天空王子誘拐事件・前篇
エリスの案内に従って森を抜け、たどり着いたのは非常に活気のある街だった。
それもそのはず、ここは天空界で一番の都市である王都ヴィシェナ。天空界全域を治める天空王が居住している、天空城の城下町だ。天空界のはるか下界に位置する魔界や亜魔界からの観光客が絶えることなく訪れ、それに伴った観光業も商業も盛んである。
「…って、誰が天空界に案内しろって言ったんだよ!」
買い物袋をいくつも手に提げたエリスに向かって、エドルは怒鳴り声を上げた。
自分もしっかり天空城下を観光し、宿まで取っておいてから言う事でもないのだが。
「樹海の外には出れたじゃん」
「そうだけど!おれたちが言う「樹海の外」っつーのは、こんな仰々しいとこでも何でもなくて、ただ単に樹海と地続きの魔界の大地の…」
「うっさいねー、後からごちゃごちゃ言わないでよ。フツーに樹海の外に出るより、こっちに来た方が早かったんだってば」
魔界や亜魔界には、いたるところに天空界へと上る「道」と呼ばれる装置がある。太古に作られた、魔力で動く機械――古代装置の一つだ。エドル達が迷っていた樹海の中には、それが設置してあったのだ。
「それに、あたしもここに来たかったし」
「何だよそれ。つまりおれたち、お前の観光に付き合わされただけってことか!」
「「付き合わされた」?あんたの頭の中には、どうやら鳥より小さい脳みそが詰まってるみたいだね?」
くわえていたアイスの棒をこちらに突き付けてくるエリス。
「あたしの護衛するって言ったのはついさっきだよ?付き合わされたも何も、とーぜんのことでしょ!覚えてないの?」
「なっ…」
反論しようと口を開けるが、エリスの言う事はもっともだ。自分たちで行く先を指定したわけではなくて、すべて彼女に任せてしまったのだから。
つまり、完全にエリスに乗せられてしまっていたのだ。
「今頃気づいたって、もう遅いんだから。諦めてあたしの護衛をしてなよ」
「………わかったよ。ただし、」
人差し指を立てて、エドルは真面目な口調で言う。
「おれらの本業はトレジャーハンターだ。お前の観光にも付き合ってやるけど、もしめぼしい遺跡や何かが見つかったら、そっちにも行かせてもらうからな」
「まあ、別にいいけど…その場合、あたしはどうしていればいいわけ?」
「好きにしろ。どっかで待ってるなり、ついて来るなりすればいい」
本当は、ついて来られると面倒なのだが、あえてそれは言わなかった。言うと逆に、むきになってついて来そうな予感がしたのだ。何せ、これだけ気の強い女なのだから。
彼女が頷くのをみとめると、さっそくエドルは、くつろいでいた宿のソファから身を起こす。
「どこ行くの?」
不思議そうにこちらを見上げてくるエリス。エドルの考えを鋭く察したリシェルアが、微笑んだまま答えた。
「城下のはずれの、歓楽街よー。仕事屋とか傭兵とか、あたしたちみたいなトレジャーハンターとか、ちょっとアブナイ仕事をしてる人たちが良く集まるところ…って言えばいいかしら?」
非公式な稼業を営む者たちを客としている情報屋や、荒くれ者の集まる酒場、果ては風俗店や闘技場。そのような場所が密集した地域は、ちょっと大きな街になれば自然と出来てくるものだ。神聖なる天空の王都であっても、それは例外ではない。
「少なくとも、一般人が寄りつけるような場所じゃねーのは確かだな」
一般人、という単語を強調して、暗についてくるなと伝えたつもりだったのだが。
「ふうん。じゃあ行く」
アイスの棒をゴミ箱へと放り投げると、まったく動じていない素振りでエリスは立ち上がった。
「まじかよ」
「いいでしょ?あんたたちが護衛、してくれるんだし」
にやりと笑った彼女に、エドルはつくづく、敵わないと落胆した。
「…言っとくけど、観光するような場所なんてねーからな。行ったって、楽しいとは限んねーぞ」
負け惜しみのように言ってみても、目の前の強気な表情は変わらない。
「さあ、どーだか。案外、スリル満点でいい感じかもしんないしー」
「エドル。ここまで言うんだし、連れて行ってあげましょうよ」
「…はいはい…」
リシェルアまでもが擁護を始めて、完全にこちらの勝機はなくなった。
エリスの好奇心の強さも、気の強さと同じくらい困りものだと、エドルはこれからの行く先に、不安を覚えずにいられなかった。
むしろ、何か起こるという確信さえあったのだった。
