真昼の救出劇・後篇
狭いわねえ、と、エフィルが背後で文句を垂らす。
「これじゃ、何かが飛び出してきても思うように剣が振り回せないわ」
「それはよかった。今回は、エフィルの攻撃に巻き込まれなくて済みそうだね」
「なによ、巻きこまれる方が悪いのよっ。戦ってる時に傍をうろちょろされると、うっとうしくて仕方ないんだもの」
道は一応石材で整えられているが粗雑で、かなり狭かった。横に二人、やっと並べるかどうかといったところで、ただ出口に向かって歩くためだけに作られた通路のようである。二人の会話も、この狭さでは響かない。
「…あら」
先頭を切っていた明かり持ちのリシェルアが、急に立ち止った。勢い余ってぶつかりそうになったのをなんとか回避し、首をのばして彼女の前方を覗く。
分かれ道だった。
「どっちが正解かしらねー?」
「どっちに行っても正解かもしれないね」
左右の道を交互に見て、ラズマが言う。
「どっちにしろ、何かは掴めるさ。どうする?また二手になる?」
クリティスは、唸って黙りこくった。あまり人数を減らすと不安だが、いざ敵と遭遇しても、この狭さでは、大人数で一気に戦うことができないのも確かだ。
「分かれよう。エドル、リシェルア、ラズマの三人は、左に行ってくれ」
「了解。一通り調べたら、そっちに合流するよ。もし出口があったら一旦引き返してここで待ってる。そっちもそうしてくれ」
「わかった」
少し緊張した面持ちで、一同は頷いた。もしかするとこのメンバーでイーリス大司祭とぶつかり合うかもしれない。この、フォーラス王国の未来をかけた救出劇の最終場面が、近付いているのを皆感じている。
「…随分大人しいな、エリス」
ふと、影の薄くなっていた護衛対象を思い出し、声をかけるクリティス。すると、彼女は途端に目の端をきっと吊り上げ、ここぞとばかりに怒鳴った。
「はあ?!「黙れ」って言ったのは他でもないクリティスでしょお?!」
「ん?…ああ、まだ言い付けを守っていたのか。えらいえらい」
「あたしは犬かーっ!!」
耳元でキンキンと怒鳴り声を上げられ、思わず顔を逸らすクリティス。
エフィルが耳を塞ぎながら、溜息をついた。
「それにしても、なんであなた、私たちについてきてるの?ただの旅行者のくせに、あんまりこういうことに首を突っ込むのはオススメしないわよ」
どこかで聞いた台詞だと、クリティスは思った。エリスティアと出会った頃、ディオやエドルが彼女に告げた忠告だ。…今となっては、とんだ見当違いだと胸を張って言えるが。
「クリティスも、エドルもリシェルアもディオも、あたしの護衛なの。護衛が護衛対象の傍を離れるのは護衛失格でしょ」
「だからって…」
エフィルは渋い顔をして、同意を求めてこちらを見た。だがクリティスがかぶりをゆっくり左右に振ると、諦めたように先頭を歩きだす。
「ところで、」
エフィルから少し距離を取って、クリティスはエリスティアの耳元で囁き尋ねた。
「今回は本当に「大人しい」が……白蛇教団とやらが絡んでいるのだろう?お前は動かなくていいのか?それとも、すでに何か企んでいるのか」
エリスティアはクリティスの顔を見上げると、つぶらな金の瞳をぱちぱち瞬かせた。それから、まるで猫か狐のようにそれを細める。
「ん?別にあたしは、白蛇教団が白蛇教団であるうちは何も文句は言わないよ。あたしを嫌っていようとあたしを否定しようと、お好きにどうぞってカンジ」
それから、どこから持ってきたのか一粒の紅い飴玉をポーチから取り出し、ぽいと口に放り込む。
「今回のだって、使い道はさておき所詮…おっと」
エリスティアは自分の口を塞ぐと、悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「これ以上は、ネタバレになっちゃうから秘密。クライマックスまでのお楽しみに…ね?」
「……………」
気に入らない。
クリティスは、普段なら見せないあからさまな嫌悪の表情を彼女に向けた。対する最高神は、さもおかしげに小声でけたけたと笑う。
