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ワールドメイカー  作者: みたらし
第二章 滑稽な英雄譚
37/46

最終幕へ

血まみれになったアクスにエフィルが平謝りを繰り返している最中、深刻な顔をしたディオたち三人が、空き家の方から合流した。

そして…背中に傷を負ったリシェルアをおぶったエドルが合流したのは、アクスを突き飛ばしたラズマに対してエフィルが説教をしている時だった。

図らずも二人の負傷者を出した一行は、このままイーリスの後を追うのは危ないと判断し、断腸の思いで地下道を引き返すことにした。

空き家に戻り、二人の手当てを済ませて二階のベッドに別々に寝かせ――今に至る。




出血は多かったが思いのほか傷の浅かったアクス王子の部屋で、リシェルア以外の全員が集合していた。

「そうか…イーリスと遭遇したか」

「リシェルアをやられた後、イーリスにはさっさと逃げられた。他の奴らをなんとか気絶させて、城の地下に続くっていう道を見つけたんだけど、鍵がかかってて無理だったぜ」

「そうだろうな。

潜入できたとしても、そこは危険すぎる」

クリティスは手帳にメモを取りながら、エドルからイルファへと視線を移した。

「で、お前たちが会った白蛇教団の関係者たちのことについては、何かわかっているのか」

「いや、俺とウィミーネは特に何も知らない。

ただ…」

イルファは一旦言葉を切ると、隣りの席の様子を窺った。そこでは不機嫌な顔をした銀髪の青年が、腕組みをしながら窓の外を眺めている。

「…俺も奴らの正体は知らねえよ。白蛇教団のことは確かに知ってるが、信者や幹部を全員知ってるわけじゃない」

「それに」

今度は、妙なうすら笑いを浮かべたエリスティアが、珍しく口を挟んできた。

「アクス王子。あんまりあの教団に深入りするのはよくないよ。それこそ、イーリスみたいに国ごと改宗させようって気がないならね」

「それは…確かに…」

ベッドの上で横になっているアクスは、彼女の笑みを見ながら複雑な表情を浮かべた。

「そう。あんたはただ単に、あんたが追われる前の、平和なフォーラスを取り戻したいだけ。教会と王室の癒着の件は、教会関係者がみんな殺された今、イーリスを捕らえてカイ王子を改心させれば、快方には向かうはず。

少なくとも、彼らはこの国を乗っ取ろうとしてるわけじゃなさそうだしね」

「なんでわかるのよ」

納得がいかないのか、憮然としたエフィルが問いただした。正義感の強い彼女のことだ。おそらく、白蛇教団もその手で潰してやりたいと思っていたに違いない。

「その二人がディオたちの前に出てきたとき、始末しようと思えばできた。しなかったということは、別に私たちがイーリスの企みを阻止しようと、構わないということ。

…そう言いたいのか」

クリティスがエリスティアに代わって答える。彼女はにんまりと微笑んだ。

「そう。まさにそれ」

「そういえば、クリティスとディオが前に、変な事言ってなかった?」

唐突にエドルが、こちらに話を吹っ掛けて来た。クリティスは、何の事だったかと首を傾げる。

「クリティスは、戴冠式でバラバラに逃げた時、背後から付けられてたって。ディオも、教会に潜入した時に、何かの気配を感じたって言ってパニクってたしな」

「ああ、あのことか」

戴冠式の事件の後にフォレストフォーラスへ向かう途中、後ろから足音が聞こえていた事を思い出す。ディオの方はわからない。分かれて調べていた時の出来事だろう。

「既にあの時から、奴らの監視下にいたわけか。

何が目的かはわからないが、神出鬼没で得体の知れない連中だな」

「目的がわからないって言えば」

ウィミーネが、人差し指を口元に当てて首を傾げた。

「カイ王子は、なんでそんなに王様になりたいの?だって、アクス王子を殺してまで、絶対になりたいってことでしょ?

