教会潜入・後篇
「明かりを灯す程度の火の魔法を失敗するとか、信じられねえな」
地下の湿っぽい空気の中に、ディオの放った毒舌が響いた。
地下に入った直後、真っ暗では捜索などできないからと、エドルが明かり持ちを申し出たのだが、初めに火力の調整を失敗し、火の玉を思いきりディオに向かって放ってきたのである。その後何度か失敗を繰り返してなんとか明かりは灯せたのだが、あやうく大火傷を負うところであったディオは大いに機嫌を損ね、こうしてエドルをいびっているのだ。
「そもそも魔法を使いすらしない奴に言われたくねーしっ」
「俺は自分の身の程をわきまえてるから、魔法の道を潔く捨てたんだよ。
お前の場合は、下手くそなくせに自信満々に「明かりぐらい灯せる」って明言した上でのあの失敗だぜ。恥ずかしい」
「リ、リシェルアにこの間手ほどき受けたばっかだったから、いけると思ったんだって!」
「あれで魔法学校通ってたって言うんだから、笑えるよな」
「だから、魔法学校はつまんなかったから中途で飛び出して来たんだよ!」
むきになって声高になるエドルを横目で眺めながら、ディオは鼻を鳴らした。
闇の中をしばらく歩いていると、エドルが急に足を止めた。そして、明かりの灯ったダガーを前方に掲げる。
分かれ道だ。
「…どうする?」
意見を求めて見上げて来た顔を、ディオは見返して唸った。
「明かりを持ってるのはお前だけだしな…効率は悪いが…
…いや、待て」
ディオは、はっと今まで通ってきた地下道を思い出し、踵を返した。エドルの慌てた呼び声が聞こえるがそれは無視して、少し戻ったところに積み上げられていた、おそらく薪であろう木材を一本拾う。
それからエドルの元へと戻り、それを彼に差し出した。
「ほら、これに火をつけりゃ、松明代わりになるだろ」
「なるほど」
エドルはダガーの炎を薪に近付け、先端に火を灯した。松明よりも燃焼時間に不安はあるが、薪のストックはあるし、それほど長く捜索をすることもないだろう。
エドルは右に、ディオは左の道にそれぞれ分かれて探索を続けた。
ディオの方の道には、五つほどの扉が道の両脇に並んでいるだけで、すぐに行き止まりに行き当たってしまった。この程度であれば、薪が一本燃え尽きる前に、捜索を終えられるだろう。
だが。
「…何だ、この臭い」
分かれ道の入口に差し掛かったあたりからわずかに臭ってくる異臭に、思わずディオは顔をしかめた。まるで生肉を放置して腐らせたような臭いが、地下の黴の匂いに混じって漂ってくるのだ。
先に進めば進むほど、その臭いは強烈になる。途中で耐えられなくなり、ディオは鼻を押さえた。
(貯蔵してる食料が腐ってんのか?一か月人が入ってないそうだから、確かにあり得るが…)
これでは、探索どころではない。先に臭いの元を突き止めなんとかするべきだと考えたディオは、入念に調べるのは後回しに、とりあえず各部屋を回ってみる事にした。
「ここか?」
雑品の入った木箱しかなかった手前の四つの部屋を調べ終え、最後の扉に手を掛ける。臭いはますますひどく、開けるのをためらったほどだ。
ノブを回してほんの少し扉を動かした時。ゴトン、という重い音と共に、扉に軽く衝撃があった。
「ん?」
無意識にさらに扉を引き、音と衝撃の正体を確認しようとする。すると、何かが、どさりと床に転がった。おそらくもともと扉に引っかかっていたそれが、開いた拍子にバランスを崩し、扉に当たったのだろう。
床に横たわったそれを見て、一瞬、ディオは呼吸を忘れた。
「―――………」
叫びたいのに声が出ない。
それは、人だった。ディオの方に頭を向け、不自然な姿勢でうつぶせになったまま、動かない。
