教会潜入・前篇
灯火のない聖堂は薄暗く、光と言えば、壁にはめ込まれたステンドグラスから零れる申し訳程度の日差しだけだ。
目を慣れさせようと瞬きを繰り返していると、後ろでエリスティアが軽く咳き込んだ。
「埃っぽい…掃除もしてないなんて」
確かに、聖堂内の空気は淀んでいた。長椅子に触れると、やはり埃が積もっている。
「やっぱ、人はいないみてえだな…じゃあ、このドアはただの鍵のかけ忘れか?」
「何とも言えんが…とりあえず、捜索を開始するとしよう。
まずは聖堂から」
クリティスの声に応じて、一同はそれぞれ聖堂内をくまなく調べ始めた。と言っても、捜索の経験がないエリスティアは、聖堂の中を適当に観察しているだけのようだが。
しばらく探して何も進展がないのを悟ると、クリティスは皆を呼び集めた。
「さすがにこんなところに、証拠になるようなものを隠しておくわけはないようだな」
「それじゃあ、地下と別館の方を探してみましょうかー」
「え…地下に行くのお…?」
エリスティアが、口をひん曲げた。
「これだけ掃除してないってことは、地下なんてもっとひどいんじゃない?
やだなあ…服汚れそう」
「どこも同じようなもんだと思うが…まあ、お前がどこに行こうと、役に立たないのはわかりきってるしな」
ディオがそう鼻で笑い飛ばすと、エリスティアは彼をじろりと睨んだ。途端に壮絶な睨み合いが始まったが、他の三人は、それを無視して人員の割り振りを始める。
「別館は外から見た感じだと広そうだったけど、地下はわかんねーなあ。でも、別館より広いってことはないだろ」
「そうだな。地下は二人、別館は三人で分けるか」
「じゃあ、おれとディオで地下に行くよ。エリスもああ言ってるし、別館の方が比較的明るくて安全そうだから、女子でやってくれ」
「あらまあ。ずいぶん紳士なのねー、エドルったら」
からかうようにくすくすと笑うリシェルア、照れてむっと黙り込むエドル。
「その方が助かるぜ。この馬鹿女と一緒に探索なんてお断りだ」
「こっちこそ、あんたみたいな口も性格も悪い男と一緒に地下になんて行かされたら、どうしようかと思ったよ」
「異論はなさそうだな」
お互いを指しながら、声を重ねるディオとエリスティア。クリティスは、ため息交じりに頷いた。
「では、分かれるとしよう。何か見つかったら、聖堂の方に出てきてくれ」
「了解」
五人は分かれて、男子二人は地下へと続く暗い階段へ、女子三人は別館へ続く渡り廊下へと向かい、姿を消した。
「ほんと、アクス王子ってばどこ行っちゃったのかしら」
客などほとんどいない場末の喫茶店で、薄いコーヒーを前にしてエフィルはため息をついた。
ここは、城下から少し離れた田舎の村ハーベル。指名手配の身となったエフィルたち四人はこの村に身を潜め、訪れる警備兵をやりすごしていた。
戴冠式の計画は大失敗に終わった。戴冠の機会は延びたものの、カイ王子自分の罪を認めず、いまだにのうのうと次期フォーラス王候補として城に鎮座しているのである。しかもこちらには、彼の嘘の証拠であり切り札でもあるアクス王子がいない。まったく身動きが取れなくなってしまったのだ。
「彼に兄を裁く意志があるなら、僕たちの居場所を是が非でも突き止めてやって来るはずだよ。何の音沙汰もないということは、諦めたか、それとも単独で動いているかだね」
ラズマが、エフィルの正面で少し遅い朝食を取りながら応えた。
イルファとウィミーネは、城下町の入口の様子を調べに行っている。だが、おそらく警備団によって厳しく検問が行われていることだろう。入れたところで、町中を見回っている兵士に捕まるのがオチだ。アクス王子にこちらから接触するのは、難しいかもしれない。
ここまで悩んで、エフィルは考えるのをやめた。疲れた頭をすっきりさせるためにコーヒーをあおり、それから、ラズマの傍らの椅子に立てかけてあるスケッチブックに目をやる。
「…ところで、戴冠式の時にまでスケッチブック持ってったって、本当なの?」
「ん?あ、うん」
食後のフルーツに手を延ばしながら、彼女と同じようにスケッチブックに目を向けるラズマ。
「呆れた。本っ当に絵が好きなのねえ」
「どうせ、エフィルたちが逃げてくるまでは暇だろうと思ってね。
でも、君たちを助けに行ったときはさすがに宿に置いてきちゃったよ」
それどころじゃなかったし、と付け足すラズマの前で、エフィルは顔を少し下げ、視線を反らした。
何につけても淡白でマイペースな彼でも、自分が捕まったと知った時は焦ったのだろうか。いつも大事に持ち歩いているスケッチブックを、忘れるぐらいには。
「…エフィル?」
突然顔を覗き込まれ、エフィルは、自分でも大げさだと思うぐらい身を引いた。
「びっっっくりしたあ…」
「そんなに驚かなくても。何考えてたの?」
「な、何でもないわよっ」
わざと突き放した態度を取ると、エフィルは店員を呼んで、別に欲しくもなかったコーヒーのおかわりを頼んだ。ラズマが、不思議そうにこちらの様子を眺めている。
少し顔が熱い気がする。ばれてはいないだろうかと妙にそわそわして、俯いた。
のどかで素朴な喫茶店内。不自然な雰囲気で黙りこくってしまった二人を、椅子の上のスケッチブックが眺めていた。