アクス王子は別に争うつもりなんて全然なくて、フォーラス王の選択に従うつもりだったのに」

「え?」

クリティスたちは、一斉に彼女を見た。するとエフィルたちも、同じように驚いた顔でこちらを見つめ返してくる。

しばらくの間、奇妙な沈黙が、西日の差し込む部屋の中を支配した。

「ま…待て」

手帳を何度もめくり返しながら、やっと声を上げるクリティス。

「今は確かにカイ王子が正統な後継者だ。これは、アクス王子が死んだものと思われているのだから、仕方がないだろう。

しかし、元々の継承権は一体どこに?アクス王子…ではないのか?」

「違う」

きっぱりとこちらの仮定を否定したのは、他ならない、王位継承争いの中心人物だったアクス王子本人だった。

「元々の継承権なんて、どちらにもない。

一年前に俺が失踪するまで、まだ父…フォーラス王は、俺たちのどちらを後継者にするのか、決めていなかったんだ」

クリティスたち五人は、ぽかんと大口を開けて顔を見合わせた。

カイ王子がアクス王子の「王位継承権を奪おうとしたこと」から、この事件が始まったのだと思いこんでいたのだ。

「じゃ、じゃあ、カイ王子の罪を問い詰めたとしても、フォーラス王がアクス王子を選ばなければ、どっちにしろカイ王子が王になるってことじゃねーか!」

エドルが目を見開いて、呆れ気味に叫んだ。

「それもそうだが、問題はそれだけではない。

アクス王子に正統な継承権があったわけではなく、元々二人とも同じ立場にいたとなると、ウィミーネの言う通り、彼が一年前にアクス王子を追放し、殺害しようとした意図がわからない」

「もしフォーラス王が選ぼうとしてたのがカイ王子の方だったら、取り返しがつかないわけだしな」

「意図って…イーリスがそうするようにそそのかしたから、じゃないの?

国教を変えるためには、カイ王子を取り込んだ上で、彼が王になるように仕向けなきゃいけないわけでしょう?」

エフィルが、きょとんとしてこちらを見回している。

それに、「いや、」と顎に手を当てて口を挟んだのはイルファ。

「待て、確かにそれは変だ。

だって、イーリスがおかしな動きを始めたのはここ一ヵ月だろう?でも、アクス王子が国を追われたのは一年前。

時期が相当ずれてないか?」

「…そういえば、マクレイドさんがそんなようなことを、政治家から聞いたって…」

頷く一同。

彼の話は、イーリスがひと月前から、頻繁にカイ王子の私室を出入りしている、というものだったはずだ。

「教会が王室と癒着してるのは伝統みたいなものなんだよね?動き出したのは一ヵ月前だけど、一年前には既に計画してた…っていう可能性はないのかな?」

「教会ぐるみでやっていたというならそれでもわかるが、教会関係者は全員、カイ王子とイーリスの手で殺されてしまっている。わざわざ共謀していた仲間を殺す意味はない」

「亜魔界教会の神父たちを殺した理由も、よくわからねーなー。心変わりしたことに気付かれて邪魔になったからか、本当は一緒に改宗するつもりだったけど、裏切られたからか…」

泥沼にはまってしまった一同は、再び黙って各々思考を巡らせる。しかし、

「うあああああもおおお!考えれば考えるほどわからないわ!」

真っ先にエフィルが音を上げて、床に手足を投げ出した。

「もう無理!イーリスがそそのかしたんじゃないってんなら、カイ王子の野心や欲望が勝手に暴走しただけってことなの?!」

「そんな、馬鹿な…」

難しい顔で呟いたのは、ラズマ。

「うちの教会…創造主信仰教会から入った情報だと、「カイ王子をたぶらかしている誰かが居る」っていうのは確かなんだ。

だから、カイ王子の単独暴走はありえない、と思ってたんだけど…」

「意外と、そそのかしたのはイーリスじゃなくて、カイ王子の方なのかもなー」

飽きたと言わんばかりに、隠しもせずに大きな欠伸をするエドル。

「…ん?」

彼が何気なく呟いた言葉に、ベッドに横たわるアクスが眉をひそめた。上体を起こし、しきりに何かを考えはじめた彼に、皆の視線が集まる。

やがて双子の弟王子は、顔を上げるとおもむろにこう言った。

「もしかしたら、そうかもしれない」

「そうかもっ…て」

「イーリスがそそのかしたんじゃなくて、違う人間が兄貴をそそのかしたのかもしれない。そこから兄貴がイーリスを…そうか、まさか逆の発想もあったとは」

こちらが呆然としているのをよそに、彼は身を乗り出して続けた。



「それが…ちょうど一年前くらいに、兄貴と懇意にしてた、異国の貴族の男がいるんだ」



「は?なんだそれ」

エドルが、怪訝な表情で口を曲げる。クリティスも、彼と同じ心持ちだった。

「その貴族とは俺も話した事があるんだけど、かなり大雑把で気さくて、貴族らしからぬ風体の男でね。真面目な兄貴と一見合わないようだったんだが、まあ、喧嘩友達みたいなもんだったのかな」

