31.熊の主
「おい、リア。一人で歩けないのか?」
「く、暗いし、危ないでしょ!」
リアは僕が松明を持っていない方の腕を組んでくる。
柔らかい感触が腕に走るが、こんなのにはもう慣れたもの。
エリカのせい? おかげ?
と言うべきだろうか、かなりそういう胸耐性はついた。
「それに私はサラを背負っているのよ?」
遡ること数分前。
サラは最初「歩ける」と言っていたのだが、数メートル歩いて倒れ込み、「限界」と言ってリアの背中に体を預けたのだ。
そんなサラに対し、リアは「無理は良くないしね」と優しく微笑み、文句もため息もつくことなくサラを背負い、今の状態に至るというわけである。
「はいはい、分かった分かった。でも、本当は暗いのがこわ――」
「違う! 本当に違うし……ふんっ!」
僕の言葉は遮られ、リアに力強くそう否定される。
こんな反応をしているが、リアは暗いところがあまり好きではない。むしろ苦手なのだ。
それなのに、なぜか強がるというか、正直にそう言わないというか。
まぁ別にそれは構わないんだけど。
何か思うところがあると言えば、女の子らしいところあるんだなーとか、子供ぽいところあるんだなーとか。
「ゼロ、何ニヤニヤしてるの?」
「いや、何でもない」
つい顔に出てしまっていたようだ。
危ない危ない。
ここは一応、話を変えておくか。
「それよりサラを背負るの変わろうか?」
「何? サラの胸の感触を味わいたいの?」
「ゼロ、変態」
もうリアので間に合ってます。
てか、骨の感触を味わいたい奴がおるか!
サラが怒りそうだから、口にはしないけどな。
「はぁ……リアが疲れていると思って言ったのに、散々な言われようだな」
「あ、そうだったの?」
「それ以外にあるかよ。で、どうする?」
「じゃ、お、お願いしようかな……」
なぜか頬を茜色に染め、斜め下に視線を向けるリア。
僕はそんな表情を不思議に思いながら、リアの背中にいるサラを僕の背中に移動させて、リアに松明を渡す。
それにしても、サラの胸は相変わらずである。
でも、太股はスベスベで筋肉質。それなのにちゃんと女の子の柔らかさが残っている。
太股に関しては文句なしだ。
「ゼロの背中はやっぱりいい」
「サラ、それって私の背中が悪いってわけ?」
ホッとした表情を見せるサラが気持ち良さそうな声でそう呟く。
じゃあ、横にいたリアがその発言に噛みついた。
恐らくサラの言葉に悪意はない。だが、リアにはあまり聞こえが良くなかったんだろう。
「だって、リアのブラホック痛い。それに首とか汗臭い」
「なっ!?」
サラの淡々とした発言に、目を大きく開き、声にならない声をもらすリア。
しかし、サラの奴、相変わらずド直球だな。
人の気持ちを一ミリたりとも考えてないとしか言いようがない。
サラは遠回しに言うということやオブラートに包むということを覚えるべきだ。
「サラ、オブラートに」
「ビブラート?」
「それは音楽用語」
確かに似てるけど、意味全然違うから!
「……私が、くさい……」
僕とサラが軽くボケツッコみをしているのに対し、リアは鼻をクンクンとさせながら自分の脇などを嗅いでいる。
相当ショックだったのか、目が完全に昼飯に見た死んだ魚の目と同じだ。
「そんな臭わないから大丈夫だぞ、リア」
「そ、そんな……」
僕は優しくフォローを入れたつもりが言葉を間違えたようだ。
思わず額に手を当てて反省する。
そんな僕を背中から見ていたサラはクスクスと笑っていた。
元凶はサラだというのに、のんきな奴である。
一度、ケツの穴に指でも突っ込んでやろうか!
