表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ワールドメイカー  作者: みたらし
第二章 滑稽な英雄譚
40/46

クライマックスとエンディング

はあはあと、自分の息遣いが騒がしい。後ろについて来る仲間たちも、余裕がないのかずっと無言だ。

階段を昇り切ると、踊り場に出た。二階に着くものだと思っていたのだが、階段の長さからして、もっと高い場所に来たようだ。

イーリスの姿は無い。わたわたと見回していると、イルファが不意に、視界の一箇所を指差した。

廊下の、閉じられた扉が並ぶ中に、一つだけ、半開きのものがある。

「あそこね!」

エフィルはそこに近付くと、扉を限界まで開け放った。てっきりイーリスが待ち構えていると思ったのだが、そこには誰もいない。代わりに、更に上へと続く殺風景な階段が見えた。

「ま、また階段…?このままじゃ、屋上まで行っちゃうよ」

「案外、イーリスが目指してるのはそこかもね」

辛そうに弱音を吐くウィミーネを支えながら、ラズマが応えた。

階段の向こうから、纏わり付くような夏の空気が吹き付けて来る。ラズマの読みは正しいかもしれない。

エフィルは呼吸を整えると、再びそれを昇り始めた。




「で?どういう事か説明してもらおうか!」

むっつりと頬をむくれさせ、エドルがエリスティアに詰め寄った。

五人は今、真夜中になり人気の途絶えた広場にいる。城からまだ充分離れたとは言えないが、エリスティアが結界を解いていたとしても、わざわざこちらを追ってくる事はないだろう。自分の主人を守る事を優先するはずである。

「エフィルって、出身どこだっけ」

しかし、エリスティアは答えず別の質問をこちらにかけてきた。こういう場合、答えてやらない限り、彼女はこちらの話を聞こうとしない。それをエドルもわかっているのか、多少不満げにしながらもぼそりと答えた。

「オレットの村。マカリヤ皇国領の」

「あああ…よりにもよって魔界…アルトに怒られるうぅ…」

ベンチに腰掛け、頭を抱えるエリスティア。こんなに弱った彼女を見たのは初めてだ。

「つまり、どういう事なんだ」

焦れたディオが説明を急かすと、エリスティアは、眉をハの字に曲げたまま話し始めた。

「勇者ってのはさ。あんた達も知ってる通り、神族が選抜するものなわけ」

勇者。いわば、魔王顕現等の世界の有事に、神から使命を与えられて解決する、選ばれた人間である。

有名どころだと、青の時代に、青砂の呪いを操る凶悪な魔王を、相打ちになりながらも封じた英雄、勇者リューナス。その魔王の子孫であり、煉獄への道を開く禁じられた法を操る魔王を、聖剣をもって倒した緑の時代の勇者ルイ。琥珀の時代には、「予言書」の野望を打ち砕いた、聖女とも呼ばれる勇者エルティーナ。

もちろん他にも、勇者伝説は数え切れないほどある。史実かどうか定かでないもの、明らかに作り話のものも存在するが。

「勇者選出から危機解決までは、全部あたしの眷族の仕事なの。あたし自身が余計な首を突っ込んじゃいけないし、そもそも神は、非常時でもない限りあんまり人間のやることに手出ししないようにしてる。不公平だから」

