決戦前哨の攻防
「遅いっ。何やってたのよ!」
やっと宿の玄関に姿を現したイルファに、エフィルが叱咤する。彼は何故か曖昧ないらえをすると、そのまますごすごと皆の間に紛れた。背中がどこか虚しげなのは、なぜだろう。
しかしながらクリティスは、すぐに彼に興味なくすと、再び閉じた扉に目をやった。
後はエドルだけだ。おそらく相棒の様子を看ているのだろう。
心配なのはわかるが、この戦いに、負傷した彼女を連れていく訳には――
「…って、リシェルア?!」
エフィルの驚いた声に、はっとクリティスも顔を上げた。見れば、宿から出て来たエドルの後ろに、リシェルアがちょこんとくっついているではないか。
「君…大丈夫なの?」
ラズマが、気遣わしげにリシェルアの顔を覗き込む。彼女は控え目に彼を見上げると、何も言わずに小さく頷いた。
「どーしても、ついてくって言うからさー…」
エドルが、困った顔でため息をつく。ぎゅう、と彼の袖を掴んで黙りこくるリシェルアには、いつもの、相方を器用にあしらうあのしたたかさが見えない。まるでだだをこねる幼児のようだ。
おや、とクリティスは首を捻った。
どこかで、似たような光景を見た気がする。確か天空界で、二手に分かれると告げた時に、エドルが見せた態度とそっくりだ。
「一旦こうなると、こいつ、強情なんだ。
まあ、無茶はしないようにおれが面倒みてるからさ。いいよな?」
不安はあるが、彼女を一番よく知るエドルがそう言うのなら、仕方がない。クリティスは皆の顔を窺いながら、頷いた。
エドルとリシェルア。
奇妙な関係だと、常々思う。
もちろん仲が悪い訳ではない。恋人同士ではないが(どう見てもそうにしか見えないのだが)、お互いを兄妹のように強く想い合う関係だ。
ただ、たまに今回のように、一緒にいないと死んでしまうとでも言いそうな執着を、お互いに見せる時がある。微笑ましさや呆れを通り越し、不気味ささえ感じさせるほどだ。
二人の間に何があるのか、クリティスは知らない。調べれば何かわかるのだろうが、何故か、あまり調べてみようという気にはならなかった。自分でも、己の知りたがりの性癖は自覚しているから、こんな気分になるというのは少し不思議だった。
「…これでそろったな」
クリティスは考え事をやめ、その存在を確かめるようにレイピアの柄に触れる。
「商店街を通って、広場についてから二手に分かれる。この二か所はまだ人気があるから、向こうも迂闊に手を出せないはずだ」
「了解。
さあ、行くわよ!」
エフィルの一声を合図に、十人の英雄たちは、澄んだ夜空の下に広がる街へと飛び出した。
「イーリス大司祭、反逆者たちが街に現れたようです」
警備団長が、隠し部屋の戸を叩いた。
星明かりも月光も入らないこの部屋の在りかを知るのは、彼とカイ王子と、王子の側近数人のみだ。
「そう。
…迎え撃ちなさい。彼らはおそらく、二手に分かれようとするはず。その前に一気に叩くのよ」
「はっ」
扉の向こうから短く応じる警備団長。足音が遠ざかっていく。
腹心であったクルトが消え、イーリスの使える駒は彼ら、警備団のみだ。散々役立たずとこき下ろした彼らが最後の希望とは、なんたる皮肉か。
「教団の盾などなくても、わたしはやり遂げてみせる」
亜魔界神教会に背き白蛇教団の後ろ盾を失った今、イーリスが勝ち残る術は、もはやカイ王子の戴冠しかない。