「で、そいつは今どこに?!」

半ば怒鳴りながら、イルファが問い掛ける。

その剣幕に押されつつも、アクスは答えた。

「お、俺もそれを調べていたんだが、俺が失踪した後に、この国を去ってしまったそうなんだ。暇と金を持て余したが故の漫遊だとか言っていたから、たぶん、故郷に帰ったんじゃないかと思う…」

彼が、語尾の声量を弱々しくすぼめて言い終えた、その途端。


「「「それを先に言えーっっ!!」」」


クリティスたちは、事前に示し合わせたわけでもないのに同じ言葉で突っ込んでいた。

「今更第三者の登場とか、勘弁してくれよ!とんだ茶番じゃねーか!」

「バッカじゃないの!?怪し過ぎるわよそんな奴!

間違いなくそいつよ、そいつがカイ王子をそそのかしたのよっ!たぶらかしたのよっ!」

「今まで悩んでたのは、一体何だったんだろう…」

「うわあ!ごめ、ごめんなさいっ?!」

四方八方から一斉に責められたアクスは、脅えて身体を縮め、頭を抱えた。

「場合によっては、その貴族とやらに話を聞く必要があるな。

王子、彼の故郷は?」

一通り皆がアクス王子に文句を言い終えた後、クリティスは疲れのため息をつきながら尋ねる。アクスは、そっとすくませていた首を伸ばすと、控え目な声で答えた。

「確か、ニールスだと…言っていたような」

ニールス?

「ニールス王国か。ちょっと遠いなあ」

ニールス王国とは、亜魔界の北に位置する雪国だ。フォーラスに負けず劣らず小さい国だが、亜魔界一寒い国ということもあり、知名度はそこそこ高い。

しかしその知名度は抜きにして、クリティスにはこの国の名前に聞き覚えがあった。最近だ。少なくとも一、二ヶ月以内。

クリティスは慌てて手帳のページを戻した。フォーラスに来てからではないようだ。もしかすると、エドルやエリスティアに出会う前…?

「ははははははははは!!」

突然起こった部屋中に響く高笑いに、危うく手帳を落とすところだった。

ディオだ。クリティスは容赦なしの殺意を彼に向けた。皆も彼に目をやっていたが、数名がこちらの威圧感に気づいて怯え出す。

床に後ろ手をついて、切れ長の目端に涙まで浮かべたディオは、それを指で拭って笑い止んだ。

「そうか、そういうわけか。茶番劇なんてもんじゃねえな」

クリティスは三十年ほど前、賞金首を追ってニールス王国に行ったことがあった。身体を突き刺すような厳しい寒さと、夏の一時だけしか溶けないという、一面の雪景色が印象的だった。

「良いこと教えてやろうか。

ニールス王国はな」

ディオの顔を見た時、クリティスは、どこでこの国の名を聞いたのか、はたと思い出した。

エリスティアたちと出会う直前。確か、アスロイ天空王子の誘拐犯を調査していた時。その最中でディオに出会い、彼に嫌疑をかけて身元を調べ上げた。

そうだ、ニールス王国は…


「白蛇教団の本拠地のある国だ」


ディオの故郷だ。



「クルト!クルトっ!!どこにいるの?」

地下道の扉に鍵をかけ、城の中に戻ってきたイーリスは、朝から見えない従者の姿を捜して忙しなく歩き回っていた。

城の者の目を気にしている場合ではない。それに、いずれカイ王子が王になった時には、イーリスは教会の大司祭ではなく正式に彼の側近として、堂々と城にいることができるのだ。亜魔界神信仰のための教会堂は、もう必要ないのだから。

「くっ…フォレストフォーラスを襲撃させた警備団も、捕獲に失敗して撤退したというし、もたもたしている時間はないと言うのに…!」

城中を捜し回っても灰色の従者は見つからず、仕方なくイーリスは自室に戻った。カイ王子に、住宅街の隠れ家に変わる潜伏場所として借りた、隠し部屋である。

一見壁にしか見えないその部屋の扉を、横の壁に描かれたルーンに触れて開いた。

「お帰りなさいませ、イーリス大司祭」

開いた隠し扉の目の前にいたのは、なんと捜していたその人物であった。地下から帰って真っ先にここに来た時にはいなかったのに。城の中を捜している最中に戻ってきたのだろうか。

「クルト!」

イーリスは、呑気に会釈した彼に息荒く詰め寄った。

「今までどこに行っていたの!

