36.コーヒーのせい
「ハンス様。処理が終わりましたので、私はこれで失礼いたします」
ミレイはユキの死体、血塗れの布、そして先ほどコーヒーを持って来た時のトレイを持ち、頭を深々と下げ、この部屋を後にする。
そんなミレイと入れ替わるように、二人の男が部屋に入ってきた。
一人はグループメンバーのフォト。
そしてもう一人は……
「アレックス、仕事はちゃんとしてきたのか?」
「も、もちろんだ! って、この匂い……」
アレックスは血の匂いに気付いたのか、顔をあからさまに歪める。
オレはずっとこの部屋にいるから気にならないが、今この部屋に訪れた奴にはそれなりにキツイ匂いだったらしい。
それよりこの男の説明でもしておくか。
名はアレックス。
イベント中に出会った青年で、青髪という洒落た髪色だが意外と根は真面目な奴だ。
オレの命令に嫌な顔を見せながらも最終的には聞いてくれる。
いや、違うな。
こいつはオレの命令を聞くしかないという方が正しいか。
「まだ慣れてないのか? フォトの情報によると、イベント開始直後に三つものグループを撃退したとか。しかも、派手に」
特別=人間と教えてくれたのはこいつだ。
イベント直後に何かしらの生き物と間違え、刃物を使い滅多切りにしたら、それが人だったらしい。
普通なら、死刑になるところだが、その時は何故か死刑にはならず、不思議に思い、メニューバーを開くとイベントポイントが600ポイント増えていたという。
その後、このアレックスのグループはイベントを勝ち抜くために、何も知らない人間を不意打ちで殺し続けたようだ。
まぁあっさりオレのグループメンバーであるフォトにそのことが見つかり、オレに捕まってしまったのだがな。
「それはイベントに生き残るためさ! この匂いに慣れるも慣れないもないだろ」
「そうか、まぁいい。その椅子にでも座れ」
オレは先ほどまでユキが座っていた椅子にアレックスを座らす。
一瞬、躊躇う動作を見せたがゆっくりと腰を下ろした。
それにしても、こげ茶色の牛皮椅子に所々赤色の斑点があり、水玉模様のようで綺麗だというのに何を躊躇うことがあったのだろうか。
って、今のは少し冗談が過ぎた考えだな。
そんなことを思い、軽く頬を緩め、コーヒーを一口。
「それで今日の仕事はどうだった?」
「約束通り、目印は付けたさ」
現在、オレはアレックスの仲間を人質にアレックスを使っている。
理由としては、アレックスのスキルである『目印』が必要だったからだ。
目印というスキルは透明なシールを人間や動物に貼ることによって、そのシールが取れるまではメニューバーにその位置情報が載ると言うスキルだ。
ゼロとグループ戦をするにあたって、ルール上はオレたちのグループがイベントポイントを死ぬ気で稼げば勝てることは間違いない。
だがしかし、オレはゼロを警戒しているのだ。
実際、一瞬の間だがトップ96位に入っていたからな。
まぁそのおかげで一瞬だけ、位置情報を知ることができた。
で、それでだ。
もし、トップ100位圏外になった場合も位置情報が分かるように、アレックスを使ってゼロのグループメンバーに位置情報シールを貼るように命令したってわけである。
「それはご苦労だったな。バレずに出来たか?」
「さぁ、フォトさんが攻撃したから何とも」
「あー、それはオレの命令だ」
そう、オレは矢で攻撃するようにフォトに命令をした。
事前にゼロが他のグループと行動していると聞いていたので、バレて返り討ちにならないために、先制攻撃を仕掛けて相手が逃げるように誘導を頼んでおいたのだ。
「フォト、計画通りか?」
「はい。それと話は変わりますが……面白い情報も手に入りました」
「へー、それは?」
フォトのその言葉に顔をこわばらせるアレックス。
情報はアレックスに関係するらしい。
「ゼロのグループと共に行動しているグループに、アレックスの母親と思われる人物を確認いたしました」
「アレックス、本当か?」
「……」
無言で視線を斜め下に逸らし、悔しそうに拳を強く握る。
なぜ母親が見つかったというのに、こんな表情をしているのだろうか?
もっと喜ぶところじゃないのだろうか?
