天空王子誘拐事件・中篇
夜の天空城は、驚くほど静かだった。空にかかった満月が、城の周辺をまんべんなく照らしているが、不思議と人の姿は見当たらない。
「なんで衛兵すらいないんだよ?」
エドルとリシェルアが侵入路として選んだ城の裏門には、見張りの兵士がいなかった。表門は何十人という単位で巡回していたというのに、この手の抜きようには疑問が沸く。
「表門から堂々と入る侵入者なんているわけねーよ。フツーは裏門から入るのが定石じゃねーか。
意外とアホだったのか、ここの警備の連中は」
「定石どおりに裏口から入ろうとしてるエドルも…」
「そんなことはともかく」
リシェルアの毒舌をさえぎって、エドルは裏門の扉に手をかけた。さすがに鍵が開いているという不用心なことはなかったが、扉の高さは低く、乗り越えてしまえばその先の裏庭に行けそうだ。
「裏庭にも、警備はいないみたいだな。
なんでこんなにズボラなのか、怪しいっちゃ怪しいけど…好都合だぜ」
にやりとエドルはほくそ笑み、鉄格子の扉を身軽に越えた。後に続くリシェルアにも手を貸してやり、難なく侵入に成功する。
「見たところ、エリスたちもまだ来てなさそうだし。おれらが一番乗りだな」
「まだ城内にも入ってないのに、気を抜いちゃだめよー?」
「わかってるっつの」
相方の忠告を受け流し一歩前に足を進めた時、こちらに近づいてくる気配に気がついた。
まだ何か言おうとしていたリシェルアの口を塞ぎ、すぐさま植込みの中に身を潜める。しかし、隠れるのが遅かった。
向こうはエドルたちに感づいたらしい。ゆっくりと、植込みへ寄ってくる。
知られているのなら隠れる必要はないと、エドルは素早く飛び出しナイフを抜いた。間髪入れずに斬りつけるが、手ごたえがない。
避けられたと思った瞬間、今度は銀色の光が視界の隅に入った。
「うわっ!?」
あわてて身をよじると、光はエドルの脇腹をかすって、空を切り裂いていく。細く鋭い、剣の刃だった。
「エドル!」
「気をつけろ、リシェルア!二人いる!」
遅れて出てきたリシェルアに小声で注意を促すと、ふと、闇の中で相手の動きが止まった。
その隙を逃す手はない。軽快に大地を蹴り、気配に向かって休む間もなく攻撃を繰り出した。
「なっ…ちょ、ちょっと待て、待てって!」
「誰が待つか――って、あれっ?」
エドルの斬撃をかろうじて避けていた相手が、焦りの混じった声をかけてくる。その低音に、聞き覚えがあった。
手を止め一応間合いを取ってから、よく目を凝らしてみる。
「優しき灯火、闇夜を照らす」
状況を察したリシェルアが、呪文を唱えて杖の先端に魔力の火を浮かべた。彼女が杖先を前方に向けると、ようやっと相手の姿が現れる。
三日前に歓楽街で対面した、月傷と氷海だった。
「な…なんだよ、あんたらだったのか…。兵士に見つかったかと思ってたぜ」
安堵のため息をついていると、相変わらずの無表情で剣を収めて、氷海が問う。
「お前たちも潜入捜査に来ていたのか」
「まあね。あんたらには負けねーよ」
「こちらこそ、と言いたいところなのだが」
彼女は、残念そうにため息をついた。
「…迂闊だった」
何が、と問う間もなく、四人の周囲に現れたのは無数の警備兵。今の一瞬の交戦を、察知されてしまったようだ。
「何かと思えば、同業同士がこんなところで仲間割れか?間抜けなものだ。
さあ、大人しくついてきてもらおうか」
兵士長の嘲笑に言い返すこともできず、エドルたちは黙って従うしかなかった。
四人が連れてこられたのは、拘置所でも牢屋でもなく、謁見の間だった。
その奥の玉座に座っていたのは、額に天空王族の証である銀の六紡星を掲げた中年の男。普通はこの時間、とっくに床についているはずの人間だ。
「ゼ、ゼルヴァス天空王…!?どうしてここに!」
ディオが、驚愕の声を上げた。