おそらく会いに来るであろうカイ王子をどう宥めすかすか、イーリスは目まぐるしく思考を回転し始めた。
手出しは出来ない。
そう結論を下した自分を、クリティスは今呪っていた。
住宅街の真ん中、隠れ家の前で、躊躇なく戦い始めようとした彼らの姿を忘れていたのだ。
「警備団というのは民を守るものだと思っていたが、どうもこの国は違うようだな…」
「彼らが守ってるのは王室と教会だ。割と昔からね」
アクスが肩を竦めた。
王室と教会が癒着して、警備団が名ばかりになっているとは、こういう事だったのか。クリティスは、ため息を禁じえなかった。
「平和な国だから良かったものの、もし戦争国だったら行く末はベルナデッタかな」
イルファの皮肉に誰かが、うげ、と嫌そうな声を出した。
ベルナデッタ。魔界の歴史の中でも、王族がとんでもない暴政を奮ったとして有名な、今は無き帝国である。特に最後の三代が非道く、彼らの犯した所業のために現代でも、ベルナデッタの都があった場所は廃墟のままだ。
「戦争は嫌だが、いざ戦争になって同じ運命を辿るのも嫌だ。悪いが、俺の国を守るために道を開けてもらうよ」
こちらに向けて武器を構えた兵たちを気の毒そうに見たアクスも、するりと剣を抜いた。
「君達も、どこかでおかしいと思っているはずだろうにね」
彼が最後に呟いたその言葉は、すぐに鬨の声に呑まれたが、クリティスのエルフ耳には届いていた。
倒しても倒しても道の途上に立ち塞がる警備兵。フォーラス城は目前なのに、なかなか前に進めない。星月の位置も、街に出た時と大分変わり、時間だけが進んでいることを否が応にも知らされる。
顎から伝い落ちる汗を拭っていると、いつの間にか背中合わせになっていたラズマが話し掛けてきた。
「もう、裏からなんて言ってられなさそうだね」
「やはりイーリスに読まれているな…二手に分かれるぐらいは見逃して欲しかったが、仕方がない」
張り付く前髪をかき上げ、クリティスはレイピアと短剣を構え直した。
「正真正銘の正面突破だ。私たちが食い止めるから、お前たちは先に正門に行け」
「大丈夫か?いくらあんた達でもこの数は…」
「いいから行けっつってんだようっとうしい」
イルファの気遣いを、横から割り込んだディオが遮った。彼は敵陣に向かって発砲しつつ、背中を向けたまま、
「お前らがもたもたしてる方がよっぽど邪魔だ。早く行けば行くほど俺らの負担も減る」
「でも、」
二の句を継ごうとしたイルファの背中を、振り返ったディオは城の方に向かって容赦なく蹴り飛ばした。「ひぎゃあ」という情けない悲鳴が響く。
「わ、わかった。さっさと行くよ」
それを見たラズマが少し青ざめながら、エフィルを呼んだ。
「先頭を頼んだ。切り開いてくれ」
「わかったわ!」
返り血のついた頬を拳で拭き取ると、エフィルは、風切り音を立てて一度大剣を空振りした。
敵が、一瞬たじろぎ身体を引く。少女はそれを見て不敵に笑い、圧倒的な存在感を放つ大剣を片手で軽々肩にかけた。
そうして、満天の星空の下に仁王立ちになった彼女は、強い光の宿った瞳で城の前の敵を見据え、戴冠式乱入時のあの瞬間のように、よく通る堂々とした声で、叫んだ。
「神から託宣を受けたこのわたし、勇者エフィルの前に立ち塞がる奴には、正義の星が落っこちるわよ!」
………勇者?