実力協力制度によって、離れ離れになった親子は数え切れないほどいる。
しかも、BNWの人口は約95億人。
その中から家族が見つかったのだ。
奇跡としか言いようがないし、嬉しくて叫びたくなるだろう。
「アレックス、嬉しくないのか?」
「嬉しいよ。だけど……」
「だけど?」
「俺は人を殺したんだ。どんな顔をして会えばいいって言うんだよ!」
必死な表情でそう訴えてくるアレックス。
だが、オレにはその表情が面白くて仕方なかった。
だって、その理由では喜ばない理由にはならないからな。
つまり、こういうことだ。
「グハハッ、アレックス本当の理由は違うだろ?」
オレの言葉に驚き、目を見開き硬直するアレックス。
分かりやすいガキだ。
何が「どんな顔して会えばいいって言うんだよ!」だ。
しょうもない冗談はほどほどにしてほしい。
面白すぎて腹筋が崩壊してしまうぜ。
恐らくアレックスはこう思ったはずだ。
オレがアレックスのグループメンバーを人質に母親関係の命令をすると。
例えば、「母親を殺せ」とか。
はぁ……失礼にもほどがあるぜ。
一応、オレは人の死を見て喜ぶほどサイコパスな生き物ではない。
もちろん、人を殺すことに躊躇いなんてないがな。
だが、それは必要な死だからというだけ。本当にただそれだけなのだ。
別に他の理由などない。
実際、グループ戦を申し込んだことも一度しかないからな。
「まぁ答えなくてもいい。ある程度、察している」
その言葉に、目がマグロのように泳ぎ出すアレックス。
オレは水族館のマグロ鑑賞をする気分で、コーヒーを口に流し込み、喉を鳴らす。
――温くなってたな。
コーヒーも……オレも。
コーヒーのせいか、急にそんなことを思ってしまった。
昔はもっと派手にやっていたというのに丸くなったというか。
まるで、反抗期が終わった子供のようだ。
最近は慎重に慎重に行動して。
ゼロとのグループ戦にビビりまくって。
無駄に警戒して。
ふと頭にグループ戦を申し込んだ日から今日までの日々が過る。
オレは何でこんなに卑屈になっていたのだろうか。
Iレイヤー最強はオレなんだぞ?
おかしくないか?
おかしいよな?
――てか、何が人質だよ。それって、弱者ではなく、雑魚がやることじゃねーかよ……オレ。
そう思うと、思わず鼻で笑ってしまい、自然と口角が上がって心臓が大きく跳ねた。
弾けた鼓動の動きがスイッチになるように、脳内に何かが降ってきたの感じる。
――オレ、あの時のオレに戻らないか?
昔のオレが今のオレにそう問う。
その問いは好き放題していた時の若かりし頃のオレが、今のオレに遠回しに呆れていると言っているようなもの。
オレは心のどこかで今の状況に満足していなかった、否、納得していなかったのかもしれない。
だが、もう大丈夫だ。
全て気付いたのだから。
「ハンス殿、どうかされましたか?」
「グハハッ、まぁな!」
フォトにそう軽く言葉を返し、オレはアレックスに向かって微笑む。
すると、なぜか面白いほど震えだし、顔を引きずった。
そんなに怖がることなくていいのに。
オレという優しい男の微笑みを見れたというのに、おかしい反応する奴だな。
そんなことより、おふざけはここで終わりだ。
否、今のオレとはここでおさらばと言うべきか。
オレは真面目な表情で口を開く。
「フォト、作戦を変更する」
「ハっ、ハンス殿、それは本当ですか?」
「ああ」
フォトは少し動揺しながらも、オレの堂々とした反応に「分かりました」と丁寧に頭を下げる。
こういう反応になるのも仕方ない。
オレが「作戦を変更する」という言葉を使う時は、いつも『滅茶苦茶』だからな。
懐かしさも感じながらも、フォト自身かなり衝撃的だったのだろう。
だって、ここまで『安全運転』で来て、いきなり『危険運転』を始めようというのだから。
「あ、それとアレックス。お前はもういらない」
「それってつまり、俺たちを解放してくれ――」
「ああ、してやるよ。アレックスも他の奴も」
「本当か!」
体を前のめりにして、嬉しそうな笑みとホッとしたような柔らかい笑みの間を取ったような満面の笑みでこちらを見て来る。
そんなアレックスは眩しくて、見ているだけで……吐き気した。
オレはこの表情が好きじゃない。
そんな希望に満ち溢れた笑顔は大抵すぐに絶望に満ち溢れた可哀想な笑顔に変わるからな。
大抵……否、必ずが正解か。
「本当だ。フォト、三人を解放してやれ」
「正気ですか? 本当によろしいのでしょうか、ハンス殿」
「何度も言わせるな」
オレのドスの効いた低めの声に、フォトは歯切れ悪く「承知しました」と言い、アレックスを連れてせっせと早足で部屋を出て行く。
時刻は午後十一時。
メニューバーを開き、ランキングを見ながらコーヒーを飲み干す。
トップの差は約2000ポイントほど。
一日も経たないうちに、これだけのグループが4000ポイント台に乗るとは、後半戦はイベント特別エリアで『血の海』が生まれ、『死体の山』が築かれることは間違いなさそうだ。
⚀
三十分後、水浴びを終え綺麗になったミレイとアレックスたちを解放してきたフォトが部屋に帰って来た。
「お疲れ」
「お疲れ様です、ハンス様」
「お疲れです、ハンス殿」
二人は姿勢良く立ち、こちらを見つめている。
「二人とも椅子にでも座れ」
先ほどの血の水玉模様の椅子を端へやり、二人は自分用の椅子に「失礼します」と一言添えて腰を下ろした。
オレも一度座り直し、固まっていた肩を回してほぐす。
そして重い首を左右に曲げ、ポキポキと音を鳴らし、頬を緩めながら口を開く。
「では、今から明日の『ゼロ殺害計画』会議を始める」




