感動の再会?・前篇
夜が更け、街の明かりもひとつ、またひとつと減ってゆく頃。
足音が廊下を駆けて来たかと思うと、カイ王子の居室にノックの音が穏やかに響いた。
「カイ王子様、王子様。いらっしゃいますか」
「なんだ」
長年聞き慣れたしわがれ声に、カイ・ヴォールナ・フォーラス王子は、自ら扉を開いて訪問者を招く。
「ただ今、アクス王子様のお部屋を使用人に掃除させておりましたところ、このようなものが見つかりましたので、ご報告に参りました」
そう言って、初老の執事は白い封筒を取り出した。封筒は真新しく、表にも裏にも何も記されていない。
「父上は何と言っていた?」
「いえ、既にお休みになられておりましたので、まだ何も。
万一の事も考えて、封筒を私の方で調べさせていただきましたが、特に仕掛けはないようです。
中には手紙が一通。亡き王子が遺した物であると思うと、私がフォーラス王様や王子様に先んじて拝見するというのはあまりにも恐れ多く感じましたので、こちらの確認は致しておりませぬ」
「………そうか」
封筒を受け取ると、王子はソファにもたれて中の手紙を取り出した。封筒と同じ真っ白な便箋には、こう書いてあった。
『神の住まう家は荒れ果てた。
九つの魂、飢えたる竜。神の裁きを待ち焦がれ、満ちて欠けてまた満ちるとも、いつまで経っても満ち足りぬ』
王子は、手紙を取り落とした。
「…王子、どうされました?」
「っ警備団の長を呼べ!」
呆けていたかと思えば突然立ち上がり、カイ王子は執事にそう命じる。一瞬、執事は唖然としていたが、すぐさま一礼してそそくさと部屋を出ていった。
そのまま王子は、窓の外を見つめて待機していた。しかし、警備団長が来る前に、招かれざる客が現れたようだ。
「…王族の部屋にノックもせず立ち入るとは、不届き極まりないな」
再び扉の方を振り返るカイ王子。
先ほど執事が閉めたばかりの扉がいつの間にか開いている。
「ご気分を害されたのであれば、申し訳ありません。ただ、近々フォーラス王の名を背負う方とは到底思えぬほど取り乱したお声が聞こえて来たもので、つい不安になってしまって」
柔らかく澄み切った、包容力を感じさせる声音。それは、開いた扉の前に立っている女性が発したものだった。
ゆったりとした紅いローブの裾が、絨毯にまで流れている。武神であるディアン神を象徴した剣の刺繍が、胸元を飾っていた。後ろ頭に挿された金属の髪飾りが、動くたびに涼しい音を立てる。
傍らに灰色のローブで身を包んだ護衛を佇ませたその女性――フィスカ・イーリス大司祭は、優しく、しかしどこか表面的な微笑みで言った。
「どうやらただ事ではなさそうですね。「亡くなった」アクス王子からの贈り物かしら?」
「そんなバカな事があるか!おそらく、先日の戴冠式に乱入してきた連中の仕業だ。
くっ…どうやら、余計な事を嗅ぎまわっているようだな、放浪人風情共が…」
「余計な事とは?」
「貴様も、白々しい態度を…。教会の事に決まっているだろう!」
王子は、執事から受け取った手紙を封筒ごと、投げるように彼女に渡した。
おもむろにそれを流し読みした大司祭は、笑顔を崩さずに、丁寧に封筒の中に手紙を戻す。
「なるほど…それで、警戒をさらに強めるよう命じるために、警備団長をお呼びになったのですね」
「そうだ。あの役立たずめ…いつまで奴らをのさばらせておくつもりだ」
苛立ちを抑えきれず、王子は部屋の壁を拳で叩いた。
それを薄目で眺めながら、大司祭は少し声量を落として言う。
「…また、予知夢を見ましたわ」
王子は勢いよく振り返ると、期待の眼差しを彼女に向けた。
「やっとか!それで、どんな夢だ?戴冠が無事に済む夢か?」
「ご期待に添えず申し訳ないのですが、まだ王子様の晴々しい戴冠の光景は見えませぬ。
昨晩見たのは、星の夢」
大司祭は窓に近づき、夜空を見上げた。
「このように、夢の中でも窓から空を見上げておりました。
すると、一際明るく輝く星が天を流れて、このフォーラス城に落ちたのです」
「…星が、我が城に?