クリティスは思わず、警備兵の背中に斬りかかろうとした手を止めて振り返った。
そこには、大剣を振りかざし我が物顔で敵陣を突っ切る茶髪の少女がいる。その後ろについていくラズマが、呆れ顔でため息をついていた。
「…勇者…?」
敵陣の向こうに消える四人の背中を見送りながら、もう一度、今度は口に出して呟く。
「あっぶねっ!」
耳元で刃が刃を弾く音がして、クリティスは我に返った。見るとエドルが、こちらに剣を振りかざしていた兵士を押し返していた。
「何ぼーっとしてんだよ!」
「あ…悪かった、その…」
言い訳をしようとしたが、エドルは敵を蹴散らす事で頭がいっぱいらしく、さっさと次の相手を探しに行ってしまった。リシェルアをかばわなくてはならないし、切羽詰まっているのだろう。
仕方なく、クリティスは後方援護に回ったディオに近寄って、話し掛けた。
「ディオ、今の…」
「あ?お前サボってんじゃねえよふざけんな」
しゃがんで銃に新しい魔法石を嵌めていた彼は、上目でこちらを睨んだ。今まで敵に向けられていた、余裕も何もかも吹っ飛んだ本気の殺意がまるごとこちらへ刺さってくる。
「サボる気はない。少し気になる事があったから、訊いているだけだ」
「気になる事ぉ?」
魔法石を装着し終えた彼は、立ち上がりながら聞き返す。その最中に竜巻の魔法が飛んできたが、同じく後方支援していたリシェルアの結界に防がれた。
「今さっきエフィルが言っていた事、聴いたか?」
「行く手を遮るなとかなんとかだろ?別におかしくなくね?」
「いや、自分の事を、…」
「どうしたのー?」
二人の様子を不審に思ったか、リシェルアがぱたぱたと駆けてきた。まだ少し、顔色が白い。やはり連れて来るべきではなかったのではないかと思いつつ、クリティスは答えた。
「エフィルが、自分の事を勇者だとか言っていたのが、気にかかってな」
「あー、言ってたな、確かに」
「あら、聞こえなかったわー。そうなの?」
首を傾げてこちらを見上げるリシェルアに、こちらも「さあ」と首を傾げて返す。
「わからないから訊いている」
「なんかこう、テンション上がり過ぎてうっかりイタイこと言っちゃった、みたいな感じじゃねえの?そういうのはそっとしといてやれよ」
ディオの身も蓋もない言い方に、思わず眉をひそめた直後のことだった。
横殴りの突風が吹いて来て、三人の息が一瞬詰まる。警戒しながら周りを見回すと、やけにぼろぼろになったエドルが、鬼の形相で近づいてきていた。
そこでやっと、ここが戦場だという事を思い出す三人。
「お前ら働けーっ!おれしか戦ってねーじゃん!」
「悪い悪い。でも、今回は魔法、失敗しなかったな」
「余計なお世話だっつーの!」
確かに呑気にしゃべっている場合ではない。
「エリスティア!」
「ふあーい?」
クリティスは、戦線を外れた最後方で、眠たそうに欠伸をしている創造神を呼び寄せた。
確実に減ってはいるが、それでもなお多い警備団の兵士たち。彼らは城門の前で固まって、こちらを押し戻そうとしている。
その陣形を確かめた後、クリティスは彼女の耳元で囁いた。
そう。この寝ぼけ眼の彼女こそが、劣勢の我が陣の最終兵器なのである。
「住宅街にあるカフェにアルセ国産の高級茶を扱っている店がある。
代わりに派手な魔法を一発、空に」
「空に、ね」
意味深に復唱し、細まる金色の瞳。ここで「警備団に」などと言っていれば、断られていたことだろう。
「ディオ!一旦下がれ!」
彼女が魔力を練り始めたのを見るや、クリティスは叫んだ。
