真昼の救出劇・前篇
フォレストフォーラスにエリスティア、エフィル、ラズマを残して、クリティスたちは朝食の後、早々とイーリス大司祭の捜索に出発した。
街の喧騒はいつも通りだが、警備の数はますます増えている。六人は集合場所を適当に決め、出来る限りの変装をすると、二人一組になって調査をはじめた。
「小さい国と言えど、隈なく捜すには手間がかかるな。目星はついていないのか?」
ペアになったイルファが、サングラスの向こうから視線を投げかけてくる。クリティスは流し目を返すと、モノクルの位置を直しながら思考を巡らせた。
「悪いが、ないな」
「地道に捜すしかないか」
「だが、国教の大司祭なのだから、知名度は国王と同じ程度だ。つまり、民の誰もが知っている。
いくら変装をしていても、どこかで噂は立っているだろう。もちろん、私たちもしかり…だが」
モノクルの中で紫の瞳を右に動かすと、クリティスは耳と神経を尖らせた。ほどなくして、イルファも同じくしゃべるのを止め、意識をそちらに向けていた。
皆と分かれた辺りから、数人に見張られている気がする。もしかすると、街に出てきた時から既にばれていたかもしれない。
クリティスは視線だけをイルファに向け、低く小声で問い掛けた。
「さて、腕に自信は?」
「美しい女性の前で、「ない」なんて言えるわけがないだろう。
世に聞く氷海様のお気に召すかはわかりませんが、お望みとあらば雷光の剣舞、御覧に入れましょう」
「住宅街の西はずれまで誘導する。あそこなら人が来ない」
小さく頷き合うと、二人は表面的な雑談を交わしながら住宅街へと足を運んだ。
「やべーやべー!めっちゃつけられてる」
口ではそう言いながら、あまり焦燥の雰囲気のない無表情で、エドルが耳打ちしてきた。
「どうする?撒く?」
「そうねえー…ここは人気が多いから、上手く撒けるかもしれないけれどー…」
リシェルアがちら、と不安げに、気配の向こうに視線を送ると、隠れるのが下手な警備兵が一人、慌てて身を隠すのが一瞬見えた。
「誘い込んでから眠ってもらうって方法もあるわ。撒いた後にまた見つかっても困るしー」
「じゃあ、とっとと潰すか!」
「そんなおっきな声出したら、気づかれちゃうわよー」
指をパキポキ鳴らしながら大声で気合いを入れたエドルの脇腹を、リシェルアは軽く小突いた。
港からほど近い無人の岩場で、ディオとウィミーネは既に追跡者との戦闘に入っていた。
「水のつぶてよ!」
呪文を唱え出したウィミーネの傍らで、魔力銃を撃ち込むディオ。水の小さな弾と魔力の大玉が、兵士達に向かって乱舞する。
「くそっ、近付けん」
敵の一人が、いらだたしげに舌打ちした。
ディオの魔力弾は特に、相手に当たらずとも地面に着弾すれば四方八方にはじける性質のため、うかつに足を動かせないのだ。
「あんな銃の使い方をする奴なんて、初めて見たぞ!弾の性質もさることながら、それを発想する性質も悪い!」
「おいウィミーネ、俺達褒められてるぞ」
「わたしを一緒にしないでよ!」
そもそも褒められてないし、と突っ込むが、本人はまったく聞いていない。鼻歌でも歌い出しそうな表情で、銃弾をばらまいている。
「何をしている!近付けなければ魔法か銃で応戦しろ!」
「はいっ」
上官からの叱咤が飛ぶと、兵たちは口々に呪文を唱えはじめ、銃に魔力石を装着し始めた。
しかしウィミーネは、させじと唱え続けていた水弾の魔法を打ち止め、今度は虚空に印を結んだ。
「輝く光の結界は、我等に仇なす全てを阻み…」
「ちっ。低級汎用結界か」
隊を率いる長は、さっと剣を横薙ぎにして、味方の呪文を止めさせた。そして、口元だけの笑みを浮かべる。
「しかし、これで娘は攻撃できない。貴様一人の弾丸ならば、抜け切るのは容易だ。
さっさと投降すれば、罰はまだ軽いと思うがな」
ウィミーネは、結界を維持しながら苦々しく顔を歪めた。
低級汎用結界は、会得や使用方法が簡単な分、呪文を唱え続けなければ維持できない結界だ。しかも、今張っているのは対魔力用なので、物理的な衝撃には非常に弱い。ディオの攻撃を抜けて切り掛かられると、簡単に解けてしまう。