「別に、何も企んでないよ。企んでいたとしても、君に関わるようなものじゃないから安心して」
「だと良いのだが」
ふん、と鼻を鳴らしてクリティスは顔を背けた。神聖なる太陽たる少女は、なおも楽しそうに笑っていた。
「二人とも、本当に仲がいいなあ」
ラズマは、自分という存在がいるにも関わらずいちゃいちゃと身を寄せ合って歩いているエドルとリシェルアを眺め、微笑ましく呟いた。
彼らは同時に振り返ると、きょとんとこちらを見つめた。
「そうか?フツーじゃね?」
「無自覚?それとも、付き合ってる?」
「付き合ってねーし!」
「ていうか、エドルは出来の悪いお兄ちゃんみたいな感じなのー」
エドルの袖を握って、リシェルアが説明する。すると、エドルが「出来は悪くない」と一部に反論しながらも、同意した。
「確かにリシェルアは、妹みたいだな」
「うふふ、お兄ちゃん」
冗談混じりな声音でリシェルアが呼ぶと、悪ノリして呼び返すエドル。
「ふふ、リシェルア」
「お兄ちゃん」
「リシェルア」
「…は、ははは。本当に仲の良いことで」
微笑ましいけど、やっぱりちょっとウザいかな。
愛想笑いを浮かべながら、ラズマは心の内で毒を吐いた。
外から、警備団長の怒鳴り声が響く。
部下たちへの叱咤もあるが、ほとんどがこちらに向けた挑発と罵声だ。いつまでも自分たちが何の反応も見せないので、しびれを切らしているのだろう。かといって、無闇に突入などすれば、人質に害が及びかねない。
…もちろん、人質など存在しないのだが。
「でも、そろそろ疑われてもおかしくないよな…」
イルファは、剣の柄を落ち着きなくいじりながら呟いた。
「言い返してみるか?」
家の中を漁って見つけて来た娯楽雑誌を呑気に読みながら、ディオがつまらなそうに応える。「いやそれはちょっと」と慌てて否定すると、彼は眉間に皺を寄せて大きくため息をついた。
「さっきから俺が意見してやってるっていうのに、ずっと拒否ってばっかじゃねえか、このヘタレ」
「ヘタレとは何だっ!
そっちだって、やれ発砲してみるだのやれ魔法ぶっ放してみるだの、彼らを刺激する事ばかりしか言わないじゃないか!冗談はやめてくれ!」
「本気なんだけどなあ」
「それはそれでもっと悪い!」
ぷう、と妙に子供っぽくむくれたディオを横目に、イルファは、床に座っているウィミーネの傍にしゃがみ込んで耳打ちをした。
「俺、あいつ苦手なんだ…」
「そうなの?わたしはそれほどでもないけどな。
言う事はそれなりに物騒かもしれないけど、こっちが普通にしてれば向こうも普通に接してくれるよ。イルファが怯え過ぎてるだけじゃないかなー」
「だって、恐いし。
あいつは、巷では人喰い狼とか死神とか言われているんだ。猛獣みたいな奴なんだぞ」
「こっちが怯えてると、向こうもそれに勘づいて警戒しちゃうよ。ちゃんと真心をこめて向き合ってあげないと…犬と猫とかもそうじゃん」
「何か失礼な会話が聞こえた気がするが、気のせいだよなー?」
低い、怒りのこもった声が頭上から降ってきたかと思うと、何かが後頭部に突き当たった。振り向いて確認するまでもない。あの黒い銃の銃口だ。
「す、すすすすいませんっもう言いません!」
「だから、怯えちゃだめだってイルファ。そこでしっかり言い返さないと!」
「この状況でどうやったら言い返せるんだ!死ねと?俺に死ねと?!」
震えながら小声でウィミーネに言い返していると、いつの間にか後頭部から銃口が離れていた。まだ赦されたとは信じ難いので、おそるおそる彼の顔色を上目で伺う。
ディオはこちらを見ておらず、ドアの向こう側を、見透かそうとでもするようにじっと見つめていた。
「ディオ?どうしたの?」
ウィミーネが尋ねるが、彼は口元に人差し指を当てて、静かにするよう促す。それに従って黙っていると、扉の向こう、しかもすぐ傍で、何者かの声がした。
「イーリス様からの命、従えないというのか?」
イーリス…!