それは良い夢なのか、悪い夢なのか」
「それは、私にもわかりません」
ローブの裾を翻し、彼女は従者の傍に戻った。
「ですが、これからこの国に、何かただならぬ事が起こるというのは確かな模様。
ゆめゆめ気を緩めませぬよう、ご忠告申し上げておきますわ」
「ふん…貴様に言われなくともわかっている」
「それと」
まるで悪戯でもしようというような、おどけたウインクを王子に見せる大司祭。
「王子がご戴冠あそばされた暁に、お寄せくださるという当教団への「ご寄付」ですが、本部の方から「承知した」との報が入りましたので、よしなにお願いいたします」
「ああ。今後の後援を一層期待していると伝えておいてくれ」
「かしこまりました」
優雅に礼をすると、イーリス大司祭は足音も立てずに部屋を出て、姿を消した。
「………相変わらず不気味な尼だ」
吐き捨てるように言って、王子は窓に目を向けた。
夜空には、溢れんばかりの星の粒が輝いている。大司祭の言った、「星」とは一体何のことなのか。
「…何であろうと、僕の王位は絶対に誰にも渡さん。星であろうと、実の弟であろうとな」
城の廊下を歩きながら、イーリスは従者に語りかけた。
「乱入者たちは今、何をしているのかしら」
「城下の内と外に二手に分かれているらしく、警備団の目を上手くすり抜けているそうです。ですが、互いの連絡は途絶えており、門の警備が厳しい限りは、しばらくどちらも動く事ができないでしょう」
従者の答えには応じず、イーリスは暗い廊下を歩き続ける。そして、小さな声で呟いた。
「…この国の玉座の後継者が誰になろうと、教団に「寄付」できるのであれば構わないわ。それがフォーラス家以外の人間であろうと、「亡き」王子であろうと。
亜魔界神教会の者も既になく、今、私を止められる人間は誰一人としていない…乱入者たち以外には」
二人は裏門を通り、敬礼する警備兵を背にして城の外に出た。
「教団と王族との繋がりさえ作る事が出来ればいい…そう、それで私は…」
「……………」
不意に、従者が前触れなく立ち止った。
「…何か?」
振り返ったイーリスが問うと、彼は微動だにしないまま、フードの下で答える。
「いえ…少々不快な「におい」がしたような気がしたのですが、どうやら気のせいだったようです」
「………そう。
本当に気のせいなら、いいのだけれど?」
再び歩き始めた従者をじっと見ながら、イーリスはわずかに眉を顰めた。だが、従者の方は平然として彼女の横に立つ。
「仮にそれが何かであったとしても、大司祭様にはこのわたしが、指一本触れさせません。現に今は「におい」も消えております。ご心配召されぬよう」
「ふふ…心強いこと」
イーリスは柔らかく微笑んで、彼と共にまた歩き始めた。やがてその二つの背中は、星明かりさえも届かない暗闇に溶けていく。
誰もいなくなった夜道に、微かに草を揺らす音が響いた。
「兵士の数が増えてるわ…」
日差しもだんだんと強くなり始めた正午直前。昼食を取るために街中に出た時、いつもは背中に垂らしたままのフードを深くかぶったリシェルアが、街中を眺めて呟いた。
クリティスも、普段身に着けることのない長いマントを翻して、そっと周囲を見回す。彼女の言う通りそこかしこに、暑そうな鎧を着込んだ警備兵がだるそうに巡回していた。