「レスター聖教会に視察に行ってるはずじゃ…」
「視察に行こうとしたのだがな。
こんな事もあろうかと思って、考え直して途中で引き返してきたのだよ」
含みのある口調と、笑い声。
しかし、エドルとリシェルアには、一体何の事なのかわからなかった。
「視察?そんな予定があったのか?」
「天空王が視察に行くというから、その分警備が手薄になると考えて、私たちは今日の潜入を決行したのだ。
…お前たちは、そんなことも知らずに潜入しようとしていたのか。とんでもない強運だな。
いや、結果的には、運がなかったのかもしれないが」
天空王が、エドルたちを引き立ててきた警備兵を下がらせた。今、謁見の間にいるのは、天空王とエドルたちのみ。
「いいんですか、警備の兵を下げてしまって。おれたちが王に、危害を加えないとは限りませんが」
エドルが挑むような視線を投げかけても、王は適当な返事を投げ返してくるだけだ。
「まあ、その時は何とかするさ。
それよりも、本日我が城へ潜入捜査を決行した勇気ある仕事屋諸君に、折り入って引き受けていただきたい事があってね」
「…どうして俺たちが、潜入捜査をしにきた仕事屋だと知ってるんです?」
「有名じゃないか、君たちは。
月傷の銃士ディオ・ライアネイズにエルフの賞金稼ぎ、氷海。それからトレジャーハンターの疾風のエドルと烈火のリシェルア。
なんとも豪華なメンバーだな。さすがといったところか…」
「………」
天空王のとりとめのない言動に不信感を拭えない四人だったが、向こうは天空界の最高指導者で、こちらは不法侵入者だ。口応えのできる立場ではない。
「ところで、引き受けてもらいたい事があるとおっしゃっていましたけど、あたしたちを裁くおつもりはないんですかー?」
「たかが不法侵入だからなあ…しかしまあ、そこは、今からの君たちの返答次第だ」
不法侵入を「たかが」と言い放った天空王に、思わず四人は呆気にとられてしまう。下手をすれば不法侵入から暗殺沙汰になる可能性もあるというのに、相当肝の据わった人間だ。
咳払いを一つして、王は真剣な表情を見せる。
「誘拐された私の息子を、エヴァスタ旧天空教会から連れ戻してほしい」
「…はい?
連れ戻すも何も、おれたちはそのための情報集めに、ここに潜入したわけなんですけど」
「だから。改めて、この私から依頼しているんだよ」
王は姿勢を崩して背もたれに寄りかかり、長い髪をこめかみからかき上げた。
「城の者を動かせば大事になってしまうからもちろん駄目だ。たぶん外では何十何百という数の仕事屋が動いてくれているのだろうが、歓楽街でうろついているだけの彼等には、この事件の解決は間違いなく無理だろうな。
だから、改めて君たちに依頼をすると同時に、情報提供をしているというわけだ。
つまり君たちは、選ばれた人間だというわけだ!これはすごいぞ!誇って自慢しても良いことだぞ!」
「…はあ」
にっこりと微笑み称える王に、四人はやはり疑念を隠せない。どうにも馬鹿にされているような気がしてならなかった。
「なんだ。嬉しくないのか?」
「いえ、気高き天空王に僭越ながら直接ご指名いただいて、光栄に余りあるんですが。
どうにも、事のいきさつが不自然な気がして…」
「たまたま潜入してきた俺たちを、こんなにあっさり信用して事件の解決を依頼して情報まで提供して、本当にいいんですか?」
予期せぬ方向に、事が上手く進み過ぎている。何か裏があるに違いない。
氷海が、鋭い紫の瞳を光らせた。
「いくら私たちの名を知っていても、素性の知れない人間たちであることも承知しているはず。それでも私たちを選ぶ理由はなんだ?」
「そう、もちろん承知している。
しかし、君たちにはこの依頼を引き受けない理由はないし、不法侵入をしている以上、ここでこの話を断るのは不都合だろう?