て言っても、ここらへんは神族一人一人の裁量に任せてるけどね、とエリスティアは付け足す。

「で、エフィルが勇者だとすると、魔界出身の彼女を選んだのは魔界神アルト。この子がまた超真面目というか、完璧主義な子でね」

「お前が邪魔…余計なちょっかいを出したから、こっぴどく怒られるんじゃないかって話か」

くっだらねえ。ディオが、真っ先にそう吐き捨てる。

「でも」

リシェルアが、不思議そうに言った。

「勇者なんて、数百年前の勇者レオナ以降、一人も出てないわー。魔王に至っては、紺の時代にはもう現れてないし…」

現代はもう、勇者や魔王の活躍するような伝説の時代は、終わったと言われて久しいのだ。クリティスも、いくらラズマが保証人だとしても、あまり信じる気にはなれなかった。

「大体さー、自分で自分のこと勇者って言っちゃう奴なんて、フツーいるかあ?」

「いやあ、いるかもしんねえぞ。なんてったって」

ディオが、びっ、と目の前の金色の目をした少女を指差す。

「これが、神の一族の長、神の中の神、太陽神にして創造主だからな」

「そうかそうだな。ならきっと、自分で勇者って言っちゃう勇者もいるよな」

「どういうことか、詳しく説明してもらおうじゃないの人間共」

片手ずつ、男二人の胸倉を掴んで睨み上げる創造主。今にもその無限の魔力を行使しようとしたところで、リシェルアが止めに入った。

「時代遅れだろうと久しく出ていなかろうと、勇者は勇者、魔王は魔王」

二人を降ろしたエリスティアは、いつになく真剣な顔で言う。

「あいつらが本物でも偽物でも関係ないの!とにかくあたし、勇者と名前のつくものには一切手出ししないんだから!」

「ここまで関わっといて今更…なあ…」

「うるさいうるさい!」

夜中だというのに近所の迷惑を顧みず騒ぐ彼女をぼんやり眺め、クリティスはひっそりと、少し残念に思いながら長いため息をついた。




「やっと…」

アクスが、髪を夜風にそよがせて前を見据えている。

月は既に空高く、フォーラス城の屋上で対峙する人間達を煌々と見下ろしていた。

「やっとここまで来た」

月の下に一人立つイーリスは、ただ、優雅に佇んでいる。

「さあ、後はあんただけよ。

クリティスとの約束なの。彼女達が来るまでに、あんたに王子の居場所を吐かせるってね」

「ふふ、それはきっと無理だわ」

イーリスは微笑む。その口から、あの柔らかな声が流れる。

「わたくしは予知夢を見る者。予知夢を見るということは、第六感が強いということ。

これがどういう事かわかるかしら」

「第…六感…?」

エフィルは首を傾げた。どういう事かと言われても、そもそも聞き慣れない言葉だ。わかるはずがない。

イーリスは、答えを待たずに続けた。

「第六感は神に通じる力。人の思考を読んだり霊を見たりするというのは有名だけれど、この能力にはもう一つ、重要な要素が含まれているの」

両腕を大きく広げ、恍惚とした表情で叫ぶ「大司祭」。

「それは、魔力の強さ!第六感は、持ち主に圧倒的な魔力を与えているのです。

貴方たちを倒すには、わたくし一人でも充分過ぎるほどよ。それに…」

語りの合間に、無数の足音が階段を昇って来るのが聞こえた。クリティス達かと期待して振り返ったが、それはすぐに絶望に変わる。

「彼らもいるし、ねえ?」

「そん、な」

後ろに立ち並ぶのは近衛兵たち。

イルファが、信じられないというように怒鳴った。

「あいつらはどうしたっ?!」