まぁ冗談だけど、サラが何かに目覚めたら困るからな。
「気になるなら、夕食後にサラと川で水浴びでもしてこいよ」
「そ、そうするわ……で、でも、覗き見しないでね!」
「見ないよ」
飄々とした顔でそう言うと、なぜかリアが「むぅ~」と頬を膨らませる。
見てほしかったのか、と言いたいところだが、この話は面倒なので無駄に続ける必要もないだろう。
洞窟に入ってから五分ほど歩くと、リアが倒したであろう熊の死体が転がっていた。
僕たちは一度、そこで立ち止まり、辺りをじっくりと見渡す。
地面や壁には血しぶきが飛び散り、鉄の匂いがプンプンしていた。
だというのに、熊は案外綺麗な状態でサラが必要最低限の攻撃をしていたことが分かる。
「サラ、派手にやったな」
「ん? うん」
これぐらい普通と言わんばかりのいつも通りの声音。
でも、小さく舌打ちが聞こえた気がする。
多分だが、攻撃を受けたのが悔しかったのだろう。
「ここで長居する必要もないだろう、先に進もう」
僕は一言そう告げ、足を前に進める。
しかし、血の池地獄とはこういうのを言うのだろう。
足元の先には真っ赤な池がたくさん。
まぁ血など踏みたくないので、出来るだけ避けるように歩いたが、避けようがない場所は生々しい血の音を響かせながら歩いた。
何とか熊の死体ゾーンを抜け、綺麗な洞窟に戻る。
だが、僕とリアの靴底についた血が赤い靴跡を洞窟に描いていく。
「結構、長い洞窟ね」
「確かにな。でも、そろそろだと思うぞ?」
「ゼロ、何でそんなことが分かるの?」
僕は腰辺りまで落ちてきたサラを一度背負い直し、右手で壁を指差す。
リアは「ん?」と首を傾げ、松明で前を照らしながら壁に近寄る。
「何これ? 壁画が……ちょっと意味不明な壁画ね」
「違う違う。爪痕だよ」
「爪痕? 熊の?」
「そう。熊が爪を整えるために、壁で爪を研いだんだろうな」
壁には縦にたくさんの線が入っている。
それにしても、珍しい。
普通、熊は木で爪を研ぐはずなのにな。
いや、これはあえてここで研いだのか?
木で研ぐより洞窟の壁の方が鋭く研げると知っていて……。
だとしたら、この洞窟にいる熊の知能は高く、爪は刃物ように鋭いと考えていい。
今思えば、サラの傷もかなり深く、一撃で致命傷を負っていた。
――おいおい、キョウチクトウ入り魚を食べて死んどいてくれよ、熊さん。
「ゼロ、顔色が悪いよ?」
「いや、何でもない。先に進もう」
僕が「ふぅ~」と目を閉じて息を吐き、足を一歩出そうとした瞬間だった。
「待って! いる……熊さんが」
サラは僕の肩を力強く握り、僕たちの足を止めた。
僕たち三人は警戒態勢に入り、その場に緊張が走る。
最悪だ、何匹だ。
――グワァァァー!
「で、デカい」
動揺しているのか、弱々しくそう呟いたのはサラ。
サラが「デカい」と言うということは、弱い熊ではないのだろう。
確かにパッと見て、全長2.5メートルぐらいはある。
前に見た熊とは違い横にもデカく、迫力が全然違う。
――こいつが熊の主なのか……。
「リア、サラを背負ってくれ!」
「わ、分かったわ」
「サラはナイフを二本生成!」
「うん」
初めはサラの生成したナイフを背中越しで受け取りながら戦うつもりだった。
だがしかし、この熊でそのような戦い方をすれば、間違いなく殺られる。
もし、僕が熊の一発を食らい、致命傷の怪我を負えばゲームオーバー。
運良く相打ちでも、リアの回復スキルは使えないのでゲームオーバー。
今、僕にある選択肢はこの熊を無傷で殺すことのみ。
僕はサラから貰ったナイフ二本を右手に一本、もう一本を腰に。
左手にはリアの持っていた松明。
流石に松明の光なしでは戦えないからな。
あっても戦えるかどうか……。
「二人とも下がってくれ」
何も言わずに二人分の足音が遠のいて行く。
これで完全に一対一の状態。
スキルなしの僕が熊と戦うなど、無謀なのは分かっている。
だが、負けるとは決まっていない。
――グッ、グワァァァア!