いざ歓楽街へ来てみても、エリスは怖気づくこともない。
筋肉隆々としたいかめしい傭兵、抜き身の刃物を手にした仕事屋、この地を歩く女は皆遊女と言わんばかりの目つきで眺めてくる浮浪者。そういった者たちの間を、器用にすり抜けて、エドルたちについてくる。
「…それにしても、今日はいやに人が多いな」
怪しい雰囲気をまとった店が無数に立ち並ぶ大通りにも、少しマニアックな武器を扱う店が点々とする裏通りも、そして、そんな店の内部でも、仕事屋たちが所狭しと歩き回っている。まるで、祭りでもあるかのようだ。
「もしかしたら、何か大きな儲け話があるのかもしれないわねー」
「なるほど、みんなそれ目当てってことか。…調べてみる価値はありそうだな」
うまく大金を儲けることができれば、エリスの護衛で金を稼ぐ必要はなくなる。この問題児と、別れることができるわけである。
「あったとしても、競争率は高そうだけど…」
「聞いてから考えるさ」
もの珍しそうに周囲を眺めている呑気な少女を横目で見やって、ほくそ笑む。
「こんな機会、もう来ないかもしんねーだろ。とっととあんな奴放って、のびのび宝探ししてーからな」
「天空王子が、誘拐されたらしい」
裏通りに店を構え、武器屋を装った情報屋。店主に相当の額を握らせ、やっとの思いで吐かせた話は、とんでもないものだった。
驚きの声を上げて、銃弾よけの強化ガラスが客と店主とを隔てるカウンターに、エドルは身を乗り出す。
「南大陸の都市フレーデに、姉王女と視察に行く最中に、さらわれたんだと」
店主も、こちらに顔を近づけた。
「朝廷としては、公にするわけにはいかないだろう?そんなことしたら、城下だけじゃなく天空界中、もしかしたら魔界亜魔界まで巻き込む騒ぎになるかもしれん。
そこで朝廷の人間が、オレらみたいな情報屋とか仕事屋に、わざと触れ回ってるんだよ。
天空王子を見つけ出した者に、百万コイル渡すってな。…ただし、行動は隠密にするっていう条件付きだが」
指でガラスの向こうに弾いてやった金貨を受け取りながら、店主は声をひそめた。
「ここだけなんだが、一番怪しいのは、姉王女の側近じゃないかって話だ。姉王女を差し置いて弟君に王位を継承させるのを、良く思ってない奴らもいる。王女自身は納得しているが、そいつらにしてみれば面白くないだろう。
そんなわけだから、もしこの仕事に興味があるなら、ここいらで話を聞くよりも、直接王宮に忍び込んで調査した方が確実だ」
「王宮に忍び込むって…ムリだろ」
天空城の警備は、魔界や亜魔界の小国の警備とは、量も質もわけが違う。そもそも、一国を治めるのと一世界を治めるのとでは、規模がまったく違うのだから。
「そう…そこなんだよ」
金貨を指先で弄びながら、店主は苦笑を洩らした。
「外でうろついてる仕事屋たちはみんな、城に入っちまえばこっちのもんだって、わかってるんだ。わかってるんだけど行動に移せなくて、かといって諦めるに諦めきれずに、いつまでも滞在してる。そういう連中さ。
――中には、相当名を上げてる奴も混じってるぜ。そいつらを出し抜いて英雄になるか、他の連中と同じ運命を辿るかは、あんた次第だ」
ニッと口端をつり上げ、店主は挑戦的な笑みを浮かべた。そんなこと言われても、とエドルは頭を抱える。
「おれはトレジャーハンターだぞ?できるかよ、そんなん」
「ん?なんだあんた、富豪とか王族から財宝盗むのが日課なんじゃないのか」
「それはただのこそ泥じゃねーか!おれのは、そーゆートレジャーハントじゃねーって!」
エドルのトレジャーハントは、遺跡から宝を見つけ出す程度のものだ。もちろん、入るときには堂々と正面から行くし、大体は誰のものでもない遺跡だから、宝を持ち去って売ったって、誰も文句を言う者はいない。
「まあ、オレが知ってるのはここまでだ。嫌なら、他の無難な宝探しの話でも探すんだな。
…ところで」
手の中の金貨を懐にしまい込むと、急に怪訝な顔をして、店主は店内の一点に目を向けた。
「あの二人。一人はあんたの相方だったな。確か、リシェルアとかいう…。
もう一人の娘は見ない顔だが、ありゃ誰だ?なかなか上玉じゃないか」
その先では、リシェルアとエリスが剣のレプリカを見ている。年頃の少女が、このむさくるしい場所で並んで佇んでいる図は不自然で、他の男性客の視線も集中していた。
「あんたが良けりゃ、ウチが引き取ってやろうか?