「変装してきて正解だったな」
口元まで巻いた長めのストールの中で、低く呟くディオ。彼の異名の元にもなっている額の傷は、似合わないバンドの下に隠れている。五人の中でも一番雑な変装の彼は、あの覆面の男ほどまではいかないものの、一際怪しかった。
先ほど、その格好を見たエリスティアから、開口一番に「ディオ、変」と言われていたが、彼はそれを「うるせえ」と一蹴して、まったく気にもしていないようだった。曰く、「これは適当にしているから変なのであって、本気を出せば別人になれる」とのこと。本当なのか苦し紛れの言い訳なのかはわからないが、どうせこちらが何を言ったところで耳を傾ける事はないだろう。
「だがこれでは、ますます街の外に出るのは難しいな。どうせ、門兵も増員されていることだろう」
「誰だよ、あの男の仕事を引き受ければ早く街の外に出られるようになるなんて言ったのは」
そう言ったのは紛れもなくエドル自身のはずだが、彼は自分の事などまるで棚に上げて口をとがらせている。
なるべく人目につく場所を避けて、五人はいつもの丘のレストランへと辿りついた。店内に入って兵士の姿がないのを確認すると、一斉に深くため息をつく。
「このくそ暑い国で、厚着しなきゃなんねえ羽目になるとは…」
席に着くなり、ディオがストールを乱暴に引き解いた。割と色素の薄い肌に汗の粒が浮いて、銀髪が張り付いている。
暑いのは苦手だとぼやいていたのは、この国に着いてすぐだっただろうか。そんなことをぼんやりと思い出していると、視線に気づいた彼に睨まれ、「さっさとマント脱げ。見てるだけで暑苦しい」と言い捨てられた。
大人しくその言葉に従いマントを脱ぐ。それを簡単に畳んで、背もたれに引っかけた時だ。
店の奥…調理場の方が、にわかに騒がしくなった。
昼食時で店が混んできたためかと初めは思っていたが、どたばたと音と声はしているのにいくら待っても店員が注文を聞きに来ない。今までホールで忙しく働いていた店員がすべて店の奥に引っ込んでしまい、それきり出て来なくなっていたのである。
「すいませーん!」
「おーい、注文まだー?!」
「いつまで待たせんだよ!」
やがてあちこちのテーブルから、焦れた客の怒鳴り声が飛び交い始めた。また、席への案内を待って入口で立ち尽くしている者もいれば、諦めて席を立つ者もいる。
「…せっかく必死に警備の目をくぐって来たってのに、今度はこれかよ…」
成長期真っただ中のエドルが、空きっ腹を抱えてぐったりとテーブルに突っ伏した。そんな彼を慰めるような目で見つめながら、少なくなったグラスの水を飲み干す相方。
「違う店に行ってみるー?」
「そーだねー…いつ食べられるかわかったもんじゃないし」
満場一致で頷く一同。
脱いだばかりのマントを再び羽織り、クリティスはおもむろに立ち上がった。続いて他の四人も、それぞれ支度を済ませて腰を上げた…が。
客の怒号と厨房の喧騒の中で、忙しくこちらに向かってくる足音が聞こえた。
客たちのものとは違ってどこか焦りを感じるその音に、顔を上げ周囲を見回すクリティス。しかし窓の外にも入口のあたりにも、それほど慌ててホールに入ってくる者はいない。
(…店の奥からか…?)