私にとっては、それだけで十分なのだよ」
「つまりそれって」
エドルは、呆れた顔で天空王を見た。
「ようはなんやかやの理由をつけて、絶対途中で依頼を放棄させないようにしたかっただけで、本当は誰でも良かったってことじゃ」
「うーん…まあ、そうとも言えるな」
「…なるほど。つまり、全部罠だったということか」
情報屋に天空王子誘拐事件の情報が大規模に流れていたことも、王が視察に行くという偽情報も、すべては確実に事件を解決させる仕事屋をおびき寄せるための、天空王の策略だったのだ。
「誰でもよかったと考えるか、選ばれたと考えるかは君たちの自由だ。
さて、この依頼、引き受けてくれるかな?」
再び微笑んだ天空王は、まさにまんまと罠にかかった獲物を見据える者の顔だった。
どちらにしろエドルたちに断ることはできないわけだが、確認しなければならないことがある。
「あの。そうすると、報酬はどうなるんですか?」
「報酬?まあ、金が欲しいというのならそれでも構わないのだが…その代わり、此度の不法侵入の裁きは受けてもらうことになるが?」
「………そ…そうっスよねー…」
話を聞けば聞くほど、天空王の手の内で転がされているのがわかって、頭や胃が痛くなるだけだ。
四人は顔を見合わせると、しぶしぶ頷き合った。
「交渉成立だな。
期待してるぞ、君たち」
一体、これから何が待ち受けているのか。
不安げな四人とは裏腹に、何やら楽しそうな王の笑顔がとてもまばゆく見えたのは、差し込んできた朝日のせいだけではなさそうだ。
四人は、呆然としたまま天空城を後にした。
情報収集という当初の目的は果たされたが、なぜかややこしい話になってしまった感じは否めない。
「結局、情報と不法侵入罪の免除を餌に、天空王の手駒にされちまったってわけかよ…」
おまけに、実質報酬は皆無なのだ。エドルは頭を抱えるのを通り越して、今すぐ泣きわめきたい気分だった。
「やりきれねー…」
「やりきれねえのはこっちだボケ」
ぶつぶつ文句を言っていると、ディオがいかにも不機嫌な、トーンの低い声でそう漏らした。
「せっかくこれで、あのしつこいエルフと離れられると思ったのに、それどころか期間延長を言い渡されたようなもんだ。おまけに今度はてめえらも一緒。
しかも――」
さらに何か言いかけた時、天空城の門前に、見覚えのある少女が姿を現した。朝の太陽に負けないぐらいの元気な笑顔が、四人のもともと低かったテンションを最低値にまで引き下げる。
「―あの女も、くっついてくるしな…」
「おおっ!?みんな揃って、潜入捜査はどうしたのっ?」
「お前こそ、こんなところに何しに来てるんだ」
相手の質問は無視して、つっけんどんにエドルが聞く。すると、エリスは少し不満げな表情で答えた。
「あんたたちが潜入捜査をしているところを、こっそり眺めに来たんだけど。その調子だと、もしかして失敗しちゃった?」
「んー…一応、成功はしてるんだけどー…予想外の展開になったっていうかー」
リシェルアが、歯切れの悪い口調でごまかした。まさか、すべて天空王の罠でしたとは言えない。そんなことをこの少女に言ったが最後、酸欠になるまで笑われてしまう。
「はっきりしないねえ。で?結局何か掴めたの?」
「詳しい話は後でする。こんなところでは誰に聞かれてもおかしくない。場所を移す」
「はいはい」
エリスは踵を返し、皆の先頭に立って歩き始めた。その後ろで、ディオがエドルたちに尋ねる。
「…で?あのうるさい奴はこれから、どうするつもりだよ」
「どうするって言われても…」
エドルがどもると、リシェルアがため息をついて言う。
「あたしたちにはどうとも言えないわー。でも、気の強い彼女の事だから、これからもついてくるんじゃないかしらー?」
「なんの関係もないのに、首を突っ込み過ぎてるんだよ、あの女。いい加減目ざわりだ」
能天気に鼻歌を歌いながら前を進むエリスを、射殺さんばかりの目つきで睨むディオ。それをなだめるように、リシェルアは続けた。
「エヴァスタ旧天空教会は魔獣もたくさん出てくる危険な場所だから、説得すれば諦めるかもしれないわー。とにかく、相談してみましょうよー」
「気が強いうえに怖いもの知らずだからな…どうだか」
二人の会話を聞きながら、エドルは内心、諦観しきっていた。
裏通りの、誰も客のいないさびれた喫茶店を選んで席に着くと、五人は適当に朝食を注文して、話し合いに入った。
「問題は、天空王子の居場所はわかったけど、犯人の正体がいまいちよくわからないってとこだよな」
エドルが質素なパンをかじりながら呟く。
それに、ディオが面倒そうに答えた。
「犯人なんか誰だっていいっつーの。天空王子が奪還できれば」
「相手がどの程度の規模の集団なのかという情報は、必要だ。まさか一人の人間の仕業ではないだろう。
天空王子をさらうぐらいだから、身代金目当てなどの低レベルなものでもなく、最大で、天空王家転覆を謀ることができるような団体が相手ということになる」
紅茶のカップを優雅に揺らして、物騒なことを言う氷海。エドルの顔が嫌そうに歪んだ。
「例えば、どっかの国の軍隊とか?