「はっ」
ディオが、鼻で笑うのが聞こえた。思わず目を向けると、余裕の中に狂暴性のかいま見える笑顔が 、潮風に吹き付けられる銀髪の合間から覗いていた。
彼は銃を構え直し、魔力増幅能力の切れた魔法石を岩の間に転がす。素早く新しい石を装着すると、
「なめんな」
ゆったりとそう吐き捨て、引き金を引いた。
あまり速度の速くない、大きな魔力弾が一発飛び出す。兵士たちは左右に分かれてそれを難無く避け、地面に着弾するのを見つめた。
「なんだ?今のヘボい弾――」
敵の誰かが吹き出した直後だった。
弾の当たった地面が、いきなり爆発したのである。
先にディオがばらまいていた、はじける弾とはわけが違う。文字通りに爆発し、岩場が、避けた兵士たちの足元ギリギリのところまでえぐれているのだ。
「あ、ありえん…」
隊長がぽかんと口を開け、銃を片手で弄んでいるディオを見た。
「瞬時に魔力を練り直して、違う性質の弾に変えるなど…威力も、とても銃とは思えんほど強い。
銃の造りもさることながら、恐ろしい射撃技術だな」
「あれ?今度はけなされてる?」
不機嫌になるディオ。呪文詠唱中のウィミーネが、素直に褒め言葉として受け取れと突っ込めるわけもない。
「練った魔力が銃になじむまではトロいけど、安定すれば徐々に速度が上がるぜ。これが人間に直撃したら、どうなっちゃうのかなーっと」
月傷の銃士が再び銃口を前に構えると、警備兵は皆一斉に後ずさった。追い撃ちをかけるように、彼は自分と兵たちとの間に一発、先程の弾を撃ち込む。
「くそっ、退け!」
弾丸が爆発する前に、上官は部下たちに撤退を命じた。我先にと逃げ出す彼らの背後でまた、轟音を立てて岩場が砕ける。
警備団の姿が見えなくなると、ウィミーネは結界を解いてディオに近寄った。
「ふー………。
わざわざこんな弾使わせやがって。とっとと尻尾巻いて逃げりゃいいものを」
銃を握った両手をだるそうに下げて、彼は大きく息を吐いた。
「すっ、すごいね、今の。
銃って、正直あんまり強い武器だと思ってなかったから、びっくりしちゃった」
「使う人間の実力によって、威力が目に見えて変わる武器だからな。
そこら辺は魔法と似てるが、銃を使う時の魔力の練り方放ち方は、魔法の時のそれとだいぶ違う」
疲れた足を引きずって歩きながら、ディオは黒い愛銃の調子を確かめるように眺めた。
「しかも、」
パン、パリン、と立て続けに澄んだ音がして、銃から魔法石の欠片がぱらぱらと落ちた。砂粒ほどにまで砕けた欠片が海からの風に乗って飛んで行くのを見ながら、ディオは続ける。
「…とまあ、ああいう派手なのになると二、三発撃っただけで、質の高い魔法石でもこのざまだ。
相当訓練しないと思うような威力は出ないし金はかかるし。他にもいろいろ理由はあるけど、総合的に見ても魔法や他の武器に比べてリスクは高いから、使いづらい事この上ないのは確かだろうな」
「ふうん…」
あまり銃に触れた事のないウィミーネには、難しく聞こえた。ただ単に、魔力を小さく凝縮して放てばいいという話ではないということだけはわかったが。
「でも、そんなリスクの高い武器を、なんでディオは使ってるの?」
「んー?いや、物ごころついた時から持ってたってだけで、特に深い理由はないな。
妙な二つ名をつけられるぐらいには上達したし、今更他の武器に変えるつもりもあんまりない。魔法はそもそも、種族的にも合わないし」
「物ごころついた時から…」
ふと、ウィミーネは左腕を押さえた。
ディオが立ち止まり、不思議そうにこちらの顔を覗きこむ。
「あん?怪我か?」
「う、ううん、大丈夫だよ」
ディオはイケメンだからそういう仕草されると照れるな、などと頭の隅で思いながら、左腕の「力」のことを、ディオたち五人に昨日の自己紹介の時に教えていなかった事を思い出した。
「…この常夏の国で、よく長袖なんか着てられるな」