聞こえてきたその名に、身体が強張る。
「し、しかし、イーリス様がご無事だというのであれば、そこにいるのは賊だけということになります!今突入すれば、奴らを…」
扉の向こうにいる何者か――若い男の声だった――は、警備団長と会話をしているようだ。イーリスがここにいないという事は、既に向こうにばれているようだが…
「口答えは許さん。
お前は、亜魔界神教会フォーラス支部の大司祭であり、亜魔界神の代弁者であるあの方に楯突く気か?それは、亜魔界神ディアン様に楯突くと同義である」
ディオが、微かに笑った気がした。嘲るように、呆れるように。
「ひ…そ、そんなつもりは、っ」
「ならば、言われた通りに撤退せよ。
案ずるな。ここで賊を逃したとて、お前たちの罪にはならん」
その言葉に安堵したのか、警備団長は声を張り上げて部下に撤退を命じた。その後すぐに大勢の足音がきっちり揃って聞こえ、遠ざかって消えていく。
イルファは、気配を押し殺しながら、磨り硝子から外を見た。もちろん明瞭には見えないが、玄関先の男の存在を確かめるには十分だ。
しかし確認する前に、
「さて、中にいる国賊諸君」
男の声が、今度はこちらに話しかけて来た。
ウィミーネがびくっと身体を震わせる。彼女の背中にそっと手を添えてやりながら、イルファも意識を張り詰めた。
「返事はしなくてもいい。今回は挨拶だけだからな。
特に――ディオ・ライアネイズ」
「?!」
イルファは再び、見知らぬ男に名指しされた月傷の銃士を見やる。彼は、なぜ自分が呼ばれたのかわからないと言いたげに、目を丸くしてこちらに視線を投げ返してきた。
「なぜ名前を知っているか、などとは聞かないでくれよ。どういうことかは、君たちが進むそこの地下道で、彼女が教えてくれるだろう」
喉の底で含み笑いを漏らす男。ディオは、銃を手にしながら首を傾げている。
彼女とは、一体誰なのか。
「ディオ・ライアネイズ」
再び男が、傍にいる青年の名前を呼ぶ。
「忘れたふりは、もうやめたらどうだ」
磨り硝子越しに外を見ると、男の姿は消えていた。
彼は何者なのだろう。イーリスの側近だろうが、教会の人間は皆、殺害されているはずだ。
視線を部屋の中に戻すと、ウィミーネが、銃を腰のホルダーに戻したディオに声をかけようとしているところだった。
「ディオ、あの…大じょ」
だが、彼女が皆まで言う前に、ディオは無言で背を向けて、地下道への蓋を外した。待て、とこちらが言うのも聞かず、そのまま梯子を下りて行ってしまう。
「仕方がない、俺たちも行くぞ」
「う、うん…」
さっきまで「怯えちゃだめだ」などと言っていた気概はどこへやら、ディオの無言の圧力にすっかり萎れてしまったウィミーネの肩を、イルファはぽん、と軽く叩いた。
クリティスは、レイピアの代わりに右手に持った短剣を振るいながら、あまりの動きにくさに舌打ちをした。
背中越しでは、やはり大剣ではなく護身用のダガーを手にしたエフィルが、肩での呼吸を繰り返している。
「こんな、ことなら、ちゃんとっ魔法の練習しとけば、よかったわ」
途切れ途切れに愚痴をこぼし、ダガーを握り直すエフィル。刃からはかなりの血がしたたっているが、目の前の魔獣たちはまだ健在だ。
「私も同じことを考えていたが、」
クリティスも、短剣の脂をしきりに拭いながら応えた。
「そもそも、ここで魔法を使うと、こちらにも被害が及びかねない」
「あっそ。っていうか、あなたっ、エルフ、なのに魔法、使えないのっ?」
しゃべっている暇があったら呼吸を整えれば良いのにと思いながら、それでもクリティスは返した。
「エルフなのに、とは心外だな。エルフ族は確かに魔力の高い種族だが、だからといって皆魔法を使うわけではない。私のように剣の道を進む者もいる。
一応召喚術を会得してはいるが、それこそこんな状況で使えるわけがないだろう?」
なるほど、と短くいらえて、エフィルはまた、魔獣との戦闘に戻った。
クリティスも、血を拭った布を捨てて、爪を振り上げた魔獣の迎撃にかかる。
こんな狭い場所で敵と遭遇するのは嫌だと思っていたが、本当に現れたどころか挟み撃ちに遭うとは思ってもみなかった。得意のレイピアはこの狭さでは振るえず、迎撃用にいつも左手に構えていた短剣での戦いを余儀なくされている。エフィルも大剣を背負ったまま、護身用の粗末なダガーで懸命に魔獣を払っていた。