このまま彼がエリスティアの傍にいれば、間違いなく彼女の魔力に当たって倒れてしまう。過去に倒れた経歴のあるエドルにも一瞬目がいったが、彼にはエリスティアが直接、魔力に当てられなくなる特殊な魔法石を渡していたはずだった。
ディオを極力エリスティアから離し、自分やリシェルアもその場から若干離れた。その少し後、エリスティアが、まるで夜空を抱こうとするかのように、大きく両腕を広げた。
彼女の周囲で、魔力が強く白く発光し始める。暗く、淡い松明と星月の明かりしかないこの空間に、その光は力強く、威厳さえ感じさせた。
光が最高まで輝いた時、一瞬だけ、その光がふっと消えた。警備団もクリティスたちも、見入ってしまって動けない。誰かがごくりと唾を呑んだ。
「フィーレ!」
妙に愉しげなエリスティアの呪文が響いた、その時だった。
彼女の身体から一筋、魔力の光が空に向かって放たれたかと思うと、ドン、と大砲のような音を立て、上空で弾けたのである。
「う、うわあああ?!」
「ひい!何だ?!」
警備団の悲鳴がそこかしこで上がる。クリティスも咄嗟に身を竦めたが、すぐに顔を上げて…
「…あ…?」
そして見たものは、暗い夜空に増えた、色とりどりの星だった。赤、青、緑、黄…本物の星に負けないぐらいの光を放った色星たちは、一瞬後に消えていく。
立て続けに爆音が響いて、同じ数だけ、エリスティアの身体から魔力が飛んだ。やはりそれらも空に弾け、無数の星となっては消えていった。
「常夏の国の祭典に、舞台の最高潮に、星飾りを!」
呪文だろうか、それともただの呟きだろうか。エリスティアの弾んだ声が、微かにクリティスの耳をかすめた。
祭典。ああ、なんとなくそんな感じの魔法だなと、気抜けした表情で星々の乱舞を見ながら思う。
最後の一発が弾けて消えると、辺りはまた薄闇に包まれた。ゆっくり周りを見回すと、敵も味方も皆、呆けた顔をしている。
本当は、派手な魔法を見せつけて、ひるんだ警備団に道を開けるよう脅すというのがクリティスの考えていた策だったのだが…
「今の内だ。行くぞ」
四人に声をかけ、クリティスは、呆けたままの警備団のただ中を、真っ直ぐに突っ切った。
我に返った団長の大慌てな命令が飛んだのは、五人が城の正門を通過した後。五人の進軍を止めるには、あまりにも遅かった。
「あ、来たあ!」
ウィミーネの歓喜の声に迎えられ、クリティスたちは城の敷地へと潜入した。合流したエフィルたちは、既に見回りの兵士を数人気絶させている。
適当な物影に身を潜めて追ってきた警備団を撒くと、十人は額を集めた。
ラズマが不審をあらわにした目で、こちらを見る。
「無事で何よりだけど、さっきのあれは一体何ごと?」
あれとは、エリスティアの魔法のことだろうか。
返答に困って、術者本人を見ると、彼女はにこにこと笑っていた。
「火の魔法。お祭りとかに使えそうじゃない?」
「え?うん、まあそんな感じだったけど」
「ただの警備団への脅しだ。気にするな。
それよりも、まずは城に入らないと」
ここはまだ城の中ではない。城を取り巻く塀と、城壁の隙間だ。戴冠式の際、散々逃げ回った場所でもある。
正面の城扉が開いているとは思えない。さて、どこから入れるか。
誰かに相談しようとした時、突然、上空から光が降り注いだ。と同時に、「居たぞ!」いうと叫び声が夜闇を引き裂く。
「くそ、ばれたか。早過ぎるな」
こちらに向けられた上空の松明の光をみて、イルファが焦りを見せる。
「ていうか、なんで空から?」
エドルが疑問を発した後、それに答えるように大きな羽ばたきが聞こえた。誰かが舌打ちをする。
「翼人族…!」
「兄貴の近衛兵に、一人いた気がする」