押さえた左腕の袖を見て、ディオが顔をしかめる。それを「あはは…」と苦笑いで受け流し、ウィミーネはまた歩き出した。
「…物ごころついた時から…」
もう一度、ディオの言った言葉を繰り返すと、無理矢理顔を上げて振り返る。
そして、精一杯の笑顔で声をかけた。
「大司祭と王子を見つけなきゃ!早く街に戻って探索ー!」
「探索は後回しだ後回し!先に休憩させろ!疲れた!」
「もー、子供みたいにだだこねちゃだめだよー!」
リシェルアは動かなくていい。
商店街の裏通りの、誰も気に留めていないような行き止まり。高い塀の上に上がったエドルが、こちらの手を取って引き上げながらそう言った。
無言で首だけ縦に動かすと、リシェルアも塀から下を見下ろす。少しして、ゴミの散らかった不潔な道に、ばたばたと男たちが駆け込んできた。
「おかしい、ここにいると思ったが…」
上にいるという発想には至らないのか、いつまでも左右をきょろきょろ見回してしている警備兵たちが滑稽で、思わず微笑みが零れた。
「どうします?遠くには行っていないと思われますが」
「標的は男女二人のガキ。見かけた連中の中でも比較的簡単そうな奴らだ。今見失ってもまあ、なんとか…」
無意識か、上官を中心に兵士たちが固まって相談を始めた。
傍らの白い翼が、持ち主の心境を表すように膨らむ。戦いに入る前はいつもそうだ。軽い興奮状態なのだろう。
小動物が毛並みを逆立てているような感覚なのだろうかと考察していると、その背中がゆらりと動いた。
エドルが、塀を蹴る。
額を突き合わせている警備団の後ろへと、彼はしなやかに降り立った。音一つ立たないその動きは、まるで猫のようだ。小動物という例えも、あながち外れていないのかもしれない。
「では、一旦――なっ?!」
着地を見守ってから瞬きを一度した時、既に警備兵の一人がエドルの一撃を受けていた。相手は大きく吹っ飛び、後ろにいた二人を巻き込んで倒れる。
「ど、どこからっぐぅっ…!」
しゃべる隙も与えず、傍の兵士の鳩尾を蹴り飛ばすエドル。すぐさま腰からダガーを抜くと、そのまま次の兵士の斬撃を受け流した。一瞬怯んだ彼の身体に、潜り込むようにして体当たりをする。
残りは、隊長とおぼしき者一人…かと思いきや、最初の兵士に巻き込まれて倒れた二人がよろよろと立ち上がっているのが、リシェルアの視界の端に映った。片方は魔法を使う素振りも見せている。リシェルアは少し考えると、口の中でごく短い呪文を唱えた。
「行く手阻むは炎の風」
「うわあっ」
「ぎゃっ」
たちまち二人の横から熱風が吹き、彼らは気を失った。
エドルがこちらに流し目を送るが、非難の色はなかったので胸を撫で下ろす。
「な、何っ?!」
部下の悲鳴に、上官が気を取られた。その隙をエドルが見逃すはずがない。
彼は地面を蹴って素早く近付くと、立て続けに斬撃を繰り出した。上官はかろうじて迎撃したが、手元も足元も覚束ない。何度か剣戟を繰り広げると、エドルがいきなり胴に向かって蹴りを放った。
それを相手が避けた瞬間、凄まじい反応速度で距離を詰める「疾風」。腹に拳の一撃を入れてから、とどめの手刀を首筋に落とした。
つむじ風が通ったかのような、あっという間の一戦。倒れている警備団にも、何が起こっているのかわからなかっただろう。
「お疲れ様ー」
塀の上から、ダガーをしまう相方に声をかけるリシェルア。
「ま、これでしばらくは安全に動けるかな。他の隊に見つかったらそうもいかないけど…」
「にゃーん」
「……いきなり変な声出すなよ」
エドルは、何の脈絡もなく猫の鳴き真似をしたリシェルアを、怪訝な目で見上げてきた。
「にゃーん」
「いいから、さっさと降りてこいって」
「にゃあーん」
「…もしかして」
真下に寄って来ると、呆れた表情を浮かべるエドル。
「降りれない…とか?」
「にゃー…」
リシェルアは、困った顔で頷いた。
「それならそうとはっきり言えっ。
あーもー、手間のかかる…」
「エドルが猫みたいだなって思ったから、猫の真似しただけよー。にゃー」