エドルの言った通り、クリティスたちの来た別館は聖堂に比べて窓の数が多く、太陽の光が十分に入ってきていた。ただし、ここも埃っぽいことには変わりなかったが。
「部屋がいっぱいあるなあ…これ、全部探すの?」
「当たり前だ。どこに隠してあるかわからないのだから、手当たり次第に探すしかない」
「うえええっ…」
エリスティアが、早くも面倒くさそうに肩を落とした。むしろ、地下に隠されている可能性もあるので無駄骨になるということも無きにしもあらずだが、それを口にすると、彼女が本気でボイコットしかねないのでやめておく。
「大司祭や神父たちの執務室、それから外来者の宿泊施設などが揃っているようだな。
私は執務室の方を回るから、二人は手分けして宿泊施設の方を当たってくれ」
「はーい」
「うう…めんどい…」
ワンピースの裾を揺らして行くリシェルア、彼女の後ろを重い足取りで付いていくエリスティアを見送り、クリティスは傍にあった神父の執務室に入った。
不正の資料があるとすれば、一番怪しいのは教会関係者の部屋だ。部屋の隅に立っている本棚に近づき、慎重に書類を調べていく。
(ここにはなさそうだな…)
本棚にまとめられた書類を一通り調べ終え、部屋を隅々まで捜索してから、次の部屋に向かおうとした時だった。
「クーリーティースー」
エリスティアの間延びした声が、遠くから自分を呼んでいる。思ったより早かったなと、クリティスは部屋を出て、廊下の先へと向かった。
外来者の寝泊りする客室のドアの前をいくつか横切ると、廊下の向こうでエリスティアが手を招いているのが見えてくる。彼女の後ろにあるのは、厨房の入口だった。
「どうした」
「面白いものが見つかったの」
「なんだ、隠し部屋でも発見したか?」
「うふふ、クリティスは相変わらず勘が鋭いわねー」
厨房の扉が開いて、リシェルアが顔だけ覗かせた。
石壁石畳の粗末な厨房には、火のない石窯と木の調理台、食器の並んだ棚だけが設置されている。食器棚の横の壁では、たった今二人が見つけたのであろう隠し通路が大きく口を開けていた。
「…中は調べたのか?」
「一応、少し入ってみたわー。通路は食材とか調理器具をしまう場所になってるみたいなんだけど、その奥に地下に続く階段があって、そこを降りたら、いかにもっていう感じの扉があったのよー」
「…地下が二つか。確かに怪しいな」
しかし、まだ執務室の捜索が終わっていない。少し考えて、三人はまず、執務室の調査を終わらせることにした。
しかし、五人の神父の執務室と大司祭の執務室を調べ終えても、なんら重要な手掛かりは発見できなかった。やはり、厨房の隠し扉の先に、王族との癒着に関係する資料が隠されているのだろう。
再び厨房へ入り地下へ降りて来た三人は、期待の面持ちで扉を見た。
鉄製の重々しい扉には、扉の素材とは別の銀色の金属で、複雑な装飾が施されている。リシェルアの言った通り、「いかにも」な雰囲気を醸し出していた。
「もしかして、この中に大司祭とか神父がいたりして」
エリスティアが、声をひそめて呟く。
あり得ない事ではない。教会から人の出入りする気配がないということは、「誰も入っていない」という事ではなく、「誰も外に出ていない」という事である可能性もあるからだ。
クリティスは、観音開きの扉を両手で押し開いた。見た目に反して扉はそれほど重くなく、彼女一人の力でも難なく動く。
「………って…なに、ここ」
開いた扉の先を見たエリスティアが、拍子抜けした声を上げた。
扉の先に広がっているのは、ただの闇。光もなければ人もいない。およそ、人が使っているとは思えぬような殺風景な場所だった。
クリティスも一瞬呆けたが、すぐにリシェルアに明かりを頼んだ。彼女は頷くと、口早に呪文を唱えて杖の先に炎をともす。
彼女の明かりを頼りに、三人はそっと部屋へ入った。足音が、壁や天井に反射して遅れてこだまする。どうやら、かなり広い部屋のようだった。
「…緊急避難用の部屋か何かだったのかしらー…家具とかも見当たらないみたい…」
明かりを強くして部屋内を照らし、首を傾げるリシェルア。
「なあんだ。期待して損しちゃった」
「まだ残念がるのは早い。ここはダミーで、どこかにまだ隠し扉があるのかもしれん」
「えーっ、まだ探すのー?」
不満げに口をとがらせたエリスティアが、部屋の奥に向かって足を進めた、その途端。
彼女の足元が突然まばゆい光を放ち、部屋の中の闇を払い飛ばした。
「え」
驚く間もなく、光は床を縦横無尽に奔って広がり、だんだんとその強さを増していく。光が無作為に広がっているのではなく、何かの模様を描き出しているのだと気付くと、クリティスは入口の方へと後ずさり、叫んだ。
「離れろ!これは召喚術の魔法陣だ!」
エリスティアとリシェルアは、声に従い慌てて飛び退いた。ほどなくして光の動きが止まり、床にははっきりと魔法陣が浮かび上がる。
「何者かが陣に入り込んだ時に発動するように、仕掛けられていたようだな…」
発動する前に気付ければ、魔法陣を消去するだけでよかったのだが、発動してしまったのではもう遅い。
魔法陣放つ光の中から、何かが姿を現した。身構える三人の前で、それは一度、大きく身体を震わせる。力を失った魔法陣から光が消え、辺りはまた、左右もわからぬ闇の世界に戻った。
暗黒の中で大きな目を見開いたそれは、建物を揺らすほどの大きな雄たけびを上げた。