エリスティアは、ちゃっかり魔獣の群れを器用に避け、道の先で待機している。リシェルアから分けてもらった松明の光が、魔獣たちの間から彼女の居場所を示していた。
「こっちは終わり!」
ぶしゅ、と水っぽい音がしたあと、エフィルの叫びが後ろから飛んだ。最後の魔獣を仕留めたのだろう。
クリティスも、狼に似た姿の魔獣の牙を間一髪で避けると、その無防備な喉を一閃した。傷は浅かったようだが、それは地面に身体から落ちて、気を失っている。
掲げられた松明の下で、エリスティアが呼んでいた。動ける魔獣がいない事を確かめてから、二人は彼女の元に向かう。
「見つけたよ、出口!」
じゃーん、と妙な効果音を口にして、エリスティアは片手で地上に続く階段を示した。
「はあ、やっとついたわね…」
腰を折って両膝に手を当て、安堵の息をつくエフィル。クリティスも、短剣をしまって壁に背を預けた。
「どうする?戻る?」
しばらく休息を取った後に出されたエフィルの提案に、クリティスは少し考える。
「いや」
そして、首を横に振った。
「一応、どこに続いているかだけ確認しておく。城の内部だとか、妙なところに出てしまったら困る」
クリティスは、階段の先にあった地上への扉…というよりも蓋のかんぬきを壊した。いつぞやのように結界が張られていなくて良かったと思いながら、様子見のために薄く、隙間を開ける。
すると、途端に南国の熱気と草いきれが流れ込んできて、思わずむせそうになった。
「だ、大丈夫?」
「あ、ああ…しかし、ここは…」
扉を大きく上に開け、外に身を乗り出すクリティス。
長く地下道を歩いてきたため、太陽の光が眩しい。それに目を慣れさせてから改めて周囲を確認して、クリティスは首を傾げた。
「…どこだ?」
「わー、眩しいわね…」
どうにも見覚えのない場所に、困ってうんうんと自分の頭の中を探っていると、続いてエフィルが顔を出した。
そして。
「…って、ここに出るのっ?!」
「知っているのか?」
驚いた声を上げたエフィルの顔を見下ろすクリティス。彼女は、こくこくと何度も頷いた。
「ここ、フォーラス城の裏門前よ!」
「え…」
「だってほら、あれ、フォーラス城だもの!」
ぐっと穴から首を延ばし、右手で前方を示すエフィル。目を凝らして見てみると、確かに、白亜の王宮が陽の光に照っているのが見える。
フォーラス城の裏にこんなところがあったとは、と、クリティスは周りを見回した。辺りは一面雑草だらけの草原で、フォーラス城以外に見えるものと言えば、遠方の山脈と、ところどころに生えた背の高い木だけだ。
「こんなとこに入口作ったら、確かに外からじゃわかんないよねー」
「まったくだわ。だって私たち、城から脱走した時に、この辺りを通ってるんだもの」
あの時にこれに気付いていたら、どうなってたのかしら。エフィルが、独り言のようにそう漏らした。
「…この部屋、なんか怪しいな」
その頃、クリティスたちと同じく魔獣の群れを切り抜けたラズマたちは、長い通路の間に発見した鉄の扉の前に立っていた。
その物々しい姿は、いかにも何か重要なものをしまっていますと語っているようだ。
リシェルアが、扉と同じ鉄の鍵を丹念に調べて頷いた。
「これなら、あたしの炎で焼き切れそうねー」
「や、焼き切るって…」
鉄を焼き切るような火力の炎を魔法で生み出すなど、例え有り得たとしても見たことはない。
リシェルアは、しばらく頭の中で呪文を考えてから、鍵の一番切りやすい細い部分に、そっと触れた。
「炎の爪、火のあぎと、鋼の戒めを裂いて解く…」
呪文が流れ始めると、彼女の触れていた場所が徐々に赤く輝き始める。熱された部分はしばらくして、ドロリと溶けて床に落ちた。鉄が急速に冷えるジュウ、という音と共に、一筋の煙が立つ。
エドルがダガーの柄の先で鍵を叩くと、溶け落ちた部分から鍵が外れた。
「…すごいな」
ラズマが感嘆してため息をつくと、リシェルアははにかみ笑いを浮かべた。
「さーて、何が出てくるかなー」
扉に手をかけたエドルが心なしか嬉しそうなのは、トレジャーハンターの性分だろうか。
重い鉄の扉を、両腕で抱えるようにして開くエドル。鼻歌を歌っていた彼は、しかし扉の先を見ると、驚いてたたらを踏んだ。
「………うお?!だ、誰っ?」
「君は、エドル?!」
彼が誰何の声を上げると同時に、部屋の奥からも声がする。その声に、ラズマは聞き覚えがあった。