「意味がわかんねーよ」
毛づくろいをするように頭を掻いた彼は、木に登って降りられない子猫を受け止めるために、両腕を大きく広げてくれた。白い翼も、柔らかく広がってふわふわと羽根を零していた。
「イルファ!」
「雷撃よ、敵を引き裂け!」
クリティスの合図に、イルファが呪文で応じた。
イルファの手から迸った稲妻は、二人を追って来た警備兵の先鋒を打ちのめす。
残りの者が銃を構えると、二人は彼らに素早く詰め寄り切り捨てていった。
ただの格好つけかとスルーした、先程のイルファの台詞は、どうも虚勢ではないらしい。鳴神の剣という業物になかなか見合った剣捌きをするので、クリティスは陰で、感嘆の溜息をついていた。剣舞と言うには、少し大胆でがさつな動きだが。
「噂通りの優雅さだな、氷海。惚れそう」
おまけに、敵と刃を交えている最中にこの余裕の軽口である。
「断る」
先日と同じ台詞でふってやると、クリティスは最後の兵の銃をレイピアで弾き飛ばし、その鼻先に切っ先を突き付けた。
「殺しはしないが、仲間と同じように痛い目に遭いたくなかったら、さっさと消えた方がいい」
相手は歯噛みをすると、気絶した仲間を置いて逃げて行った。
二人は同時に剣を納め、周りの様子を視認する。人気のないところを探して住宅街の深いところまでやってきてしまったが、ここからどうするか。
「せっかくだから、ここから探索してみるか?」
「そうだな…本当は、商店街の裏通り辺りを探索しようと」
「おはようございます奥さん。
重そうなお荷物ですねー。お持ちしましょうか?」
「………」
そそくさと主婦らしき街人に近づき、声をかけるイルファ。話を打ち切られたクリティスは、いささか不機嫌に彼の背中を睨んだ。
「旦那さんは今日はお仕事ですか?あなたみたいな美しいご婦人がいつも隣にいるなんて、さぞかしお幸せでしょうねー」
「まあ、そんなお世辞を」
ナンパなのか聞き込みの手口なのか、いまいち判別の付けづらいトークで、イルファは主婦から話を聞き出す。一通り話を終えると、彼は荷物を婦人の家まで運んで行った。
「ここからさらに道二本向こうに行ったあたりに、家主が夜逃げした変な空き家があるそうだ」
戻ってくるなり、何事もなかったかのように淡々と、得た情報を告げる。
「ほう。鮮やかな手並みだな」
「ちなみにストライクゾーンは、十から四十まで、手広くカバーしております。
でも、クリティスだけは特別だ。例え五十を越えていようと、その麗しい容姿と優雅な剣舞の前には…あ、待ってくれ!せっかくの渾身の口説き文句なのにっ!」
戯れ言は聞き流して、クリティスは情報通りに、二本の閑散とした道を横切った。
「待ってって!せっかくかっこいいとこ見せたのに台なしじゃないか!」
「どこが。端から見ていたら、人妻を必死で口説いているだけにしか見えなかったが。
それより、あやしい空き家というのはあれか?」
クリティスは、そっと曲がり角の石造りのアパートの陰に身を潜め、視線の先を指差した。小走りで追いついたイルファが、「ああ」と頷く。
「煉瓦造りの赤い屋根。あれみたいだな………えっ」
「!」
二人は、目的の家の小さな窓を注視した。
硝子の向こうに、人影が映っている。近所の子供が入り込んでいるにしては、大きすぎる。
二人は近付いて確認してみる事にした。クリティスは扉に張り付いて聞き耳を立て、イルファは窓から中の様子を窺う。事情を知らない者が見ればすこぶる怪しい光景だろうが、仕方がないし辺りに人はいない。
「なんだ。この窓、磨り硝子になってて全然見えないじゃないか。
そっちはどうだ?」
小声で残念そうに呟くイルファ。問いには返答せず、クリティスは扉に、エルフ特有の長い耳を立て続けた。
「……の地下に………従え…イーリス大…」
イーリス。扉の向こうから聞こえた声は、確かにそう言った。
「もしかして、当たりか?」
クリティスの顔色の変化を見たか、イルファが苦笑いを浮かべる。
「会話の内容はわからんが、イーリスという単語は聞こえた」