警備団が反逆者の捕獲に失敗したわ。おそらく夢の通り、ここに来るに違いない…!」

しかし灰色の従者は、それを聞いて焦りもしなかった。

それどころか、こう呟いたのである。――それは良かった、と。

「舞台の最後の仕上げをしようと戻ってきたので、予定通り事が進んでくれていないと困ります」

何が予定通りなものか、こうならないために今まで策を弄してきたのに、と反論しようとした。が、

「仲間だと思っていた者が突然いなくなる。舞台の最高潮に相応しい演出じゃないか」

彼の口調が、崩れた。

「あんたはもう、教団にとって用済みなんだ。何せ奴らが絡んできたおかげで、ここの寄付金はいらなくなっちゃったからねえ」

そのかわり、オレの仕事が増えたけど、と、教団の使者はけだるげに言った。

「オレらが亜魔界中に張った罠は、この瞬間を以って完成し、成功する。

もっと喜べよ。あんた、この舞台の最高の立役者だ。

主人公にはなれないけどな!」

ぎゃははは、と英雄劇の悪役のような高笑いを残し、白蛇教団の使者は「闇」に消えた。

イーリスは使者がいたその場所を茫然と見つめながら、床に崩れ落ちた。長いローブの裾が、床に広がる。

窓もない隠し部屋の、殺風景な暗闇を、彼女はいつまでも見ていた。




「一年前のあの時から、既に白蛇教団はこの国を狙っていたわけか…。

くそ、あの時に気付いていれば、こんなことは…」

静寂の中に、アクス王子の落胆の声がぽつりと響く。

それを慰めるように、そして意気消沈した皆を元気づけるように、イルファが言った。

「過ぎてしまったことを悔やんでも仕方がありません。

確かに、その貴族が白蛇教団と繋がりがあるという可能性は大いにあります。しかし、逆に言えば、彼に話を聞く必要はなくなったということです」

そうだ。既にこちらは、白蛇教団と関係を持っている人物と対峙しているのだ。フィスカ・イーリスという、元亜魔界神教会を裏切った者と。

「やることは一つです。彼女を捕らえ、カイ王子を改心させる事」

ラズマが、アクスの顔を真正面から見据えた。

彼は少し戸惑うそぶりを見せたが、すぐにすっと背筋を伸ばして顎を引き、

「本当にできるのか…と、言っていてはいけないんだな」

はっきりと、決意を秘めた声音で断言した。

「そうよ。

わたしたちもついてるもの。出来ないことはないわ」

満面に、不敵な笑みを浮かべるエフィル。彼女がこう言うと、本当にどうにかなりそうな気がするのが不思議だった。

「さて、やることは決まったわけだが」

皆の腹が決まったところで、彼らを見回すクリティス。

「イーリスの居場所は決まっている。あそこしかない」

フォーラス城。

イーリスと、そしてエフィルたちと最悪の出会いを果たしたあの場所で、決着がつく。

「でも、地下道はもう使えないよね?」

「そうだ。おそらくもう、封鎖されているだろうな。

しかし、向こうもあそこは使えない」

こちらにばれているものを、わざわざ使おうとはしないはずだ。

「今夜、こちらから奇襲を仕掛ける。

と言っても、相手は予知夢という反則技を持っている。下手に策を練ってもどうせこちらの動きは読まれているに違いない」

ということは。

「正面突破…ってやつ?」

「その通りだ。ただ、全面戦争をまともに仕掛けるのはさすがに無謀だ。正門と裏門、二手に分かれて突入する。

エフィルたちは裏門から中へ、私たちは囮として正門へ向かう」

「そんな小細工しても、どうせ向こうに読まれてるんでしょ?」

エフィルが面倒くさそうに髪をかき上げた。しかしクリティスは、余裕の表情で首を横に振ってみせる。

「こちらの動きをすべて夢で見ているのであれば、今頃私たちは揃って処刑されているはず。向こうの予知夢も完璧ではない、ということだ」

「???