「彼らがここにいるという事実そのものが、答えではないかしら?」

クスクスとイーリスの零す笑い声が、耳障りだった。

「絶対赦さないんだから…!」

「それはこちらの台詞。せっかく教団に寄付金を捧げる算段が整っていたというのに、ここにきて愛想を尽かされてしまった。

…予定通り戴冠式が終わっていれば、こんなことにはならなかったのに!」

「…寄付金…?」

ラズマが、不思議そうに眉をひそめた。そんなものの為に、白蛇教団はこの国の王室に取り入ったのか?と。

「もう、わたくしは何も信じない…!わたしはわたし自身の力で、わたしという存在を主張してみせる!」

イーリスの宣言を皮切りに、近衛兵達が一気に襲い掛かってきた。

かくして、エフィルたちにとって圧倒的に不利な状況で、決戦の幕が上がったのである。




「お?始まってる」

不意に、エドルが顔を上げ、フォーラス城の屋上を見た。

つられて見上げるのと時を同じくして、ぱっと月下に光が湧く。それが、戦いの最中に使われる魔法の光だと気付くのに、さほど時間はかからなかった。

「高いところが好きなのは何と何だっけ」

「正義の味方と悪人じゃねえの?」

「馬鹿と煙よー。一つもあってないわー」

エドルやディオ、リシェルアが与太話を繰り広げていると、今度は屋上で魔法の火柱が上がった。まるで天の月に届きそうだ。

「でもまあ、あいつらなら使命放棄する事もなさそうだし、安心かな」

「使命放棄?」

「あ…」

エリスティアは、口元を押さえて目をそらした。

「放棄ってなんだ?まさか、勇者が逃亡したりすんの?」

エドルが興味津々に目を輝かせている。

「うーん…これ、言っちゃっていいのかなあ。

まあ、どうせ今後勇者選出する羽目になったとしても、あんたたちを選ぶことはまずないからいっか」

むしろ有り難いくらいなのに、不愉快な気分になるのはなぜだろう。

「あるんだよね、ごくたまに。選んだ勇者が逃亡するケース。

一応、夢とか聖職者のお告げを通して催促するんだけど、五回くらいやって改善の余地がなさそうだったら、諦めて違う勇者を選出するの」

ほう、と、クリティスは納得して頷いた。

「五日無断欠勤したら強制解雇…みたいなものか」

「おいそういう言い方やめろ。勇者のイメージガタ落ちじゃねーか」

「でも、これが人間側にばれちゃうと「自分がやんなくてもいいじゃん」って思うから、みんな逃げちゃうじゃん?だから、秘密にしといてね」

「秘密もなにも、俺らが言い触らしたって誰も信じねえよ、そんな話」

呆れきった顔で肩を竦めるディオ。彼はどうやら、最初からこの手の話には興味がないようだった。

次に聞こえたのは爆発音。屋上から煙が立っている。そろそろ城が壊れるのではないかと、他人事のように思った。召喚したドラゴンで、既に破壊していたことを棚に上げて。

「どうなるのかしらねえ、この国」

リシェルアの、小さな呟きが耳に届く。

「アクス王子の存在が認められれば、次期国王は彼になるだろうな。

例えエフィルたちが負けても、これだけ騒げばカイ王子のやった事などあっという間に周囲の人間の耳に入る。何事もなかったように、とはいかないはずだ」

「それもこれも、戦線離脱したおれらにはかんけーねーけどな」

怨みがましくエリスティアを睨むエドル。エリスティアが彼を睨み返すと、途端に言い争いが始まる。屋上ではまだ決戦が続いているというのに、それは、まさにいつもの光景だった。