これは、突入して確認してみてもいいかもしれない。
横目だけをイルファへ向けると、彼は大きく頷いた。
「まず、他の連中を呼ぼう。算段はその後で」
六人は集合場所に舞い戻ると、クリティス・イルファの先導に従って住宅街の空き家に集まった。太陽は空の一番高い場所で、厳しい熱線を放っている。
「あれがそうなのか?」
確認するように問うてくるエドルに頷きだけを返し、クリティスは空き家に近づくよう、他の五人を促した。
「本当にイーリス大司祭が隠れていると決まったわけではない。ただ、その可能性が高いというだけだ」
「で、突入するってか。もし違ったらどうする気だよ」
突っかかってきたディオをうっとうしく見やる。
「どちらにしろ、ここは家主が夜逃げして、今は「持ち主が居ないはずの」家だ。関係のない人間がいたとしても、役所に届け出て正規に住んでいるわけではないのだから、ごまかす手立てはいくらでもある」
「ふん」
そっぽを向いてしまったディオにクリティスは首を竦めると、了承を得るように一度五人を見回した。そして、扉を三回ノックする。
反応は、ない。
「すんませーん!役所の者ですがーっ」
エドルが半分面白がって、口から出鱈目を叫んだ。クリティスは非難するように彼を睨む。
「出てこねーな」
「役所の者だなんて言ったら、もっと警戒されて居留守使われちゃうに決まってるわよー」
リシェルアに咎められると、彼は身体を縮こませて黙った。
…仕方がない。
「やっぱり突入強行か?」
ふーっと、長い溜息をつくクリティス。そこからこちらの覚悟を読み取ったか、イルファが扉の前に立って指示を待つ。
すぐに突入するのもいいが、その前にできることもありそうだ。例えば家の周辺を調べることで手掛かりが得られるかもしれないし、近隣の住人にこの家について尋ねる手もある。
「いや、まだだ。先にやることが…」
それらを連れに説明しようとして、はたと、クリティスは動きを止めた。
「どうしたの?」
五人が不思議そうにこちらを見ている。だが彼らの声には耳を傾けず、長い耳が捕らえる遠くの異音をじっと聞き取っていた。
これは――爆発音?
「なあ、あれ…煙じゃね?」
よそ見をしていたエドルが、彼の目線より少し上を指した。その先には丘がある。そう、クリティスたちが活動拠点にし、エリスティアとエフィル、ラズマが留守をしているはずのフォレストフォーラスがある丘だ。
一同の顔色が、さっと青ざめた。
ウィミーネが翼をはためかせて宙に浮く。片手をかざして煙の出所を確認し、声を張り上げた。
「フォレストフォーラスから煙が出てる!あと、警備兵っぽい集団が下りてきてるよ!」
「エフィルたちは?!」
イルファが動揺のにじむ声で、怒鳴るように訊いた。ウィミーネはしばらく目を凝らしていたが、首を横に振る。
「わかんない…警備兵は装備でわかるんだけど。お客さんも紛れて下りてきてるから、見分けがつかないよ」
「くそっ」
苛立たしげに吐き捨てるイルファ。しかし、考えなしに助けに向かうほど無鉄砲ではないようだ。焦りを抑えようと、深呼吸をしている。
「レストランの中で交戦している可能性もあるな」
だが、今から助けに向かったとしても、下りて来た警備団と鉢合わせてしまう。既に三人がフォレストフォーラスから脱出していた場合でも、すれ違いになってしまう不安があった。
クリティスは少し悩むと、空中待機したままのウィミーネに声をかけた。
「ウィミーネ。どのくらいの高さまでなら飛べる?」
「二階建ての家の屋根までなら上がれるよ」
「住宅街を、空から一通り見回って来てほしい。エリスたちが逃げてきていれば、まだ街の広場の方には出ていないはずだ。
ただ、あまり目立つような飛び方はするな。警備兵に怪しまれては困る」
ウィミーネは強く頷くと、翼を一度大きく前後させて、一気に上昇した。それから空き家の屋根に降り立つと、周りを見回してから再び空を舞う。
ウィミーネの姿が遠くなると、クリティスたちは詰めていた呼気をゆっくり吐き出した。