どう見てもどう考えても、生きているようには見えなかった。なぜなら、髪の毛の隙間から覗く首も服の袖から出ている手も、露出した肌のすべてが、生きている人間の肌にはありえないような色をして、腐り、爛れていたからである。
「あ…」
おもむろに顔を上げたディオは、開け放したままの扉の先にあった光景を目の当たりにして、立ち竦んだ。
他の四部屋と同じく、部屋の奥には、使われなくなった雑品の入った木箱の山。しかし床には、足元の死体のように腐乱した人間の身体が、いくつも倒れ、あるいは木箱にもたれかかるようにして座っていた。部屋の中には腐臭が充満し、死体にたかる羽虫の音も聞こえてくる。
しばらく放心していたディオは、我に返ると、明かりを握り直して寄りかかっていた廊下の壁から背中を離した。
とにかく、状況を調べなくてはならない。相方のエドルを助っ人に呼ぶ事も忘れ、半ば頭の中を真っ白にしたまま、そっと部屋に入り込んだ。
「…っ…」
惨状を改めて目にして、ディオは再び息を呑む。早鐘を打つ心臓を押さえ、室内の概観を把握しようと、周囲を見回した。
その時だった。今まで気がつかなかった、小さな気配を感じ取ったのは。
「なっ?!」
驚き、部屋の真ん中でディオは身構えた。
もしかすると、この中の誰かがまだ生きているのかもしれないと思い立ち、その場で死体たちを目を凝らして観察したが、どれも原形を留めているのがやっとというほどの腐乱状態だ。
それに…
(これは、殺気だ)
ただの気配ではなく、明らかに自分を殺そうとしている気配だった。
まさか、彼らを殺害した犯人が、まだこの部屋に潜んでいるとでもいうのだろうか。潜んでいるのだとしたら木箱の中が一番有力だが…
先ほどのショックからまだ立ち直れていない状態での、この唐突な襲撃。ディオは今、軽いパニック状態だった。まったく思考力が働かない。銃に伸ばした手も構えた腕も、ほとんど無意識の内での行動だった。
だめだ。こんな状態で襲撃に遭ったら、ひとたまりもない。
自分の危険な状態を自覚すると、ディオは大きく深呼吸をした。途端に、えも言われぬ異臭を思いきり吸いこんでしまい、軽くむせてしまう。その動作が逆に心を落ち着かせ、ディオは胸を撫で下ろした…が。
彼を襲った出来事は、これだけではなかった。
一息ついたのもつかの間、今度は、魔獣のものであろう大きな咆哮が轟き、教会を揺るがしたのである。
「うわ…っ?!」
すると次に、誰かが部屋の中に飛び込んできた。
殺気の主かと思い咄嗟に銃を持ち上げる。しかしそれは、さっき別れたばかりの、ディオの良く見知った人物だった。
「ディ…!
って、うげ…こりゃひどいな…」
今の咆哮を聞いて駆けつけたのだろうが、部屋の惨状を見た途端、エドルは眉尻を下げて鼻を押さえた。しかし、すぐに顔を上げてディオを見、目を丸くする。
「お前…顔真っ青だぞ?…大丈夫か?」
「…あ、え、エドル」
安堵して気が抜けると同時に、どっと疲れが押し寄せて来た。
エドルはそんなディオを見て、叱咤の声を上げる。
「おい、ディオ!」
「…ああ」
崩れそうになった体をなんとか気合いで立たせ、ディオは彼に駆け寄った。
この部屋の状況を説明しようとすると、それを手で制止される。
「こっちも気になるけど、さっきの声の方が先だ。
距離的に、たぶんリシェルアたちのところだと思う」
「わかっ…」
頷きかけて、ディオは、はっと辺りを見回した。
「どうしたんだよ?」
エドルに訝しげに問われてもしばらく返事を返さず、神経を尖らせる。
先ほどの殺気が、消えている。
「おい、エドル。ここに来る時、何か気配がしなかったか?」
「気配?おれらの他に、ここに誰かいるのか?」
ディオは、先ほど殺気を感じた事を手短に説明した。すると、エドルは口元に手を当てて考えていたが、やがて首を振る。