大きく口を開け、雄叫び上げる熊。
口端からはダラダラとよだれが垂れ、空腹の限界を感じさせる。
目は鋭く、完全に獲物を見る目。
そして目が合った。
――来る……。
全身の細胞がそう反応すると、熊は「ハッハッ」と四足歩行で猛突進してくる。
僕は深呼吸をして集中。
左右に体を揺らして、最初の攻撃を何とか避けると、熊が通った勢いで物凄い風が吹き、僕の髪が靡く。
思わず勢いの凄さに苦笑しながらも、熊からは目を離さない。
次の攻撃が来る。
また避けるか? それとも仕掛けるか?
――ハァ……ハッハッ!
ああ、そうか。
この熊、僕の動きに目が付いて来てやがる。
集中してるのはそっちも同じか。
「……おもしろい……」
仕方ない、熊――お前の猛突進に対して真っ向勝負してやる。
⚀
「ゼロ、まさか……」
「サ、サラ、どうしたの?」
「避ける気ないよ、ゼロ」
「え……」
二人の会話はゼロには聞こえてなかった。
もちろん、熊にも。
リアとサラは口に溜まった唾を飲み、喉を動かす。
そしてこめかみからは汗がじりじりと流れ落ちていた。
⚀
僕と熊との距離は2メートル。
そのタイミングで僕は松明を熊の顔面めがけて思い切り投げる。
――グワァ!
しかし、熊は顔で火を受けながらも、松明を首を振って薙ぎ払う。
流石だ、熊は火に強いと聞くだけある。
嫌な顔一つしていない。
だが、これでいい。
火に強いと言っても、至近距離で火の光を浴びれば、目が少しは眩むはずだ。
距離は1メートル、そしてあっという間に熊が目の前に。
熊が右手を上げたのが見え、鋭く尖った爪が僕の体に向かってくる。
その瞬間、僕は勝負を仕掛ける。
「うぉぉぉぉぉぉおっ!」
大声を出しながら、右手のナイフを熊の目に向かってほり投げ、熊の右手を避けるためにスライディング。
先ほどの松明の光と投げたナイフが作戦通り目くらましになり、風を起こすほどの熊の攻撃を頭スレスレで回避し、現在の熊との距離は数センチ。
だが、熊は目くらましとスライディングで僕を見失っている。
――チェックメイトだ!
僕は腰にある二本目のナイフを手に取り、真上にある熊の首に向かって両手で刺した。
しかし、感触的に浅いと判断し、更に押し込み、確実に仕留めるためにナイフを捩じって、捩じって捩じり続け、熊が痛みの声を失ったことを確認し、素早く熊から離れる。
僕は返り血でドロドロの顔を掌で拭きながら、熊を見るともう既に意識はなかった。
本能のみで胴体を支えているという状態。
数秒後、大きな音と共に力なく地面に倒れ込んだ。
「「ゼロ!」」
熊が倒れたタイミングで、サラを背負ったリアが心配そうに駆け寄ってきた。
「大丈夫だ。傷一つない」
そう心配させないように、笑みを浮かべる。
だが、本当はスライディングをする時に膝を擦った。
ダサいので言うこともないだろう。
「これで私たちの勝ち――」
――ドンっ……ドンっ!
僕たちの顔は一瞬にして凍り付いた。
音だけで理解したのだ。
三人とも瞬きすらできない。
ただこちら近付いて来る大きな足音だけが耳を通る。
今までの熊とは比べ物にならない。
まるで「熊の主は俺だ!」と言わんばかりの足音だ。
急に足音が止まったので、僕たちは息を止め振り返ると、そこには先ほど熊の倍=5メートルほどの熊が足だけで立っていた。
右目には刃物の切られたような跡。色んな敵と戦ってきた証だろう。
――グワァァァァァァアッ!
