41.危機なのにサラは喜々
僕は右腕の力だけで立ち上がり、ズボンに付いた土を軽く払う。
折れたであろう左腕の感覚はもうない。痛みすら感じない。
そんな左腕を僕はブラブラと揺らしながら二人のもとへ。
「ゼロ、腕が……」
「治せるか?」
「やってみるけど、今のレベルでどれだけ治せるか分からない」
「そうか」
流石にこれほどボロボロになると、回復スキルでも難しいらしい。
でも、それは今のレベルでは、だ。
イベント中、万が一治らなかったとしてもイベントが終了し、ハンスとのグループ戦が勝利になれば、リアに経験値が大量に入り、レベルが一気に上がるはず。
そうなれば、この死にかけの左腕も完治するに違いない。
「それより色々話を聞かせて――」
――ドンっ……ドンっ!
リアが少し膨れた表情で、僕に話しかけながら回復スキルを使っていると、急に物凄い地響きが草原中を駆け巡る。
驚きか、それともリアルにか、一瞬だけその地響きで体が宙に浮いた気がする。
「一体、何なの? ハンスって奴は倒したんだよね?」
「ああ。てか、この地響きは人間が出せるものじゃない」
「じゃあ、何だって言うの?」
リアは眉間にしわを寄せて難しい表情で、そう僕に聞いてくる。
だが、そんなことを聞かれても僕には分からない。
まず地響きなど滅多に感じられるものじゃないからな。
――ドォンっ……ドォンっ!
体が宙に浮いた一回目からずっとその地響きは鳴り止まない。
それどころかどんどん大きくなっている気がする。
ハンスの地面操作によって、この草原の地盤がおかしくなったか?
いや、それはない。
ハンス死亡後、地面操作によって出来た穴などは綺麗に修復していたからな。
じゃあ、この地響きの正体は一体何なんだろうか?
顎に右手を添えて目を閉じて考えていると、サラが空を見ながら口を開いた。
「馬とトカゲ?」
「サラ、急に何言ってるの? さっきのフラッシュバンでおかしくなった?」
「それはもう大丈夫。それよりアレって何?」
サラは目を真ん丸にして、不思議そうな瞳、声音でその『アレ』というのもを指差す。
その指先は僕とリアの真後ろ。
ゆっくりと振り返るとそこには……
――グワァァァァァァァァアッ!
首を上下に揺らし、半開きになった口からダラダラとヨダレを垂らしながら、真珠のような小さな瞳だが、鋭さを感じさせる目でこちらを見る大きな生き物がいた。
「きょ、恐竜? しかも、ティ、ティラノサウルスじゃない……」
「おいおい、ネアンデルタール人じゃなくて、ティラノサウルスと出会うとはな」
信じられないものを見たような、いや、実際に信じられないものを見ているのだが、そんな感じの驚いた表情で弱々しく言葉を漏らすリア。
僕は思わず苦笑しながら、その迫力に目を奪われていた。
人類は恐竜という生き物を実際に見たことはない。
化石を組み立て、3DCG化によって想像で色を付けて見ていた。
ティラノサウルス。それはカッコ良く、恐竜の中の恐竜。
何となくだが、色は赤色っぽいというイメージが強い。
だが、目の前にいるティラノサウルスはイメージとは違う。
恐らくこの恐竜はAIによって、細かく解析されて表現されているものなのだろう。
全長は約六メートル。
色は何色とも言えない。強いて言うならカメレオンの緑色に似ている。
顔、胴体は大きいが、足は筋肉質だが思っていた以上に細い。
正直、モデル体型か! とツッコミを入れたくなるが、まぁ伝わらないので入れない。
「ねぇ! ねぇ、ゼロってば!」
「あ、な、何だ?」
「こんなのどうするのよ!」
「ティラノサウルスの戦い方はちょっと知らないかな、僕でも」
苦笑いしながらそう答えると、リアに「もうっ!」と思い切り左腕を叩かれた。
あの……折れてること忘れているんですかね?
それともわざとですか?
回復スキルによって、無駄に神経だけ回復してしまって少し痛かったんですが……。
「ねぇ、夫婦かな?」
「は?」
サラの意味不明な言葉に、思わずキレ気味にそう反応するリア。
そして数秒後、その意味を知ることになる。
――ドンっ……ドンっ!