リシェルアが眠たそうに目を擦っている。怪我をした身に、先ほどの連戦は堪えたのだろう。ディオも、緊張がほどけたのか隠そうともせず欠伸をしていた。

「…帰るか…」

クリティスは、少し収まってきた様子の屋上にぼんやりと視線を向けたまま、呟いた。




エフィルの薙いだ大剣が、近衛兵を二人、一気にうち倒した。続いて襲ってきた兵士を、後方のウィミーネが風の魔法で足止めする。そこを、イルファが一太刀で斬り伏せた。

それが、最後の近衛兵だった。

「や、やった…」

古の剣を地面に突き立て、それに寄りかかるイルファ。ウィミーネも、精根尽き果てた様子で膝をつく。

しかし、エフィルはまだ立っていた。いや、立っていなければいけないのだ。何せ、まだ戦いは終わっていないのだから。

「貴方と対峙するのは二度目ね」

最後の敵――イーリスが、目の前の青年、ラズマを見つめている。紅いローブの裾が風に揺れた。

「イーリス――」

「王子、下がってください」

後ろにつくアクスを、ラズマはそっと下がらせた。アクスも疲弊しているし、彼は戦に慣れていない。

「任せたわよ、ラズマ…!」

圧倒的な魔力を持つイーリスに対抗できるのは、彼しかいない。

「あなた相手なら、思う存分魔法を使えそうだね」

「まるで、今まで手加減していたと言わんばかりね」

「だって、そうだし」

いつもの、やる気のない顔でさらりと言うラズマ。それがとぼけた表情に見えたのだろう。イーリスの顔が少し引きつった。

「カイ王子といい、あの翼人といい…どうしてこうも、わたくしの周りには小生意気な坊やが多いのかしら」

「類は友を呼ぶというよ」

にこりと、ラズマが表面的な笑顔を浮かべた。

「黙りなさい」

イーリスの瞳が突然、凍りつくような冷たさを帯びたかと思うと、

「荒ぶる炎よ、我が敵を取り巻け!」

ごうっ、と激しい音を立てて、熱風がラズマに吹き付けた。続いて、炎の火柱が彼の周囲を取り巻く。

「ラズマ!」

「激情を鎮め静寂を謳い、滔々と地に湛う水の神よ!」

ラズマが水の神を讃えると、天から降ってきた水柱が炎をかき消した。

「流れる水を氷の刃に!」

落ちて来た水を利用して、彼は氷の魔法を使った。呪文の通り、地面に落ちた水は鋭い刃物に変化して、大司祭へと襲いかかる。

しかし、

「凍てつく刃はわたくしを切れぬ。壁に当たって折れるのみ」

壁――対魔術低級結界が、それをすべて阻んだ。結界に当たった魔法の氷はぱらぱらと零れて、地面に落ちる前に消滅する。

間髪入れず、次の呪文を唱えるイーリス。

「空を奔る剣、迸る稲妻、わたくしに仇なす者を引き裂く刃…」

水柱が降った空から、今度は雷撃が三発ほど、立て続けに落ちた。しかしラズマは既に、低級結界の呪文を唱え終えている。

「神よ、貴方の下僕に憐れみと庇護を」

落ちた雷は、結界に触れると音も立てずに消えた。おや、とラズマが、垂れ目で首を捻る。

「圧倒的な魔力…って言ってたみたいだけど、僕の結界は破れないのかな」

彼のこの言葉に、夢見の大司祭は完全に頭に血が上ってしまったようだ。

「黙りなさいと――」

彼女の身体が、魔力によって白く発光する。

「言っているでしょうッ!」

怒鳴り声と同時に、魔力が弾けた。呪文が高らかに響き渡る。

「わたくしの前に立ち塞がる愚かな不届き者よ、赤く燃え盛る炎獄の罰を受けよ…!」

弾けた魔力が一瞬にして熱を帯びた。

範囲が広すぎる。ラズマどころではなく、こちらまで巻き込むつもりだ。後ろには、イーリスの味方である近衛兵たちも倒れているというのに。

ウィミーネが低級結界を唱え始めた。しかし、兵士たちとの戦いで魔力の残っていない彼女が、どこまで持ちこたえられるかは疑問だ。生憎と、エフィルとイルファは結界魔法を使えない。