「アクス王子!」
ラズマは飛び込むようにして部屋に入ると、格子戸の向こう、手足を縛られ床に座りこんでいた青年の名を呼んだ。
「ラズマじゃないか!」
「王子、よくご無事で」
戴冠式の時以来、一度も顔を合わせることのなかったアクス王子と互いの安否を確かめ合っていると、横からエドルが、肩をつついてきた。
「えっと…これがアクス王子?」
「これ、なんて言い方しちゃダメよー」
「そうだよ。
ああ、そっか。君たちは、変装した王子しか見てないのか」
リシェルアのツッコミを間に挟みつつ、ラズマは答える。
「彼が、現フォーラス王の実子であり、カイ王子の双子の弟、アクス王子だ」
「この格好でははじめまして、だな。俺がアクスだ。先日は、ディオ・ライアネイズ共々、協力してくれて感謝する」
「はあ。いや、光栄の至りです」
エドルがきょとんとしながら返事をすると、アクスはさもおかしそうに笑い声を立てた。
「堅苦しいのは抜きにしてくれていい。
それより、今の状況はどうなってる?」
「それは、僕からご説明します」
ラズマは王子の縄を短剣で切って落とすと、ここまでのいきさつを語りはじめる。
あらかたの流れを説明すると、アクスは唸った。
「なるほど…俺を捜しに来てくれたはいいが、フォレストフォーラスが…」
「店員の皆さんもマクレイドさんも無事ですし、見たところ、フォレストフォーラスの建物そのものにも、建て直しが必要なほどの被害はなさそうでした」
深刻な表情を見せていたアクスは、ラズマがそう補足するとほっと笑みを浮かべた。
「そうか…ありがとう。
しかし、兄が言っていた教団っていうのは、その白蛇教団とやらだったのか」
「カイ王子が存じているとなると、おそらくこういうことでしょう」
ラズマは、面持ちを緊張させた。
「イーリス大司祭が、いや、イーリス元亜魔界神教会大司祭が、白蛇教団に改宗した。カイ王子を取りこんで、国ごと改宗させようとしている、と」
「大司祭ともあろう者が、どうして…」
アクスは、目に見えて落胆した。彼も、民と同じく亜魔界神教会の教えを受けて育った者である。イーリスの語る言葉を真理と仰いで育ってきたのだ。師とも呼べるそんな人間が異教に走るなど、完全な裏切りとしか言いようがないだろう。
「心中お察しいたします」
ラズマは、自分の胸元で揺れる金色のペンダントトップに目を落とした。
「実際の真意はわかりません。これはもう、本人に聞くしかないでしょう。
しかし、白蛇教団は神を否定する教理が特徴の宗教です。構成している信徒たちも、他宗教の教えや神そのものに絶望した者が大半だと聞きます」
ラズマは、アクスと共に唸って黙り込んでしまった。
すると、ずっと黙って話を聞いていたリシェルアが、先ほどのエドルと同じように肩をつついてくる。
「こんなところで悩んでいても、仕方がないわー。
とりあえず、クリティスたちと合流しましょ。詳しい情報は、それから交換した方がいいわよー」
「そうだね」
ラズマは彼女の意見を飲むと、立ち上がり、アクスにも手を差し伸べた。彼が立ちあがったのを見届けると、身体を反転させる。
「おし、戻るか」
エドルが、掛け声とともに鉄の扉を押し開けた。そして、暗い廊下と共に見たものは、
「あらあらあら。お城の地下が何やら騒がしいと思ってきてみれば」
たった今、話の中心になっていた、その人物。
「この子ねずみさんたちは、いったいどこの穴から入って来てしまったのかしらねえ?」
そう言って、元亜魔界神信仰教会の大司祭は、わざとらしく口元に手を当て首を傾げた。
「うわっまじかよ」
エドルが嫌そうに眉をしかめるのを、リシェルアは横から流し見た。それから、目の前の物腰柔らかそうな女性――フィスカ・イーリスに視線を向ける。
「それより、お城の地下って…」
「ここは、ちょうど城の地下二階に当たるんだ」
返事は、後ろのアクス王子から返ってきた。
「この廊下をさらに向こうへ行ったところに、地下一階へ上がる階段がある」
「そういうことか。探る手間が省けたね」
後はクリティス達の元に戻るだけだ、と、イーリスの背後にいる警備兵たちを睨みながら言うのはラズマ。
できるわけがないとでも言いたげに、イーリスはくすくすと含み笑いを漏らした。
「囲まれているというのに健気だこと。
この不届き者を、捕らえよ!」