「もう嘘でしょ……」
「同時に二匹ものティラノサウルスが現れるって、この草原ってどうなっているんだろうな」
本当にどうなっているんだよ。
二匹目のサイズは一匹目より少し小さいぐらい。
しかし、ティラノサウルスに変わりはない。
それにしても、この状況をどうしたものか。
僕は現在、左腕を骨折中。
それに加えて、先ほどのハンスの戦いで体力をかなり消耗している。
リアも足はガクブル状態で、今にもお漏らしそうな感じ。
間違いなく、これでは走ることは不可能。
まずティラノサウルスから逃げれるとは思っていないがな。
サラの方はというと……
「凄い。まるで、戦車と戦った時を思い出す」
こんな感じです。
はい、意味の分からないことを言っています。
これはサラにしか分からない感覚です。
てか、何でティラノサウルスを知らないの!
それでいて、なぜこの迫力を目の前にそんなに瞳を輝かせられるんだよ!
恐怖を感じないのか?
サラに恐怖という概念がまずないのか?
もう常識外れというレベルを超えている。
再々教育が必要のようだ。
まぁでも、今回だけはサラの常識がズレていて良かったと思う。
だって、サラはティラノサウルスを……狩る気だからな。
サラはナイフとフラッシュバン、それと四角い何かを生成。
首と肩、腰を回して軽く準備運動をする。
瞳はもうティラノサウルスしか見ていない。
恐らくワクワクして仕方ないという感じだろう。
もう僕たちが話しかけても声は届きそうにない。
「リア、僕たちは距離を取ろう」
「えっ、ちょ、本当にサラにティラノサウルスを狩らせる気?」
「それ以外に方法はないだろ? それにサラはハンスと戦えなくて、間違いなくウズウズしているはずだ。だから、ここで一発狩らせた方がサラも満足すると思う」
「まぁ否定はしないかな。相当サラは怒っていたしね、あのフラッシュバンに。でも、安心していいわよ。私が回復スキルで治療したからサラの目に問題はないわ」
真顔でそんなことを言うリア。
自然と鳥肌が立ち、ゾッとしてしまった。
マジでティラノサウルスが来てくれて良かった。
僕は救われたよ。
そして僕は学んだ。
サラにフラッシュバンはタブーということを。
ところで、今の話の内容に安心する要素が一つでもあったか?
目は治癒できていても、心の方は全く治癒できていなかったんだぞ!
まぁでも、サラの目に何も問題がなくて良かったよ。
サラの視力の良さは脅威だからな。
「恐竜? だっけ? 遊んであげる!」
――グワァァァァァァアッ!
そんな煽り言葉を言える人間はサラしかいないだろう。
恐竜と遊ぶってなんだ。
それよりティラノサウルスもサラの言葉を挑発と感じたのか、細い足を前に出して顔を上下に揺らし、サラに向かって走り始める。
あの図体にしては思った以上に動きは速い。
「ほら、どうぞ!」
絶妙なタイミングでサラはフラッシュバンをティラノサウルスの顔面に投げる。
これほど激しい光は初めてだったのか、動きをピタッと止め、その場でとにかく顔面を左右に振って何かに抵抗するような動作を見せるティラノサウルス。
ティラノサウルスにしてみれば、見えないという状況に焦っているというよりかは、見えないという状況が不思議で仕方ないという感じだろう。
焦っていると不思議。似ている状況かもしれないが少し違う。
簡単に言えば、今の状況に恐怖しているか、してないか。
で、今のティラノサウルスは恐怖していない。
まぁそんなことは知らないと言わんばかりに、サラは目を疑うほどの跳躍で軽く胴体をナイフで切り裂く。
しかし、ティラノサウルスの胴体は硬かったのか、ナイフの方が面白いほど簡単に折れた。
サラは思わず「えっ?」みたいな表情を見せたが、すぐに折れたナイフを投げ捨て新しいナイフを一本だけ生成。
そして……
「でも、これならどうかな?」
目が少し冴えて来たのか、それとも感覚なのか知らないが、ティラノサウルスは長い尻尾でサラを叩こうとする。だが、サラはラガーマン顔負けの華麗なステップでそれを嘲笑うかのように避け、ティラノサウルスのアキレス腱目掛けて、両手で握ったナイフを突き刺す。
――グッ……
胴体とは違い、皮膚がそこまで硬くなかったのか、簡単に貫通。
サラはナイフを手放し、ティラノサウルスから一度距離を置く。
「柔らかい。まるで、豆腐!」
煽り方が独特だな、サラ。
だが、今の攻撃はかなり効いたようで、態勢が崩れ始めるティラノサウルス。
しかし、次の瞬間、首を左右に振る動きが止まる。
フラッシュバンが切れたと見て良いだろう。
サラを睨みつけ、襲い掛かろうとナイフが刺さっていない方の足を上げた瞬間……
――ドーンッ!