最近、大手の店が人手不足に困ってるみたいでな。そこに売り飛ばせば、喜んで大枚はたいてくれそうだ」
下卑た表情を浮かべる、カウンター越しの商売人。
いくらエリスが気に食わないとはいえ、人間を売り買いするという行為はもっと気に食わない。エドルは彼に軽蔑の視線を送ると、言い捨てた。
「おれは、人身売買にはキョーミないんでね。
それに、あんなはねっ返り、店側に面倒がられて良い値はつかねーって」
「ちょっとエドル。まだー?」
こんな話のネタにされているとは知らずに、噂の娘は店の入り口で急かしている。
適当に返事をしていると、背後の店主が鼻で笑った。
「そんなお真面目にやってちゃ、この世の中で生きてくには、苦労するぜ?」
「もう、十分苦労してるっつの」
振り向きもせずにそう応えて、エドルはさっさと店の外に出た。
「もう、十分苦労してる…かー」
たった今の、自分の言葉を反復して呟いてみる。
それならば。
「苦労ついでにこの話、乗ってみてもいいかもな…」
自分を不思議そうに見てくる少女たちを気にもせず、一人、強気に微笑んだ、その時だった。
通りに散らばりせわしなく歩いていた人々が、急に動きを止めて、同じ方向を見るなりざわつきはじめたのだ。
リシェルアに尋ねてみると、どうやら裏通りの向こうから誰かがやってくるらしい。
取り締まりに来た警官か役人かと思ったが、そばにいた傭兵らしき男たちが話しているのを聞く限り、違うようだ。
「……しょうと、ひ…が…」「何で…まさか、奴らも…」「しかし…」
気になってエドルが耳をそばだてようとすると、傭兵たちは黙ってしまった。彼らだけではない。他の者もみんな、何かを憚るように静まってしまう。
「!あれ…」
リシェルアの指さした方角から、噂の人物と思われる人間が二人、ようやっと姿を現す。
遠目からみるとその二人組は、何のことはない、普通の男女だった。
一人は、長い銀髪を背中で束ねた美青年。
いや、美青年なんてものではない。こちらに近づけば近づくほど、麗しい顔立ちに目をひかれ、引き締まった細身に羨む気持ちも失せるほどだ。およそ戦場を駆けているとは思えない、場違いな容姿だった。ホルスターに下がった漆黒の銃と、額の三日月型の傷がことさら特徴的である。
彼の少し後ろからついてくるのは、エルフの女性だった。
見た目は二十歳前後だが、エルフは長寿種族であるので実年齢はもっと高いだろう。氷を思わせる美貌が、ミステリアスな雰囲気を醸し出している。身体の弱いエルフ族は皆、概して戦を避ける傾向にあるのだが、彼女は違うようだ。腰のレイピアの鋭く輝く刃が、鞘に納まっているというのに見える気がする。
ここが舞踏会の会場であれば、絶世の美男美女の登場に、誰もが頬を緩めていたことだろう。
…が、しかし。
「うっわ。空気悪っ」
エリスが小さな声で呟いて、顔をしかめた。
場の空気が張り詰めていて、息苦しいほどだ。それもそのはず、注目の的になっているかの二人が、真っ黒に染まったオーラが今にも噴き出してきそうなほど不機嫌だったからである。男の闇色の瞳と女の紫色の目には、視線だけで人を射殺せそうな力があった。
彼らの歩みを呆然と見つめていると、リシェルアが耳打ちしてくる。
「あの人たち、見たことある気がするわー。どこでだったかしらー?」
「見たことある気がするわー、どころじゃねーよ。
どこのダウンタウンでも、ポスターやチラシで一度は目にする顔だぜ…どっちもな」
エドルは、彼らがいったい何者なのか、知っていた。ここで立ち尽くしている連中も、きっとどこかしらであの顔ぶれを見ているに違いない。だから、突然の登場に声も上げられずにいるのだ。