雄叫びは地響きのような途轍もなく大きな声。
それは僕たちの体が震えるレベル。
「こいつが本物の……熊の主か」
僕の言葉は死ぬ前の最後の言葉のように弱々しい。
二人は声すらも出ないようで、体が硬直していた。
これはもう死んだも同然。
僕たちにはもう武器はない。
というか、武器であるナイフがあったところで勝ち目はない。
これは熊じゃない悪魔だ。
酷い、こんなの反則としか言えない。
これが『特別』クラスなのか?
イベントポイントの量が圧倒的に多いのも納得と言える。
「終わりだね」
「うん」
横にいた二人が目端から涙を流しながら、そう呟いた。
逃げることも、戦うこともできない。
これが詰みというのだろう。
――まぁそんな「詰み」という言葉など、僕の人生にはないがな。
はぁ……でも、このタイミングで使うことになるとは思ってもいなかった。
まだ最下層のIレイヤーだというのに。
結局、スキルなしのアバターは『雑魚』ということだ。
仕方ない、こんなところで死ぬわけにはいかないからな。
そう覚悟を決めた瞬間だった。
「くらえぇぇぇぇえ! このクソ熊がっ!」
背後から声が聞こえ、風の音が頭上を通過して目の前の熊の主の目玉に矢が直撃する。
続けて、反対の目玉にも矢が直撃。
――グゥ……グゥ、ワァァァァァァアッ!
熊の主は顔を手で抑え、もがき苦しんでいる。
「ど、どうなっているんだ?」
僕がそう呟きながら、後ろを向くとそこには見覚えのある三人がいた。
「よっ、危なかったな!」
「ダイチ、何で……それにカルロスとエリカも」
「三人のグループ――ラックがトップ100位に入ってたから、合流しようと思って位置情報を見てずっと探してたんだ!」
カルロスが満面の笑みでそう言う。
確かハンティングゲームのルールにそんなのがあったな。
つまり、サラが熊を大量に狩り、僕が魚を大量に取ったかいあってトップ100位に入り、カルロスたちが合流しようと思ってくれたおかげで助かったってことか。
「ゼロくぅ~んっ! ずっと会いたかったよぉぉぉ!」
エリカがいきなり抱きついてきた。
血塗れなのによく抱きつこうと思ったものだ。
「ちょ、離れてくださいよ! まだ熊との戦いは――」
「終わったよ?」
不思議そうな目でエリカがそう言ってきた。
「さっきの矢には猛毒が仕込んであったの。眼球に二本もくらえば流石に死ぬよ」
そうエリカが嬉しそうに告げると、背後から「バタンッ」という大きな音が聞こえた。
振り返ると、熊の主がピクリとも動くことなく倒れている。
「ほらね!」
「……」
その光景に僕は言葉が出なかった。
僕たちが死を覚悟した敵を二本の矢だけで殺したのだ。
全くもってふざけている。
正直、この三人は弱いと思っていた。
だって、何年もIレイヤーから次のレイヤーに上がれてなかったのだから。
しかし、それは弱い理由にはならないということを今知った。
三人は僕たちラックより強い。
「それよりゼロ君たち、一緒に行動しない?」
「「「え?」」」
エリカの言葉に僕たち三人は驚き、全く同じ反応をしてしまった。
それを見て笑うエリカたち。
「まぁ驚くなよ。てか、そのために俺たちはゼロたちを探していたんだからな!」
カルロスが口角を上げ、続けて「じゃあ、まず夕飯にしようか」と言い、洞窟の入口へと歩き出した。
それにダイチが続き、エリカが僕たち三人に「行くよ」と声をかけて背中を押してくる。
別に断る理由もないので、僕たちは重い足を地面に滑らせながら、カルロスの背中を追った。