どういうこと?下手に策を練ってもどうせ…とか言っときながら、向こうの予知夢は完璧じゃないとか、支離滅裂じゃないの」

目を白黒させているエフィルたちには答えず、クリティスは、砂糖菓子をほおばって幸せそうな顔をしている少女に視線を流した。

彼女はこちらに気付いていないようだったが、そのまま視線を戻して話を続ける。

「まあ、なんというか、心配するな。

エフィルたちはとにかく、私たちの合図を確認したら突入するだけでいい。その後はそのままカイ王子か、イーリスを目指せ」

ぱた、と手帳を閉じると、クリティスは大きなため息をついた。そして、未だにきょとんとしているエフィルの顔を見つめる。

「元はと言えば、私たちはお前たちに巻き込まれたに過ぎない。イーリスを捕らえるのはお前たちだし、カイ王子を説得するのはアクス王子、貴方の役目だ。

支援はするから、せいぜい心おきなくやってきてくれ、と、そういうわけだ」

その言葉に、エフィルたちは顔を見合わせた。それからやっと合点がいったのか、ある者は照れ隠しに眉を寄せ、ある者は微笑む。

「あっそう。そーゆーことなら好きにやらせてもらうわよ。

後で目立ちたいなんて言っても、絶対やだからねっ」

「君たちなりのお心遣い、ありがたく受け取っておくよ」

「…おれ「たち」っていうか、全部クリティスの独断じゃねーか」

エドルがジト目で睨んできているが、それには取り合わずにおいた。

どちらにしろ、リシェルアが欠けた分、こちらの戦力は確かに下がっている。エドルにも焦燥の色が見えるし、ディオも地下道で何があったのか、心ここにあらずといった様子だ。決戦の時にエフィルたちの足を引っ張るようなことになれば、後味が悪いし、最悪処刑…には、エリスティアがいるからならないとしても、彼女に恩を売ることだけは絶対に避けなければいけないのだ。絶対に。

ようはクリティスだって、これ以上関係のない事に巻き込まれるのにうんざりしているのである。

「散々な目にあったけど、これが正念場よ。

アクス王子、覚悟はいい?」

エフィルの真剣な眼差しに、アクスはベッドの上から強く頷いた。

「兄貴…カイ王子は、絶対に説得してみせるから。

だから、みんな、よろしく頼む」

そしてそのまま、こちらに頭を下げた王子に、「一国の王子がそんなことまでしなくても」などと茶化すものはいない。彼なりの、それなりの覚悟がその行為に現れていた。

「任せなさい!わたしの使命にかけて、ここで退くわけにはいかないもの。

それから」

エフィルはアクスからこちらに目を移すと、一瞬ためらうように口をつぐむ。そして今度は、少し怒り気味の声色で、言った。

「今まであんたたちの事、ぶっちゃけ信用してなかったけど…こうなったからには信じるしかないわ。

わたしからも、頼むわね」

「…エフィルがこう素直だと、逆に違和感あるな…」

「うん…雪降ったりしてね」

「うるさいわよそこっ」

ひそひそと気味悪がっているイルファとラズマを叱責すると、エフィルは彼らを正座させ、長い説教を始めた。なぜかつられて、アクスやウィミーネもしおらしくそれを聞いている。

そんな彼らを一瞥し、五人は呆れと苦笑混じりのため息をつくのだった。




一体どうなっているのだ。

王子カイは、一礼してフォーラス国王の寝室から出ると、いらだたしく足音を鳴らして廊下を戻った。すれ違う城の者が怯えていたが、カイは気付かない。

(警備団が何の手土産もなく撤退してきただと?!おまけに、イーリスからの音沙汰もないし…

くそっ。こんなことになるなら、イーリスに任せず僕が指揮をとれば良かった)

アクスを仕留められなければ、いつまで経っても安心して戴冠式を執り行うことができない。それも、こちらの陰謀を虎視眈々と探っている政治家たちに、アクスの生存がばれる前に、秘密裏に抹殺しなければ。