「月傷のディオと、氷海だ」
「誰、それ?なんか仰々しい名前だねー」
たった数年で名を上げた、天才銃士ディオ。仕事屋でもある彼は、どんな危険な仕事でも単身で引き受けてこなし、同業者の間で一目置かれている存在だ。表ではそうもてはやされているが、裏ではかなり極悪非道なことも行っているらしく、彼を恨み、あるいは妬む者も少なくない。
氷海は、本名を隠し活躍する賞金稼ぎである。彼女に狙われた賞金首は確実におちるといい、エルフの戦士は稀有であることもあいまって、よく噂のタネになっている人物だった。氷海の異名は、魔界に実在する海の名前からついている。海と言ってもほぼ年中凍っている場所なのだが、彼女の冷酷冷淡さをそれにたとえて、いつの間にかそう呼ばれていたようだ。
「って、お前、知らないのかよ」
呆れて横目でエリスを見やると、彼女は「知るわけないじゃん」と腕を組み、胸を張る。
「あたしはまっとうな、いたってフツーの女の子だしぃー。そーいう世界の話には疎いんですぅー」
「あー…はいはい」
「それにしても」
険悪になりかけたエドルとエリスの間に割って入って、話を転換するリシェルア。
「あの二人、いつもは単独で行動してるはずよねえ?どうして一緒にいるのかしら?」
「さあ。仲良くなったんじゃないの?」
あの雰囲気の悪さを見ておきながらそんな事を言えるエリスを、心底うらやましいとエドルは思った。
ともすれば、さらに余計な事を言いそうな彼女の口を、塞ごうとした時にはもう遅い。
「だ・れ・が・仲良くなったって?」
背後から、影が落ちてきた。その殺気を帯びた気配に、一瞬呼吸が止まる。
振り返ると、天からの授かり物としか言いようのない、整いすぎた顔立ちがあった。闇色の目が自分たちを睨み下ろしている。
「あんたたち二人」
「おま、え、エリス!」
期待を裏切らず平然と答えたマイペースな少女の顎を、ディオが片手ですくい上げる。それを目撃した周りのギャラリーがいっそうざわついたのに気づいて、エドルは頭を抱えたくなった。
「言っとくけど。俺達は別に、仲良しこよしで一緒に歩いてるわけじゃねえんだよ。誤解しないでもらいたいね」
「あっそう。てっきり、痴話喧嘩してる最中のカップルかと思ったんだけど」
顎にかかっていたその手を、エリスは容赦なくはたき落とした。
「おい、エリス!」
眉間に更にしわを寄せたディオの視線が、刃物のように彼女に突き刺さる。このままでは、何をしでかすかわかったものではない。
「――誰かと思えば、疾風烈火のトレジャーハンターコンビか」
すると、一触即発のこの場に、氷海も近づいてきた。
「ああ、疾風のエドルと烈火のリシェルアかよ。どおりで見たことのある顔だと思ったぜ」
「…どーも。高名なお二人に名前を覚えていただいて、光栄だな」
こちらを向いたディオに警戒しながら、エドルは嬉しくなさげに応じた。
疾風烈火は、二年ほど前から呼ばれ始めた異称だ。あちこちの宝を疾風のように持ち去り、戦う姿は風のように素早い(足の速さには自信があるのだ)エドルと、火炎の魔法に長けたリシェルアを、誰かがそう呼んだことから、今ではその名の方でよく通っている。
「なるほど、お前らがこの女の護衛をしてるってわけか。
じゃあ、後でよっく覚えさせとけよ。俺があの冷血エルフに持ってる感情なんか、殺意ぐらいしかないってな」
覚えさせておけと言われても、エドル達はエリスの保護者などではないのだが、反論したところで聞く耳を持たないだろう。仕方なく適当に相槌を打っていると、今度はその後ろの氷海が反応した。
「私の方も、別に好きで貴様のような非道とつるんでいるわけではないのだが」