「…ここでお前が続いて飛んでくれれば、効率が上がるのだが」
「いやだね」
視線と口調で、玄関先に座り込んだエドルを責める。だが、彼は取り付く島もないといった様子できっぱりと拒絶した。
「前から思ってたけど、お前のその翼はアクセサリーか何かか?」
「ふ、うふふっ」
ディオの皮肉に、リシェルアが耐えきれず噴き出した。吊りあがった目を彼女に向けるエドル。
「ご、ごめんなさーい。
でも、そろそろ言っちゃってもいいんじゃないかしらー?」
「えー?!」
相方の提案に不満声を上げるが、クリティスたちが納得いかない表情を見せていることに気がつくと、眉を寄せてばつが悪そうに目を反らした。そして、篭った声で「言いたければ言えば」と言い捨てる。
了承を受けたリシェルアは、本人に代わって事情を語り始めた。
「あのね、エドルはねー………空を飛ぶのが、すごーく下手なのー」
少し間を置いて、ディオが「は?」と聞き返す。
「下手…って、どのぐらいだよ」
「んっとね、空に浮かぶことはできるんだけど、その状態を維持できなくて、すぐに墜落しちゃうのよ」
それは、空を飛んで生きる動物にしてみれば致命的な事だろう。翼人であっても、墜落してしまうとなればその度に怪我をする覚悟が必要になる。なるほど、迂闊に翼を使う事ができないわけだ。
「それは…確かに使えねえな」
ディオがまず納得して、二、三度頷いた。
「でも、翼人族ってかなり幼い頃から飛ぶ練習をするんだろう?」
「サボってたらこうなりましたが何か」
「…あ、ああ、そうなのか」
開き直ったか、ぶっきらぼうな低い声で答える翼人の少年。尋ねたイルファはその剣幕に押されて、それ以上訊こうとはしなかった。
しかし、クリティスはそんなものに怖気づくこともなく、更に質問を続けた。
「もしかして、足が速いのは…」
「ああそうだよ!飛べない代わりに、足を使えるようにすればいいって考えた結果だよ!悪かったな単純で!」
こちらがみなまで言う前に、エドルは片足をダンッと踏み鳴らすと、声を荒げた。その横で、リシェルアがなだめるように頭を撫でている。
「実はエドルって、あたしと初めて会った時に、空を飛ぶのを失敗してるのよー。その時からずっと根に持ってるみたいで、今後一切使わないって言って。
うふふ、使わなきゃ上手くならないのにー」
「うるせー!」
ようは、惚れた娘に失態を見られたのが嫌で、二度と使わないと誓ったという事だろう。エフィルといいエドルといい、最近こういうのが多いなと、クリティスは遠くあさってを眺めながら思った。
すると、その視線の先から見覚えのあるシルエットが近づいてきた。ウィミーネである。
「た、た、ただいまっ!!」
大急ぎで翼をはばたかせて戻ってきた彼女は、はあはあと短く呼吸を繰り返しながら口早に告げる。
「エフィルとエリスを見つけたの!道は教えたから、今こっちに…」
「着いたああ!」
ウィミーネの言葉が終わらないうちに、二人が曲がり角から姿を見せた。
こちらも相当走ってきたのか、しばらくまともに話せない状態だったが、徐々に落ち着いてくると、代わるがわる状況の説明をはじめた。
「警備団の奇襲を受けたのよ。それもいきなり」
「いきなりすぎて、食べてたスコーン全部置いてきちゃった」
「店員と客は全員逃がしたわ。マクレイドさんも最後まで残るって言ってたけど逃がして、私たちも外に出て…フォレストフォーラスが爆破されたのはその直後だったわね」
「スコーンの後にはハイビスカスティー出してくれるって言うから、楽しみにしてたのにぃ」
「途中まで三人で逃げてきたんだけど、警備団の追跡がしつこくて」
「スコーンのミックスベリージャムはしつこくなかったのにね。案外あっさりで、でも味はしっかりあったよ」
「ラズマが囮になって、今あいつらを撒いてるところなの。一応目印は落として来たけど、…大丈夫かしら…」
「あっ、そういえばスコーンの前に食べてたシフォンケーキもねー」