アクスが頷くと、リシェルアが神妙な顔で首を捻った。
「近衛兵まで動いてるのー?カイ王子が無防備になっても構わないのかしらねえ…」
つまり、向こうもそこまで切羽詰まっているということ。ここで彼を倒しておけば、向こうの戦力も戦意もぐっと減る。
どう攻めようかと思考を回し始めた時、エフィルが、仲間の一人に指を突き付け高らかに命じた。
「翼人族には翼人族!ウィミーネ!空中戦よ!」
「え、ええっ」
「ほら、ここであいつ倒せば大手柄よ。頑張って!」
「う、わ、わかったよう…」
不安の表情で、しぶしぶ翼をはためかせるウィミーネ。空に浮かんだ頼りなさげな背中が、こちらの不安まで煽る。
「…ウィミーネは、空中戦の経験があるのか?」
思わず尋ねると、エフィルは両の腰に手を当ててしれっと言い捨てた。
「ないわよ。まあ、ぶっつけ本番でも大丈夫なんじゃない?」
「……………」
可哀相に…
場の空気が一気に盛り下がり、皆の口から次々ため息が漏れた。
「ディオ、援護してあげたらー?」
「は?めんどくさい。暗いし」
片眉を上げてリシェルアを睨み、彼女の提案を無下に突っぱねる月傷の銃士。
空から、刃を打ち鳴らす音が聞こえ始めた。見上げると、ウィミーネが羽ばたきに緩急をつけ、器用に攻防を繰り広げている。
しかし、元々彼女の戦闘スタイルは魔法が中心だ。剣での戦が主体の近衛兵と短剣で戦い合うのは、難しそうに見えた。おまけに、向こうは空中戦慣れもしている。
やはり援護が必要か。クリティスがそう思いかけた時、事態はさらに悪化した。
今度は地上の方からも、近衛兵の声を聞いた兵士たちが駆けつけて来たのである。
「く…!ウィミーネ、何とかふんばってちょうだい!」
「うそ、ちょ、これ、やっぱり無理だよおお!」
空中で孤独な戦いを続ける翼人少女は、涙声で泣き言を叫んだ。
まずい。
向かってきた兵士とレイピアで交戦しながら、クリティスは大慌てで策を練る。
ウィミーネが持ちこたえて彼を倒してくれればよいが、彼女が逆に倒されてしまうと、上空から好き放題に攻撃されてしまう。それだけはなんとか避けなければいけない。
「やっと城に辿り着いたっていうのにっ」
傍にいたアクスが、剣を片手に悔しそうに顔を歪めた。
「兄貴のところに、行かなきゃならないのに…!」
彼がそう呟いたその瞬間、混乱していた頭が、すっと冷えた。
それと同時に、思い出した。ポケットの中に入れていた、「あるもの」の存在を。
隠し部屋の中で、カイ王子とイーリスは対峙するように見合っていた。
既に壁の向こうからは、城に勤務している者たちのどよめき、焦り気味の足音が聞こえている。遠くからは微かに、戦の音も届いていた。
「白蛇教団に、見捨てられただと…」
「ええ。わたくしごと、この国を」
「馬鹿な!寄付金の納付が遅れたからといって、ここまであっさりと切り捨てるとは思えん。
貴様の傍にいつもいた、あの男は?!」
直接僕が掛け合うと息荒く詰め寄ってくるカイに、イーリスは力無く首を横に振った。
「行方が知れません。おそらく、彼を捕捉するのはもう、不可能かと。
しかし、ここまで来たなら後は奴らを捕らえるのみ。わたくしの力だけでも…」
「うるさい!警備団に国中を調べさせて見つけだしてやる!
大体、亜魔界神教会を去り白蛇教団を追放された今、貴様に何の力がある?」
イーリスは、絶句して身体を強張らせた。
「おまけに肝心の夢見も先が見えないのでは、まるっきりの役立たずではないか!」
頭のどこかが、焼き切れた。一瞬思考が真っ白になったかと思ったその時には既に、立ち上がって怒鳴り声を上げていた。
「あなたも、同じなのね!