「イーリス!」
警備兵に命じて彼らの後ろに退こうとするイーリスの背に、アクスが叫んだ。
「あんた、夢見の力で何を見た?!」
「夢見っ?」
リシェルアたちは驚いて振り返る。
「イーリスには、夢見――予知夢を見る力があるんだ。
あんたが教会を裏切るなんて、夢で何かを見たとしか思えない…」
「アクス王子」
イーリスは、先程までとは打って変わった凍えるような目でアクスを見下げた。
「世の中には、知らないほうが良かったと思える事実もあるのです。
あなたのお兄様も、そう言ってらしたでしょう」
「ラズマ」
隣のエドルが、彼女の様子を伺いつつ、密かにラズマに声をかけた。
「アクス王子を連れて先に行ってくれ」
「どういう…」
「バッカ、皆まで言わせんなよ照れるだろ」
エドルは言いながらも、それほど恥ずかしがっているようには見えない無表情で、横目をそちらにやる。
「ここはおれらが食い止めるから、お前は王子を安全なとこに連れてってくれって話」
「まあ、君らなら大丈夫とは思うんだけど…気をつけて」
ラズマは頷くと、アクスがイーリスの気を引いている内に魔力を練った。そして、来た道を封鎖している兵士に向かってそれを放つ。
「いと高き天に住まう風の神よ」
「うぶっ」
「おわあ!」
突風が彼らを吹き散らしたのを見るや、アクスの腕を引き駆け抜けるラズマ。イーリスの事務的な命令声が続き、数人が後を追った。
「人が話している最中に、そっちのけで逃げる相談とは、空気の読めない子ね」
イーリスの鋭い視線がこちらに向くと、エドルは「こっわー」と小馬鹿にした声色で呟いた。
彼女の目に、嫌悪の色が混じる。
「予知夢ねえ」
それを無視して、少年は話し続けた。
「第六感が強いほど、良く見るようになるって聞いたな」
「そう。さらに強いと、霊感を持ったり、人の心を覗くことも出来るそうね」
「おれも、予知夢を見る事があるんだ」
イーリスが、彼の話に興味を示したか、目を軽く見開いた。
「って言ってもごくたまにだし、どれぐらい先の未来を見てるのかわからねーことが多いから、そんなに強くないんだろうな。
あんたは?」
「しょっちゅう見るわ。狙って見ることも出来る」
「最近見た夢は、どんなやつ?」
エドルは、イーリスの顔を覗き込むようにして身を屈めた。イーリスは少し俯きがちになり、しかし、敵であるはずの彼に律儀に答える。
「…光の夢。貴方たちと、フォーラス城内で対立するところまでは見える。けれど、いつもその先からは、光に阻まれて見ることができない」
「へえ、おれが最近見た夢とは大分違うなあ」
「………何?」
顔を上げたイーリスが、戸惑い半分、期待半分の眼差しで目前の少年を見た。空の飛べない翼人少年は、わらっていた。
「おれが最近っていうか、つい昨日見た夢はぁ」
語尾が、愉しそうに間延びする。イーリスは、傍から見ても判るほど、ごくりと咽を鳴らした。
「イーリス元大司祭。あんたがおれらに捕まって、アクス王子が王になる夢!!」
とんだでたらめだわ…
リシェルアは、陰でひっそりため息をついた。
イーリスは始め、何を言われているのかわからない様子で目を瞬かせていた。しかし、からかわれたのだと理解した瞬間、一気に顔色を赤く燃え上がらせる。
「捕らえなさい!容赦は無用よ!」
教会支部最高幹部の怒りを見て、後ろの警備団は竦み上がっていた。だが命令を受けるや否や、統率の取れた動きで武器を構える。その表情からは、絶対に負けられないという悲壮感にも似た必死の思いが伝わって来る。
こき使われ上司からは圧力をかけられ、いずれ燃え尽きて蝋燭みたいに無くなっちゃうんじゃないかしら、と、リシェルアは彼らに憐憫の目を投げかけた。
「そんなに怒らなくてもさあ」
悪びれる素振りも見せず、エドルは頭を掻いている。リシェルアは、もう一度ため息をついた。
「言い過ぎよー」
「夢ばっか見てると現実が見えなくなるぞって言おうとしただけなのに」
そう言って、エドルはかかってきた兵士たちを片端から捌いていった。
だが、もともと多勢に無勢な上、必死な彼らはなかなか手強い。
「たかだか二人の子供に、何を手こずっているの!」
それでもなおリシェルアたちが抵抗していると、焦れたイーリスが呪文を唱え始めた。
はっとして、リシェルアは慌てて結界を張る。魔力も打撃も防ぐ、高位結界だ。これを彼女の周りに張れば、身動きが取れなくなるはず。