「ウィミーネ、君はいいよ」

妙に落ち着いたラズマの声が聞こえ、エフィルは顔を上げた。イーリスから出る魔力が逆光となって、彼の立ち姿は黒い影に見える。

「わ、わたしの腕に溜めた魔力を使えば、なんとかなるかも…」

「君が牢屋を壊してから、まだ日が足りない。そんなに魔力は溜まってないはずだ」

言葉を失ってうなだれるウィミーネ。

「大丈夫。大丈夫だから僕に任せて」

「本当に大丈夫なんだな?」

イルファが、ラズマの自信に念を押すように訊いた。

「まあ、絵を描くことだけが取り柄じゃないって教えてあげるよ」

おどけたラズマの声。エフィルは、長く細く息を吐いた。

自分が彼にかける言葉はない。だって、彼を信じているから。

「焔よ、彼の者たちの幻想を焼き払え!!」

イーリスの声が一層高く、夜空に届けとばかりに響いた。

熱を帯びた魔力が、爆発を起こす。しかし、音はすれど熱風も火炎も吹きつけて来ない。

「なん、ですって…?!」

魔力を放出しきったイーリスが、肩で呼吸をしながら地面にへたりこんだ。

彼女の視線の先、そして仲間たちの視線の先に、先程と変わらぬ姿で立ち続ける、法衣の青年。

「どうやら」

彼は涼しい表情と声色で言った。

「今のが、貴方の限界みたいだね」

イーリスが一瞬だけ絶望した顔を見せ、そして歯噛みして視線を落とす。

呪文を唱える気配はない。本当に、あれが最大の、精一杯の魔法だったようである。

対するラズマは、あれだけの魔法を一人で防いだにも関わらず、息一つ乱していない。力の差は歴然だった。

「すごい…」

ウィミーネが、目を丸くしてラズマに見入っている。

何年も彼と旅をしているが、ラズマの魔力がここまでとは知らなかった。エフィルもまた、ウィミーネと同じく呆然としていた。

「カイ王子はどこに?」

ラズマがイーリスを見下ろして問う。イーリスは、やけくそ気味な含み笑いを漏らした。

「わたしがそう言われて吐くと思うの?」

「別にいいんだよ、僕は」

ラズマは目を細めると、思わせぶりに後ろの近衛兵達へ視線を流した。

「彼らを一人ずつ、この高さから吹き飛ばしてもね」

「………」

イーリスは、口を結んで動かない。

それは、さすがにやり過ぎではないか。エフィルが顔をしかめてラズマを諌めようとすると、イルファが肩を掴んできた。彼が首を左右に振るのを見て、エフィルも口をつぐむ。

近衛兵の一人が、震え声で叫んだ。

「イーリス様を護るためならば、我々はみな、いやこの国の民全て、命を棄てる事を厭わないぞ…!」

「っ、貴方たちはっ」

イーリスはここに来て、初めて焦りの表情を見せた。

「わたしを護るためなら死んでもいいというの?どうして?わたしは神ではないわ。まさか、夢見の力が狙い?」

兜を脱いだその近衛兵は、ポカンとして、まるで当然のことのように答えた。

「何をおっしゃるのです?イーリス大司祭。

貴女を護って死ぬ事は、神に殉じると同じ事。これ以上の理由はありません。民は皆、貴女の教えてくださる真理を求めているのです」

「……………!」

大司祭は、言葉に詰まってじっと彼を見つめ返した。

「彼らはあんたを必要としてる。あんたの夢見の力じゃなくて、あんたの存在そのものをね」

ラズマが、静かな声で言った。

「そうでなくとも、この国や人に古くから根付いて文化と一体化しているようなものを、簡単に変えられるとは思えないよ。

亜魔界神教会も白蛇教団も信じられないっていうなら、新しい宗教でも学校でも探すか作るかするといい」

しばらくの沈黙の後、イーリスはぽつぽつとこの事件に至った経緯を話しはじめた。

幼い頃から夢見の力があったが、そのために、金目当ての親に利用されていたこと。そこを亜魔界神教会に助け出されたと思いきや教会にも利用され、しかも、更に精度の高い夢見を行える人物が教会に来た途端、この小さな国に左遷されたこと。