わたしの夢見の力ばかり欲してわたし自身のことなど一切見ていない、亜魔界教会の輩と!」
今度は、カイ王子の方が言葉を失う番だった。
「だったらあなたはどうだというの?後ろ盾がなければ反逆者に翻弄されるだけ。追放した弟にいつ復讐されるかと、怯えていた。
あなたが気弱者と呼んだアクス王子と、何が違うというの!」
しまった。イーリスは、怒りに任せてわめき立てた直後、後悔した。
相手は一国の王子。手を組んでいるとはいえ、こちらの立場は下である。
みるみるカイの顔が、赤く染まる。彼が目尻を吊り上げ、何かを言おうとした時――
「…アクス王子」
「な、なんだ?」
思いもよらない呼びかけに、戸惑いの目でこちらを見るアクス。
クリティスは、レイピアを下ろしてふう、と大きく息をつく。それから、おもむろにその目を見つめ返した。
「おそらくこの後に申し上げる時間はないと思われるので、今の内に。
これから私が行う事を、平にご容赦頂きたい」
「え?あ、はい…え?」
深々と頭を下げたクリティスに、なぜかアクスも、つられて頭を下げていた。彼が頭を上げる前に、クリティスは大声で味方に叫ぶ。
「潰されたくなければ、今すぐ私から離れろ!」
「はあ?」
ディオが案の定、不満そうにこちらを見たが、文字通りの意味なので仕方がない。どうせ始まれば離れるだろうと判断し、クリティスはそれ以上何も言わなかった。
代わりにポケットから、ある一枚の紙を取り出す。それを片手で持ったまま、クリティスは呪文を詠唱し始めた。
「天に架かる神の国、そこにおわす空の神よ」
身体中の魔力が、手の中の紙に集う。
リシェルアの驚愕する声が聞こえた気がした。
「天を吊るし地を支え、人獣草木をあまねく位置する大いなる横糸よ」
クリティスの異変に気付いた者が、次々と離れて行く。
「その力は山をも移し、海を陸に、陸を海に」
手の中の紙が、徐々に発光し始めたのを瞼越しに感じた。それと共に、熱を持ち始めているのも感じる。
やはり、「他人の描いた」魔法陣、しかも紙に描いたごく簡易なものを使用して召喚術を行うのは、少し無茶だったか。
「人を彼の地に、獣を此の地に」
じゅっと音を立てて、とうとう紙は燃え上がった。魔法陣の方は限界だったが、
「ドラゴンよ、空間の横糸を伝って私の前に現れよ!」
どうやら、久々に使う召喚術は成功してくれたようだ。
クリティスが目を開くと同時に、数日前にも教会で見たあの世界最強生物が、星と月の輝く空に向かって咆哮した。
「こ、こ、こ、これはっ?!」
警備団長がたじろいだ。他の兵士たちも、ぽかんとドラゴンの顔を見上げてるだけ。
「見た通り、私が召喚したドラゴンだ」
クリティスは、敷地全体に聞こえるような大声で言う。
「どういう事かはわかるな。私の命令一つで、こいつは…」
話の途中で、再びドラゴンが咆哮した。クリティスが命じてやらせたものではなかったが、かえって彼らの恐怖心を煽ったことだろう。
「ひっ!…わ、わかった!」
慌てふためいて剣を収める警備団長。悔し紛れにこっそり舌打ちをしてから、部下たちにも武器を収めるよう促す。
「エフィル、行くぞ」
「え、ええ。
でもどこから入るの?」
「牢屋から入ればいい」
横から割り込んできたのは、ラズマ。
「牢屋の壁が、まだ修復されてないよ。脱走した時のウィミーネの攻撃で、脆くなってるはずだ」
「なら、そこから入ろう」
クリティスは頷くと、呼び出したドラゴンに城から去るように命じて、術を解いた。飛び立つ際に城の屋根を若干掠めて壊していたが、アクス王子には先に謝っておいたので問題ないだろう。と思った矢先、「そういうことか…」という彼の落胆した呟きが聞こえたが、知らないふりをした。
エフィルが空のウィミーネを呼び戻し、牢屋へ向かって先頭を走る。警備団が追ってくるかと思ったが、ドラゴンを呼び戻されるのを警戒しているのだろうか。結局、追って来ることはなかった。