「かかったわね…」
その時イーリスが、とても聖職者のそれとは思えないような、暗い笑みを浮かべた。ぞっとして、リシェルアは一瞬口を噤みかけた。
イーリスを取り囲むように張った高位結界に、彼女は手を触れる。そして。
「はあっ!」
結界が、壊れた。
「きゃああああ!」
余剰分のイーリスの魔力が、反動となってこちらに返ってくる。それを相殺する間もなくまともに受けたリシェルアは、眩暈を覚えて床に崩れた。
咄嗟に結界に注ぐ魔力を増幅させたはずだが、イーリスのぶつけた魔力がそれを上回っていたのである。
「リシェルア!」
エドルの声が聞こえた。それを認識した時には、すでに警備兵の剣が、リシェルアの背中をないでいた。
「………!!」
焼けるような痛みに声も出ない。ああ、ルシアニアの塔でエドルが怪我した時もこんな感じだったのかしらと、遠退く意識の中で思った。
「っリシェルア!リシェルア!!」
エドルが呼んでる。
ダメ、倒れちゃダメ。
今気を失ったら、一体誰が、彼を――
長い地下道を、エフィルたちと合流すべく歩いていたイルファたちは、松明をかざした先に白い人影を見つけて立ち止まった。
白いドレスに白い靴。横顔の肌の色も陶器のように真っ白で、暗く狭い空間の中に浮かび上がっているように見えた。
「ひいっ」
ウィミーネが、小さな悲鳴を上げてイルファの身体の後ろに回った。そういえば、ウィミーネは幽霊の類が苦手だったなと、頭を撫でてやりながら思い出す。
「誰だ」
幽霊という考えは最初からなかったのか、人影に向かい、ディオが銃を構えた。
呼ばれてはじめて影は、ゆっくりと身体を動かした。畳まれたレース仕立ての日傘を、一度手元でくるりと回し、オルゴールの上の人形のように、機械的な動きで真正面を向く。
にこりともしない真一文字の真っ赤な唇が、余計に生を感じさせず不気味さを助長していた。
「わたしは、おいしい紅茶があれば動けるのだけれど」
大切に飾り立てられた人形のような少女は、ディオの問いに答えず勝手に語りはじめる。オルゴールの爪を弾くようなキンと澄んだ声だった。人形が話しているような印象を受けて、背筋が冷たくなった。
「人間は、お金がないと動けないそうね」
「答えるか、さっさと消えろ。撃つぞ」
そう言ったディオの目は、本気だった。彼もまた、彼女に得体の知れない危険を感じているのだろう。
そもそも、この少女はどこからこの地下に入ってきたのか。最初からいたか、あるいは出口から入って来ているのなら、まず間違いなくエフィルたちと出会っているはずだ。しかし、彼女からはそんな様子が見受けられない。
少女は金色の巻き髪を揺らし、こてん、と首を傾げた。
「わたし、今日は戦ってはいけないの。わたしは彼のお仕事の、お手伝いに来てるだけ…」
それから、一度だけ瞬きを挟んで、じっと一点を見つめる。
イルファもその先を辿って首を動かす。すると、視線はディオの顔へと行き着いた。
「銀の髪、黒い目、額の三日月の傷。あなたが、「ディオ」?」
「………お前ら」
まだ何か続けようとした少女の言葉を遮り、ディオは、低い声で尋ねた。いや、質問というよりも確認のような、確信を含んだ声色だった。
「白蛇教団の関係者か?」
「白蛇…!」
神を徹底的に否定するという、奇妙な組織。イルファが知っている情報はそれだけだったが、ディオは彼らをよく知っているようだった。
しかし彼は多くを語ることなく、相手の出方を待っている。
「忘れたふりは、いけないわ」
先程、扉の向こうから聞こえたのと同じ言葉を繰り返す、白いドレスの少女。
そして、こちらの声など聞こえていないかのように、一方的な語りを続ける。
「あなたに、伝言があるの」
「誰から?」
ディオが、苛立ちと焦りの入り混じった声で尋ねる。その表情を伺ったが、俯いていて見えなかった。銃の構えも、もはや形だけだった。
「ずっと、待っているそうよ」
少女は、曲を奏でるオルゴールのように、伝言を紡ぐ。
「あなたのことをずっと、ずっとずっと待っている。会いたい、会いたいと待ち焦がれている」
「……………」
完全に沈黙してしまったディオに、少女は囁き続けた。常夏の暑い国だというのにうすら寒くなるような、いやに涼やかで薄い声音だった。
「思い出して、ディオ。忘れてはいけないはずよ。
大切な、おともだちを」
