの方。
それが分かっていて、あたしはリアに、いや、あたし自身にあのような言葉を吐いた。
そして逃げた。
現実から逃げたのだ。
「ねぇ、君。もしかして一人?」
「ん?」
あたしは顔を上げることなく、視線だけを声の方へ。
すると、そこには三人の男がいた。
「何々? 迷子か何か?」
「別に……そんなんじゃない」
「えー、じゃあグループメンバーにハブられてるとか?」
「違う。あたしが逃げて来ただけ」
チャラチャラとした口調で、少しイラつくが気にしない。
こんなことでイラついていたらキリがないしね。
「へー、じゃあやっぱり……今は一人ってことだよね?」
「そうだけど何か?」
「うわぁぁぁお! こわっ! てか、そんなに怒らないでよ」
あたしが少し強めの口調でそう言うと、男の一人が両腕で体を隠し、わざとらしく怖がる仕草を見せる。
別に怒っているつもりは一切なかったのだが、あたしの口調はよく怒っているんじゃないかと勘違いされることがある。
だから、そのような反応や言葉にはもう慣れたものだ。
それにしても、この男たちは一体何が目的なんだろうか?
こっちは現在進行形で一人でいる状況に安心を覚えながらも、今後どうするか考えているというのに。
正直、面倒で邪魔。
「で、何? 何か用?」
「いやいや、浜辺で男が女に声をかける理由とか一つしかないでしょ!」
「は?」
こんなにも堂々と自信満々の表情で、何が言いたいのだろうか?
あたしには全く分からない。
思わずがんを飛ばすぐらいの「は?」が出ちゃったよ。
実際、がんを飛ばしていたかもしれないけど。
「えぇ~? もしかして君、分かっていて分からないフリしてるの?」
「いや、本当に分からないから。心配して声をかけたとか? それならその必要はないからもうどこかへ行ってくれる有難い」
「ちょ、おいおい、マジかよ。それ本気で言ってる?」
「そうだけど文句あるの?」
「別に文句はないけど……今、俺らは君にナンパしてるの! 分かる?」
「ナンパ?」
知らない言葉が耳に入り、自然とその言葉を口に出して繰り返してしまった。
ナンパ?
ナンのパン?
いや、ナンは元々パンだ。
では、ナンパとは何だろうか?
「え、本当に知らないの?」
「知らない。説明してほしい」
男は「あはははは……」と頭をかきながら、隣にいるグループメンバーであろう男二人を見つめて、苦笑いを浮かべる。
それに男二人も呆れた表情をしていた。
もしかして、常識的なことなんだろうか?
ゼロがいないとこういう時は……困る。
「えっと、ナンパとは男が面識のない女を遊びに誘うことだよ」
「な、なるほど。つまり、あたしは遊びに誘われているのか」
「そういうこと」
男は説明を終えると「はぁ……」と苦笑交じりのため息をついた。
それにしても、こんなあたしと遊びたいと思う物好きもいるものだな。
もしかして、体目当てというやつなのだろうか?
いや、それはない。
もし、ゼロがこの場にいたら、そうツッコんでいただろう。
想像がつく。あたしのこの小さな胸元を見ながら絶対に言っていたに違いない。
「理解はしたけど、あたしはそういう気分じゃない。だから、そういうのは他をあたってほしい」
そうそう。
他にも浜辺には沢山の女がいる。
その中には胸をブランブランとわざとらしく揺らす女も多々いるし、半分お尻が見えている女も数え切れないぐらい見受けられる。
そういう女の方が『ナンパ?』というやつに乗ってきそうだと思うのだが。
どうせ自分のナイスバディーを見せびらかして、男を誘惑しているだけに過ぎないしね。
つまり、『ナンパ?』ってやつを要求しているのと同じ。
はぁ……。
しかし、あの巨乳を見ているとリアを思い出す。
本当に目障りな巨乳だ。
「いやいや、君がいいんだ」
「だから、あたしは遊ぶ気はない」
「じゃあさ、食事を奢るから!」
そう言って、手を合わせて頭を下げる男。
続けて隣の二人も同じように頭を下げた。
はぁ……あたしを食べ物で釣るなんて考えが甘い。
子供をお菓子で釣る誘拐犯と同じ手口じゃない。
もしかして、あたしを子供扱いしているのかな?
まぁこの見た目だから仕方ないか。
別にどう見られようが気にしないけど、食事で釣られる気はない。
まず食事をしたい気分じゃないしね。
「いらない。そんな気分じゃ――」
――グゥ~!
「あっ……」
そう言えば、今日の朝から何も食べていなかった。
しかも、朝はコッペパンと牛乳のみ。
よくあたしがこの夕方まで食事を我慢していたものだ。
正直、自分で自分を褒めたいぐらいだが、それほど悩んでいたということなのだろう。
「お腹さんは正直みたいですけど?」
「分かった。仕方ないから奢ってもらってあげる」
さっきの心の中の言葉はどこへ行ったのやら。
あっさりと食事に釣られてしまった、いや、違う。
これは空腹に逆らえなかっただけ。
そう、逆らえなかっただけなのだ。
つまり、これは仕方がないこと。
というか、あたしは優しいから『ナンパ』というやつに付き合ってあげることにしただけ。
だから、もう一度言うけど、けしてこれは食事に釣られたわけではない。
そう、食事に釣られたわけではないのだ。
「なかなかの上からだね。でも、それでいいさ!」
そう言い、男があたしに手を差し伸べてくる。
だが、あたしはそれを払い、自分で立ち上がってお尻についていた砂を手で「パンッパンッ」と軽く叩き落とす。
「……怖い女だね、まぁいいや。じゃあ、行こうか」
「うん。美味しいお店に連れていって」
「はいはい。最初からそのつもりだよ」
男はそれだけ言い、グループメンバーであろう仲間とハイタッチして先に歩き出す。
あたしはそんな男たちの背中を見ながら、ゆっくりとその後を追うのであった。