やべーだろ、それ。そんなん相手に、この人数で挑むってのか」
「いや、さすがにそこまでとは言わないが…まあ、相手にも戦いのできる人間が揃っていることは予想できるな」
「ちょっとちょっと」
いきなり話を遮って、エリスが頬を膨らませた。
「あたし、ぜんっぜん話についていけないんですけどー。一から説明してよね」
「お前、ほんっと空気の読めねえ女だな」
「しょーがないじゃん!天空王の話、あたしだけ聞いてないんだし」
「夜は眠いから、潜入捜査なんかしないって言ったのはそっちじゃねえか。文句言うな」
「一緒にするって言ったって、どうせ許してくれなかったでしょ!」
言い合いを始めるエリスとディオ。氷海がうるさそうにしながら紅茶を飲み干す。
「天空王子はエヴァスタ旧天空教会にいると、天空王に直接聞いた」
「ぶっ!!」
自分を落ち着かせようとジュースを口に含んでいたエリスは、氷海の説明を聞くなりそれを噴き出した。
「ちょ、汚ねーっ!そんなにおおげさな反応、求めてねーよ!」
「はあっ!?エヴァスタ教会跡!?よりによって!?」
「そ、そうだけどー…そんなに驚くところなのー?」
怪訝な表情で、エリスを見る一同。彼女は数回咳をした後、
「だって…あそこ、魔獣だらけじゃん。どこもかしこも崩れてて危ないし、地下は浸水してるし、じめじめしてるし汚いし」
「聖地に対して、汚いとか言うなよ…。
仮にも、今の創造主教の元なんだぞ、天空教は。そんなこと言って創造主のバチが当たってもしらねーからな」
天空教とは、大昔、エヴァスタ教会を本拠地として天空を信仰の対象としていた宗教である。現代にはもう残っていないが、そこから派生し、世界を創造したといわれる存在を崇拝する「創造主教」が今でも続いている。そのためエヴァスタ旧天空教会は、創造主教の信仰者の聖地になっているのだ。
「一番罰当たりなのは、その場所を天空王子誘拐の拠点に選んだ犯人だけどな」
聖地と言っても、教会そのものは朽ち果てて久しく、魔獣の住処となっている。教会どころか、教会のある谷にすら、滅多に人は寄り付かない。それを良いことに、誘拐犯たちは拠点にしたのだろう。
「嫌だったら来なくていいんだぜ。お前の好奇心を刺激するような楽しいことはないだろうし、こっちにとっても足手まといだし」
ディオがそう言って鼻で笑った。しかし笑われた当人は表情も変えず、あっさりと言ってのけた。
「別に嫌だなんて言ってないし。あんたたちが邪魔くさがろーが、あたしはついてくよ。もしかしたら、案外面白いことが起こるかもだしね」
「………」
ディオは、先ほど「説得したら諦めてくれるかも」と発言していたリシェルアの方を恨めしげに見た。しかし、彼女はちょっと困った顔をしたものの、呑気に紅茶に砂糖を入れる作業を続けている。
エドルはすでに、これ以上は無駄と言わんばかりの呆れ顔だし、氷海はまったく眼中にないのか、話に加わろうともせずにサラダをつついていた。
「はあ。勝手にしろ」
とうとうディオも、両腕を椅子の背もたれに投げ出して降参した。勝利を収めたエリスは「やった!」と握り拳を掲げる。
すると、いつの間に入ってきていたのか、他の客の押し殺した笑い声が聞こえてきた。エリスははっと我に返り、あわてて姿勢を正す。
「…他の客が来てたのか…ここで話を進めるのはまずいんじゃね?」
「っつーか」
けだるそうに乱れた前髪を額から掻き分けると、ディオが言い放った。
「敵の情報うんぬんとか、行けばわかるだろ。ぐだぐだ話し合ってる時間があったら、とっとと解決したいんだよ俺は」
「投げやりだなー…」
「うるさい。
今日のうちに乗船券を手に入れて、明日の朝に出発。はい決定」
コーヒーを一気に喉に流し込んで、ディオは立ち上がった。
「どこに行く気だ」
「どこに行こうが俺の勝手じゃねえか。いちいちてめえに報告しなきゃなんねえ理由でも?」
氷海の問いにも耳を貸さず、ディオは喫茶店を出て行った。
「…あの野郎…メシ代置いていかなかったぞ…」
「ほんと、協調性のない奴だねー。自分勝手っていうか」
「お前が言うなっ!」
いい加減、この場のよどんだ空気にうんざりしていたエドルは、それを払うように声を荒げた。
「あーもう、どいつもこいつも!」
「まあまあエドル、他のお客さんに聞こえちゃうわよー」
「………仕方ない。
行けばわかるというのはもっともだ。ぶっつけ本番になってしまうが、作戦は現地で考えよう」
氷海も、ナプキンで口元を拭って席を立った。
「船の券は各自で購入。明日の朝、一番の船で発つ」
「りょーかーい。
寝坊するんじゃねーぞ…特にエリス」
「なっ!するわけな、ないじゃんっ失礼な!」
名指しで忠告されたエリスは、焦って噛みながら反抗した。その拍子に飲みかけのジュースをこぼしそうになっている滑稽な様子に、エドルたちは呆れるしかなかったのだった。