「…上の連中は確かにあんたを利用したかも知れないが」

アクスが、厳かに口を開いた。

「ラズマの言う通り、あんたの下にいる民はあんた自身を必要としてる。

大人しく罪に服した後は、教会のためじゃなくて、民のために生きてほしい」

「………」

イーリスは、目を地面に落としたまま黙っていた。

何を思っているのかはエフィルにはわからなかったが、恐らくもう、こちらに攻撃を仕掛けてくることはないだろう。

「教えて。カイ王子はどこに隠れているの?」

彼女の長い髪がさらさらと夜風になびいているのを見つめながら、エフィルは訊いた。

数刻の逡巡の後に、イーリスは、小さな声で答えた。

「彼はもう、隠れていないわ」

「え」

イーリスが、顔を上げた。表情は無かったが、瞳は穏やかな色をしていた。

「カイ王子は、自室に。

おそらくもう、あなたたちと争う気はないのでしょう。先程わたしの元から立ち去った時、何か諦めのついたような、そんな顔をしていたから…」

イーリスの言葉を聞いたエフィルたち五人は、顔を見合わせた。

「…だそうなので、最後のシメはよろしくお願いします、王子。疲れたので僕は残りますね」

「よろしくって…お前、急に投げやりになったな」

「何を言っているんですか」

呆れた顔のアクスに、ラズマはきりっと真面目な顔を向けて、

「僕には、大司祭をお縄につかせるという重大な役目があるんです!」

「お前さっき、「疲れたので」って言ってたよな?」

アクスが突っ込むと、彼は白を切って目を逸らす。やれやれとため息をつく一同。

「でも、カイ王子を説得するのは、確かに身内の貴方がするのが一番だと思います」

「もちろんわかってるさ」

イルファがフォローを入れると、アクスは力強く頷いた。

「君たちはもう、十分俺を助けてくれた。

ここから先は、俺の仕事だ」

「そうね。わたしたちもカイ王子の自室までは送るけど、中に入るのはあなた一人で。

けど、忘れないでね」

エフィルも頷くと、彼を勇気づけるように言った。

「わたしたちは、傍にいなくてもあなたを応援してるんだからね」

「ああ」

アクスは、星空の下で満面の笑顔を浮かべた。


ラズマとウィミーネを後始末に残し、エフィルとイルファが王子についていくことになった。

それぞれ分かれて、最後の仕事をはじめようとした時だった。

階段を下りる直前、あ、とイルファが突然、思い出したように声を上げた。それから、大人しく地面に座っている近衛兵たちの内、リーダー格と思われる者に近づき肩を叩く。叩かれた兵は一瞬びくりと身体を竦ませたが、別に彼が怒っているわけではないのに気付くとおそるおそる顔を上げた。

「あ、あの、何か?」

「あいつら。クリティスたちの事について聞きたいんだけど」

それを聞いて、エフィルは合点がいった。彼女たちの安否をまだ、確かめていなかったのだ。

おそらく彼らは、敵であったこちらの名前も知らされないまま、戦いに駆り出されていたのであろう。クリティス、と言われてもしばらくきょとんとしていたが、はっと思い出したように目を見開いた。

「ああ、ホールで戦った…」

「そうそう。そいつらの事なんだけど。

まさか、本当に倒したわけじゃないんだろう?結局どうなったんだ?」

まるで、彼らが近衛兵に負けるはずがないとでも言いたげな訊き方だった。そして訊かれた近衛兵も、「ああ」とためらいもなく頷く。

「それが…正直、我々も信じがたいというか。

確かに、我々が実際に倒したわけではない。倒したわけではないのだ」

何故か、歯切れが悪い。

しかしその理由は、続けて出て来た言葉ですぐに理解できた。

「不戦勝というか、なんというか…

奴らは、いきなり逃亡した」


「「「「「は?!」」」」」


エフィルたち五人の声が、見事に重なる。

逃亡?逃げた?どういうこと?何で?

確かにこれは、信じがたい。エフィルの真っ白になった頭の中に、疑問符が次々と浮かんできた。しかしどれも言葉にならず、ただただ口をぱくぱくしていると、他の近衛兵がその時の状況を説明し始める。

「戦い始めてから一旦距離を置いたんだが、なにやらエルフの女剣士と赤茶色の髪をした少女が話を始めたんだ。チャンスかと思って斬りかかろうとしたんだが…」

「だが?」

彼らが着の身着のまま逃げ出すなど、よほどのことがあったに違いない。五人は、唾を飲み込んでその続きを待った。

「その時にはもう、我々と彼らとの間に結界が張ってあった。それもかなり強力なもので、我々が束になって斬っても魔法をぶつけても、傷一つつかないんだ。

そうこうしている内に、彼らは正面の扉から逃げて行ってしまった。その前に、翼人の少年と赤茶色の髪の少女がなにやらもめていたようだけど、よくわからない」

エドルとエリスティアのことだろうか。

何をもめていたのかとイルファが問うと、話していた近衛兵は知らないらしく、首を傾げて黙ってしまった。その代わりに、リーダー格が話し始める。

「私は少し内容を聞いていたが、正直それでもよくわからなかったな。

赤茶色の髪の少女が、一方的に逃げる逃げると繰り返していて、他の仲間たちはそれに引っ張られていったという感じだ。よほど恐ろしかったのか…」

「………」

恐ろしかったから逃げた?