「少なくとも、おれの方では何にも感じなかったぜ。大体、こっちに来たのだってあの咆哮が聞こえてからだしなー…」
「そうか…」
部屋の中を睨み回すディオ。小さかったが、確かにあれは殺気だったと思うのだが…
エドルが、こちらの袖を引っ張った。
「まあそれも、あとで部屋を調べりゃわかるだろ。
それより、リシェルアたちが」
「ああ、そうだな…」
まだ気になって仕方がなかったが、しぶしぶディオはエドルに言われるままに部屋を出、聖堂に向かって地下道を駆けた。
「エリス!」
魔法陣から現れたもの――地上最大の生物ドラゴンを視認するや否や、再びクリティスは叫んでいた。
エドルとディオがいない今、クリティスとリシェルアの二人だけでこれを仕留めるのは難しい。しかしエリスティアには、以前ドラゴンを一撃で倒したという経歴がある。
「街の喫茶店で、五千コイル分のデザート」
「やったーっ!」
創造主は場違いな歓声を上げるなり、ドラゴンの前に飛び出した。
巨体を震わせ、口を開いて再び咆哮を上げようとする、地上最大の魔獣。
彼女はそれと真っ向から睨み合うと、古語の呪文を唱えた。
「イーセ」
相も変わらず短い呪文だが、それからは想像もつかないほどの魔力が一気に迸り、すぐさま冷気に変わる。吹きつける風を凌いで目を開くと、ドラゴンの足元が見事に凍りついていた。
真正面から一撃必殺を狙っても効果はない、と、以前彼女が言っていたのを思い出す。以前のようなおとり役を引き受けようかと言いかけると、エリスティアは首を横に振った。
「大丈夫、もう終わるから」
なんと、足元を凍りつかせていただけの氷が、いつの間にか下半身全体を侵食しているではないか。目を見開いてぽかんとしているうちに凍結は進み、いつしかドラゴンは、完全に氷像と化した。
「魔法陣から出てきた直後だったから、油断してたみたい。そうじゃなかったら、途中で凍結を止められただろうね」
この間は火の魔法の一撃で灰に。今度は、氷の魔法で全身凍結状態に。つくづく神の力は恐ろしいと、クリティスは息を呑んで、太陽神の背を見つめた。
「それにしても悪趣味な罠だね。希望の箱とそっくりな…」
「……シェルア!リシェルア、どこだ?!」
エリスティアの呟きを遮って、遠くからエドルの声が聞こえた。
やがてどたどたと、騒がしい足音が近づいてきて、エドルとディオが室内に駆けこんできた。二人はまず、クリティスたちが無事なのを目だけで確認すると、その後すぐに奥のドラゴンを見つける。
「うおっ!?何コレ!」
「ここに入ったら、いきなりこいつが召喚されちゃったの。
エヴァスタで、アスロイ王子を助けた時にもドラゴンがいたでしょ?アレと同じタイプの罠だったみたい」
「ふーん…まあ、大丈夫だったみたいだな」
エドルは息をつくと、クリティスを見た。
「んで、何か見つかったか?」
「いや、まったく。探している最中に、ここに行き当たって罠に引っ掛かったというところだ」
「そう…か」
こちらの返答を聞くと、エドルとディオは難しい顔で俯いた。何かあったのかと問うと、ディオが重たげに口を開く。
「地下倉庫に、九人の腐乱死体があった」
クリティスたちは、言葉を失った。
「腐食が進行してて人相はわからなかったが、服装からしてここの聖職者たちだ」
「聖職者が九人…」
ふと、クリティスはこの別館に入ってから、聖職者たちの執務室で得た情報を思い出した。
「おそらく、神父五人と彼らの弟子の僧侶四人だな。フィスカ・イーリス大司祭を除いて、この教会で勤めをしていた聖職者すべてが死んでいたのか」
「フィスカ・イーリス大司祭?」
エドルが、誰の事かわからないと目をぱちくりさせた。呆れたエリスティアが答える。
「あんた、昨日の事なのにもう忘れてんの?