疑問に思ったクリティスがそっと調理場の方を覗きこんだ時、それは突如ホールの方へと飛び込んで来た。
「うわあ…昨日より兵士増えてるよー…」
木陰から城下町の門を盗み見ていたウィミーネが、困惑しながら言った。それを聞いたエフィルたち三人は、顔を見合わせる。
「どうしたんだろう。僕たちがなかなか捕まらないから、本腰を入れてきたのかな?」
「でも困ったわ。これじゃ、ますます入れないじゃない」
「いや、入る方法はあるんだ」
はっと顔を上げて、エフィルとラズマはイルファに視線を集める。
「実は昨日ウィミーネに、街に入るもうひとつの入口を見つけてもらった。
郊外に、レストランの建っている丘があるだろう?」
一斉に、街のはずれにある小高い丘を見つめる四人。
「丘の外側には川が流れていて一見入れそうにないんだが、昔使われていたらしい橋が一本掛かっていて、そこを渡れば丘の裏から街に入れる」
「もちろん丘の裏側も城壁に囲まれてるけど、橋の傍にボロボロの扉があったんだー。わたしが空から入って内側から鍵開けちゃえば、何とかなるよね?」
「見張りはいないの?」
エフィルが尋ねると、イルファは少し首を捻ってから、
「昨日はいなかったが…これだけ警戒がきつくなってるってことは、そっちにもいくらかいるかもしれないな」
「でも、正面の門から突破するよりはるかにましだよ。
まずは確認だけでもしてみよう」
ラズマの提案に従い、一同はそっと門の陰から抜け、城壁の外を回って丘の裏へと向かった。
イルファの言った通り、丘の裏の城壁には、伸び放題の蔦が絡まり傾きかけた古い鉄格子の門がついていた。数人の警備兵がおり、時々雑談をしたり、いかにも暇そうに欠伸をしたりしている。
四人は目を合わせて頷くと、それぞれの得物を取り出して奇襲を仕掛けた。
「うわああっ?!何だ貴様らっ!」
「こ、こいつらもしかして………!」
「怪我したくなかったら、さっさと引っ込みなさい!」
エフィルがまず率先し、大剣を振りかざして威嚇した。それに慄いた兵たちを、イルファが電光石火の動きで次々と気絶させていく。
「いと高き天に仕う風の神よ!」
ラズマの呪文が響き渡ったかと思うと、突風がこちらに向かってきた兵たちを吹き散らした。城壁に背中を叩きつけられて意識を失う者もいれば、気絶はしないものの怖じ気づき、何か負け惜しみのような言葉を怒鳴りながら逃げていく者もいる。
「ウィミーネ!今の内に!」
「うんっ!」
警備兵たちのすべてが気絶し、あるいは逃げて行ったのを確認すると、エフィルは翼人の少女を呼び寄せた。
ウィミーネはその白い翼を大きく広げると、羽を散らしながら宙を飛ぶ。城壁を越えて反対側に降り立ち、鉄格子に手を掛けた。
「えーと………うん。別に鍵が必要なわけじゃなさそうだね」
そう言って、扉を開けようと錠に触れる。だが、扉はいつまで経っても開かない。
ウィミーネは急に表情を険しくすると、今度は両手を使って錠をがちゃがちゃと引っ張り始めた。
「ど、どうしたの?」
「なんかこれ、サビついてて開かないよーっ!」
格子の隙間から覗いてみると、どうやら金属製の小さなかんぬきが、錆びついて膨張し引き抜けなくなってしまっているようだ。小さな手で懸命に引っ張ってはいるが、かんぬきは僅かな金属音を立てるだけ。
「木だったら剣で壊すこともできたけど、さすがに鉄じゃ無理だわ…」
「まずいな。早くしないと増援が…」
兵士が逃げて行った方向を睨んで、イルファが苦々しく呟いた。ウィミーネはますます焦って、力任せに金具を揺らしている。
「お嬢さん、失礼いたします」
何か助ける方法はないものかと悩み始めた時、ふと、ウィミーネの後ろに人影が現れた。
あまりにも気配が薄く、いつ近づいてきたのかもわからないほどだ。四人は一瞬、反応を忘れて唖然としていた。