ありえない、と、エフィルの頭のどこかが完全に否定した。

戴冠式の時は自分の前に立ち塞がり、フォレストフォーラスでの急襲にも、隠れ家で警備団に包囲された時も、フォーラス城に侵入したその直後まで、平然とついて来て図太く存在していたあの女が。近衛兵と対峙したその時になって、いきなり怖気づいて逃げ出すなんて。

「んな馬鹿な」

エフィルが口に出す前に、アクスが口に出していた。

そうだ、そんな馬鹿げたことがあるわけない。

「し、しかし、本当にこれは事実で…」

「冗談でしょ?冗談よねー?」

「うううわああああ!や、やめろ!事実を物理的に捻じ曲げようとするのはやめろ!」

「落ち着いてよエフィルってば!」

混乱して大剣の柄に手をやると、ウィミーネがその腕を力任せに抑えてきた。仕方なくエフィルは腕を下ろして、深呼吸し落ち着きを取り戻す。近衛兵たちの怯えた視線が、罪悪感をちくちくと刺激してきた。

「何があったのかはわからないけど、これは本人たちに聞くしかないよ」

ラズマが、呆れと安堵の入り混じったため息を吐く。

「とりあえず、最後の仕上げを終わらせよう」

「そうだな。逃げたと言っても、この国から抜けだしたわけではないと思うし」

エフィルは、今になって沸々とわき上がってきた怒りを、愚痴として零しながら階段を下り始めた。

「まさか、敵前逃亡なんて…ちょっとでも信じたわたしが馬鹿だったわ!

後で会ったら、ただじゃおかないんだから…!」


カイは、じっと自室で窓の外の星空を見つめながら、待っていた。

それが、イーリスの勝利の報告なのか、アクスの訪れかは自分でもわからない。ただ、今必死に、「終わり」を待ち望んでいることは確かだった。

自分が招いた事だというのに、自分でけじめをつけられない、つけようとしないなんて。

「イーリスの言う通り、僕は臆病者かもしれない」

「そうかもな」

独り言に、返事が返ってきた。長年聞き慣れた、身内の声だった。

「だって俺たち双子じゃないか。

同じ環境で同じ時間を過ごして、似てて当然だと思うよ。世間には正反対だって言われてたけどな」

「そうだな」

カイは、ゆっくりと振り返った。閉じた扉の前に、弟アクスが立っていた。

「国を追い出された後、俺は確かに独りになった。でも、エフィルたちがいた。仲間だって言ってくれた。

でも兄貴、あんたは…」

「そう、僕はずっと独りだった。イーリスがいたけど、利用し利用されるだけの関係だったし、それ以上を僕も彼女も求めていなかった」

じっと弟の目を見つめるカイ。

「一年前にあの男が来た時、そりは合わなかったが確かに惹かれた。今思えば、友だとか仲間だとか、自分と思いを共有する人が欲しかったのかもしれない。それだけ、周りの人間が信用できなかった。

…守ると言いながら、実の弟のお前すら信じていなかった気がする」

「俺もそうかも」

アクスも、少し自嘲して首を振った。

「彼女たちに会うまで、追われたままでいいかとも思ってた。半分は諦めだったけど、同時にほっとしてたよ。あの争いから抜け出せたんだって」

でも、と、アクスは顔を上げる。

「エフィルにこのままでいいのかって言われた時、国民の事も心配だったけど、真っ先に思い出したのはあんただった。あんたはまだ、あの中で独りでいるのかって思うと、ほっとけなかった」