そう言い残し、白い背を向けて去っていく少女。ゆったりとした歩みで松明の明かりの届かないところまで行くと、まるで闇に溶けるように姿を消した。本当に、闇に溶けたようにしか見えない去り方だった。
「…追うか?」
「や、やめようよぉ!」
完全に怯えきったウィミーネが、涙目で、一歩前進したこちらの服を引っ張った。
「しかし――」
「…俺なら、別にいい」
ディオに気を使ったつもりだったのだが、彼は必要ないと、かぶりを振った。ウィミーネの方も、内気な彼女にしては珍しく強引に引き止めるので、仕方なく、少女とまた鉢合わせることのないよう、ゆっくりと進み始める。
その後も、始終どこか虚ろで、いつもとはまた違った意味で近寄りがたい雰囲気をまとわせたディオを、イルファは少し不安げに観察していた。
何か、妙な行動を起こさなければいいが――。
エドルとリシェルアに後ろを預け、王子を連れて元来た道を駆けるラズマとアクス。
背後からは、数人の警備兵が迫っていた。
「くそ、偽王子を逃がすな!」
どうも敵の方では、アクスは「亡き王子のふりをした偽物」という扱いになっているらしい。彼の身元を示す証拠があれば彼らを止めることができたのだろうが、あいにくフォーラス王家の紋章は、捕まっている間に奪われてしまったそうだ。
ラズマは身体を反転させ、アクスに前を走らせた。
「いと高き天に住まう風の神よ!」
足止めのために呪文を叫ぶと、相手から、小馬鹿にしたような失笑が起こる。
「先ほどから同じ魔法ばかりか。馬鹿の一つ覚えもいいところだ」
ぶち、と、頭のどこかで血管の切れる音がした。せっかくこちらが、向こうを傷つけないようにと、懸命に魔法を選んだ結果がそれだというのに。
「…どうやら僕を、ただのサボリ魔で生臭な末端僧侶だと思ってくれてるみたいだね」
「えっ、違うのか」
真っ先に反応したのは、味方であるはずのアクスだった。
「こんな時まで後生大事にスケッチブック抱えてるしなあ」
「画材は絵師の命なので」
なにせ、フォレストフォーラスを突然襲撃された時でさえ、ラズマが真っ先に無事を確かめたのが、エフィルでもエリスでもマクレイドや店員たちでもなく、このスケッチブックだったのだから。
しかし、確かに一つの魔法だけでは、いずれ敵も慣れ、通用しなくなってしまう。そろそろ手段を変えるべきか本格的に悩み始めた矢先に、後ろから、聞き覚えのある仲間の声が聞こえた。
「ラズマ!――と、アクス王子!!無事だったのね!」
よし、と、元気にこちらに手を振る大剣を背負った少女を確認して、ラズマはアクスの腕を掴んだ。
「うわ、何だ?!」
彼が驚き振り向く暇も与えず、ラズマは、
「エフィル!王子を頼んだ!」
まずは、王子の身の安全を確保するのが第一だ。そう思って、彼を、思い切りエフィルの方へと突き飛ばした。
すると。
よろけたアクスの顔が、手を振っていたためまったくのノーガードだった、エフィルのたわわの谷間にダイブしたのである。
「おお、ついてるねーアクス王子」
エリスの、呆れるほど呑気な声が、やけに響いて聞こえた。
その後、目の前で起こった惨劇を、その場に居合わせた警備兵たちは、二度と忘れることはないだろう。
恐れ慄いた彼らは、身体を縮めて震えながら、揃って失神してしまった。
――そんな彼らの足元に、血の川がゆっくりと流れ着いた。
あら。
リシェルアは、何か温かいものにしがみついた格好で、目を醒ました。
「おー。起きた?」
温かいものは、どうやらエドルの背中だったらしい。朦朧とした視界の中に、肩越しに振り返るエドルの顔が映る。
そこでリシェルアは思い出す。自分が、敵の攻撃を受けて倒れた事を。
「一応止血はしたけど、結構血が出てたからしばらく貧血かもな。
とりあえず今は寝てろ。もうすぐあいつらのとこに着くから」
エドルの声を聞きながら、リシェルアはぎゅっと彼を抱きしめた。
ぐえっと蛙の潰れるような声がする。
「く、苦しいっ、リシェルアちょっと緩めて!」
「ごめんなさい、エドル」
「ごめんなさいはわかったから、苦しいっつってるだろ!」
「エドル、ごめんね…エドル」
「話聞けっての!死んじゃう!おれ死んじゃうから!」
歩きながらじたばたともがく相方に必死にしがみつきながら、温かい背中に再び顔をうずめて、目を閉じる。
自分からたつ血のにおいが、鼻について疎ましかった。