カイは、自室に戻り扉を閉めると、マントを外してぐったりとソファに座り込んだ。

「…疲れた」

夕闇に呑まれた部屋の中に、自分の愚痴が、ぽつんと落ちた。

どうしてこんなに切羽詰まってるんだ、自分は。というか、どうしてこんなことになったんだっけ。

そう自問して、あまりに簡単で愚かな答えに自嘲した。


一年と数カ月前。フォーラス王が体調を崩し退位を匂わせる発言を始めると、周囲は王位継承の話でもちきりになった。カイ王子派とアクス王子派に分かれた政治家や貴族がそれとなく自己主張をはじめ、議会でもたまに諍いが起きた。そんな、どことなくぴりぴりしていた頃に、彼は来た。

異国から来たお気楽貴族。

それも、理由はバカンスだという。楽天的でマイペースな彼に、時々カイはいらついた。しかしその気楽さに、強く憧れた。

ある日、彼は囁いた。

「二人のどちらかが消えれば、こんなくだらない争いはなくなるだろうにな。

どっちかが譲ったとしても、どうせ下の連中は難癖付けてくるに違いない」

それから、と、彼は付け足した。

「弟君は、ちょっと優しすぎるかなあ。

可哀そうに…あれじゃあきっと、王になっても周りに利用されるだけだろうね」


今となっては、なぜあんな言葉を真に受けたのか思い出せない。精神の疲れゆえか、彼の気楽さへの憧憬ゆえか、それとも…無意識の内に自分の中にあった野心が、くすぐられたのかもしれない。

本当は、弟を追い出して、それで終わりにするつもりだった。けれどその後にふつふつと湧きだした「復讐されるのではないか、王位を奪われるのではないか」という疑念が、彼を殺すという結論に至ったのは覚えている。

拭っても拭っても、拭いきれない疑心と欲望。

(疲れの原因は、これか)

気付いても、既に時は遅い。もう、引き返せないところまで来ているのだ。

「終わらせるには、まず、イーリスに会わなくては」

カイは鉛のように重い腰を上げると、マントを羽織って、再び暗い自室から廊下へと抜け出した。




暑苦しい夜が来た。宿の廊下もとっぷりと闇に包まれ、点々と灯された明かりが揺らめくのみである。

「く、くく、くっくっく…」

そんな、人気の少ない安宿の廊下のど真ん中で、仁王立ちになり、とある部屋の前で含み笑い零す人物がいた。

彼の名は、イルファ・アリゼル(24)。亡き父から譲り受けた鳴神の剣を得物に、名だたる宝を求めて世界を闊歩するトレジャーハンターである。今はエフィルの旅の道連れになっているが。

彼が前にしている部屋の中には、リシェルアがいる。怪我の治療を終え、一人安静にしているところだ。物音一つ聴こえないあたり、眠っている可能性極めて大。そう、彼女はさながら、王子の接吻を待つ眠り姫。

皆が作戦の準備に慌ただしくしている今が、その絶好の機会と言えよう。つまり、誰もが癒されるあの愛らしいリシェルアの、ぷにぷにふっくらな唇を奪えるのは、ここにいるイルファしかいないというわけである。