アクスとカイは、しばらく見つめ合った。月は傾いていたが、星明かりが窓から差し込んで、双子の王子を照らしていた。

「………まだ、どっちが王になるかはわからないけど」

再びアクスが話し出した。

「あんたが王になれば俺はあんたの指示に従うし、俺が王になったら…あんたに、助言者として傍について欲しいと思ってる」

「ふ………」

カイが、初めて笑った。口元だけの小さなものだったが、ひねたもののない、純粋な笑顔だった。

「考える事は同じか…血は争えないとは、良く言ったものだな」

「ははっ。そうだな」

アクスも軽く笑い声を立てると、少しの間逡巡した後、そっと片手を差し出しす。

カイも、同じくらい迷った挙げ句、恐る恐る手を伸ばした。


「一件落着、ね」

細く開いた扉の隙間から一部始終を覗いていたエフィルは、にっこりと微笑んだ。

手を結び合う二人の王子の姿が、暗い部屋の中にシルエットとなって浮かんでいる。

「本当に大変なのは、これからだろうさ。特に、カイ王子は」

廊下の壁に寄り掛かっていたイルファが、低い、沈んだ声で応えた。エフィルはいささかむっとして、棘のある声で反論する。

「そういう陰気な事は言わなくていいのっ。

あの二人なら大丈夫よ。これから何かあっても乗り越えていけるわ」

「………」

意味深に黙り込むイルファ。エフィルは、ますます眉を寄せて扉の中から視線を外し、彼を見た。

「ま、エフィルはそんな感じでいいさ。そんなエフィルが一番いい」

「どういう意味?」

聞き返しても、イルファは答えなかった。いつもへたれな彼の横顔が年相応に大人びて見え、エフィルはギクリと口をつぐむ。

「…そろそろ、二人に声を掛けなきゃな。アクス王子にはまだ、病床のフォーラス王や側近たちに無事を報告するっていう大事な仕事がある」

「そ、そうね」

言われてはっと我に返り、エフィルは慌ててノブを引いた。

アクスが「うおっ!」と驚いて後ずさる。

「まさか、見てたのか?!恥ずかしいから見るなって言ったのに!」

「なんだアクス。気付いていなかったのか」

「兄貴知ってたのか?!言ってくれよ!!」

「見ててくれと、お前が彼らに頼んだのかと思ってた」

「違うに決まってるだろ!そんなことしたら更に恥ずかしいじゃないかっ!」

うわあああ…と頭を抱えてしゃがんでしまったアクスを見守りながら、

「それだけ仲良しなら、やっぱ大丈夫そうね」

星しるべの勇者は、嬉しそうに再び微笑むのだった。






「あれ、入れ違いになっちゃったかな」

教会の鐘つき堂に現れたすました青年、ランドルックは、いつもの顔を少し残念そうに緩めた。

「せっかく労いの言葉の一つも掛けてやろうと思ってたのに、ほんと間が悪い奴だ」

今はもう鎮まったフォーラス城の屋上を、まるでお伽話に出てきそうな丸い月と共に眺めて、ランドルックは縁に腰を下ろした。温い風が額に髪を張り付かせるのをうっとおしく避けながら、独りごちる。

「本当は、大司祭が勝ってこの国が教団に所属するっていうオチでも、僕は良かったんだが…ま、今回は仕方ない」

誰が聞くこともない、ただ夜闇に消えるだけの言葉は続く。

「ぶっちゃけ、ちょっと遊んでいきたい気分なんだけど、クルトの功労に免じて止めといてあげよう。他の奴らにどやされるのもやだし」

少しだけ、月に見惚れて黙った後、ランドルックはまた他愛のない独り言を始めた。

「勘づかれても困るから、そろそろ帰ろっかな…

今度は僕の方が忙しくなりそうだ」

憂鬱そうに呟き終えると、ランドルックは鐘つき堂から、「闇」を伝って消えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