「エリスあなた、さっきからうるっさいわね!お菓子の話しかしてないじゃない!」
一通り説明を終えると、エフィルはエリスティアと口喧嘩を始めた。それを割り込むことで止めて、クリティスは話をまとめる。
「なるほど、わかった。あとエリスはしばらく黙れ。
エフィル、警備兵はどのぐらいいた?」
「てんやわんやだったから、よく見てないけど…ざっと五十はいたんじゃないかしら。」
「五十ぐらい…」
ならばエリスティアの魔法でなんとかなっただろう、と言いかけ、クリティスは胸中で舌打ちした。
エリスティアは、自分からその強大な力を使うことは決してしない。おそらく「造物主」としての立場によるものだろう。彼女に魔法を使わせるためには、対価、所謂捧げ物が必要なのである。
そのことを二人に伝えるのを忘れていた。
「こちらの動きは完全につつぬけだな」
イルファが渋い表情で呟く。
「五十もの兵が、たまたまフォレストフォーラスを襲ったとは思えない」
クリティスたちが離れるのを見越して、まずは活動拠点を潰す魂胆だったのだろう。
「あいつら、意地でもオレ達を捕まえる気だな。なりふり構わなくなってきた」
「ふん。ならこっちも、とっとと尻尾を捕まえねえと」
空き家を横目に、不敵に笑うディオ。エフィルとエリスがつられるようにそこを見上げた。
「ここがそうなの?」
先程エドルに返したのと同じ返答をして、クリティスは続ける。
「まあ待て。ラズマが戻って来ないことには…」
そう言った矢先、道の向こうから、一つの足音がぱたぱたと駆けて来るのが聞こえた。
「…来たな」
「ラズマ!無事だったのね!」
エフィルの歓喜の声に、ラズマがはにかみを返して感動の再会…そうなれば、良かったのだが。
彼は必死の形相で姿を表すなり、速度を緩めずこちらまで近付いてきた。息を整える間もなく頭を片手で抱え、痛恨の一言を放った。
「っごめん!撒き切れなかった!」
「「うそーっ!?」」
申し訳なさそうなラズマの声、エリスティアとエフィルの叫びに続いて、大勢の足音が静閑な住宅街に響いた。
「いたっ!こっちだー!」
「あ、あそこはっ…」
上官らしき人物が、クリティスたちの背後にある空き家を目にして青ざめる。直後、「絶対に捕まえろ!一人残らずだ!」と必死の形相で下っ端たちに命じた。
「とりあえず――」
クリティスは、その様をじっと観察した後、確信を持って頷いた。
「ここが奴らにとって重要な場所であることは、間違いないようだな」
「それはわかったけどさ…どうするんだよ、この騒ぎ」
エドルが頭を抱えている。
ここは住宅街の真ん中だ。こんなところで全面戦闘を始めてしまえば、無害な人々や建物を巻きこんでしまう。しかし向こうは、そんなことおかまいなしといった雰囲気である。
どこかに誘導しようにも、敵との距離が近すぎて逃げ道もない。まさに進退窮まるといったところだ。
「立てこもればよくね?中にいる奴、人質にして」
ぼそり、と、ディオが物騒な事を口にした。しかも、平然と。
それを聞きつけたエフィルが、鬼のような顔で彼を睨む。
「何言ってるのよ!そんなことできるわけっ」
「綺麗事を言える状況じゃないだろう。ここでやらなきゃ、アクス王子も俺たちも殺される」
「そうねえ」
イルファが妥協し、リシェルアも同意して頷く。ディオの発案というのがプライドに引っかかるが、クリティスも賛成だった。
しかし、屈強な正義感の持ち主であるエフィルは、まだ渋っている。
「でも、イルファ――」
「エフィル。君には使命があるだろう」
ラズマが、エフィルの傍らで囁いた。
「こんなところで、君を死なせるわけにはいかないよ」
「……………」
ラズマの言った「使命」という言葉も気になるが、今はそれを聞き出している場合ではない。
さすがと言おうか、彼の説得によって大人しくなったエフィルを一瞬だけ見やると、クリティスは一番扉の近くにいたエドルに目配せをした。