膝がガクンと曲がり、地面に横たわるティラノサウルス。
ナイフ一本だけで、こんなに大きな生き物が終わるのか。
「ゼロ、どうなっているの?」
震えが止まったリアが不思議そうに、僕にそんなことを聞いてくる。
「簡単な話だよ。ティラノサウルスの足は元々、あの図体を支えることが出来るギリギリに出来ていたってこと」
「つまり、サラがその足を攻撃したことによって、ティラノサウルスは自分の体を支えられなくなって倒れたってわけね」
「そういうことだ」
二足歩行の生き物は珍しい。
人間も二足歩行の生き物なので理解できると思うが、片足に大きな怪我をすれば、間違いなくいつも通り動きは出来なくなる。
と言っても、体を支えられないほどにはならないがな。
しかし、ティラノサウルスの体は人間とは違い、超バランス型。
例えるなら、コインの側面にコインを乗せているような状態。
じゃあ、そんなコインに傷がつけばどうなるか?
答えは簡単、崩れる。
そういうわけで、ティラノサウルスという生き物は図体こそ立派だが、かなり繊細な生き物だったということだ。
それにすぐ気付くサラはやはり戦闘経験値が高い。
――グゥ……グゥ……
倒れ込んだティラノサウルスが悲しそうな声をあげている。
先ほどの騒がしい雄叫びとは正反対と言っていいだろう。
恐らく仲間に助けを求めているに違いない。
と、そんなことを思っていたら、予想通り二匹目のティラノサウルスが一匹目を庇うように、サラの前に立ちふさがる。
――グワァァァァァァアッ!
こちらに逃げてほしくて威嚇しているのか?
それとも仲間を傷付けられたことを怒っているのか?
どちらにしても、理解は出来ない。
「餌あげる」
へっ……。
サラの最高レベルのボケなのか知らないが自然と僕の目が丸くなる。
そして沈黙が軽く流れた後、僕とリアの冷めたような声は揃った。
「「は?」」
サラはこのティラノサウルスをペットにするつもりなのだろうか?
おいおい、そんなティラノサウルスと後数時間だけだけど、一緒に生活するなんて無理なんだが。
絶対に嫌だし、まず可愛くない。
犬や猫ならまだしも、ティラノサウルスって、ね。
「ほら、いくよ! ほーれ!」
うわ、本当になんか四角い何か投げやがった。
それを二匹目のティラノサウルスの奴、上手いこと口に入れて飲み込んだぞ。
「ちょっとそこでステイ」
言葉が通じているとでも思っているのか、ティラノサウルスにそう一言告げ、こちらに向かって来るサラ。
「サラ、餌をあげるなんてどういうつもりなの?」
「どういうつもりって……こういうつもり」
――ピッ!
サラは手に持っていたボタンを僕たちに見せるように親指で押す。
すると……
――バァァァァンッ!
そんな爆発音と共に、二匹目のティラノサウルスがミンチ状態で飛び散った。
「お、おい、サラ。餌って何をあげたんだ?」
苦笑しながら僕は恐る恐る聞く。
「えっと、小型C-4爆弾だけど何かおかしい?」
「誰が! いつから! 小型C-4爆弾を餌という扱いにしたんだよ!」
「ん、今、あたし?」
思わず額に手を当て、僕は呆れながら首を左右に振る。
餌の正体が小型C-4爆弾って、誰が予想できる?
まずティラノサウルスが可哀想だよ。
あ、特に一匹目ね。
目の前で仲間がミンチ状態で吹き飛ぶ姿を見せられるなんて……。
この子、常識外れじゃなくて、ただのサイコパスなんじゃないかと思ってきたぞ。
「サラ、よくやったわね!」
「うん」
「でも、何で一匹目は綺麗に生かしているの?」
「夕食」
「「……」」
ティラノサウルスを狩ったことに褒めていたリアも、最後に放ったサラの言葉には返事を返すことはなかった。
サラはそれを不思議そうにしていたが、僕とリアは目を合わせてアイコンタクトで「ヤバい、この子」と言い合うのであった。