まったくの無表情であったが、発した言葉の節々から迷惑そうな思いがうかがえる。
ディオが、剣の切っ先のような目を彼女へと移した。
「はあ?天空王子誘拐に俺が絡んでる可能性が高いからって、証拠もないのに付きまとってんのはてめえだろうが。
大迷惑被ってるのは俺だろ。まるでてめえが迷惑してるみたいな言い方してんじゃねえよ」
「そう聞こえたのなら悪かった。訂正する。
私も、貴様のような人非人とはいつまでも一緒にいる気はない。是非とも早々に自首してくれれば、お互い、これ以上嫌な思いをしなくて済むと思うのだが」
「どうやら、はなっから俺の話なんて眼中にないらしいな」
凄絶な睨み合いを始める、月傷と氷海。今にも殺し合いが起こりそうな凶悪な雰囲気に、とても第三者が介入できそうもなかった。
だがしかし、エドルやリシェルアが怯んでいても、この怖いものも身の程も知らない少女は別格だ。
「あーもう。真昼間の道端で、そういう不景気な空気を振り撒かないでよね。あんたらなんかよりあたしたちの方が迷惑なんだけど。
ほら、周りにいた人たち、みんな逃げちゃったじゃん」
一体、誰のせいでこうなったのだと問い詰めたいエドルだった。
「あら、ホントだわー」
あんなにいたギャラリーが、トラブルの匂いを嗅ぎ取ったか、いつの間にか忽然と姿を消していた。道行く人もほとんどおらず、空っ風が吹いている。
「何で逃げる必要があるんだよ」
「あんたみたいに、街のど真ん中で発砲しようとしてるような危険人物の傍に、誰も近づきたくないっつーの。巻き込まれるのが嫌なんだよ…もちろん、おれらも」
「意気地なし共が」
不満げにしながら、銃から手を離す月傷の銃士。エリスが止めていなかったら本当に撃っていたのかと思うと、エドルは少し恐ろしくなった。
「さすが、月傷…戦場の悪魔とか人食い銀狼とか言われてるだけあって、性格悪いな…」
「………なんか言ったか、疾風?」
「いえいえ」
再び睨まれて、エリスの背後に隠れるエドル。盾にされたエリスは迷惑そうにこちらを見て、尋ねてきた。
「ところでエドル。さっきあんたが聞いてきた儲け話とやらって、もしかして天空王子の誘拐事件のこと?」
「え、ああ、そうだけど」
「そりゃ丁度いいじゃない。
氷海あんた、その事件について何かいろいろ知ってそうだね?良かったら教えてくれない?」
「貴様に教える義理などない」
図々しく聞き出そうとするエリスを、見事に突っぱねる氷海。それはそうだろう。競争率も報酬も高いこの事件の貴重な情報を、ただで他人に漏らす者はいない。
しかし、そのようなことに配慮もしないエリスは、むっと口を尖らせた。
「そんなこと言わずにさあ」
「断る」
「ていうか、お前誰だよ。さっきから馴れ馴れしく割って入ってきやがって…」
ディオにそう訊かれると、自称フツーの女の子は、急に晴々しい笑顔を浮かべて咳払いをした。待ってましたと言わんばかりだ。
「な、なんだよ」
それを見て、月傷はあからさまに焦りだす。どこかの国の姫君だとか、こんななりだが実は名高い仕事屋だったとか、そんな展開を想像してしまったのだろう。
その様を小気味よく思いながら、しかしエドルは、本人が自己紹介を始める前に答えていた。
「エリス・アルカディア。ただの旅行者」
「何だ…思わせぶりな素振りしやがって」
安堵したのかがっかりしたのか、ディオは大きく肩を落とす。
「エドル、あんたねえ…っ!確かに、確かにその通りだけどっ!
もうちょっとこう、その身も蓋もない言い方を…っ」
「あらあら。落ち着いてー」
何やら不平を並べているが、それは無視。
「いろいろと話しこんじまったけど、もう、おれらに用はねーだろ?