黒いスーツに身を包み見事な白髪を頭に頂いたその老人は、ウィミーネの横からおもむろに手を伸ばす。それほど力を入れたようにも見えないのに、錆びたかんぬきはカタン、と外れた。
老人は門を引くと、エフィルたちを導くように手を差し伸べる。
「どうぞ、こちらへ。
警備兵はわたくしめが引き止めておきます故、皆様は真っ直ぐに丘をお登り下さい。そこからは、わたくしの手の者がご案内いたします」
「…な、何者かは知らないけど、迷ってる場合じゃなさそうね」
横手に現れた警備兵らしき人影を見やって、エフィルは即座に頷いた。
「それじゃ、ここは頼んだわ」
「お任せ下さい」
四人はスーツの老人に背を向けて、橋を渡り丘の木々の間に紛れた。
「あの人、大丈夫かなあ」
心配そうに後ろを振り返るウィミーネ。
「警備兵が、無実の市民に手を出す事はしないと思うけど…それにしても、何者なんだろう?」
「彼は、私たちのオーナーですよ」
顔を見合わせていると、今度は若い女性の声がした。
振り返ると、エプロンドレスに身を包んだ女の人が、こちらに微笑みかけている。
「エフィル・トレークさんですね?ここからは、私がご案内します。付いてきて下さい」
「え…えっと…」
こちらが何か質問を投げかけようとすると、彼女は口元に指を当てた。
「ご質問は、後でオーナーの方にどうぞ。私は彼に案内役を頼まれているだけなので、おそらくお答えできかねます」
エプロンドレスの彼女に導かれ、一行は丘の反対側へと回った。
「こちらへ」
辿り着いたのは、どこかの建物の勝手口。中に入ると、閑散とした部屋が目の前に広がった。
家具は木製の棚がいくつかと、テーブルと椅子だけ。棚には洋服が押し込められている。
「ここはもしかして、『フォレストフォーラス』じゃないか?」
部屋を見回して、イルファが呟いた。エフィルは首を傾げて「フォレストフォーラス?」と尋ね返す。
「そうです。ここはレストラン『フォレストフォーラス』です」
代わりに答えたのは、勝手口の扉に鍵を掛けて部屋の中心に移動した、エプロンドレスの女性。
「ちなみに、私はここの店員です」
「実はかねがね、このレストランに足を運んでみたいとは思っていたんだが、まさかこんな形で来られるとは想像もつかなかった。
これも、ディアン神のお導きかもしれない…そう、君と俺とはこうして出会う運命だったんだよ!」
「ところで、どうしてあなたたちは私たちを助けてくれたの?」
イルファの戯言が終わるのを見計らい、間を置かずにエフィルは彼女に問うた。彼女はイルファをスルーして、エフィルに近づく。視線の隅に項垂れているイルファが少し映ったが、あえて彼には触れないでおいた。
「先ほども申し上げましたが、オーナーに指示されたからです。とは言っても、オーナーもあの方にご命令を賜ったようですが」
「あの方?」
エフィルが眉をひそめた時、後ろから扉を叩く音が聞こえた。
追手かと思い身構える。しかし、女性店員が扉に近づき、耳をそば立てて尋ねた。
「オーナーですか?」
「ええ、追手は来ていませんよ。開けてください」
店員は「はい」と一言答えると、勝手口の鍵を外した。すると、さっき見た時と比べても少しも乱れていない、スーツの老人が現れる。
彼はドアを閉めて元通りに鍵を掛けると、椅子に腰かけてひとつ、ため息をつく。それから、涼しげな笑みを浮かべた。
「さて皆様、お怪我などはされていませんかな?」
「え、ええ、大丈夫よ。さっきはありがとう」
老人――このレストラン『フォレストフォーラス』のオーナーのねぎらいを、戸惑いながら受け止めると、彼は「それは良かった」とゆっくり頷いた。その柔らかな、しかし凛とした物腰や振る舞いに、ただならぬ人物だということを感じ取り、四人は唾を飲み込む。