戴冠式で、カイ王子に戴冠してた女の人、いたでしょ」
「あー!いたいた。
そういや、確かにあの死体の山の中に、女の人はいなかったような」
クリティスは頷いて、淡々と続けた。
「見て確かめてみない事には、遺体の腐食の進行度はわからないが…十中八九、ひと月前に殺されたのだろうな。おそらく、イーリス大司祭も絡んでいるに違いない」
「でも、この事件を解決するのはあたしたちの役目じゃない気がするわー」
リシェルアが、困った顔で言った。
「この国の警備団の役目だな」
ディオも彼女に同意する。
他の二人も頷いたのを見て、クリティスは少し考え、そして同じように首を縦に振った。
「そうだな。私たちが首を突っ込む問題でもなさそうだ。
しかし、指名手配状態の私たちが直接警備団に通報するのは無理だ。とりあえずあの男に相談してみよう」
五人は、一旦調査を切り上げて教会の外へ出る事にした。
皆、思い思いの足取りで暗い地下室を後にしたが、その直前、リシェルアが「あっ」と小さな声を上げる。
クリティスはそれに耳ざとく気付くと、振り返った。
「…何だ?」
「これ、落ちてたんだけどー…」
そう言って、床にしゃがみ込んでいた彼女は立ち上がり、そっとこちらに何かを差し出した。
手の平に載るほどの小さな紙切れ。そこに、奇妙な文様が描かれている。
……………いや。
それに、クリティスは見覚えがあった。そして、リシェルアも見覚えがあるはずだった。
「召喚の魔法陣…!
もしかしてこれは、希望の箱の連中が使っていたあの紙ではないか?」
本来、周到な儀式を行ってからでないと使う事の出来ない高等召喚を、紙切れに魔法陣を描き呪文を唱えただけで使用していた、希望の箱。ルシアニアの塔でリーダーを逮捕した後、その紙はすべて天空界の警察に押収されたはずだ。
「どうして?どうしてこれが、亜魔界のこの国に…」
「………この罠の仕掛け方といい、エヴァスタ教会跡を彷彿とさせる要素がちらほらあるのが、非常に気になる」
クリティスは、リシェルアと顔を見合わせた。
「…希望の箱の残党がいたのかもしれない。彼らが天空界を下りて、この国に潜伏しているという可能性もある」
「そんな………あら?」
リシェルアが、俯き手元の紙に目を落とした時、再び声を上げた。
それから、その紙をひっくり返し、裏側を明かりで照らす。
「ねえ、裏にも何か描いてあるわー」
促されるままにそこをみると、蛇を思わせる奇妙な模様が描かれていた。が、それはクリティスにも見当がつかず、リシェルアと共に黙り込む。
「………魔法陣、か?しかし、こんな様式は見た事がない」
「そもそも、魔法陣の裏に魔法陣なんて、おかしいわー。
紙の節約のためかしら?」
「…組織が崩壊したばかりで資金難だと推測すれば、考えられなくも…ないような………」
再び沈黙した時、地上の方から、連れの呼び声が聞こえて来た。話し込んでしまっていたことに気付いた二人は、慌てて部屋を出る。
「とりあえず、それはリシェルアが持っていてくれ。まだ連中の姿を見たわけではないし、不確定事項が多すぎる」
階段を駆け上がりながら頼むと、リシェルアはこくんと頷いた。
その夜、丘のレストランへ行くと、あの覆面男が相変わらず何も頼まずにクリティスたちを待ち受けていた。
教会であった出来事を話すと、男はさして動じもせずにひとつ頷き、
「わかった。警備団の方には、俺の方から手配しておく。ご苦労だった」
あっさりとした口調でこちらをねぎらうと、約束通りにディオに報酬を渡し、そのまま去って行ってしまった。
「………え、これで終わり?」
拍子抜けしたエドルが、ディオの前に置かれた無地の封筒を見つめてぼんやり呟く。
「教会と王室との癒着の証拠、まだ見つかってねーのに。
てっきり、もっと探せって言われるもんだと思ってた」
「まさかあの野郎、教会関係者が殺されてたってこと、知ってたんじゃねえだろうな」
「…そうかもしれないな」
ディオのいらだち気味の声に、クリティスは応えた。
「癒着の証拠云々というのは口実で、あの遺体の有無を私たちに確認させるつもりだったのかもしれない。…なぜ、自分で行かずにあえて私たちを利用したのかはわからないが…