それじゃ、これで。おれらも暇じゃねーしさ」
エドルはリシェルアとエリスの腕を掴むと、月傷や氷海の応答も聞かずに足早にその場を立ち去った。
「あっちょっと!アイツら、絶対事件の事いっぱい知ってるって!聞きだしちゃおうよ!」
「いいって、そんなの」
あんな危険人物の傍にいては、命がいくつあっても足りない。
「ああいうのとは関わらない方がいいって、おれの本能が言ってるんだよ。事を複雑にしたくねーだろ?」
「エドルってば、いっつもそういうのに巻き込まれやすいのよねー」
「うるせーリシェルア」
事あるごとになぜか厄介事に巻き込まれ、疾風の他についたあだ名は「災厄招き」。別に、自分が問題を引き起こしているつもりはないのだが。
今回だって、エリスの護衛という面倒事がすでにあるというのに。だから、誘拐事件ぐらいは楽してさっさと解決したいのだ。
「あたしは面倒事、大歓迎だけど」
「お前…」
エドルは、大きくため息をついた。月傷と氷海の姿が見えなくなったのを確認して立ち止まり、エリスの方に向き直る。
「好奇心旺盛なのは結構だけどな。一般人がこういう世界に余計な首突っ込むと、いつか痛い目に遭うぞ」
いくら空気の読めない彼女でも、いつもとはうって変わった真面目な口調と表情から、その真剣さを感じ取ったのだろう。目を丸くして、息を呑んだ。
「………うるさいな」
だが、まるで母親に怒られた子供のようなすねた表情を見せ、反論してくる。
「あたしが何しようと、あたしの勝手じゃん。あんたにそんなこと言われる義理はないよ」
「あのな。おれだって、こんな忠告をお前にしてやる義理はねーんだよ。
親切で言ってやってんじゃねーか。それに、護衛を頼んでるんだったら、自分も少しは行動を慎め」
「親切?どうだか」
ふん、とそっぽを向くエリス。
「どうせ、あたしが邪魔なんでしょ?
そりゃあそうだろーねー。トレジャーハントをしたいのに、ムリヤリ護衛なんてさせられちゃうんだもんねー。お金に困ってるからって、引き受けたのはそっちなのにねー?」
そう言い捨てると、エリスはくるりと踵を返した。思わぬ行動に、エドルは慌てる。
「ど、どこ行くんだよ!」
「決まってんじゃん。あんた達の邪魔になったら迷惑だろうから、退散してんの。
ここからは、あたしとあんた達は別行動。契約はなかったことにするっていうわけ。じゃあね」
脇目ももふらず、エリスはさっさと歩いて行ってしまった。その後ろ姿を、呆然と見送る二人。
「…ちょっと、言いすぎたかなー?」
「さあ…どうかしらー?
でも問題なのは、あたしたちのお金稼ぎの手立てがなくなっちゃったってことよねー」
「!!」
言われてやっと、その重大さに気付く。リシェルアが、笑顔のままで呟いた。
「その、天空王子誘拐事件…絶対解決しましょうねー」
「わ、わわわわわかってるよ!
と、とにかく、じょ、情報を集めないとな!」
優しいはずの声音に何かどす黒いものを感じて、すかさず何度も首を振る。
こうしてエドルは、必ず事件を解決し報酬をもらう事を、余儀なくされたのだった。
さて、こちらは、エドル達が慌てていなくなった後の月傷のディオと氷海の二人。
エドル・リシェルアコンビとエリスが離別していたちょうどその頃、彼らは、街のはずれのさびれた道路を歩いていた。
「おい」
何度事件の関与を否定しても、疑ってついてくるエルフの賞金稼ぎ。ディオは足を止め、振り返る。
「いい加減、とっととどっか行け。
俺が天空王子さらったっていう証拠は、どこからも出て来ないじゃねえか」
「別に、貴様がさらったと決めつけているわけではない。ただ、天空王子がさらわれたであろう現場に貴様がいたようだから、何かしら関係があるのではと思っているだけだ。
…確かに、根拠は何もないが」
平然とした態度と表情で、そう答える氷海。ディオはそれに少しいらだちながら、
「俺はたまたまあそこにいただけだって、何度言ったらわかるんだよ。根拠もないのに無実の人間付け回すな」
「無実?」
氷海は、鼻で笑い飛ばした。こちらが眼光を鋭くすると、軽蔑の眼差しを向けてくる。
「約三日間監視してきたが、貴様の挙動の悪さには呆れるばかりだ。
以前からあんな調子で過ごしていたのか?そうなら、たとえ今回の事件に関与していなくとも、間もなく刑務所行きだろうな」
