雪と静寂の国
雪の降り積む、冷たい街。ブーツでつけた足跡は、落ちてくる雪によってまた、徐々に覆い隠されてしまう。まるで、誰も通らなかったと言わんばかりに。
あの四人から離れて二週間後。白く霞む景色をぼうっと眺めながら、ディオは黙って塀にもたれていた。
久々に満喫する一人の時間。昔から、こうしてただ、何もせずにぼうっとしている時間がディオは割と好きだった。
「………」
物思いに耽っていると、人気のないこの場所に気配が近付いてきた。
神経を尖らせる。雪を踏みしめる音。数は三つ。
はあ、とついた溜め息が、白く濁って消えた。
「ディオ・ライアネイズだな」
寄ってきた気配の一つが、やけに高飛車な声をかけてくる。冷たい視線で見上げると、揃いの白い防寒着を着込んだ三人の男が立っていた。皆フードを目深に被っており、ガタイで辛うじて性別がわかる程度だ。
対してディオは、多少防寒してはいるが、全身を覆い隠しているわけでも変装しているわけでもない。目立つ額の三日月も、さらけ出したままだった。
黙っていると、また向こうが勝手に話し出した。
「やはり本人のようだな…
我々が何者か、何の目的でお前の元に来たか、わからないわけではないだろう?黙って従ってもらおう」
一人が伸ばしてきた手を、ディオはあっさりと掴んだ――かと思いきや。一気に引き寄せるなり、バランスを崩したその男を白い地面の上に蹴り転がした。
「くっ…?!」
雪を散らしながら身体を起こす彼を見下ろし、ディオは不機嫌な声で言い捨てる。
「せっかくここまで来てやったんだから、お前が直接迎えに来いっつっとけ。もちろん、一人でだ」
「きっ貴様っ」
「はっ。どうせ俺に手出しすんなって言われてんだろ?カワイソウに」
図星らしく、声を詰まらせる三人。
「あいつが来るんならこっちも大人しく従うって言ってんだよ。さっさと出直せば?」
一方的に俺にボコられる前にな。
そう脅すと、三人は悔しげに振り返りながら逃げて行った。
スラックスに掛かった雪を払い、ディオは街に向かって踵を返す。
恐らく今日はもう、迎えが来ることはないだろう。意思表示はしておいたから、明日か、遅くても明後日には、きっと来る。
どちらにせよ、ディオは待つしかない。
いや、待っている。彼がどこにいるのか、ディオは知っているのだから。
あえて待つ。これが、相手に対する瀬戸際の抵抗。そして、自分が覚悟を決めるための最後の時間でもあった。
時折吹き付ける冷たい風に身をすくませながら、ディオはゆっくりとそこを去る。強くなってきた雪が、泥混じりの足跡をまた真白に塗り潰していった。
「さっっっむい!」
この雪の国を歩くにしてはあまりに薄着なエドルが、身体を縮めて叫んだ。
急ぐ急ぐと口では言いつつ、寄り道もしながら旅を満喫したリシェルアたち四人。ニールス王国の門前で馬車を下りたのは、南国フォーラスを旅立って二週間半後の夕刻だった。
リシェルアもかたかたと肩を震わせ、相方に応える。
「これは、ディオを捜すどころじゃないわねー。先に服をなんとかしないと…」
「そうとくれば、早速買い物だね!」
ここぞとばかりに、エリスティアが目を輝かせた。
「まずはコートでしょー?あとマフラーと手袋とー、雪の中を歩くんだからブーツも買わなきゃ!
いっそ、冬服全部買い替えちゃおっかな。あ、帽子も欲しいなあ…」
「お前、便乗して買い物しまくる気だろ…」
寒さのためか、エドルの突っ込みにも覇気が足りない。
このまま黙って立っていては凍えてしまう。足を止めていた四人は、早速街へと足を踏み入れた。
雪のちらつく街の景色を眺めながら、リシェルアは白い息を吐きつつ呟く。
「それにしても静かねー。人は結構歩いてるのに、どうしてかしら」
「雪が音を吸収するから、静かに感じるのだろうな」
この国に来たことがあるというクリティスは、完璧な防寒対策で身を固め、曇天を見上げていた。リシェルアの疑問に、いつも通りの無表情で答える。
前に滞在していたフォーラス王国がいろいろと騒がしかったから、余計に落ち着いた雰囲気に見えるのかもしれない。戴冠式で国中がお祭り騒ぎだったし、中止になったらなったで、事件に関わる騒ぎに息をつく隙もない。それにフォーラス王国自体も、小さいながら、明るく活気のある国だった。
ふいに、何とはなしに黙り込む四人。
すると、そのわずかな静寂の隙に、白い街並みの向こうから鐘の音が響き渡った。
一回、二回、三回。規則正しく鳴らされるその音は、降り続ける雪のせいでぼやけて、淋しげに聞こえた。
「教会か…?」
鐘の鳴る方角を眺めていたエドルが、目を細めて前方に首をのばす。
「…葬式だな」
クリティスが、視線を下ろして小さく答えた。
「ああ、ホントだ」
真っ白に覆われた小高い丘の教会から、黒い葬列が下りてくるのが、遠目に見える。街の方へ来るわけではないらしく、葬列は丘の反対側へ、静々と消えていった。どこかで柩ごと燃すのか、そのまま土に埋めるのか、はたまたこの国のさらに北方、虹海と呼ばれる極寒の海に沈めるのか…
「本当に」
それを何となしに見送った後、クリティスがしみじみと呟いた。
「静かな街だな、本当に…」
「………そうねえ」
この静寂と雪の故郷に、彼は何を想って戻ったのだろう。
リシェルアの脳裏にふと浮かんだのは、フォーラス王国にて独りで夜の海を見つめていた、銃士の儚げな後ろ姿だった。