彼は軽く首を振ると、鍵のかかった簡素な木の扉を力いっぱい蹴破った。間髪入れず、一気に家の中になだれ込む一同。途中で、「しまった!!」という警備団長の悲鳴が聞こえた気がした。
「扉を立てろ!」
イルファの指令に、ラズマがすかさず外れた扉を立てる。ディオとエドルが部屋中の家具を寄せ集めて、そこを塞いだ。
外では、混乱する警備団の声が飛び交っている。
「だ、団長!突入しますか?!それとも魔法で…」
「馬鹿者!そんなことできるかっ!あそこにはイー…
い…いや、とにかく、攻撃は駄目だ!待機しろ待機!くれぐれも中からの攻撃には警戒しろ!」
「…ここがイーリス大司祭の隠れ家だってことは、団長しか知らないみたいだね」
ウィミーネが、動悸を落ちつけながら呟いた。
「兵士たちも国民の一人だ。どこから情報が漏れるかわかったものじゃないからな」
磨り硝子越しに外を眺めて、安堵の息をつくのはイルファ。
「…大司祭、いないみたいよー?」
「っていうか、もぬけの殻ね。大司祭どころか誰もいないわ」
そうこう話しているうちに、屋内の捜索に回っていたリシェルアとエフィルが戻ってきた。二人とも、困惑した表情で結果を報告する。
「やはりか」
クリティスは、顎に手を当てて黙り込んだ。
そもそも外でこれだけの騒ぎが起きているのだから、屋内に人が居れば、様子を見るために出てくるか、あるいは窓から顔を出すぐらいはするだろう。そんな気配が微塵もなかったため、薄々いないのではないかと思っていたのだ。
外で自分たちがもたついている間にどこかを通って逃げてしまったか、あるいはクリティスとイルファが見た時にはいたが、他の連れを呼んでくる最中に出て行ってしまったか。
「どちらにしろ、これでは人質が取れないな。さて、向こうがいつまで騙されていてくれるか」
「困ったな…」
今後の身の振り方をそれぞれが思い悩み、沈黙した時。
居間の隅で、かたんと小さな音がして、「わあ」というエリスティアの棒読みの感嘆が聞こえた。
「ねえねえ、こんなの見つけちゃった」
「………わーお。エリスってばお手柄ー」
彼女のすぐ傍にいたラズマが、感動の薄い声を上げる。それに反応して、皆が一斉に振り返った。
エリスティアは、古い床板を持ち上げていた。ラズマは、その下にあった明らかに不審な穴倉を覗いていた。
「隠し部屋か。…あまりにもオーソドックスというか」
しかし、これで道が拓けた。
ぱっと顔を上げ、てきぱきと指示を出しはじめるクリティス。
「また二手に分ける。ここで警備団の連中を留めておく役と、この下に進む役だ。自分の身の程を考えて決めてくれ。
ちなみに、私はこの先に興味があるから地下に向かう」
「俺は興味がないから残る」
ディオが、間を置かずに応えた。どこか含みのある言い方だが、どうせ真意は、クリティスと一緒にいたくないだとか、そんなところだろう。
その後、口々に興味の有無を言い合う一同。結局、身の程を考えろと言ったにもかかわらず、皆好奇心に従って決めていた。だが、先にこの流れの発端を作ったのはクリティス自身であるので、文句も言えない。
「まったく…貴様ら、基本的に恐いものなしだな」
「それだけみんな、自信があるってことかしらー」
エドルが行くなら自分も行くと、迷いもせずに言い放っていたリシェルアが微笑む。
「では、ディオとウィミーネとイルファは後を頼む。人質を取っているふりをしてなるべく時間を稼ぐのが仕事だが、無茶はするな。ただしディオは死んでいい」
「てめえ…」
「行くぞ」
ディオの怒鳴り声が飛んでくる前に、クリティスは地下へと続く穴を、かかっていたはしごを伝って下りた。続いて下りて来たリシェルアが、灯火の魔法で行く先を照らす。
「ここは一応閉めておくよ」
地下探検組が全員下りると、地上から、イルファが覗きこんで言った。
「じゃ、健闘を祈る。エフィル、あんまり暴れすぎるなよ」
「そっちこそ、しっかりしてよね!」
エフィルとイルファが勇ましい笑顔を見せ合うのを眺めてから、クリティスは明かりに映し出された、長い地下道に向き直った。
「さて、ここからが本番…か」