「るっせーな。お前がうざくて、腹が立ってたんだよ。これでも、自重してるつもりだけど」
「…貴様は本当に、自重という言葉の意味をわかっているのか?」
さらに呆れ返って、ため息をつく氷海。
「いいか。今から、この三日間で貴様がどれだけの事をしてきたか、教えてやろう。
三日前の昼には…」
腕を組み、彼女はディオが頼みもしないのに、その所業を一から語り始めた。しかし、こちらにはそんな話を聞く気などない。おまけに、つい先ほどから感じる物影の視線が気になって、仕方がなかった。
「なんだ、建物の陰になにかあるのか」
気づいて声を掛けてくる氷海に頷き、銃に手をやる。
「出て来い」
構えて、物影の人物に命じる。
「だから、街中で銃を出すのはやめろと」
「こっちは命狙われてんだぜ?正当防衛だ」
「はあっ?誰も、あんたの命なんか狙ってないし!」
ディオの発言を全否定しながら、突然飛び出してきたのは、
「…あれ、お前さっき、疾風烈火のコンビと一緒にいた…
………誰だっけ」
「ほんっと、失礼な奴だね…!」
「エリス・アルカディアだろう」
氷海が代わって答えると、エリスは満足そうにうなずいた。
「二人はどうした」
「ふんっ。あんなバカ、もう知らないもーん」
「喧嘩でもしたのか…まあいいや」
ディオはここで、やっと銃を下ろしてホルスターに収めた。警戒を解き、少女の強気な瞳を見つめる。
「ところで、俺になんか用か?
あいにく、彼女の募集はしてねえよ。俺が超美男子だからって、一目惚れしてコクってきても…」
「自惚れも大概にしなよ。そんなことよりさ」
ディオの冗談を遮って、エリスは二人に詰め寄った。
「あんた達、あたしの護衛する気ない?」
疾風烈火を見限って、今度は自分たちに鞍替えをする気らしい。そう呟くと、エリスは「人聞きの悪いこと言わないでよね」とむくれた。
「鞍替えじゃないし。どうせあいつら、困ってあたしに平謝りしにくるだろうから、それまでの中継ぎを頼みたいと」
「余計悪い」「帰れ」
きっぱり断ると、ちょうど氷海のツッコミと重なってしまった。やっぱ仲いいじゃん、と口元を歪めるエリスに、あからさまに嫌な顔を向けてやる。
「てめえ、いい加減にしろよ。
氷海に付きまとわれてるってのに、挙句お前までくっついてくるだと?」
「うんっ」
「死ね」
大きくうなずくエリスに再びディオは銃を抜く。今度はうるさい氷海も、止めてこなかった。
「ちょ、ちょっと!いきなり人畜無害の女の子に銃口を向けるのは、どうかと思うよっ?ほらほら、人来てるし!」
あわてて、通りの向こうから歩いてくる一般市民を指さすエリス。そちらを見やって確認すると、ディオは舌打ちをした。
「ね、お願い。お金はちゃんと払うからー。誘拐事件調査の邪魔もしないしー」
「そう言う奴は、決まって足を引っ張るんだよな」
「確かに」
顔を見合わせ、頷き合うディオと氷海。エリスは、「ひどーいっ」と頬を膨らませた。
「ひどいも何もない。その話は却下だ」
「受けてくれるまで、付きまとってやる!」
「く・る・な」
しつこい我が儘少女を睨み下ろし、声を低めて脅しにかかる。
「お前みたいなひ弱な一般人が、こういう世界に首突っ込もうなんて考えるな。ケガじゃ済まなくなるぜ」
「どいつもこいつも、同じ事言うんだねー。大丈夫だってば」
「ディオ」
痺れを切らした氷海が、会話を遮った。
「放っておけ、時間の無駄だ。行くぞ」
「何でてめえが仕切ってんだよ。つーか、ついてくんなって何度言えば…」
「いいのか?」
抑揚の薄い、波立たぬ水面の声で氷海は問う。
「天空城で調査をすれば、貴様の無実を裏付ける話が出てくる可能性もある。そうなれば、私が貴様を付け回す理由がなくなるだろう?」
「………だから、手伝えってか。
…無実の証明ができたら、本当にいなくなってくれるんだろうな?」
頷く氷海。
ディオはしばらくその表情に乏しい顔を伺っていたが、結局嘘か真実かを見抜く事はできなかった。しかし無実の証拠があれば、それ以降ディオに付きまとってきたところで、向こうに利益はない。
そう判断すると、何も言わずに氷海の後ろについて歩き始めた。
後ろから、エリスの怒鳴り声が届く。
「こら、無視するなーっ!