「……………どうして、私たちの事を知ってるの?」
一呼吸おいて、ずっと聞きたかった事を尋ねると、オーナーはゆっくりとこちらを向き、語り始めた。
「ほっほっほ。坊ちゃまからお聞きしております故」
「坊ちゃま?………もしかして」
ラズマが呟くと同時に、オーナーはいかにも嬉しそうに、大きく頷いた。
「左様。アクス王子様のことにございます。
それにしても、「数日の内にあの門からやってくるだろう」とお聞きしてはおりましたが、まさか二日で来られるとは…いやはや、誠に行動力と決断力に富んだ方々ですな」
照れたエフィルは、その穏やかな瞳から少し目を反らして、胸を張った。
「即断即行が私たちのモットーだもの」
「主にエフィルだな。俺はもう少しよく考えて動くタイプだ」
「何よ、私が何も考えてないって言いたいのかしら?!」
「ふふ…坊ちゃまがああしてお変わりになったのも、あなたたちのおかげかもしれませんな」
オーナーは、小さな目をますます細めてこちらを眺めた。
「わたくしは、マクレイド・ハーレスと申します。七年ほど前まで、坊ちゃまのお世話係としてお傍にお仕えさせていただいておりました」
「立ち居振る舞いに隙がないなと思ってはいたが、そういうことだったか」
王子の側近ともなれば、主人を守るために何かしらの体術を身につけていてもおかしくはない。だからさっきも、「警備兵を足止めする」と何の躊躇もなく言う事ができたのだろう。
「定年で退職してからは、趣味も兼ねましてこのようなレストランを開き、オーナーを務めつつ坊ちゃまのご成長を遠くから喜んでおりましたが…」
老人の表情が、ふっと沈んだ。
「一年前、王子が失踪しその後にお亡くなりになったという話を聞き、それからというもの、大きな喪失感に常に苛まれておりました。若くして亡くなったアクス王子を差し置いて、わたくしがこのようにのうのうと生きていて良いものかと…できることなら、王子の代わりにわたくしが神に命をお返ししたいと。
しかし、今から一ヵ月ほど前の事でしょうか」
彼は、背筋を伸ばすと顔を上げた。今までの暗い表情はなく、口元を引き締め厳しい顔をしてこちらを見る。
「懇意にしていた政治家の方から、「カイ王子が、王位を得るためにアクス王子を亡き者にした」という話を聞いたのです。
初めはわたくしも、噂にすぎないと思っておりました。王族と教会の癒着によってその活動を抑え込まれている議会が、そのような噂を流してカイ王子様を貶めようとしたのだと。
しかし、同時期に行われた亜魔界神教会の閉鎖とイーリス大司祭の不穏な行動を知ると、わたくしも徐々に、何かがおかしいと疑い始めました」
「イーリス大司祭の不穏な動き?」
マクレイドは、厳かに頷いた。
「イーリス大司祭が、ここ一ヵ月、頻繁にカイ王子の私室への出入りを繰り返しているそうです。それも極秘裏に。
教会と王族との癒着は昔からありましたので、教会の使いの者が王室を訪れるということは以前にも度々ありました。しかし、大司祭自らが王室を出入りするなど前代未聞…。
戴冠式直前になっての教会の閉鎖とも絡めて考えると、王子と大司祭が密かに何か行動しているとしか思えなかったのです」
「ちょっと待ってよ。亜魔界神教会の閉鎖って何?」
ウィミーネが彼の話を遮り、皆を見回した。
「一ヵ月前から、住宅街にある亜魔界神教会が閉鎖されたんだ」
それに答えたのは、ラズマ。
「市民には何の知らせもなかったそうだから、寝耳に水の話だっただろうね」
「ええ。神父様や僧侶たちも行方知れずで、教会に籠って修行をしているのだとか、神聖都市アトリクスの亜魔界神信仰教会本部に研修に行ったのだとか、様々な憶測が飛び交っておりました。