怪我人相手に卑怯だという理屈は甘い。またとないこのチャンスを掴むためには、いつも紳士なイルファだって、ワイルドに変貌するのだ。

リシェルアの桃色吐息を手に入れるため、昼の紳士にして夜の野獣、さながら人狼になった気分で、イルファは慎重にドアノブを――


「やあ」


その瞬間、リシェルアの桃色吐息はおろか、むしろ自分が青息吐息する羽目になるとは、浮かれていたイルファは思ってもいなかった。

気配が、まったくしなかった。

そっ…と、肩に手のかかる感触。しかし、イルファは恐怖のあまり振り向けない。

固まったままの彼の後ろから、いやに爽やかな少年の声は続ける。

「何してんの?」

イルファは、彼…リシェルアの相棒エドルに背を向けたまま、震え声で答えた。

「り、リシェルアの様子を…ほら、怪我の具合を、その」

「へー。蹴り潰されたい?」

「そのっ、オレっホントにっ下心なんて持ってなかったというかっ」

「そうかー。切り落とされたい?」

「ああわかったよ正直に言うよ!ホントはリシェルアにキスしようとしてました!でもそんな、それ以上のことは考えてな…」

肩口に、爪が食い込んだ。

「ふうん…ディオなら、もっといい方法思いつくんだろうなあ…」

「もっ…すいませっ…ごめんなさい赦して下さい勘弁してください!」

とうとうイルファは振り返り、彼の足元に膝をついて涙ながらに縋り付いた。蔑む深緑の目が痛い。

「ディオ相手だったら、おれだってゆるすのに」

「やめてそれ無理ほんと無理いろんな意味で無理」

「言ってきてやろーか?イルファがディオにちゅーしたいって言ってたーって」

「いやだああああああ!!!」

殺される。人狼などよりはるかに恐い、人喰い狼に殺される。

冗談抜きに生命の危険を感じたイルファは、エドルの脇をすり抜けて、彼にも負けない速さで逃げ出した。

だが、ここで本当に身を引いては男がすたるというもの。エドルの険悪な視線を背にしながら、それでも、次こそは…と性懲りもなく、決意を新たにするのであった。






閉鎖された亜魔界神信仰教会の、大きな鐘。ここからは、フォーラス城の全景がよく見える。常夏の夜の街に射す淡い月光が、殊更に趣深い。

白蛇教団の使者クルトは、脱いだ灰色のローブを片腕で弄びながら、その景色を愉しんでいた。

「ニールス王国のお気楽貴族、白蛇教団の使者にしてイーリス大司祭のお付き人。三役演じたその正体は…っと」

傍に現れた気配に気付くと、「闇」から出て来た白い陶器の人形のような少女に軽く手を挙げる。

「お、ルーちゃん。お疲れ」

「クルト」

鐘つき堂の縁に危なげなく立った少女は、月の光を嫌うように日傘を差した。

「ここは、誰かに気付かれるかもしれないわ。月が明るいもの」

「大丈夫だって。こんなに裏方を頑張ったんだから、少しぐらい舞台の袖から覗いたってさあ…」

咎めるような少女の視線を受けて、クルトは金色に染め上げた頭を気まずく掻いた。

それから、鐘の下に細長い四肢を投げ出し、気怠い声を上げる。

「もー、まじ疲れた!

つーか何、あのキャラ!自分で作ってたとはいえあれはねーわ!キモい、まじキメエ。

ずっと演じながら、自分キモいって思ってたもん」

「確かに、わたしもあれはどうかと思ったわ。なんだか焦がしたパンみたいに固くて、つまらない。

クルトは、はちみつをたっぷりぬったバターロールぐらいがちょうどいいわ」

「ばれないように気合い入れ過ぎた。やっぱ何事もほどほどが一番だね」

少女の、抽象的で独特な言葉をさらりと流し、クルトは言う。

「ルーちゃんはちゃんと伝えてくれた?あれ」

「もちろんよ。ごちそうしてくれた紅茶の分は、きちんと働いたわ」

「いやー、やっぱルーちゃんはいい子だよ。休暇中でもこうして手伝ってくれるしぃ」

「クルトも、もうすぐお休みもらえるでしょう?

そうしたら、今度はランドルックのところに遊びに行きましょう」

嬉しそうに、少女は傘を回してクルトを見下ろした。

「そうだなあ。これが終わったら、後はランドルックに任せて見物といくか」

クルトも顔を綻ばせて、上半身を起こした。

「仕掛けた罠にはかかった。白蛇の模様、俺とルーちゃんの言づて、「ニールス王国」…。

急ごしらえだから質はアレだけど、な」

指折りながら、くっくと喉を鳴らす。

「もう、忘れたふりをしているわけにはいかないさ。

希望の箱とのやりとりで思い出しかけていたことを。あいつが過去に、一度導き出したはずの結論を。

な、ルヴォラ」

クルトに呼ばれたその少女――ルヴォラは、ここで初めて、口元にうっすらと笑みを浮かべた。

「わたしのお仕事と、あなたのお仕事。二つが結びついて一つに。

これがもっとたくさん繋がった時――」


闇色をした雲が、ひと時だけ月を隠した。その瞬間に浮かべた二人の表情は、そう、月すらも知らない。

にわかに、夜の街の一角が騒ぎ始めた。

おそらく、始まったのだろう。クルトが記した奇妙な英雄譚の、最終幕が。

月が再び姿を現した時、二人の姿は、鐘つき堂から消えていた。

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