あたし、ついてくからねっ?いいよねっ?
返事しないってことは、いいってことだよねーっ?!」
エリスと別れたエドルとリシェルアは、翌日から、さっそく情報集めを開始した。
下町の情報屋は大方回り、そこら中にいる仕事屋たちの話を盗み聞いたりもした。しかしながら、三日目にしてとうとう行き詰ってしまった。
「…考えてみれば、こんなスカスカの財布で動き回ろうなんて、とんだ間違いだったよな…」
喫茶店で一休みする余裕すら、二人の持ち金は許してくれない。
裏通りの道端で、二人は途方に暮れていた。
「しかも、これといった情報はなかったわねー。みんな、姉王女エイナの側近が怪しいって言うだけだったわー」
天空城の朝廷の人間達は、どうやら一般市民に事件が漏れるのをかなり警戒しているようだ。街には、あまり天空王子誘拐の情報は流れていないらしい。
「矛盾しすぎじゃねー?解決してくれって言ってるのは、ほかでもない朝廷の奴らなのに」
「でも、仕方ないわよー。この状況でどれほどの情報を得られるかが、仕事屋の腕の見せ所ってことじゃないかしらー」
「…おれら、トレジャーハンターだぞ」
「あら。この仕事をするって言ったのはエドルで…」
「あーあーわかってるって!」
リシェルアからの耳に痛い話を遮って、エドルはため息をついた。
その時だ。
「あっれー?お二人とも、こーんなとこで何やってるわけー?」
聞き覚えのある高い声が、二人の元までやってくる。エドルにとってそれは、今一番聞きたくないものだった。
「まっさか、まだ街で情報収集とかダサいことやってんの?
こっちはもう、天空城に潜入する方法を見つけたっていうのに」
振り向けば、意地の悪い笑顔を浮かべて二人を眺めているエリスがいた。
「…どういう意味だよ、それ」
「あれ、知らなかったっけー?
あたし今、ディオや氷海と一緒に行動してるの。どっちも性格は悪いけど、頭はよく回る奴らでさ。まさかあんな方法を使おうだなんて…」
含みのある言い方と大げさな身振り手振り。挑発してきているというのは明らかだった。
むっとすると同時に、悔しさと焦りとが湧いてくる。
「うるせー!こっちはこっちでやってんだから、お前にはカンケーねーだろ!ちょっかいかけてくんな!」
「そんなマイペースにやってていいわけ?こっちは、今夜城に潜入しちゃうんだよ?」
「うぜー!」
エドルは傍の建物の壁を拳で殴り、優越感あふれる憎たらしい顔を睨んだ。
「余計なお世話なんだよ!からかいに来ただけなら、その口閉じてさっさと帰れ!」
「からかいに来たわけじゃないし。
謝るんだったら一緒に行動してあげてもいいよーって、言いに来ただけ」
「却下だ!!」
自分でも強がりだとは分かっているのだが、プライドが折れることを許さない。リシェルアが何か言いたげにしているが、それはあえて無視しておくことにした。きっと後で、文句を言われるに違いない。
「あっそ。後で後悔しても知らないからねー」
ありきたりな捨て台詞を吐いて、エリスは帰って行った。帰り際にべーっと舌を出すことも忘れない。
「くそー…何だったんだあいつ」
「エドル…」
案の定、呆れた表情を見せて声をかけてくるリシェルア。その視線を振り払うように頭を振って、エドルはきっぱりとこう言い切った。
「今夜、城に潜入するぞ」
「ええっ?」
目を見開いて、リシェルアは口を開けたまま固まってしまった。それから、あわてて尋ねてくる。
「どうやって入るか、考えてるのー?」
「考えてるわけねーじゃん。でもまあ、なんとかなるだろ」
今度こそ、声も出せずに動かなくなった相方。
「とにかく、奴らに先を越されるわけにはいかねーだろ」
真面目な顔を作って、説得を試みる。文句や皮肉を言いつつも、いつもついてくる相方の、
「本当に、エドルって行き当たりばったりっていうか…」というぼやきは、またもや聞かないことにした。