なにはともあれ、これでこの国は奴の目論見通り、大騒ぎになるだろうな」
「あーはいはいめでたしめでたし。
…で、おれらはこれからどうすればいーんだよっ」
腑に落ちないのか、エドルも不機嫌な態度でテーブルを叩いた。リシェルアが、彼を咎めるように横目で見て、
「後は、警備団の警戒が解けるのをじっと待つしかないわねー。どのくらいかかるかわからないけど…」
「結局待つのか…」
「事態が進行しただけ、何もしないでいるよりはましだ」
クリティスは、呑気に夕食の注文をし始めた。それに倣って他のメンバーも、次々に夕食を頼み始める。
「…そういえば」
隣りのリシェルアが、そっと耳打ちをしてきた。
「あの魔法陣の紙の事、覆面の人に言いそびれちゃったわね。みんなにもまだ言ってないし…どうしましょう」
言われて、クリティスも「あ」と呟いた。あれを男に見せれば、面白い話が聞けたかもしれない。思わずこめかみに指を当てた。そして、夕食が運ばれてきたところで悩むのをやめ、リシェルアに言う。
「忘れていたものは仕方がないな…それに、エリスティアに言うとややこしくなるかもしれない。ここは黙っておいて、なかったことに…」
「ちょっと、二人で何こそこそしてんの?」
うさんくさそうに声をかけられ、二人は思わずびくりと肩を震わせた。
「あたしを差し置いてガールズトーク?ずるいよ、あたしも混ぜてよっ!」
「ガールズトーク…おれもちょっと聞きたいかも…」
「お前ら…」
目をきらきら輝かせて、詰め寄ってくるエリスティアとエドル。呆れ顔でそれを見ながら、口をもぐもぐ動かしているディオ。
「面白いお話じゃないと思うわよー。
この国の政界情況および今回の依頼の総括を、論議してたところだからー」
「「……………」」
あの興味津津と言わんばかりだった目が、途端に曇って垂れ下がった。
「ねー」ととぼけた笑顔でこちらに同意を求めてくるリシェルアは、内心ほくそ笑んでいる事だろう。彼女の二人に対するあしらい方には、いつも感心してしまう。と同時に、その手の話になるとこちらに丸投げしてしまう二人には、ほとほと呆れてしまう。
「せーじの話かあ…」
「せーじなんて、人間が勝手にやってればいいじゃん。神様は遊ぶのに忙しいんですうー」
「神の一族は遊びが仕事なのか」
ディオの突っ込みに、エリスティアはきょとんとした顔で答えた。
「神が遊べなくなったら、困るのは人間の方じゃないの。
だって、神の仕事は世界を守る事だもん。遊ぶ暇もなく世界を守らなきゃいけない状況っていうのは、すなわち…」
「…なるほど。よっくわかった。確かに困るな…」
いつになく素直に頷いたディオの頭の中に浮かんでいるのは、おそらく、人類の間で長い事語り継がれてきた伝説の数々だろう。神によって選ばれた勇者が神の支援を受けながら、魔王を打ち滅ぼすという類の。
「ね、困るでしょ?魔王なんかが出て来られたら。
まあ、魔王の出現以外にも、世界を守らなきゃいけない状況なんていっぱいあるんだけどね。例えば、白銀の時代に起こった大戦争で、古代兵器に魔界の大陸分断されたときとか。琥珀の時代に、意思を持った『予言書』が予言を成就させようとしたときとか」
そう言って、エリスティアはにっこりほほ笑んだ。隙のない、食えない笑みだった。
場の空気が暗く沈んだのを感じ取ると、エリスティアは大きく息をつき、
「まあ、万が一これからなんか起きても、何とかなるよ、たぶん。
なんてったってあたしが創った世界だからね!ちょっとやそっとじゃ壊れないんだから!」
「…今ので余計不安に…」
「どーゆー意味っ?!」
毎度のことだが、会話がずれ始めてきた。「とにかく、」とクリティスは無理矢理話を引き戻し、
「長い間状況が変わらなければ、いっそのこと強行突破という手もなきにしもあらずだ。本当はしたくないのだが…。
今は、大人しく待つしかない」
念を押すように言うと、エドルはしぶしぶ頷いた。他の者からも異論はなく、ただ自分の夕食を食べる事に専念している。
とは言うものの、この国を出るのはいつになることやら。
どこか一抹の不安を抱えながら、クリティスも、皆に倣って食事に手をつけるのだった。