しかし昨日、ようやくその真相がわかったようです」
「え?」
マクレイドは、声をひそめた。
「皆様はもうお気づきになられているでしょうが、わたくしはこの店に、アクス王子を匿わせていただいております。
王子がわたくしの元を訪れたのは、戴冠式の直後でした。それからは、王子はここを拠点として、皆様がお戻りになるのを待ちながらお一人で活動なさっていました。その活動の一つが、教会閉鎖の真相を暴く事。
教会が閉鎖された理由は、神父様や僧侶たちの殺害を隠匿するためでした」
言葉を失うエフィルたち。
「彼らを殺した人物についてはわかりませんが、大司祭が関わっている事は間違いないでしょう。そして、そこにカイ王子様が噛んでいる可能性も浮上する…
なぜ彼らを殺害したのか、カイ王子様やイーリス大司祭が何をしようとしているのか………アクス王子は現在、それらを調べておられます」
「………驚いたな」
イルファが、感嘆のため息を漏らした。
「本当に、アクス王子が一人で?だとしたら、エフィルに負けないぐらいの行動力じゃないか」
「意志も強いわ。初めて会ったときは、あんなに弱そうに見えたのに」
「え、エフィルってば、仮にも王子様に弱そうなんて…」
歯に衣着せぬエフィルの言葉をウィミーネが慌てて止めようとしたが、マクレインは気を悪くするでもなく、にこにこと微笑んでいた。
「お一人…と申しましたが、厳密にはたったお独りで動いていらしたわけではありません。微力ながら我々もお手伝いさせていただいておりますし、教会の件に関しても、他の協力者をお用いになっていたようです。
けしてお独りで抱え込むのではなく、周りの者と協力するということを大切にしている方ですから」
「ふうん…他にも協力者が…?」
エフィルが首を傾げた、その時だった。
突然、勝手口が乱暴にノックされたのである。
「もしかして、追手?」
ウィミーネが怯えて、イルファの背中に隠れた。ラズマがそっと扉に近づき、耳を澄ます。
「………そうみたいだね」
「ふむ…煙玉を撒いて逃げて来たのですが、もしかすると後ろ姿を見られたのかもしれません」
「どちらにせよ、このレストランはあの門から一番近い建物なんだし、真っ先に捜査が入ってもおかしくなかったな。
どう動く?」
こちらを見て、指示を待つイルファ。エフィルは少し考えてから、部屋のもう一つの出口…調理場へと続く扉に目をやった。
「ここで暴れるわけにはいかないでしょう。逃げるしかないわ」
「それでは、わたくしが時間を稼いでおきます。皆様は速やかにホールからお逃げください」
オーナーは、調理場への扉を開けて従業員たちを全員呼び出した。彼が指示を与えると、彼らは慌ただしく扉を塞いだり、証拠品を隠すために王子の隠れ場所である倉庫に向かう。
「彼らはレストランの店員であると同時に、わたくしの良き理解者でもあります。
さあ、今の内に」
「ええ、あなたたちも気をつけて。ほとぼりが冷めたら戻ってくるわ」
四人は、マクレイドたちを背にして調理場へと出た。すると、ホールの方が何やら騒がしい。
「ああ、そうか。店員たちが店の仕事を放棄して僕たちのサポートをしてくれているから…」
「ちょっとお客さんには申し訳ないよね…これが原因で、今後のレストランの評判が落ちなければいいんだけど」
罪悪感はあるが、今は自分たちが逃げ切る事が先決だ。切りかけの野菜や盛り付けている途中の皿などを横目に、エフィルたちは調理場を駆け抜けた。
「ホールの方から警備団が来ていない事を祈るのみだな」
不吉な事を言い出すイルファを無視し、エフィルはホールと調理場とを隔てるカーテンをやや大げさに掻き分けた。
イルファの予想は運よく外れた――が。
四人はここで、思わぬ再会を果たしてしまったのである。